エドワード・T.ホール『かくれた次元』みすず書房
ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン上下』岩波書店
レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』亜紀書房
・新コロナウィルスによって、世界が大混乱に陥っている。感染者や死亡者の多いイタリアでは「濃厚接触」を避けて「社会距離」を取ることが法律で規制されるようになった。ハグやキスを挨拶としてすることが習慣化している人たちにとっては、簡単なことではないのかもしれないと思った。もっとも、「濃厚接触」ということばは2009年に新型インフルエンザが流行した時に使われ始めたもので、その時に「マスクと濃厚接触」という題で触れている。 ・ただしこれらの距離感には、人種や国民性による微妙な差異がある。この本には、パーティの場で近づきたがるイタリア人と、それに圧迫感を覚えて後ずさりするイギリス人の例を挙げ、それが外交官同士なら、国の関係にも影響してしまうといったことが冗談として語られている。 ・今は多くの国で、法律の規制として2m以内に近づくことが禁止されているのである。もちろん屋内の密閉された空間では、「社会距離」をとっても感染する危険性がある。だからこその「テレワーク」だが、コロナ禍をきっかけに人びとの持つ距離感が大きく変わるかもしれない。そんなことを思いながら、読み直してみた。 ・ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』は、惨事に便乗して政治や資本が、自分に都合の良い政策や投資を行うことを、極めて多くの事例をもとに告発したものである。戦争や紛争やテロ、台風や地震などの自然災害がその好例だが、さて今回のコロナ禍はどうか。各国の政治リーダーは感染の拡大を抑えることに全力投球していると言うだろう。実際雑念があったのでは、うまくいくはずはないのである。しかし、現実には。これを利用してと考える力も少なくないはずである。 ・ショック・ドクトリンの信奉者たちは、社会が破壊されるほどの大惨事が発生した時にのみ、真っ白で巨大なキャンパスが手に入ると信じている。(上巻28頁) ・読み返してみて思うのは、人が集まることが規制されるコロナ禍では、人びとの間に相互扶助の気持ちが生まれ、「自生の秩序」ができる機会が極めて難しいという点である。外出や営業の自粛を求めても、そのために生じる損失を保証するとは言わない日本の政府の対応では、倒産したり、生活が困窮したりする人が大量に出現するのは明らかである。それを批判するデモや集会もできないから、ネットでということになるが、果たしてどんな動きが出てくるのだろうか。 ・ほかにも思いついた本はいくつもあった。しかし、ぱらぱらとめくってみて気づいたのは、伝染病の世界的蔓延を危機として取り上げたものがほとんどなかったことだった。コレラやペストなど、すでに過去のもので、人類が克服したものとして語られることはあっても、現在、あるいは未来に起こるかもしれない危機として指摘したものは見つからなかった。それだけ先例のない、予測や対処方法の見つけにくいものであることを再認識した。もっとも、気候変動による自然災害が急増しているように、新たな病原菌が続出する危険性だってありうることかもしれない。 |
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。