2015年2月2日月曜日

脳梗塞とリハビリ

 

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・今頃はイタリアを旅しているはずだった。それが中止になったのは、パートナーが脳梗塞になって入院してしまったからである。現在はリハビリ病院に転院して、歩行訓練や手や指の動作、そして発話の修復等をおこなっている。

・異変は不意にやってきた。夕飯を食べた後、ソファーに寝そべってテレビを見ていると、彼女が起き上がって妙な表情をした。「どうしたの」と聞くと「眠い」と言う。で、立ち上がった瞬間に崩れるように膝をついた。びっくりして、すぐに最寄りの救急病院(山梨日赤)に電話をして、車で連れて行った。CTスキャンをして症状を診察した後、医者は梗塞の痕跡のような影があるが、古いもののようで、新しいものは確認できないと言った。普通に歩けるし、ことばもしっかりしていたから、一過性のものと思って家に帰った。

・そのあと何度か通院しているうちに、次第に症状が重くなってきた。医者ののんびりした態度に不信感を持ったが、信用できる病院は他にはない。しかし、次の診療日は待てないと思って、再度救急で病院に連れて行った。今度は違う医者で、症状を見てすぐにMRI検査をして、即、入院となった。最初の時にもうちょっと慎重に調べてくれていたら、もっと軽かったかもしれないと思うと、ずいぶん腹も立った。しかし、最初の医者と違って、いろいろ丁寧に説明してくれたから、文句は言わなかった。

・脳梗塞によって出る症状はさまざまである。彼女の場合には左半身の麻痺とろれつが回りにくいことだった。最寄りのリハビリ病院を探すと石和温泉近辺にいくつもあった。そこから山梨リハビリテーション病院を選んで電話をした。脳梗塞の場合にはまず普通の病院に入院をしてリハビリをはじめていい段階だと医師が判断したら転院ができると言われた。結局日赤には10日間入院してからの転院となった。

・リハビリ病院には家から30分ほどで行ける。御坂山塊をぶち抜いた若彦トンネルを抜け芦川村を過ぎると甲府盆地と南アルプスと八ヶ岳の山脈が眼前に広がる。ヘアピンカーブの多い道だが、信号はないから800 mほどの標高差をあっという間にくだってしまう。上のような風景を毎日眺めながらの病院通いをしていると、また山歩きができるようになるのだろうか。外国旅行はどうだろうか。などといろいろ考える。とにかくリハビリをがんばって、今までの生活ができるようになって欲しいと願うばかりだ。

・実は彼女には、ちょっと前から自覚症状があったようだ。それが夏に行ったスペイン旅行の時だったと言われたときには驚いたし、黙っていたことを叱責もした。若い頃から高血圧で、塩分を控えることもやっていたのだが、毎年、人間ドックに一緒に行こうと言っても取りつく島もないほどで、病院や医者をまったく信用しないという態度だった。その罰が当たったのだと言うと、さすがに反論することはできないようだった。何しろ今は、「作業療法」「理学療法」「聴覚言語療法」をそれぞれ若い療法士の指導で毎日くり返しているのである。

・さて、リハビリ期間はどのくらいになるのだろうか。現今の医療制度ではどんなに重い症状でも3ヶ月で退院させられてしまうと言う。おかしな制度ができてしまったものだが、彼女の場合にはもっと短期間で出てきて欲しいと思う。3月の末に京都で個展を予定しているから、遅くともその前には退院したい。そんな希望を公言していて、若い療法士さんたちもそのつもりで厳しいトレーニングを課してくれている。

・そんなわけで、久しぶりの一人暮らしが続いている。最初は不安感もあって落ち着かなかったが、今はもう慣れてしまっている。いろいろうるさいことを言われないから気楽でいい。鬼の居ぬ間に家の内外の模様替えをやってしまおうか。そんなことも考えて実践しはじめている。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。