・義兄が亡くなって通夜と葬式に参列しました。近親者だけの小さな弔いの式でしたが、久しぶりに顔を合わせた人や、初対面の人などもいて、和気あいあいとした雰囲気でした。最近ではコロナ禍もあって、近親者でもほとんど顔を合わせないままでしたから、こんな機会は貴重なのだと改めて感じました。
・義兄は僕より二つ上で、学年では1年違いでしたから、余計に身につまされる思いになりました。胃ガンが見つかった時にはステージ4で、健康診断をしておけば、もっと早く見つかったのにと、悔やまれる最後でした。車の後部に山歩きやキャンプの道具、あるいは折り畳みの自転車などをつめて、いつでも気軽に出かけていましたが、車の荷物はそのままなっているようでした。
・歳が近い近親者の死は、昨年もあって、京都に住む従兄弟の葬儀に参列しました。彼には近親者が甥っ子しかいませんでしたから僕が喪主になりました。彼は100歳近くまで生きた伯母と二人暮らしで、白血病が発症してから4年ほど、伯母の介護と亡くなった後始末などをしながらの闘病生活でした。友達もいたでしょうし、仕事仲間もいたと思いますが、連絡先が分からないので、弔いの席に出たのは僕ら夫婦と甥っ子、そして友達一人の4人だけでした。
・その火葬場で驚いたのは、京都では遺骨を一部しか残さないということでした。骨壷は手の平に乗るほど小さなもので、そこに、ここはどこ、と言った説明をしながら入れて、後は捨ててしまったのです。京都には25年住みましたが、火葬の場に参列したのは初めてでした。京都人の合理的発想を改めて認識した瞬間でした。
・義兄の火葬では参列者が食事をし、その後で、二人で一つの骨を箸でもって骨壷に入れました。粉になったものも残さず入れましたから、両手で抱えるほどの大きな骨壷一杯になりました。その骨壷は49日が過ぎた頃にお墓に納めます。その墓には。すでに義父と義母の骨が入っています。それほど大きな墓ではありませんから、やがてはまとめてということになるのでしょう。
・従兄弟のお骨などを含めて、こちらの後始末はすべて甥っ子に任せました。お墓はありましたが、後に入る人はいません。無縁仏になった後の始末はどうするか。僕にはどうすることもできないことです。僕は義兄と同じ霊園に新しいお墓を造り、父親の骨を納めました。祖父や祖母の墓はすでにあったのですが、遠方のために、新しくすることにしたのです。父には相談しませんでしたから、お墓の中で文句を言っているかもしれません。
・葬儀の仕方やお骨の納め方には、いろいろなやり方があるようです。先祖代々の墓に入って、子孫が末長くお参りする。そんな家族はもうとっくに少数派になっています。葬式やお墓を必要と思うかどうかなども含めて、昔とは違う、新しいこととして考える必要があると、改めて思いました。とは言え、祖父と祖母の墓をどうするか。何とも悩ましい問題です。
2023年9月18日月曜日
弔いの仕方
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。