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2021年7月26日月曜日

榛名富士と軽井沢

 

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photo92-2.jpg・いつもなら、夏休みは長期の海外旅行をとなるはずなのに、去年も今年もできないでいる。代わりに、去年は車で北海道に行き、都市部は避けて10日間ほど旅したのだが、さすがに今年は無理だと判断した。もちろんコロナ禍が理由で、効き目や副作用がはっきりしないワクチンを打っていないということもある。とは言え、どこにも行かないというのもつまらない。と言うわけで、榛名山に行って軽井沢に1泊しようということになった。榛名山にしたのは榛名神社の奇岩をちょっと前にテレビで観て、興味をもったからだ。

・早朝、まだ涼しい時間に出発して、中央道から圏央道、関越道と乗り継いで3時間ほどで着いた。車を降りると海抜は高いのに、榛名神社はむっとする暑さで、湿度がものすごく高かった。奇岩をめぐって神社まで歩くと、もう汗びっしょりになって、ぐったり疲れてしまった。奇岩や巨岩を御神体にする神社としては熊野の新宮にある神倉神社に行ったことがある。その時は圧倒されたが、今回はテレビで見たほどではなかったと思った。道々にある七福神の像は余計なもののように思ったが、何か理由があるのだろうか。

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・神社から榛名湖へ移動。ロープウェイに乗って山頂に登った。湿気が多く、かすんでいたから、遠くにあるはずの山々はほとんど見えなかった。榛名湖は富士五湖の西湖よりも小さい円形の湖で、もう少し涼しければ、自転車やカヤックを持ってきたのだが、何しろ暑い。標高が高いのに30度を超えている。長居をせずに軽井沢に向かった。途中で妙義山の山容に出くわして麓の神社に行くことにした。急坂の上にあって行きたかったが、あまりに暑くて諦めた。碓氷峠のつづら折りを登って軽井沢へ。車が多いし、人も多い。どこにも寄らずに万平ホテルに着いた。一休みして付近を散策すると、旧軽井沢だから、瀟洒な別荘が並んでいた。

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・万平ホテルはジョン・レノンが滞在したことで有名で、一度泊まりたいと思っていた。レノンゆかりのものはなかったが、居心地の良さはわかった。ただし高額だから何日も滞在というわけには行かない。翌日は佐久から清里を走り、八ケ岳や甲斐駒ケ岳を眺め、道の駅で野菜をたくさん買って家路に着いた。甲府は35度超えのようだったが、家に近づくと気温がどんどん下がって、家に着くと25度ほどだった。涼しくてほっとした。

2021年5月17日月曜日

春の立山、大谷歩き


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photo91-2.jpg・普段だったら取れるはずのないホテルが予約できたので、立山の大谷歩きに出かけることにした。扇沢までは車で行き、そこから電気バスで黒部ダムへ。ダムを歩いた後はケーブルカーとロープウェイで大観峰まで登り、最後はトロリーバスで室堂まで。7時に家を出て室堂に着いたのは12時近くだった。ほとんど乗り物の乗り継ぎとはいえ、登った階段は半端ではなかった。重いリュックと高地のせいか、急登には慣れているはずなのに息が上がった。しかし、天気が下り坂だったので、ホテルにリュックを預け、スノウシューを借りて歩くことにした。春とはいえ、山は1度で、手がかじかんだ。

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・それにしても、ロープウェイから見る大観峰と立山の眺めは圧巻だ。以前に来て見た夏山も雄大ですごかったが、雪をまとった景色はまた全然違った。周囲には既に雪の解けた山もあったが、残念ながら、山の名前はほとんどわからなかった。黒部ダムまでのトンネルは赤沢岳と成沢岳を貫通させているから、その左にあるのは爺ヶ岳と鹿島槍ケ岳で、右には針ノ木岳や船窪岳、大観峰から室堂までのトンネルは雄山を貫通しているのだと、後から調べて確認した。

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・スノウシューで歩いていると、青空が消えて雲に覆われはじめた。そうすると、あたりは真っ白になり、冷たい雪が降ってきた。1時間ほどで歩くのを止め、ホテルに戻ったが、もう何も見えない風景に様変わりしていた、残念ながら夜の星は眺めることができなかったが、翌朝はまたきれいに晴れ上がって、帰りの行程でも北アルプスの光景を堪能することができた。

2020年10月26日月曜日

秋の裏磐梯

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photo89-2.jpg・パートナーの誕生日の小旅行もすっかり定着した。続けて信州に行っていたので、今年は裏磐梯に行くことにした。去年の夏にも行ったのだが、あまりの暑さに予定を変えて帰ってしまったので、秋にまた行こうということになった。例によって義兄の山小屋をめざした。日光で高速を降りて、鬼怒川温泉から南会津、会津を走った。蕎麦を食べ、紅葉を眺めながらのドライブだった。夏の暑さのせいか、長雨のせいか、今年の紅葉は茶色くて美しくない。途中、テレビなどで紹介されている大内宿に立ち寄ったが、訪問客が多かったし、平日なのに通行量も多かった。「go to トラベル」のせいなのか。そう言えば、圧倒的に世代は高かった。

photo89-3.jpg・裏磐梯では五色沼を歩いた。すべてを歩いて往復するのではなく、毘沙門沼から赤沼まで歩き、また戻って、反対側の柳沼から青沼、ルリ沼まで。あわせると4.5キロほどだった。ここでも観光客は多く、老年世代と修学旅行か遠足の中学生だった。で、紅葉はやっぱり茶色がかっていて、美しくはなかった。とは言え、沼ごとに違う色あいは、なかなかの景色だった。雲一つない秋晴れで、前日までの雨続きの空が嘘のようだった。何度も書いているが僕たちは旅に出て雨に降られたことがない。典型的な晴男・晴女なのである。

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photo89-6.jpg・午後は小野川湖からスキー場に行き、ロープウエイで西吾妻山の登山口まで上がった。山頂はすぐ近くに見えたが、登る気力はなし。この周辺の紅葉は少しきれいだった。ここでも観光客は大勢で、駐車場は車で埋め尽くされていた。車を降りたらマスクというのが面倒で、ついつい忘れて車に戻ることを繰り返した。泊まったホテルも満室。「go to~」を批判しながら、旅していることにちょっと後ろめたさを感じてしまった。

photo89-7.jpg ・帰りは猪苗代の道の駅によって、栗や野菜を買って、一気に高速道路で帰宅。帰ったらすぐ栗の皮むきをして水に浸けた。山栗のようで、今年も不作だった秘密の栗の木と同じほどの大きさだった。袋に「虫止めしていません」と書いてあったのでネットで調べると、山栗にはこの処理が必要とあった。皮をむく前に80℃で2分ほど茹でて乾かして、冷蔵庫で冷やすと虫が死んで甘味も増すらしい。知らなかった。皮をむいてしまったので、このまま冷凍することにしたが、次からはそうすることにしよう。栗ご飯にした後は、正月の栗きんとんになる。

2020年9月21日月曜日

「Go to~」のおかしさ、あやしさ

 

・最初に「Go to キャンペーン」ということばを聞いた時には、何のことなのか全然わかりませんでした。調べると旅行を推奨するキャンペーンだと言うのです。コロナ禍が収まった後に、閑散としてしまった観光地に出かけてもらおうという国の政策のようでした。しかし、暑くなったら治まるはずの感染者数が7月に入ってまた増加に転じて、キャンペーンの始まった頃には、第一波の数を上回るほどでした。ところが、こんなキャンペーンは火に油を注ぐようなものだという批判にもかかわらず、政府は強行したのです。ただし、感染者数の多い東京を外しましたから、どれほどの効果があったのかは定かでありません。

・トラベルではなくトラブルではないか。そんな揶揄や非難にもめげず、政府は次に「Go to イート」などと言い出しました。その他にも「イベント」や「商店街」などと続くようです。確かに「やってる感」はあるのかもしれません。しかし、コロナ禍対策としてやるべきことは、何より無症状の感染者と「エピセンター(震源地)」を特定して、広がりを抑えることにあるはずで、これをおざなりにしておいて、旅行に行け!、ショッピングに行け!、イベントに行け!と言っても、誰もが二の足を踏むでしょう。第一、行けるのは経済的にも時間的にも余裕がある人で、職を失った人とか、生活に困窮している人には、何の助けにもならない政策なのです。

・こんなふうに、政府のやっていることはコロナを甘く見ていて、企業や富裕層だけを見ているとしか思えないのですが、もう一つ、奇妙な英語の使い方も気になりました。「Go to トラベル・キャンペーン」は「旅行に行こうキャンペーン」という意味でしょうが、普通は「Go on a trip 」あるいは「Go travel」で「Go to」の後には目的地が来るはずなのです。こんなおかしな英語を政府の機関が使うのはどうかと思いましたが、あまり批判がなかったのか、次に「Go to イート」が出てきました。僕はこれを聞いて「You meと eat meat?」を思い出しました。アメリカに移住した日本人が使う英語の典型例として引用されることばです。日本人にしかわからない英語で、正しくは「Do You eat meat with me?」でしょう。

・日本人は英語が苦手です。中高6年やっても話せない、聞けない、書けない、読めないのないない尽くしです。かつては読み書き中心の授業でしたから、大学生になれば、話せなくても読むことはできました。しかし、会話教育が重視されるようになって、読むことがおろそかになった上に、話すことも相変わらずダメという結果になりました。そこで小学校から英語教育をということになったのですが、国の機関が「Go to~」などとやっているようでは、いつまでたっても英語は苦手のままでしょう。

・日本人にとっての英語は、日本人にわかればいいというものです。和製英語はそのいい例で、英語にはないことばがたくさん作られています。あるいは発音やアクセントを日本語風にしてしまって、元のことばとは全く違うものになっているものも少なくありません。帰国子女が本来の発音やアクセントで英語を話すと、周囲の生徒が冷やかしたり、いじめたりといったこともよく聞きました。で、通じない話し方に変えてしまうのです。

・ついでに「トラベル」についてです。英語には類似語として「trip」「tour」「jouney」「voyage」などがあります。辞書には 、短い旅行は「trip」、長いものには「travel」、組織化や計画化されると「tour」、ロマンチックな色合いを持つ長い旅には「journey」、そして船による長い旅には「voyage」とありました。「Go to キャンペーン」では、その利用者の多くが近隣への旅行のようですから、トラベルよりはトリップと言ったほうがいいのかもしれません。いずれにしても、思いつきで確かめもせずに、公的な名称に英語を使うというのは、感心したことではないと思います。

・と書いてきたら、「Go to イート」をめぐって、新首相と業者との間に怪しい関係があるといったニュースを目にしました。もちろん、「Go to トラベル」にもうさんくさい話がありますし、給付金をめぐる「電通」との癒着は大きな騒ぎになりました。コロナ禍を利用して利権を漁ることに長けた政権はアベノマンマ内閣で、政治理念も長期展望も持たない爺(じじい)の集まりでしかありません。困ったものですが。支持率が高いのですから呆れてしまいます。

2020年8月10日月曜日

久しぶりの北海道、その2

 

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hokkaido-2.jpg・旅も7日目になり,キャンプ生活にもくたびれたので、知床ではキャンプ場をキャンセルして、知床のホテルに続いて羅臼の旅館に泊まることにした。この日は船で知床岬まで行っただけだった。この船にはもう半世紀近く前に乗ったことがある。大学生の時に友達二人と小さなテントと寝袋を担いで、列車に乗った旅だった。旭川駅を拠点に夜行列車で知床に行き、そしてまた夜行列車で旭川に戻る。次はまた夜行列車で稚内に行き、また夜行列車で旭川に戻る。当時はもちろん蒸気機関車だった。そんなことを懐かしみながらの岬巡りだった。
・そう言えば、その時にも大雪山に登っている。やっぱり旭川駅からバスに乗り、ロープウェイに乗って、旭岳から黒岳に縦走をした。そしてまたバスで旭川へ。元気だったなとつくづく思った。

hokkaido-3.jpg ・そんなわけでホテルと旅館で2泊して、8日目は羅臼から野付半島、別海町を通って屈斜路湖へ。ここではまたキャンプ場のキャビンに泊まった。キャンプ場に着くといろいろ張り紙に書かれていて、キャンプ場ではマスク着用、ゴミは持ち帰り、車もキャビンに横づけ出来ずにリヤカーで運ぶなど、ほかとは違う様子だった。料金は一番高く、しかも前金で払うことを要求されていた。トイレや炊事場もお粗末で、ちょっと腹立たしかった。
・今日は初めての雨で、野付半島から16kmの距離にある国後島は見えなかった。北方領土ということばが目についたが、今ではロシアから、北方領土は存在しないと宣言されていて、政府もことばを使わなくなっている。 別海町で乳製品や肉などを仕入れて、屈斜路湖に向かった。

hokkaido-4.jpg・9日目は摩周湖、阿寒湖を経由して釧路湿原へ。朝はまだ雨が降っていたのに、出発する頃には上がって、摩周湖に着いた時には晴れ間も見え始めていた。で、摩周湖は霧ではなくはっきり見ることができた。阿寒湖は観光地化されていて、駐車場が有料だったので、素通りして湖畔の道を行き止まりまで走らせた。湖畔に出られる道をやっと見つけて一時過ごして、釧路湿原まで。湿原ではカヌーに乗った。北海道では車が皆スピード・オーバーで走っている。50km制限のはずなのに70kmぐらいは当たり前で、その車をさらに追い越す輩が続出した。中には大型のトラックがあったりしたから、事故が多いのもうなづける気がした。高速道路も整備されてきたようだが、あまり必要ないのではとも思った。この日は達古武湖畔のキャンプ場だったが、屈斜路湖と違って素晴らしかった。

hokkaido-5.jpg・10日目は釧路の町から池田町、帯広を通って富良野まで。毎日ひたすら走っている。この日は湿原の展望台以外には見るところもなかった。富良野では朝食付きのログハウス・キャビンで2泊した。
・11日目は旭岳に登るつもりだったが、台風崩れの温帯低気圧で、朝から暴風だった。当然ロープウエイは運休だったが、とりあえずは行ってみることにした。ビジターセンターで旭岳周辺の山々のビデオを見て、近くの天人峡へ行ったが、温泉のホテルは廃屋で、羽衣の滝に行く道にはゲートがあって、熊出没で危険と書いてあった。行くのはやめて、美瑛の丘や富良野のラベンダー畑等を見ながら宿に戻った。

hokkaido-6.jpg・12日目は日高の美術館に立ち寄って、サラブレッドを生産する牧場が続く道を走ってフェリーに乗る苫小牧まで。競馬はやらないからわからないが、名馬を産出した牧場や種牡馬になった有名馬がいる牧場もあるんだろうななどと思いながら車を走らせた。港に着くと出港にはまだだいぶ時間があるのに、車が並び、バイクが集まり始めていた。コロナ禍とは言え、北海道に来ている人が大勢いることを実感した。フェリーは大洗まで20時間ほどかかるが、ほとんど個室で過ごした。旅に出てから夕食を食べるとすぐに睡魔が襲ってきて8時過ぎには寝てしまっていた。この日も船の揺れなど気にせず爆睡で、朝目が覚めた時には宮城の金華山沖だった。午後2時には下船して、河口湖には5時過ぎに戻った。
・13日間の旅が終わった。事故もなく感染もせず(?)無事帰宅できたことを感謝して、眠りについた。家はかび臭かったが、掃除や洗濯は当然、後回しだった。

2020年8月3日月曜日

久しぶりの北海道 その1

 

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photo88-2.jpg・コロナの第二波が始まり、「go to キャンペーン」などという自殺行為が実行されている。こんな時にと躊躇をしたが、以前から予定していた北海道旅行に出かけることにした。全行程車で移動して、主に道東のキャンプ場で過ごしている。北海道は感染者が多く、既に第二波も来ていたが、その多くは札幌や小樽といった都市部だったから、そこは避けて、ルートを作っている。車とキャンプでの北海道は30年ぶりである。
・1日目は盛岡まで。途中福島から仙台にかけては猛烈な雨だった。山形では最上川が決壊したようだ。日本海のルートを取らなくて良かったと思った。岩手県は感染者が0のままだったが、たまたま1号が出たようだった。道を歩く人のマスク姿は少なかったが、ホテルの人に聞くと、室内ではマスクをしているということだった。1号になるまいと、みんなプレッシャーがかかって、大変だったろうと思う。

photo88-3.jpg・2日目は青森まで走って、青函フェリーで函館へ。昨日までの雨が嘘のように快晴で、暑い。船はほとんどが大型トラックで、乗用車は10台ほどだったから、客席はがらがらだった。津軽半島と下北半島の間を通ると、まもなく函館。4時間ほどの時間だった。ホテルに着くと「go to キャンペーン」の手続きの話と、食事が一人2000円引きになる券をもらったが、使えないウニの専門の店に入った。
・3日目は函館から層雲峡まで、500km程だが、ほとんど高速で6時間ほどで着いた。もちろん札幌は素通りで、最寄りの上川町のスーパーで食料を仕入れ、キャンプ場で宿泊した。森の中で鳥の声などがしたが、アブとハエの大群には参った。ガスのボンベはあるのに肝心のコンロを忘れて、また上川町に戻り、ガスコンロを買った。長距離運転の疲れのせいか食欲がなく、軽い食事にした。

photo88-4.jpg・4日目は黒岳に登った。ロープウェイとリフトで7合目まで行ける楽々登山のルートのはずだったが、岩ばかりの急坂できつかった。好天とは言え、この辺りには珍しいほどの暑さで、汗びっしょりになって、やっと頂上へ。膝が笑うほどの急坂降りでへとへとになった後に温泉に入って、キャンプ場に戻った。寝袋と薄いマットだけでは寝つけなかったが、この日は、食事の後にはもう爆睡で朝までぐっすりだった。
・5日目はサロマ湖へ。紋別の町でオホーツク流氷科学センターでクリオネを見て、町を一廻りしてサロマ湖へ。サロマ湖はオホーツク海に繋がっている汽水湖で、北海道で最も大きく、日本でも3番目に大きい湖である。キャンプ場は湖口近くにあって、ほとんど原野と言ってもいいところにあった。ここまで来ているのだからと湖口まで行ったが、テトラポットばかりで、何の風情もなかった。放っておけばふさがってしまうほど川から流れ込む土砂が多いので、絶えず浚渫工事をしているようだった。実は、ふさがっていたものをわざわざ海と繋げた歴史があったのである。

photo88-5.jpg・6日目はサロマ湖から知床へ。まずはサロマ湖の反対側の砂州に回り、タンデム(二人乗り)自転車をレンタルして、新しく造った湖口と真水が出る「ワッカ原生花園」まで行った。初めての二人乗りでバランスが取りにくかったし、ロードバイクと違ってやたらに重かった。今日も好天で、汗をかくほど暑かった。網走の町に入ったら、急に車や人出が多くなり、道外の車も目立つようになった。知床に近づくと一層顕著になって、観光地とそうでないところの違いが如実だった。最も今日は日曜日だから、人出が多いのも頷けた。この日は久しぶりにホテルで過ごした。
・こんなわけで、老夫婦で弥次喜多を続けている。家に帰るのは1週間先で、これからは屈斜路湖や釧路湿原、そして富良野で過ごして、苫小牧からフェリーで大洗まで戻る予定にしている。30年前は小学生の子どもたち2人と一緒の旅行だったが、今回は二人。色々思い出しながらの旅になっている。

2020年2月17日月曜日

屋久島、縄文杉と白谷雲水峡

 

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photo87-2.jpg・旅の7日目は奄美大島から屋久島への移動だった。一旦、鹿児島に戻り、また屋久島に引き返す。なんとも無駄なように思えるが、移動手段はこれしかなかった。しかも鹿児島空港で3時間待ちだったから、この日は、移動のみで一日が終わった。今日は一日天気がいいはずなのに、屋久島に着くと土砂降りの雨。タラップを折りて、傘を差して空港ターミナルに歩いた。しかし、その雨もすぐに上がって、天気はすぐに回復した。屋久島には亜熱帯から亜寒帯までの地域があり、高い山によって局地的な雨が降る。さっそく、その洗礼を受けた。

photo87-3.jpg・8日目はいよいよこの旅のクライマックスである縄文杉までのトレッキングだった。金作原原生林の悪路で胃にストレスをかけて以来、ほとんど何も食べていない。一応朝と昼の弁当を持ったが、とても食べる気にはなりそうもなかった。朝5時にホテルの前でガイドと待ち合わせ、車で登山口まで行き、トロッコ道を歩き出す。行程は往復22キロで10時間から11時間、ガイドのペースは僕には早足で、ついていくのに懸命だった。まだ暗い同時刻に出発したのは、およそ30人ほどだった。シーズンだったら、これが300人にもなると言う。二代杉、三代杉、トロッコ道には鉄橋がいくつもかかっていて、ひたすら歩いて2時間半。しかし、ここまではまだ余裕があった。

・山道に入ると雪が積もっていた。ゴツゴツした岩と木道の階段は登りにくく、体力の消耗が一気に訪れた。ウィルソン株、翁杉、夫婦杉、大王杉、そしてゴールの縄文杉。もう一歩も登れないほど疲労困ぱいしたが、左右の展望台の階段を登ってカメラを向けた。しばらく休んで、今度は復路。雪の積もった木の階段は滑りそうで怖い。疲れもあってひざは震えっぱなしで。バランスをなくすこともしばしばあった。何とかトロッコ道に戻り、5時間ぶりにトイレに行く。頻尿なのによく持ったものだと感心した。戻ると、おいていたリュックにヒメネズミが乗っている。弁当の匂いに引き寄せられたようだ。下りのトロッコ道は自然に足が出て楽だったが、時折つまずいて転びかけた。登山口に戻ったのは11時間後で、安堵感と疲労で虚脱状態だった。弁当もほとんど食べずに、よく歩けたものだと、われながら感心した。

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・9日目は車で屋久島を一周した。いくつかの滝を見て、西部の林道では猿の群れや鹿に出会った。狭くて上り下りが多い道だったが、対向車は3台だけだった。少しだけ食欲が出て、ホテルの朝食を食べ、昼もパスタとデザートを少しだけ、夜はスーパーで買った寿司とサラダを口にした。

・10日目はもう一つのイベントである白谷雲水峡のトレッキングだった。この日はパートナーと一緒で、ガイドをつけての行程だった。おしゃべりのガイドさんで、行く先々で細かな説明を楽しくしてもらった。ぼくのiPhoneを預けたら、往きだけで電池が無くなるほどに撮ってくれた。「もののけ姫」の舞台になったところで、ずいぶん外国人に出会って、アニメの力の大きさを実感させられた。この日の予報は雨で、濡れることを覚悟していたが、幸い雨は少なく、森の中ではほとんど濡れることもなかった。時折陽が差して、なかなかの景色が多かった。

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photo87-14.jpg・この日も夕食はスーパーの寿司で、だいぶ食べられるようになった。焼酎で乾杯し、無事旅も終わったと思ったのだが、帰りの飛行機の欠航のメールが早朝にあった。高速艇に乗り換えたのだが、鹿児島空港からの便との接続が1時間半しかなく、タクシーを予約して走ってもらった。慌てていたせいか、焼酎などの入ったお土産袋を空港に忘れたが、帰って電話をすると届いていて、着払い便で送ってもらった。やれやれ………。