2004年8月24日火曜日

何とも奇妙なプロ野球

 

・このコラム、前回に続いて野球の話である。僕はメジャー・リーグしか見ないから、日本の野球はどうでもいいのだが、最近のプロ野球の動向の奇妙さには、ちょっと一言いいたくなってしまった。
・オリンピックの野球チームは「長嶋ジャパン」と呼ばれている。監督で行くはずが病気でだめになった。しかし、長嶋がいなくても「長嶋ジャパン」。試合開始時には選手達は、長嶋が不自由な手で「3」と書いた日の丸にふれてフィールドに出る。何か奇妙だ。「神様、仏様、稲尾様」ということばが昔はやったが、「神様、仏様、長嶋様」なのだろうか。
・国際試合があるたびにアナウンサーや解説者が説明することがある。「ストライク・ボール」ではなく「ボール・ストライク」の順でカウントすること、ストライクゾーンが外角にボール一つ広いこと、ボールの大きさが日本で使われているものより気持だけ大きいこと。オリンピックのゲーム中継でも、再三話題にしていた。しかし、そのちがいは、野茂が米国に行ったときからずっと話題になっていることだ。奇妙に思うのは、ちがいがはっきりしていながら、なぜ直さないのかということだ。もちろん、直すのはローカル・ルールの日本の方である。
・ギリシャでは、野球はどの程度に普及しているのだろうか。日本のドリームチームの試合でも、数千程度の座席しかないスタンドががらがらだ。しかし、芝生はきれいに手入れされている。Jリーグができてサッカーのフィールドはすっかり様変わりした。今では、どのスタジアムの芝生もきれいに手入れされている。なのになぜ、プロ野球の球場の芝生ははげたままなのか、あるいは人工芝で手ぬきをするのだろうか。内野に芝生がないのはどうしてなのか。ボールの転がりやバウンド、あるいはスピードがちがう。第一に見た目が全然違う。選手の体にもよくない。国際規格にあわせるという発想がここでもまるでない。
・野球とベースボールはちがう。そのような言い方も聞き飽きた。日本の一流選手はメジャーに行っても、やっぱり適応して一流の成績を残している。野球をベースボールに直したらいいじゃないかと思うのだが、そういう声はほとんど聞こえてこない。これはもちろん、プレイだけでなく、応援の仕方にも言えることだ。
・しかし、何といっても問題なのは、プロ野球を経営する人たちの意識の古さ、低さ、狭さにある。ビジネスとして経営する気がほとんどない。巨人に頼ってチームを減らし、1リーグにして各球団の赤字を減らそうというのだが、巨人の人気自体に陰りがあるのだから、縮小したら、ますます魅力のないものになってしまう。プロ野球が面白くないのは巨人がリーダーシップを取っているからなのに、そこから発想の転換ができない。
・野球にかぎらずプロ・スポーツはフランチャイズ・システムを基本にする。それは、世界中どこでもかわらない。もちろん、日本のプロ野球を除いての話だ。メジャー・リーグはニューヨーク、シカゴ、ロサンジェルス、それにサンフランシスコ以外には複数の球団を持っている都市はない。日本では、東京周辺と京阪神に集中している。さらに、アメリカのほとんどの小都市にはマイナー・リーグのチームがおかれているのだが、日本の2軍にはフランチャイズはない。
・メジャーリーガーを目指して野球をする人の数は、5000人とも6000人ともいわれている。それにくらべて日本ではプロ野球選手の数は 700人ほどにすぎない。日本ではノンプロや高校、大学野球がマイナーの役割を果たしてきた。しかし、それも怪しくなって、野球のできる環境自体が縮小しているのが現状である。
・日本には100万人以上の都市が10、50万人以上が10、40万人以上が20、30万人以上が24、そして20万人以上が39もある。 12球団がそれぞれ3つのマイナー・チームを持って全国の都市に配置すれば、我が町のチームとして応援できる都市が36も増える。プロ野球の将来を考えたら、そんなプランも出てきそうなものだが、そんな話はまったく聞いたことがない。だから、野球の将来を真剣に考えているとはとても思えないのである。(2004.08.24)

2004年8月17日火曜日

秋田・岩手

 

bandai1.jpeg・今年で3年目の東北旅行。去年の夏に山形の酒田まで行ったので、今年は秋田の男鹿半島まで行くことにした。家からの距離はおおよそ1000km、往復で 2000kmの車旅行だった。4泊5日、宿泊地は猪苗代、男鹿半島、田沢湖高原、そして一関の厳美渓。猪苗代は一昨年以来2年ぶりだが、今回は宿泊だけで、まずは早朝の会津磐梯山から。

・男鹿半島はなまはげで有名だが、おみやげ屋の前にはこんな鬼がいて、子どもが集まっていた。海は荒れていて入道崎の岩にくだける波はすごい。開館したばかりの水族館と宿泊先からの夕焼け。


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・寒風山から八郎潟、男鹿市を望むパノラマ。この後、猛烈な雨が降ってくる。


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・田沢湖ではカヤックをした。ライトブルーの水の美しさにビックリ。玉川温泉から流れ込む塩酸と硫酸が原因の強酸性の水質のせいだが、魚がたくさん見えた。石灰石で中和して酸性度を弱めている成果のようだ。もっとも田沢湖にはもともと固有の「クニマス」がいたのだが、発電のために玉川から水を流し込んで、絶滅させたという歴史がある。強酸性は人災だったのだが、この水の色はどうなのだろうか。
・カヤックは波が高く、逆風でしんどかったが1時間ほど漕いで楽しんだ。宿は田沢湖高原で、湖がよく見え、秋田駒ヶ岳も間近にあった。冬はスキー客でにぎわうようだが、夏は登山客がほとんどだそうだ。


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・秋田市はたまたま竿灯祭。夜だけだと思ったのだが、市内を走ると昼からやっていた。そう言えば、東北4大祭を巡る観光バスがどこでも目についた。


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・4日目は岩手へ。小岩井農場、盛岡市、そして猊鼻渓。賢治と石のミュージアムに立ち寄った。陸中松川駅に停車した気仙沼行きのディーゼル。宿泊地は厳美渓のロッジ。


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・で、最終日は一関から一気に河口湖まで。およそ600km。

2004年8月10日火曜日

思案中?!

 このコラムを書くのは4カ月ぶりです。他のテーマとくらべて、ほとんど書くことがなくなっています。理由はジャンク(スパ)メール。あまりに量が多いので、6月にサイトからメールのアドレスをはずしました。しかし、それでも、毎日50〜100通は舞いこんできます。アダルトサイト、ヴァイアグラ、ダイエット、ドラッグ、投資、ソフトやハードのディスカウントショップ等々で、しつこいメールにくりかえしお断りの手続をしたのですが、新しいものが次々とやってきます。


「拒否」のできないものも多く、これはどうしようもありません。もっと悪質なのはウィルス・メールで、多いときにはこれも山のように舞いこみます。もっとも、今までウィルスに感染したことはありません。多分、マッキントッシュのせいでしょう。いずれにしても、ファイルはもちろん、本文もあけずに即、消去。だから、個人的に英語でやってきたメールも、ほとんど確認せずに捨てるようになってしまいました。


広告は、資本主義の社会では、経済を沈滞化させないための潤滑油のようなものです。新聞や雑誌に占める広告の割合、テレビCMの多さを見れば、私たちが広告のおまけとして、記事を読み、グラビアを眺め、ニュースやバラエティやドラマ番組を楽しんでいることがよくわかります。たとえ多数の人にうんざりされたり、反感をもたれたりしても、興味をもつ少数の人がいれば、効果はそれなりにあって、十分にペイする。そういうエゴイスティックな性格が、広告には本質としてついてまわっています。


ネットのメールも同じ理由で散弾銃のように発射されるのですが、世界中に盲撃ちですから、たまったものではありません。公開されたメール・アドレスが使用不能に近い状態になってしまう状況は、厳しく規制して欲しいし、撃退する方法を次々考える必要があるのだと思います。多分、ネット上を行き交っているメールの大半は、この種のメールなのではないでしょうか。


このHPからメールアドレスをはずした理由はもう一つありました。内容について感想を寄せてくれる匿名のメールはよくあって、やりとりをするのは、楽しい作業です。しかし、「会いたい」「好き」といった内容に変わっていくものが時々あって、去年の暮れから着始めたメールが5月から急にエスカレートしはじめました。途中から無視を決めこんだのですが、別のところで、匿名の「別の僕」とやりとりをしているようで、「デートの待ち合わせ場所に行ったのになぜ来ない」といった文面が携帯から届くようになりました。


この一件は「あなたのまったくの勘違い!」といって釘をさしたら、ハッと気づいたようで、お詫びのメールが届いて、その後はぱったり来なくなりました。僕のHPは大学のサーバーから実名を出して発信していますから、たとえ関心があっても、こんなやりとりに応えるわけにはいきませんが、研究資料としてはちょっと面白いものではあります。ネット恋愛の一端にふれることができましたし、「インターネットと感情」といったテーマに、あらためて関心をむけたくもなりました。


どうせ、ジャンクメールが減らないのなら、アドレスの公開を再開しようかと考え直しはじめています。理由は次のメール。発信者はタイに住む日本人の女性です。

 はじめまして。私はバンコクで暮らしております。1年半前にカラバオを知り、大ファンになりました。カラバオ、そして松村洋さんの検索をしていて、あなたのHPを知ることができました。
 私は学生時代クラシックピアノを学んでおりました。しかしクラシックと幸せな出会いはなく、好きなロックコンサートにはひとりで行くしかありませんでした。が、家庭の事情で長い間音楽とは遠い生活となり、40代も終わり頃、タイに日本語教師としてやってきました。地方で2年ほど教え、タイ語を習おうとバンコクに出てきて、そしてカラバオに出会ったのです。
カラバオはカラワン楽団と並んで、メッセージ性の強い歌を歌い続けてきたタイを代表するバンドです。80年代には日本でも熱烈な支持者が増え、特にカラワン楽団については「水牛通信」といったミニコミが出て、それがまとめられて本にもなりました。さっそく返事を書くと、次のようなカラバオについての近況が書かれてありました。
 今夜(昨夜?)バンコクでライブがあり、今帰ってきたところです。彼らのステージは深夜0時から始まり2時に終わります。
 カラバオのライブにカラワンさんも出ていたり、プアチーウィット系の歌手総動員のステージでカラワンの歌を聴いたこともありました。
 カラバオが好き、というと「プアチーウィット(人生の歌というジャンル)が好きな んだね」といわれますが、私はロックバンドとしてのカラバオが好きなのです。
こういうやりとりはもっと大勢の人とやってみたい。その可能性があるのなら、投げ捨てられたゴミの片づけを我慢しても、メールを待つ意味はあるかも。そんな気持に傾いているのですが、どうしたものか。目下思案中です。

P.S.プアチーウィット(人生の歌というジャンル)系のタイの音楽。興味津々です。日本にはなくなってしまった歌ですから。

2004年8月2日月曜日

三田村蕗子『ブランドビジネス』平凡社新書

 

brand1.jpeg・広告の世界では「ブランド」があらためて注目されているという。今さらと思わないではないが、一流企業の不祥事がきっかけで売れ行きが激減とか、社運そのものが危うくなったりする事件を目の当たりにすると、「ブランド」のもつ意味は、確かに大きいと言える。
・あるいは、ヨーロッパの有名ブランドのバッグをもった女性がやたらに目についたりもする。景気が悪いと言われているのに、どうして高額なものに関心が集まるのか。高級ブランドは希少価値が命のはずなのに、なぜ、みんなで同じものをぶらさげて、平気でいられるのか。そんな疑問も感じてしまう。
・三田村蕗子の『ブランドビジネス』は、そんな疑問に答えてくれる一冊である。もっとも、この本があつかうブランドはファッションに限定されている。それも、「ルイ・ヴィトン」に関連する記述が多い。その理由は、第四次のブランドブームといわれる現在の状況が、ヴィトンの一人勝ちになっているからだ。
・ヴィトンの日本での売上は、世界の三分の一を占めている。二〇〇三年度の売上は一五〇〇億円で森永製菓とほぼ同規模であり、この二〇年間での総売上は一兆円を超える。ヴィトンのバッグをもっている人は二〇〇〇万人とも三〇〇〇万人とも言われるし、二〇代の女性の二人に一人が所有しているとする調査結果もある。著者はこの現象をまさにお化けだ、と表現する。
・このような状況に対する批判は、相変わらずのものが多い。欧米志向がまだ抜けない。横並び志向が強い。マスコミに踊らされやすい。自分なりの価値観がない。高額な品物を子どもに買い与える親の甘さ。あるいは一点豪華主義。住宅事情が悪い日本では、身の回りの小物に贅沢をして充実感を得るしかない、といった指摘もある。
・ヨーロッパの高級ブランドの多くは馬具の製造から出発している。乗馬を楽しむ貴族や富裕な階級のための道具で、そこから靴や旅行に持ち歩く鞄に広がった。だから、ヨーロッパでは今でも、高級ブランドの購入者は一部の富裕な層にかぎられていて、労働者階級の人たちには、それを所有したいという欲求自体がほとんどないと言われている。
・それでは、くりかえされる批判にもかかわらず、なぜ、日本人は高級ブランドに欲望するのか。著者は、ブランドビジネスとは、消費者に夢という魔法をかけるビジネスで、日本人はその夢を大勢で一緒になって見たがるのだという。ディズニーランドの一人勝ちや行列のできる店への注目と同じことだ。
・実体よりは夢が大事で、それをみんなと一緒に見て満足感を覚える。だから、夢からさめるのも一緒で、一度飽きられたブランドは、なかなか立ち直れない。日本におけるブランドビジネスの魅力と不確かさ。このような傾向の加速化は、一流企業が一つのスキャンダルや不祥事で消えてなくなる危険性とも無関係ではないはずで、今度は「負のブランド」現象についても知りたくなった。

(この書評は『賃金実務』7月号に掲載したものです)

2004年7月27日火曜日

河口湖も暑い!

 

forest35-3.jpeg・今年の夏は本当に暑い。東京が39.5度になり、翌日には甲府が40度を超えた。で、さすがに河口湖も34度。こんな気温は引っ越して以来初めてだ。とはいえ、暑いのは日中の数時間で、夕方には山おろしの涼しい風が吹いてくる。寝る時間には20度前後になっているから寝苦しいと言うこともない。あらためて別天地だと思っているが、それだけに、東京に出稼ぎに出る日はつらい。高低差800m、温度差10度。夏の季節にはこの落差が何ともこたえる。
・そんなしんどさが一ヶ月も続いて、すっかり食欲がなくなった。ここ数日、原因不明のしゃっくりに悩まされている。突然出はじめて、しばらく止まらなくなる。しゃっくりは横隔膜のケイレンが原因だが、やっぱり胃が悪いのかもしれない。しかし、待ちに待った夏休みがはじまるから、体調もすぐに回復するだろうと思う。何より東京に出かけなくてすむのが一番だ。

forest35-1.jpeg・7月に入って河口湖もにぎやかになってきた。隣近所の別荘族も毎週のように訪れている。子供のはしゃぐ声、花火の音など、しばらくは騒がしい。道路も渋滞しているが、湖畔にトンネルが二つできたから、ずいぶん楽になった。東京から来たドライバーは狭い道では真ん中を走る。だから対向車が来ると急ブレーキを踏んで慌ててハンドルを切る。初心者は道の真ん中で止まって動こうとしなくなってしまうから始末が悪い。そういう人にかぎって、対向車など予測せず、よそ見をしたりおしゃべりをしたりしている。危なくて見ていられないし、イライラもしたのだが、それが一部解消された。

forest35-2.jpeg・天気がいいから富士山もよく見える。学校帰りに都留市まで来ると、暗くなってうっすら見える富士山に山小屋の明かりがきれいに浮かんでいる。ちょうど北斗七星のようだ。しかし、もう少しすると、明かりは五合目から頂上まで繋がるようになる。富士山銀座。押し合いへし合いで登る人たちでごった返す季節がもうすぐやってくる。
・にぎやかなのは人間ばかりではない、ここのところ連続して、家の近くで動物を見かけた。キジはしょっちゅうだがタヌキやイタチやウサギははじめてだった。このあたりにはサルやイノシシも頻繁に出る。わが家のムササビも相変わらず夜な夜な出かけていっては明け方もどってくる。赤外線カメラを仕掛けて夜通し写したらどんな世界が現れるのか。そのうちやってみようかという気になってきた。

senndai.jpg・今年は鳴き声もいつになくにぎやかだ。カエルにセミ、あるいは野鳥。センダイムシクイイは「ショチュウ イッパイ グイー」と鳴く。最近鳴くのは特におしゃべりで「イッパイ イッパイ イッパイ グイー グイー グイー」と連呼する。この鳥はおしゃべりの目立ちたがりのくせに姿を見せない。望遠鏡とカメラを用意しているのにいまだにつかまえられないでいる。野鳥のサイトから拝借した写真だとこんな鳥だそうだ。もう一種、追いかけているのはチョウチョ。
・隣の空き地に生えた雑草は、今年はすさまじいほどだが、そのなかに大きなヤマユリがいくつも咲いた。遠くからでも強い匂いがする。先日テレビで「イングリッシュ・ガーデン」をテーマにした番組を見た。植民地から持ち帰った植物が貴族のあいだで人気になり、きそって庭を飾るようにした。「イングリッシュ・ガーデン」にはそんな起源があるようだが、江戸時代の終わりに鎌倉で採取したヤマユリも、当時は熱狂的なブームになったそうである。しかし、高原には似合わない品の悪い花で、ぼくはあまり好きではない。

2004年7月20日火曜日

ドニー・ダーコ

 

・「ドニー・ダーコ」は2001年の作品で、脚本・監督は 20代の若いリチャード・ケリー。サンダンス映画祭で話題になり、熱烈なファンを生み出したそうだ。BSジャパンで見たが確かに面白かった。いったいどんな物語なのかということが最後までわからない。興味はその一点に尽きて、見終わってしまえば、「何ーんだ、そういうことか」で終わってしまう話だが、映画のおもしろさが、そもそもそこにあったことをあらためて自覚させられた。
・主人公のドニー・ダーコは高校生で、ある晩、銀色の兎が部屋に現れて、世界の終わりを告げる。この冒頭のシーンから、僕はもう村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』と『羊の冒険』をダブらせてしまった。兎に連れだされたドニーはゴルフ場で目を覚ます。家に帰ると、自分の部屋に旅客機のエンジンが落ちていた。兎に連れだされなければ、死んでいたところだった。
・その後も兎はしばしばあらわれて、いろいろと命令する。それにしたがって、ドニーは、学校の水道管を破裂させ、シンボルの犬のブロンズ像の頭に斧を打ちこむ。あるいは、いかさま伝道師の家に火をつける。ドニーにとって学校は、本当のことではなく、あるべきことばかりを教えるうさんくさい先生の支配する世界だったし、伝道師の二面性もまた、彼には見え見えだった。燃えた家からは「児童ポルノ」の部屋が見つかった。世の性の乱れを説く者のもう一つの顔。そして兎はドニーのもう一つの顔のようだ。
・転校してきたグレッチェンという女子学生にドニーは夢中になる。あるいは物理の先生から「タイム・トラベルの哲学」という本を渡される。その本を書いたのは「死に神オババ」と呼ばれるホームレスで、かつては高校の科学の教師であったらしい。名前はロバータ・スパロウ。
・ハロウィンの日にグレッチェンの母親がいなくなる。二人は、タイムトラベルの入り口であるはずの、ロバータの家の「地下室の扉」をめざす。そこで暴漢があらわれ、また赤い車が猛スピードで突進してくる。グレッチェンがひかれて死んでしまう。車を運転していたのは兎だった。ドニーは扉を開ける。そして冒頭のシーン。彼は空から落ちてきた飛行機のエンジンで死んでいる。家の前を通りすぎるグレッチェンには誰が死んだかもわからない。
・ちょっとたわいない話だが、うまくできている。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』も『羊の冒険』も、その意味では作り方を工夫すれば、充分の面白い映画になる。見終わってそんなことを考えた。村上春樹の作品はほとんど映画化されていない。なったものもまったくつまらない。小説と映画、文字と映像。その変換を工夫するリチャード・ケリーのようなアイデアをもつ才能が日本には育っていない。そんな感じがした。
・もう一つ、映画の挿入された歌の良さ。デュラン・デュラン、エコー&ザ・バニーメン、ティアーズ・フォー・フィアーズ、ザ・チャーチ、ジョイ・ディヴィジョン。80年代にイギリスで活躍したミュージシャンたちだそうだが、僕はエンディングの歌が一番気になった。どう聴いても間違いなく REMだと思ったからだ。しかし、もちろん初めて聴く曲。「Mad World」。見終わってすぐアマゾンにアクセスしてサントラ盤を探した。歌っているのはGary Jules。知らない名だった。

まわりはなじみの顔 疲れた場所 疲れた顔
日々の競争に朝早くからいそいそと
行く先はない あてどない
涙が眼鏡からあふれ出る
表情もなく 表情もなく

・曲や声はもちろん、歌詞もREMの感じそのままで、何度聴いても僕にはマイケル・スタイプスに思えてしまう。Gary Julesのアルバムを買って他の曲も聴いてみようと思うが、そういえばREMの活動は、最近ほとんど聞かない。

2004年7月13日火曜日

Erick Satie "Gymnopedies"

 

satie1.jpeg・エリック・サティの音楽には奇妙な魅力がある。単純で聴き流してしまいそうなのに、メロディがいつまでも頭に残る。そのメロディを追いながら心地よさに浸っていると、いつの間にか眠気を催してくる。ちょっと前にわが家に来た友人は、ボリューム一杯にして聴いていたにもかかわらず、昼寝をしてしまった。で、気持ちよさそうに目を覚ました。
・曲の名前も奇妙だ。サティの曲で一番有名なのは「ジムノペディ」だが、それは「1.ゆっくりと悩めるごとく」「2.ゆっくりと悲しげに」「3.ゆっくりと荘重に」の三つから構成されている。僕が好きなのは何より「1」だがそれで一緒に悩めるわけではない。もっとも、高速道路で聴いていると、「ゆっくりと」はしてくる。運転をしているとさすがに眠くはならないが、同乗者はやっぱりうとうとしてしまう。だから、これは不眠症の人にはお勧めの CDなのではないかと思う。
・手許にあるCDに入っている曲には、そのほかに「でぶっちょ木製人形へのスケッチとからかい」「ひからびた胎児」「最後から2番目の思想」「犬のためのぶよぶよした前奏曲」「梨の形をした3つの小品」「風変わりな美女」といったタイトルがついている。題名ほど奇怪なメロディではない。それどころか美しい。しかしやっぱり、どれも何となく奇妙だ。
・「ジムノペディ」とはスパルタの祭典の名前で、サティはギリシャの壺に描かれた祭典からヒントを得て作ったと言われている。しかし、そう言われても、曲からはギリシャも祭典もイメージしにくい。CDの説明によれば、この曲のユニークさは弱強格のリズムと滑るように流れる7度の和音にあって、それが伝統を無視した大胆な進行になっているということだ。その手の知識にはまったく疎いからよくわからないが、おそらくこれが奇妙さの理由なのだろう。
・サティは19世紀から20世紀にかけての作曲家で、重厚長大な交響曲や集中的な聴取のスタイルが当たり前の時代に、意図的に軽薄短小な曲を作って軽やかな聴取を提示した人である。コンサートホールでではなく家で居ながらにして聞く音楽。彼はそれを自ら「家具の音楽」と呼んだ。短いモチーフの単純なくりかえし。渡辺裕は『聴衆の誕生』(春秋社)の中で、「サティは音楽から表現性を奪い取ることによって、音楽との新しいつきあい方の可能性をわれわれに示して見せた」という。だから、サティの曲には「県知事の執務室の音楽」とか「音のタイル張り舗道」「スポーツと気晴らし」といったタイトルもある。ミニマル、アンビエントといった音楽の先駆けだと言われる所以だろう。

satie2.jpeg・サティの作品をそれ風にアレンジした作品もある。たとえばMItsuto Suzukiの"Gymnopedie '99 Electric Satie"。それなりに面白いが、やっぱりシンプルなピアノの方がいい。せっかくサティが消し去った表現性がにぎやかに復活してしまっているからだ。無用な音を足さずにどうやって新しい世界を作り出すか。サティの作品には、作りかえや解釈のし直しなどを拒否する姿勢が感じられる。
・アンヌ・レエの『サティ』(白水uブックス)は「真の友もなく、子もなく、ただ有名であったサティ」という言葉ではじまる。サティにとってはそれが望みの境遇であったにもかかわらず、彼は「ちょっとさびしすぎるな」と書いた。サティが晩年を過ごした自宅には、27年間、誰一人として訪れなかったという。ただし彼はパリに出かけてはカフェでビールを浴びるほど飲んだ。死因は肝硬変だった。

satie3.jpeg 裸で歩く音楽、「それに合わせて人が歩く」音楽、通りすぎる音楽、そのシルエットがかすかに何かを思わせる音楽。サティの作品には年齢がなく、どんな作曲家のどんな作品にも論理的に結びつくということがない。一度は忘れられ、いまや再発見されたが、ことによると、また忘れ去られるかもしれない。だが、ナイーヴさが若さの代わりになるとすれば、たったいま生まれたばかりのような顔をして、サティの作品はまた甦るだろう。それはまさに単独者の作品なのである。(アンヌ・レエ『サティ』)


・孤高の人であることを目指しながら、また、それを人に誇示したがった人。流行から一歩引く姿勢を示しながら、まったく無関係ではいられなかった人。孤独を望みながら、人混みで酔いつぶれた人。サティは一筋縄ではいかない人物だが、その旋律はまた、シンプルで心地よい。この矛盾や不調和がサティの音楽とタイトルの魅力なのだろうか。