2024年2月19日月曜日

小澤征爾逝く

 

ozawa1.jpg"小澤征爾が亡くなった。ぼくはクラシック音楽をほとんど聴かないし、彼のレコードやCDも持っていない。けれども彼に対する関心はあって、ずい分やせ衰えた最近の姿は気になっていた。
小澤征爾は斎藤秀雄に師事し、24歳の時にヨーロッパに武者修行に出かけている。その指揮者としての才能がすぐに認められ、いくつもの賞を取り、カラヤンやミンシュ、そしてバーンスタインといった巨匠に師事することになる。その勢いでNHK交響楽団の指揮者に招かれるのだが、その指揮者としての立ち居振る舞いを楽団員から批判され、演奏をボイコットされることになる。以後彼は、日本を去って音楽活動を海外に求めることになるのである。

ぼくはこの出来事について、音楽に限らずスポーツなどで海外に出向き、成功した人がしばしば経験する、やっかみや拒絶反応を最初に味わった人だと思っていた。それは帰国子女に対する扱いにも共通する、未だに改まらない日本人の島国根性なのだろう。それでつぶされる人もいるが、中には世界的に認められた超一流の存在になる人もいる。そうなると、最近の大谷翔平選手のように、今度は一転して、まるで英雄か神様のように扱うのもまた、相変わらずの現象である。

小澤征爾は1973年から30年近くをボストン交響楽団の音楽監督として活動した。しかし国内においても、1984年から師を偲んで「斎藤秀雄メモリアルコンサート」を国内で開き、「斎藤記念オーケストラ」を結成して、松本市などでのコンサートを定期的に行ってきた。YouTubeを検索すると、さまざまな場での活躍を見ることができるが、おもしろいのは、コンサートそのものではなく、そのリハーサル場面を収録したものである。彼は事細かに楽団員に指示し、そのたびに理由を明確に伝え、時には楽団員の意見を聞きながら、一つの作品を仕上げていく。そのやり方は、一流の演奏家に対しても、小学生に対しても変わらないのである。

クラシック音楽に疎いぼくには、指揮者は単に飾り物にしか見えなかった。小澤征爾の指揮者としてのパフォーマンスは独特で見栄えがいい。そこにカリスマ性を見る人もいて、彼の評価は何よりそこにあるのだろうと思っていた。しかし彼のリハーサル風景を見て、指揮者は脚本をもとに舞台を作り上げる演出家であり、なおかつコンサートの場で聴衆の視線を一点に集中させる主役的な存在であることを改めて認識させられた。

小澤征爾が20世紀後半から21世紀にかけて、世界を股にかけて痛快に生きた人であることは間違いない。とは言え、申し訳ないが、彼の死をきっかけにして、彼が指揮した作品を改めて聴いてみようかという気にはなっていない。彼の指揮した音楽が、他とは違っていることが、やっぱりぼくにはよくわからないからである。クラシック音楽音痴としては、彼の魅力はやっぱり、その生き様と立ち居振る舞いにある。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。