2018年1月15日月曜日

『カズオ・イシグロをさがして』

 

journal3-170.jpg・カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞は意外だった。僕は彼の作品を何冊かもっているが、一つも読んでいなかった。なぜ買ったのかも覚えていないが、映画の『日の名残り』の原作者だったということかもしれない。日本ではまた、ノーベル文学賞を日本人が取ったとか、それが村上春樹でなかったとか話題になったが、僕にとっては日本の組織も多く提携している「ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)」の平和賞受賞について、政府が何もコメントしなかったことに、いまさらながらあきれた。カズオ・イシグロは日本人かもしれないが、英国籍をもった現代のイギリスを代表する作家であって、日本とは直接関係ないはずなのにである。

・彼の受賞については、そんな程度の興味しかなかったが、NHKが放送した『カズオ・イシグロをさがして』をYoutubeで見かけて、見ることにした。大ファンだという生物学者の福岡伸一が故郷の長崎を訪ね、イギリスに出向いてイシグロ本人に会ってインタビューをした。そこで、イシグロ文学のテーマが「記憶」であることを知った。

・心に残る「記憶」はくり返されることで次第に美化されて、現実とは違ったものになる。福岡は、そのような記憶を「ノスタルジー」として小説のテーマにすることについて、イシグロに聞いた。その応えは、子どもが親の保護の元で暮らして残る「記憶」は、親によって「世界がまるで美しい場所であると装われた」ことでできたものだと言う。その意味で「ノスタルジアは決して存在しない理想的な記憶」なのだとも。だから大人になれば必ず、現実の世界について「失望感」を味わうことになる。

・そんなふうにして人々の中に蓄積された「記憶」は、親しく関係し合う人たちの間で、時に共鳴し、時に不協和音になる。そしてそれがまた、それぞれにさまざまな「感情」を抱かせる。イシグロ文学の核心がそこにあるのだということを、二人の話の中から感じた。

・イシグロが最初に書いた長編小説は長崎を舞台にしたものである。それは彼の幼い頃の記憶に対する強い関心から出発したものだが、自分のなかにある「記憶」はあくまで、自分の中で私的に創りあげられた「JAPAN」であって、現実の「日本」ではなかった。その『遠い山なみの光』は、長崎からイギリスに移り住んだ女性が、長崎の記憶を回顧することで物語られている。

・福岡は、彼の研究テーマである「動的平衡」をイシグロの作品からヒントを得たと言う。生物は外見的には変わらないように見えても、ミクロなレベルでは絶えず変化をしていて、数ヶ月もたてば完全に入れ替わってしまっている。そんな流転する存在を支えるものを彼は追求してきた。

・そんな福岡の語りについて、イシグロは「記憶」もまた流転すると言う。彼にとってその最大の「記憶」は、生まれ故郷の「日本」についてのものだった。だから、「日本」について抱き続けてきた「記憶」を、それが色あせないうちに小説として固定させたいと思ったと応えた。それ以来、人間と記憶の問題に魅了され続けているのだとも。

・カズオ・イシグロは作家ではなく、ボブ・ディランのようなシンガー・ソング・ライターになりたかったのだと言った。彼は僕より5歳年下だから、そんなふうに思った時点のディランは、表から退いて隠遁生活をしていた時期にあたるだろう。学生運動も終わっていたけれども、60年代の若者の運動から生まれた「ライフスタイル」は享受することができた。そんな話を聞いて、僕は彼に強い親近感を持つようになった。

・音楽との関わりについて、彼はまたノーベル文学賞の授賞式でのスピーチで、ほとんど完成していた『日の名残り』に最後の一筆を書き加えるインスピレーションをたまたま聴いたトム・ウェイツの「ルビーズ・アーム」から得たと話している。しかも、そんな経験は一度だけではないとも。「歌を聴きながら、『そう、これだ、あの場面はこういうものにしよう、こんな感じに近いものに』と、独り言を言っていました。それはしばしば、私がうまく文章にできないような感情でした。でも、そこに歌があり、歌う声を聞いて、自分が目指すべきものを教えられたのです。」

・昨年のノーベル文学賞がなぜボブ・ディランだったのか。そのことを自らの体験をもって証明した発言だった。積読だった彼の作品を読むことにしよう。そんな気にさせたドキュメントで、今は彼の小説を読み続けている。

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