2013年2月18日月曜日

演説と講義

 

obama1.jpeg・オバマ大統領の一般教書演説をテレビの生中継で聞いた。1月の就任演説の時もそうだったが、その引き込まれるような話し方に、改めて感心をした。演台にはもちろん原稿が置かれているのだが、そこに目を落とすことはあまりなく、正面や左右の聴衆に視線を向け、時に身振り手振りを交えて演説をする。このような姿勢はもちろん、オバマだけのものではない。アメリカをはじめとした欧米の政治家に共通したスタイルだ。しかし、オバマの語り口には人を引きつける特別の魅力がある。(画像はjp.reuiter,comから引用)

・対照的に、日本の政治家の演説は相変わらずお粗末だ。安倍首相の国会での演説は、ほとんどうつむいていて、ただ原稿を読み上げるだけのものだった。これは代表質問をする議員にも共通したやり方で、国会内で聞いている議員たちには当たり前なのかもしれないが、一般には全く聞く気を起こさせない、というよりは呆れてうんざりするだけの話し方だと今さらながらに思った。首相や大臣の演説は官僚の作文で自分で書いたものではないから、原稿から目が離せないのだとも言えるが、たぶん、それだけではないのだろうと思う。

・僕が大学生の頃の講義は、教師が教科書をうつむいて読むだけか、板書をしながら話すというものが多かった。板書をする講義ではノートをとることが不可欠だが、教科書を読むだけなら、授業には出なくてもいい。試験前に教科書を読んでおけばいいし、ノートも大学周辺の本屋でコピーが売られたりしていたから、出席しなくても単位を取ることは容易だった。だから授業に出るのは、ゼミと少人数の出席をとる科目だけで、後はほんのわずかの聞きたいと思う教員の講義だけだった。だいたい大学での勉強は授業ではなく自分でやるものだったのである。

・議員の演説は昔も今も変わらないが、最近の大学の講義は全く違うものになった。パワーポイント(キーノート)を使い、資料を配付し、授業に準拠した教科書が使用されるようになった。今の大学生には、「勉強は自分でやるものだ」と言ってもまるで通じない。手取り足取り、懇切丁寧に教えてもらうことを当たり前だと思っているからである。だから、事前の準備に時間がかかるようになったし、授業中に学生がどの程度理解しているかも気になるようになったし、授業中や宿題で書かせるレポートの数も増えた。

・その意味では、大学の講義は演説、というよりはプレゼンテーションに変わった。大学の教員は同時に研究者だが、学生たちは受講する先生が何を研究しているかについて関心がない。だから、教科書に指定された本を棒読みするような講義は、授業評価で落第のレッテルを貼られてしまう。

・政治家は何より政治を実践をする者だが、どんな考えや理想を持って、どんな政策をやろうとしているのかを人びとに表明し、説得して、支持してもらわなければならない。オバマ大統領の演説を見ると、支持するかどうかが演説そのものにかかっていることがよくわかる。一般教書演説は1時間におよび、話題にした人物を議会に招いてもいた。用意周到に練られた演説だったのだろう。

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