2004年1月26日月曜日

年賀状の憂鬱

 相変わらずジャンク・メールは届くが、だいぶ数は減った。クリスマスの商戦が終わったせいもあるし、お断りの返信をまめに出したせいだとも思う。今やってくるのは「メールお断り」の返信が出せないものや、出しても受取人不明で届かないもので日に20通ほど。同じものがほぼ毎日やってくる。
11月から12月は学生が送ってくる論文の処理で忙しい季節だが、それがジャンクメールに埋もれてやってきたから、本当にしゃくにさわった。ヴァイアグラはいらないし、ペニスを大きくする必要もないし、アドルトサイトも見飽きてる。ダイエットなど大きなお世話で薬も器具もいらない。金儲けに興味はないから投資もしないし、貴金属も買わない。そんなことをぶつぶつ言いながら、「リストから消せ」(unscribe)のボタンを押しつづけた。
ちょうど同じ時期に年賀状を書かねばならなかったから、今年はそれも何とも憂鬱だった。実は年賀状は何年も前からもやめようと思ってきた。実際に、枚数を極力絞って出したりもしたのだが、届いたものには返信を出すから、結局は同じことになってしまった。この慣行から何とか抜け出せないものか。ここ数年は、毎回それに苦慮している。
日頃顔を合わせている人に年賀状を出すのは意味はないし、もらっても興味は湧かない。まったくつきあいの途絶えた人とは、それだけの関係なのだから、消えてしまっても構わない。勤める大学では、年賀状はお互いに出さないようにしましょうという慣行がある。ゼミの学生にも住所は教えないことにしている。そんなふうに考えても、やってくる年賀状はなかなか減らない。
で、今年も50通ほど出したが、そのほかに、1月1日に年賀メールを100通ほど出した。1月1日にHPにアップした「ダイヤモンド富士」の紹介で、たくさんの返信が来た。1月1日に出かけて、即アップと思った人が多かったようだが、実際に見に行ったのは冬至の日だった。来年からはこれで行こうと意を強くしたが、かえって材料探しに苦労するかもしれない。

富士山の写真は、大変結構なものでした。ぼくはいつも、相模川の河川敷から夕刻の富士のシルエットを見ているところです。

ダイヤモンド富士の写真見せていただきました。写真を見ながら「すごい・・」ってつぶ やきが自然に出ました。ため息と同時に。おかげで今年はいい年になりそうな気がしました!

「ダイヤモンド富士」ってなに?と最初思いましたが、写真をみて圧倒されてしました。私もいつか拝みたいです。

富士山の模様素敵でした。初詣いけなかったので、なんだか行った気分になれました。

初日の出の写真は、本当に素敵でした。写真でもあんなに素敵なのだから、実際はもっとすごいんだろねと妻とともに画面に見入り感激しておりました。

しかし、先生も元気ですね〜。初日の出を高尾山に見に行ったことがありますが、山頂に着いたとたんビールを喰らうというバカな行動をし、その後の急激の体温の変化に泣かされた記憶があって、もうそんなことする気にもなりません。ま、今度するならば日本酒をポットにいれていこうかな・・・。

富士山、拝見しました。東京では、年越し、年明けのけじめがつけにくいのですが、やはり、新年を迎えるとはこういうことですね。
年賀状が不要だと思いはじめたのはずいぶん昔からだが、その思いが強くなったのは、HPを作りはじめてからだ。何かを表現する。誰かに何かを伝える。こういった欲求はHPでほぼ満たされている。感想なども来て、やりとりも結構ある。インターネットはやらない人、印刷したもののほうが読みやすいという人のために毎年「珈琲をもう一杯」の雑誌版を作っている。20〜30部ほどだが、それも10号を数えた。1年分となると毎号60〜70頁にもなって、かなりの分量だが、それに対しても丁寧な返事が来る。つきあいを続けたいと思っている人とは日頃からやりとりができているのだ。
とはいえ、それでも気になる人は何人か残る。何人かのためにもそれなりに工夫をして作らなければならない。そうすると、せっかく作ったのだからと、枚数が増えることになる。このジレンマから何年も抜け出せないでいる。

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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。