2021年3月1日月曜日

ジリアン・テット『サイロ・エフェクト』(文春文庫)


silo1.jpg・サイロとは牧場などにある貯蔵庫のことだ。大きな牧場ならそれがいくつも林立している。日本でも北海道に行けば、よく見かける風景だろう。ただし、この本は酪農を扱っているのではない。大きな組織が専門化や細分化されると、それぞれが独立し、分断化して、全体としてうまく機能しなくなることを指して、「サイロ・エフェクト」と名づけているのである。
・著者のジリアン・テットはアメリカのフィナンシャル・タイムズで働くジャーナリストだが、彼女はまた文化人類学で博士号をもつ研究者でもある。そんな経歴から、人類学的なフィールド・ワークを駆使し、ピエール・ブルデューの理論や視点の持ち方を使って、高度専門化によって陥りやすい社会の罠を分析している。

・「サイロ」は日本ではなじみがないから、「たこつぼ」と言った方がわかりやすいかもしれない。同じ組織でも専門化されて細分化されれば、それぞれが分離独立して、相互のコミュニケーションや情報の共有がしにくくなる。と言うより、相互に競争意識が強くなったりすると、意図的に情報隠しが行われたりもするのである。そのような例として最初に取りあげられているのは、日本の先端性を代表する企業だった「SONY」だ。

・「SONY」は「ウォークマン」で音楽の聴き方を一変させたが、「アップル」の「iPod」の登場によって消えてしまった。カセット・テープからCD、そしてDVDと進化して、次は小型のハードディスクになることはわかっていたはずなのに、なぜ「SONY」にはデジタルの「ウォークマン」が作れなかったのか。著者が指摘するのは、巨大企業になっていくつものサイロに分極化した組織の仕組みの問題である。実は新商品は開発されていたのだが、それがいくつものサイロから相互の検証なしに複数提案され、同時に複数商品化されたのである。「iPod」に負けて売れなかったようだが、ぼくはそんな商品自体があったことすら知らなかった。

・この本では、そんな巨大企業化してサイロの林立を招いた故に衰退した企業をいくつか追っている。たとえば「マイクロソフト」やスイスの銀行である「UBS」、そしてリーマンショックを予測できなかった経済学者や規制当局などである。ここにはもちろん、巨大都市における細分化された自治組織が抱える問題もある。どんな組織でも、大きくなれば分野ごとに分割して、専門性を避けることは避けられない。その時に大事なのはできたサイロをつなぐ回路と人的・情報的な交流だが、それがおろそかになるのが自然の流れなのである。

・この本ではもちろん、そんな罠に陥らない、陥っても再建できた例も紹介している。たとえばSNSで急成長した「Facebook」は最初からサイロ化の危険を自覚していて、採用する人材を誰であろうと先ず、訓練期間を設けてたがいに顔なじみにすることをしてきた。だから部署が違っても、必要なら情報交換や相互の交流がやりやすかったというのである。またクリーブランドの病院が外科や内科といった分け方をやめて、脳や心臓、あるいは肺といった身体の部位によって再編した例も紹介している。ここでは同時に、医師や看護師と患者の関係やコミュニケーションの取り方などにも、旧来のやり方を改めることが実践されている。

・かつては世界をリードした多くの日本企業が、現在では衰退化している。だから「サイロ」の問題は「SONY」に限らないのだろうと思う。かつての栄光に囚われて、その再現ばかりを追い求めて、世界の流れや変容に気づかないし、見ようともしない。もちろんそんな特徴は、国の政府機関でも変わらない。原発、リニア、そしてオリンピック、コロナ対策等々、何をやってるんだと首をかしげ、腹立たしくなる政策が何と多いことか。

・難局を乗り越えたり、新しい流れを作りだしたりするヒントは、専門外のところに偏在している。だからそれに気づくためには、専門に囚われない目と、意外な視点や、それに基づく発想が必要だし、それを無視しない心のゆとりが望まれるが、今の日本には、そのどれもがかけているように思われる。何しろ男ばかり、老人ばかりがトップで幅をきかせつづけているのだから、これはもうどうしようもないのである。

・日本は今、国全体が一つのサイロのなかにある。政治も経済も社会もまるで閉ざされた孤島状態だ。そう言えばガラパゴスということばもあった。だから森発言に対する世界中の批判にあたふたする。コロナのワクチンが作れないのが日本の現状であることも含めて、サイロの外からの目で日本を見直す必要があるだろう。

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