2021年4月12日月曜日

ヘンリ・ペトロスキ『失敗学』青土社

 失敗を認めない。失敗だと自覚しない。最近の日本は、こんなことのくり返しのように思われる。その最たるものは、東日本大震災から10年過ぎてもまだ廃止できない原発だろう。欧州では太陽光や風力が主力電源になっているのに、日本の政府はまだ、脱炭素化社会に不可欠だなどと言っている。
JR東海が建設中のリニア新幹線も同様だ。コロナ禍でも仕事の多くはリモートでできている。仕事や生活の仕方が大きく変化すれば、交通機関もそれに対応しなければならない。乗客の落ち込みが常態化して、既存の新幹線もリニアも共倒れになるかもしれないのに、そんなことには目もくれないようである。そもそも、南アルプスに穴を開けるのは無謀な行為だし、膨大な電力量を必要とするリニアには、原発が欠かせないのである。

コロナ禍でわかったのは、日本の政府がどこの国よりもダメだということだった。PCR検査を徹底させて感染源を断つことをしなかったし、「Go to~」などというコロナをまき散らすことに巨額の税金を使ったりしたのである。しかも誰一人として、そんな繰り返される失敗を認めようとしない。で、開けるはずのないオリンピックに固執して、聖火リレーを始めてしまっている。一度始めたらやめられない、止まらない。こんな性癖は戦争で懲りてるはずだが、やっぱり同じ轍を踏んでいる。なぜ、どうして、と思って読みはじめたのが『失敗学』だった。彼の本は『鉛筆と人間を』自分でも訳していたから、まだ読んでいない本を何冊か持っていた。

petroski1.jpg 著者のヘンリ・ペトロスキは土木工学の研究者である。だから内容は、洞窟に投影される光と影からカメラなどを経て、PowerPointなどのデジタル機器に至るもの。飛び石から木の橋、そして巨大な吊り橋に至るものなどを話題にしている。そこで主に問われるのはデザインの問題であり、小さいものと大きいものに関わる事柄である。
そこにはもちろん、はっきり失敗とわかる事例がある。風で落ちてしまった吊り橋や地震で倒壊した建物などである。それらは設計そのものに原因があったり、材料の問題であったりする。しかし大事なのは、失敗を批判し、非難するだけではなく、失敗の原因を探り、その改善に力を注ぐことである。

失敗は失敗で終わらないし、成功も成功で終わらない。この本が言っているのはこの一点である。失敗には学ぶべきものがたくさんあるし、成功したからといって、それで終わるわけではない。失敗の原因は何らかの欠点や欠陥に求められるが、欠点や欠陥は、成功したと思われるものの中にも必ずある。だからこそ、どんなものも改良や改善が進み、画期的な変容が可能になるのである。

この本を読みながら考えた。蒸気機関が鉄道を産み、電気によって進化した。それは現在の生活には欠かせない交通機関だが、それをさらに進化させたリニア新幹線は、未来に必要な技術だろうか。電気なしには生活できない世界になったとは言え、大惨事をくり返し起こしてきた原発が、未来に不可欠な電源と言えるのだろうか。時代の流れに沿わないし、危険性があまりに大きい。それがわかったなら、計画を断念したり、開発を中止したり、できてしまっているものを捨てたりする。その決断こそが重要だが、日本人にはそれが一番苦手なのかもしれない。

現在のコロナ禍は異常事態である。だから通常とは違うルールや発想が必要になる。しかし平時のルールや慣習や既得権に縛られているから、適確な対応がとれずに後手後手になる。それでも、自らの失敗を批判されたくないし、認めたくないから、責任をうやむやにして、根拠のない新手を打ち出し、かえって支離滅裂になって泥沼にはまることになる。緊急事態を解除したらすぐに感染拡大してしまったから「マンボウ」だって。こんな体質の政府や政治家や官僚やメディアに任せていてはいけないのに、人びとはあまりにおとなしく、従順だ。

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