・今まで何度引っ越しをしてきただろうか。荷物を段ボールに詰め、いらないものを捨て、新しいものを買う。空っぽになった家を後にして、新しい家に向かう。そのたびに、新たに住む家での生活を思い描き、去る家で過ごした月日を思い返してきた。過去と未来。しかし、今回の引っ越しは、今までとは違う、別の思いにとらわれた。
・すでに何度か書いたように、要介護認定を受けていた父の面倒を見ていた母が4月に脳出血で倒れ、二人そろって要介護の認定を受けるようになった。庭に畑を作って野菜を作っていた母には、家を離れるのは考えもしなかったことだった。しかし、日常生活がヘルパーの助けがあっても難しい状況になって、介護付き老人ホームに引っ越すことを受け入れざるをえなくなった。
・幸い、妹が住む家の近くで空きが見つかり、6月には引っ越しをすることができた。いつでも帰れるように家をそのままにしておくこともできたが、不用心なこと、手入れが面倒なことなどもあって売却することにした。そうなると、家財道具を処分しなければならないのだが、改めて見回してみて、比較的広い家に収まった家財道具の量に驚き、うんざりしてしまった。
・僕の親の世代は戦争を経験し、戦後の経済成長期に子供を育て、家を建てて現在に至っている。だから、不要なものでも捨てずにしまい込んでいる人が少なくない。パートナーの母が亡くなったときも、一人で生活するのに必要な量の何倍もの日用品がストックされているのに驚いたのだが、今回はそのまた何倍もの量だった。
・もう着なくなった服が、いくつもあるタンスやクローゼットにぎっしりと詰まっていて、これも複数ある食器棚には陶器やガラス器が並んでいる。何よりやっかいだったのは大型冷凍冷蔵庫と冷凍庫の中にびっちりと詰まった食料品をどう処分するかだった。点検すると賞味期限切れのものばかりで、持ち帰って食べようという気になるものは少なかった。だからその多くは、庭に穴を掘って埋めることにした。
・母は糠味噌や梅干しをはじめ、さまざまな保存食をつくって冷蔵庫で保存してきた。その中身も処分すると、ガラス瓶は100個ではすまない数になった。僕の家の冷蔵庫は1週間も経てばほとんどがら空きになる。で、買い物に行って満たすのだが、母の世代は、いつでも何でもあるようにしておかないと不安だったようだ。食糧難の時代に育った世代と飽食の世代の違いと言ったらいいのだろうか。僕はその冷蔵庫を開けるたびに、必要なものが奥に隠れて見つからないことに文句をつけていたのだが、母はいつでも、冷蔵庫からさっと取り出して見せた。
・片づけは何回にも分けて行ったのだが、家財道具が少しずつ減ってがらんとなっていく様子を見るうちに、両親が死んだわけでもないのに、二人の住んでいた痕跡がなくなっていくことに奇妙な違和感を持つようになった。終の棲家と思っていた両親には、家財を整理する気などまったくなかった。そして老人ホームに持って行けるものはごく限られていた。だから、衣食住に必要だったものは、そのほとんどを処分せざるをえなかった。
・本当なら両親が死んだ後にやることを生きているあいだにやる。核家族化と長寿が進んだ社会に新しく訪れた人生の最後段階。だとすれば、終の棲家にならない家の家財道具は必要最小限にしておくべきだろう。すっかり空っぽになった家の中を見回しながら、そんなことをつぶやいてしまった。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。