・僕の両親は10年前に老人ホームに入り、父は数年前に亡くなって、母はまだお世話になっている。コロナ以降会えずにいて、直近の記憶が怪しくなっていたから、今会っても、僕のことはわからないかも知れない。淋しい思いをしているのではと考えたりもするが、子どものことがわからなくなっているなら、それも感じないのかもしれない。いずれにしても、老人の介護は大変で、それを免れているのは、正直なところ助かっている。 ・村瀬孝生の『シンクロと自由』は介護の現場におけるレポートだ。介護現場では、どうにもならない認知症の老人に対して、我慢の限界を超えて暴力を加えてしまうことがあるようだ。犯罪のように扱われるが、そうなることはあるだろうな、と思うことが少なくなかった。そうならないために、介護する人はどうしたらいいか。この本に書かれているのは、介護する人とされる人が右往左往しながらも、やがて互いの心が通じ合う瞬間に出会うという物語だ。それがまるで漫才のぼけと突っ込みのようにして語られていて、面白いと思った。 ・食事を食べてくれない。どこにでも排泄してしまう。身体を触られるのを拒絶する。預金通帳が無くなったとくり返し言う。夜中の徘徊。家に帰ると言って聞かない。それを無理やり強制したり、叱ったりするのではなく、なぜそうするのかを探り当てようとする。そうするとその原因が分かり、改善する方法が見えてくる。何かを教えるのではなく、逆に教えてもらう。そんな発想の大切さが「シンクロ」ということばでくり返し語られている。 ・そんな発想は「自由」と言うことばにも及んでいる。不自由な身体には新たな自由がもたらされているはずだし、時間や空間の見当がつかなければ、そこから解放されてもいるはずだ。子どものことがわからなければ、親の役割も免じられているし、忘れてしまえば毎日が新鮮になる。「それらは私の自己像が崩壊することであり、私が私に課していた規範からの解放でもある。私であると思い込んでいたことが解体されることで生まれる自由なのだ。」 ・この本を読んで、この欄で紹介しようと思っていたら、たまたまアンソニー・ホプキンス主演の『ファーザー』をAmazonで見た。認知症が進んで、徐々に昔の記憶が薄れ、娘や近親者との関係があやふやになっていく。その過程を、主人公と周囲の人の両方の立場から描いていて、そのリアルさに引き込まれた。老人はやがて自分が誰だか分からなくなっていくが、映画ではそれがつらいこととして結論づけられる。 ・『シンクロと自由』と『ファーザー』は、心や身体の解体をまったく異なる視点で捉えている。心や身体がまだ正常だと思っている立場からは、映画の方にリアルさを感じるが、実際にそうなった時の自分を想像した時には、それが新たな自由に思える心持ちになりたいものだと感じた。 |
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。