・今、時代のキーワードはつくづく、「心」と「身体」なのだと思う。原因の分からない犯罪、子どもたちの引きこもり、健康・清潔志向、過食に拒食、トラウマ………。癒しなどということばが頻繁に使われるのも、その典型だろう。
・落ち着いて、自信をもって生きるのが難しい時代なのは間違いない。自分自身の不確かさはもちろん、夫婦や親子の関係、友達、恋人、あるいは職場の人間関係。どれをとっても簡単ではない。
・だから、それを改善するために、確かなものにするために、誰もが私やあなたや誰かの心や身体に自覚的になる。心理学や精神分析、あるいは脳科学といったジャンルの本が売れ、その種の専門家がメディアで引っ張りだこになっている。
・この本の著者は精神医学の医者である。専門を離れて、最近の若者文化や思想についての発言も多い。いわば現代の売れっ子なのだが、この本はそんな心や身体に意識過剰な風潮に疑問を投げかけるといった内容になっている。
・たとえば「トラウマ」や「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」は精神医学の用語で、患者を診断した医者がつける病名だが、最近では人びとが自己診断をして日常的に使うことばになりつつあるという。「今、自分がこんな性格なのは幼児の頃にした経験のせい」とか「こんな行動をとってしまうのは、人間関係のなかで受けるストレスのせい」といった具合にだ。
・事件のたびに専門家が犯人の性格や犯罪の動機を説明する。映画や小説がそのような事件を好んで題材にする。著者はそのような傾向を八〇年代以降にヒットしたアメリカ映画や日本の小説、マンガ、あるいはヒット曲などから引きだしている。確かに、一つの事件の原因を主人公の心の病に求めて、その発端を突きとめる、といった内容はどんなジャンルの作品にもありふれていて、しかもヒットするものが少なくない。
・けれども、心理学にしても、精神分析にしても、一つのトラウマ経験とその後に形成される性格や行動の特徴の関係は、不確かであるのが現状のようだ。ましてやある犯罪の動機を特定のトラウマ経験に求めることはきわめて難しい。たとえば「連続幼女殺人事件」の犯人である宮崎勤に対しては、著名な十名の精神科医によって、それぞれまったく異なる精神鑑定がなされている。
・だからこそ診断は慎重に、というのが著者の立場だが、現実には「心」と「身体」は確実に、一つの市場として確立するほどに一般的になっている。ハウツーものの本、雑誌の特集、映画や小説、マンガ、歌、あるいはカウンセリング。さらには「癒し」目的の食品や電化製品など、その広がりはとどまることを知らないかのようである。
・わけのわからない状況におかれるよりは、たとえマイナスであっても、原因や理由を確かなものにしたい。それは一つのレッテル張りで、科学というよりは信仰に近い。その心情にビジネスが入りこむ。安易な心理学や精神分析がもたらす危険性。騒ぎの当事者が打ち馴らす警鐘であるだけに説得力がある。
(この書評は『賃金実務』2月号に掲載したものです)