・この本は以前に岩波新書で出版されていて、ぼくはこのサイトを初めた時の最初の書評にこの本を選んだ。1996年の11月だからもう16年以上も前のことだ。同じ著者の同じ題名だが、本はハードカバーで出版社も変わっている。中身は同じかもしれないと思いながら買うことにした。
・読み返しながら改めて思ったのは、この本を読んで知ったミュージシャンの多さだった。ジム・クローチ、グラム・パーソンズ、ジョン・プライン……。地味だけどいかにもアメリカ的。それを著者は最初に「『私の生き方』を自ら問い直すための歌」と書いて、多くのミュージシャンについて語っている。歌を聴けば、その人の生き方と人生に対する態度が聞こえてくる。そんな人たちばかりを集めて、それがアメリカの心の歌だと言ったのは、16年経って読み返して、なお一層納得できると思った。
・歌というのは、つまりうたい方だ。うたい方というのは、つまり歌うたいの個性だ。個性というのは、つまりは人生に対する態度だ。そして、人生に対する態度がすなわち歌である秘密をどうにかして伝えようとしてきたのは、シンガー・ソングライターの歌だった。
・これはアメリカ人ではなくアイルランド人のヴァン・モリソンについて書いた章の冒頭のことばである。アイルランド人のヴァン・モリソンの歌がなぜ、アメリカの心の歌なのか。著者はそのことには何も触れていない。と言うよりは、アメリカの心そのものとしてヴァン・モリソンを評価している。そして僕も、そのことに何の違和感も持たない。
・それはアメリカの歌の源流がアイルランドからの移民たちにあるからだ。その移民たちの多くはジャガイモ飢饉があった19世紀中頃にアメリカに渡って、どん底の生活を生き延びた人たちだった。それでアイルランドの人口は激減し、歌もすっかり廃れてしまったのだが、アメリカで歌い継がれて、アメリカの歌になった。現在のアイリッシュ音楽は、アメリカから戻った人たちによって復活したものに他ならないのである。
・再販された本には「うたと誌の記憶」という部が追加されていて、そこではボブ・ディランやトム・ウェイツが取り上げられている。ディランはウッデイ・ガスリーをはじめ、多くの先達に影響されているが、1930年代に活躍した伝説のブルース・シンガーのロバート・ジョンソンについての既述は知らなかった。ディランはジョンソンについて、「彼の歌は私の神経をピアノ線のように震わせる」と言ったそうだ。「ロバート・ジョンソンを聴かなかったら、大量の詩の言葉がわたしの中に閉じ込められたままだった」とも。そこから、著者は次のように書く。
・歌を聴く楽しみあるいは悦びの一つは、その歌をいま、ここにみちびいただろうルーツをゆっくりと遡ってゆくことだと思う。歌は発展ではなく、遡行なのだ。遡ってゆくうちに見えてくる、歌にのこされた記憶の風景が好きだ。
・僕も全くその通りだと思う。そしてディラン自身やライ・クーダーの最近の作品には、はっきりと、遡行の大切さというメッセージが込められている。初心を忘れず、本質やルーツに目を向ける。そのことがまた、新しい歌や音楽が生まれる土壌になる。『アメリカの心の歌』を読んでつくづく思うのは、Jポップにはこの「心」がないということだ。懐古趣味はあっても遡行はない。
・この本を読んでまた、知らなかったミュージシャンを見つけた。スティーブ・グッドマンで1984年に白血病で死んでいる。38才で10枚のアルバムを残したようだ。そのうちの二枚をさっそく買って聴いてみた。当然だが、手に入るもの全てを買って聴きたくなった。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。