2023年2月6日月曜日

内山節『森にかよう道』『「里」という思想』(新潮選書)

 

山歩きをしていてよく思うのは、登り始めが杉や桧の人工林で暗いということだ。間伐もしないで鬱蒼としているところや、間伐しても置き去りになって腐りかけているところが多いのである。それがある程度の高さになると広葉樹になって、明るさも見通しも一変する。杉や桧はほとんど戦後に植えられたもので、木材にすることを当てにしたのだが、安価な輸入材のために放置されたままになっているのである。そんな森を歩くたびに、何とかならないものかと思ってきた。

mori2.jpg 内山節の『森にかよう道』は1992年から2年近く「信濃毎日新聞」に連載された記事をまとめたもので、出版されてから30年近く経っている。しかし、ここで指摘されていることにはほとんど何も対応策が採られていないから、現状はいっそうひどいことになっている。この本には取材をかねて出かけた北海道から屋久島までの多くの森が取り上げられている。面白いと思ったのは著者が考える「豊かな森」が必ずしも、人の手が入らない自然な森ではないということだった。

『森にかよう道』で語られる「豊かな森」とは、そこに住む村人が茸や山菜などを取り、薪や炭にするために枝打ちや伐採をした、手を入れた森である。あるいは家や農地を守るために作られた防風林や防砂林といったものもある。それを「暮らしの経済」と呼べば、広葉樹をすべて伐採して杉や桧の人工林を作るのは、あくまで木を商品価値を持った材木としか考えない「市場経済」ということになる。それは「山仕事」から「林業」への転換であるが、そうなると、森を管理するのは村人ではなく、森を所有する国や自治体になり、働く人たちは製材業者やパルプ会社に雇われる人になった。

もちろん、ここには戦後の経済成長による人々の働き方や暮らし方の大転換という要因もある。それによって村は過疎化し老齢化して、森に人の手が入るということも少なくなった。日本の森林率は7割近くで先進国の中では1位を維持しているようである。イギリスでは1割以下でヨーロッパの3割、ロシアの4割に比べれば、かなり多いといえる。しかし日本の木材利用の7割以上が輸入に頼っていて、それが熱帯の森を減少させる大きな原因にもなっている。

mori3.jpg 森林率が多いといっても、人工林によって起こされた影響は多岐にわたる。大雨によって山が崩れる。川から海に流れる養分が減って沿岸で魚が取れなくなる。あるいは花粉症の蔓延などなどである。著者が主張するのは「里」や「里山」への注目で、そのことは彼の続編とも言える『「里」という思想』で語られている。すでに「市場経済」が成り立たなくなった日本の森を「暮らしの経済」として再生させる必要性ということだ。

森とともに生きてきた村人には、森を維持し、生活する上で必要なものを森から手にするための「作法」がある。それは代々受け継がれてきたもので、村人たちはいちいち深く考えたり、ことばにしたりしないが、著者には一つの思想として受け止められるようになる。若い頃から群馬県の上野村に住み着き、職場がある東京との間を行き来してきた著者ならではの結論だと思う。近代化によって消しさられようとしている「里の思想」を再認識し、どう未来に生かしていくか。それが切実な問題であることは、山歩きをすればすぐに気づくことである。

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