・NHKスペシャルが「ボブ・ディラン ノーベル賞詩人 魔法の言葉」を放送した。ノーベル文学賞を授与されて以降、さまざまに取りざたされ話題になっているし、CDや書籍にも、それを記念して新たに発売されたり、宣伝されたりしたものも多い。今さらとも思うが、新たに興味を持って、彼の歌を聴いたり、彼についての、あるいは彼が書いた本が読まれるのは悪いことではないとも思った。何しろ日本では、ディランは一部を除いて、ほとんど興味を持たれていないミュージシャンだと、ずっと思っていたからだ。
・そのディランは、受賞を拒否するのではとか、まったく連絡が取れないとか、先客を理由に授賞式を断ったとか、そんな話題ばかりが先行していたが、授賞式には、彼に代わって晩餐会にパティ・スミスが出て「激しい雨が降る」を歌ったというニュースを耳にした。主催者からの依頼のようだが、彼女にしてみれば、ディランに影響を受けて歌を歌い始めたのだから喜んでピンチヒッターになったのだろうと思った。
・番組はまず、デビューからヴェトナム反戦を訴える歌を歌って支持を得たこと、フォークからロックに転身してファンとの間に物議を醸したことなどを伝えた。その後で、彼が作品を作るときに書き残したノートや便箋、あるいはたまたま持っていた紙ペラなどが集められているオクラホマのタルサ大学に出向いた。それはディラン自身の意向によるもので、デビューから最近の作品に至るまで、膨大な量になるということだった。
・ふとフレーズを思いついたら、すぐに走り書きをして、後で何度も書き直す。それはレコーディング中でもお構いなしだから、参加したミュージシャンは長い時間待たされることになった。インタビューに答えたアル・クーパーは、「ディランは詩人だから、音楽以上にことばに時間をかけていた」と話していた。
・この番組の中心は、このタルサ大学に寄贈されたディランのノートやメモを巡ってで、インタビューや取材は、今回に限らず一切受けないと言われたことをあげ、どこにいるのかわからないその秘密めいた存在を強調していた。しかし、彼は「ネヴァー・エンディング・ツアー」と名づけたコンサートを1988年にはじめて、今でも精力的に活動を続けている。会いたければそのライブに行けばいいのだし、新しい作品も発表し続けている。僕もこの4月に渋谷で彼に会っている。
・それ以上に何をする必要があるのかといった姿勢が不思議に思えるのは、誰もがテレビや雑誌に登場することで、人気を維持し、高めたい、忘れられたくないと考えているからだ。その方がよほど不自然で姑息なのだということがわからないほど、今のメディアはやかましいし、依頼すれば誰でも喜んで応諾すると、偉そうにふるまいすぎているのである。
・ところで、この番組で僕が一番驚いたのは、2001年にあったニューヨークの貿易センタービルに旅客機を突っ込ませた「9.11」の出来事の一ヶ月後に、ディランがマジソンスクエア・ガーデンでコンサートを行ったことだった。それはもちろん、ライブ盤としても発表されていないし、僕自身はそのコンサート自体を知らなかった。番組で映されたそのライブのなかで、ディランは珍しく、演奏途中に歌ではなく、話を始めて、「僕の歌はニューヨークで始まった。で、今もニューヨークでアルバムを作っている。そんな大事な街なんだ」と言った。
・その映像は隠し撮りされたものだが、ディラン自身が許可をしてYouTubeで見ることができる。「01 11 19 D1139」と名のついた映像は2時間半にも及ぶもので、その日のライブをまるごと映している。 いつものぶっきらぼうで飄々と歌うディランと違って、動きも多いし、何より話をするのが珍しい。なぜ、これがライブ盤として出ないのか。ディランの意向とすれば、なぜなのかと疑問が浮かんだ。ネットで探しても、このコンサートに関連するものは多くない。YuTubeの視聴回数も2万回を超えた程度にすぎない。不思議なコンサートだ。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。