・出かけたときにトイレの場所がわからず困るといった経験はたまにある。子供が小さかった頃はいつでも気にして、早めにおしっこを確認したことを今でもよく覚えている。それでも、たとえば渋滞の高速道路などでは、もうどうしようもない。仕方がないからペットボトルに、といったことがあったかもしれない。そんなトイレについての困った体験を、今回の旅行で久しぶりにした。
・ロンドンの町には公衆トイレが少ない。特に地下鉄駅には見あたらないし、あっても有料のが一つといった具合だ。それはデパートやショッピング・センターでも同じで、30ペンスを払って用を足すといったことが何回かあった。一回は突然、大きいのをもよおしてきて、乗りもしないのに地下鉄の駅に行って有料トイレに入った。当然、すぐにはすまない。長居をして、すっきりしたところでドアを開けると数人の行列。誰に不平を言われたわけではないが、視線があったとたんに恥ずかしくなってその場を急いで離れた。パートナーが笑いながら「使用中はなんて表示されていたかわかる?」なんて聞いてきたが、そんなことに注意を向ける余裕があるわけはない。
・けれども気になって別の機会に確認すると、"Vacant"と"Engaged"となっていた。「空き」はわかる。しかし "Engaged"は「従事する」とか「没頭する」といった意味で「使用中」のことだとはすぐにはわからなかった。だから、従事したり没頭したりするのは利用者のことかと勝手に考え、ずいぶん直接的な言い回しだと思ったりした。後で辞書を調べるとたしかに「「使用中」とある。そして従事するのはトイレそのもので、そこで用を足す人の様子を形容したものではないことがわかった。しかしそれにしても素直な言い方で、アメリカでは"Occupied"(専有中)とちょっと遠回しである。
・そのトイレだが、日本では便所という直接的なことばは最近ではほとんど見かけない。かわりに手洗い、化粧室、あるいはカタカナでトイレ、さらには英語でrest
roomと表示されていたりする。アメリカでもrest
roomが多かったように思うが、イギリスやアイルランドではどこでも「トイレ」で一貫していた。では、性別はどうかというと"Lady"と
"Gentleman"あるいは"Gents"で、アメリカの"Woman""Man"に比べて丁寧な感じがする。さすが紳士淑女の国と思ったりするが、それは何百年も当たり前に使われてきたことばだから、特に丁寧な言い方という感覚はないのかもしれない。
・イギリス人(といってもあまりに多様で驚いたが)は、アメリカ人ほど大きくはない。僕と変わらない人も大勢いる。けれども、トイレの小便用の便器はえらく高い位置にあって、いつでも背伸びをする感覚を強要された。しかし、違いは背の高さではなく足の長さかと気づいて安心したり、がっかりしたり。また観光地などではステンレス製の樋のような形状をしているところが多くて、これにもずいぶん違和感をもった。樋が膝上あたりにあるから、並んで用を足している人たちの小便が混ざり合って流れていくのがよく見えるからである。連れションするのも多生の縁ということか、などと妙な納得をしたが、感覚的にはいい気持ちではなかった。
・これほどトイレが気になったのは、その少なさを不安に思って、すぐに尿意を感じてしまったからだ。用を足しても30分もするとまたすぐにしたくなる。で、行っても少ししか出ないし、我慢すればできないわけではない。しかし、したくなる。これは明らかに軽い神経症で、バスに長時間乗るときなどは飲み物を控えるようにせざるをえなかった。イギリス人はいったい、この自然現象(Nature
calls me)をどう処理しいているのだろうか。
・僕はヘビー・スモーカーではないが、我慢するのはつらい。だから飛行機で禁煙を強いられる海外旅行は、ここ数年敬遠してきた。行かなかった最大の理由がそれだったといってもいい。もっとも、全面禁煙になる前から飛行機は大嫌いで、特に離着陸の不安定なときにはいつでも生きた心地がしないから、なおさらという感じだった。それが今年の春にしたハワイ旅行で少しだけ払拭された。飛行機は相変わらず怖いが、タバコは吸わなくても我慢できることがわかったからだ。ただし、アメリカ行きの便ではライターが没収されるというニュースがあったこともあって、飛行機はもちろん、どこでも吸いにくいのだろうなと予測はしていた。そうは言っても、吸いなれているウィンストンの赤箱を1カートン、バッグに入れることは忘れなかったが……。
・ところがロンドンに着いてみると、建物内には禁煙マークが目立つが、一歩外に出れば禁止する表示は何もない。実際に多くの人が歩行喫煙をしているし、吸い殻入れがないから平気でポイ捨てしている。路上には吸い殻が一杯なのである。本当にほっと一息、ついでに久しぶりの一服。頭がくらくらするほどよく効いた。
・確かめたわけではないが、イギリスにおける建物内での禁煙は、条例で一方的に定められたもので、イギリス人の間に自発的な強い動きがなかったのではないかという気がした。実際、建物内ではあってもホテルのロビーには灰皿がおいてあるところがあったし、喫煙可の部屋もあった。レストランでも必ず席を喫煙にするかどうか尋ねてきて、一角では食後においしそうに吸う人が多く見かけられた。
・またまたところがである。アイルランドにはいると状況は一変。建物内ではほとんど全面禁煙になった。可哀想なのはパブで、酒とタバコはつきものだが、客たちは吸いたくなると表に出て外で吸わなければならない。だからどこのパブも入り口にはタバコを吸う酔客がたむろする。観光客にとってはきわめて入りいにくい光景だが、観光客を呼び込むためにマナーの徹底を急ぐという姿勢がありありだった。アイルランドのパブでは、観光用として新しく作られたゾーンはともかく、従来からある店では、ほとんど食べるものがない。客はただひたすら黒ビールを飲んで、しゃべり、歌い、踊る。そこにタバコは不可欠だと思うが、そのイヤな煙と臭いは消さなければならないというわけである。ところが店内は、タバコの臭いは消えても小便の臭いが充満しているから、決して居心地がいいわけではない。聞きたいライブ音楽がなければ、とても長居はできないし、そもそも入ったりしないだろう。第一僕は、最初の晩、その入りづらさに躊躇して、あきらめてホテルに帰ったのである。
・広告塔や立て看板の有無、建物の様子、町行く人の格好などを比較すると、イギリスとアイルランドの生活格差がよくわかる。イギリス人は背筋を伸ばして大股で歩くが、アイルランド人は少しうつむき加減で、たらたらという感じがする。アイルランドは近代化が遅れ、今やっと経済成長をし始めたところだが、そんな状態が人びとの挙動からもよくわかる。そんなところへの突然の禁煙化条例なのだと思う。聞いたわけではないが、パブの客はさぞぶつくさ文句を言いつつ、法を破ることはせずに、タバコを吸いに店の外に出るのだと思う。
・それに比べてイギリス人は、たとえ禁煙が国際的な風潮であっても素直には従わない。そんなプライド、あるいは個人主義的な考え方があるのだろうか。つんとすまして姿勢を正して歩くイギリス人と、田舎で出会う人たちの人なつこさや親切さを感じさせるアイルランド人。そう対照させてもいいかもしれないが、イギリス人が冷たいといわけでは決してない。僕らが行き場所を探しあぐねてウロウロしていると、どの人も、声をかけて助けを申し出たりしてくれた。あるいは、こちらから尋ねれば親切に応じてくれた。
・ロンドンの街角のあちこちにStarbucksがあった。それは、リバプールにもブリストルにもあったから、イングランドの大きな町ならどこにでもあるのだろうと思う。もちろん「スタバ」でなくても「カフェラテ」は注文できた。シアトルで生まれたコーヒー・ショップがあっという間に世界中の都市に出現したということなのだろうか。僕は値段の高いスタバは使わず、名も知れないスタンドやカフェを利用したが、イギリス人がこれほどコーヒーを飲む人たちだとは想像もしなかった。ここは紅茶の国ではなかったのか。
・それは世界(とは言っても一部の都市だが)同時発生的な流行の象徴だと言っていいかもしれない。しかし、そのように感じたのはほかにもいくつかある。女の子(時にはおばさん)の臍下(あるいは半ケツ)出しである。ぼくはあまり都心に出て行かないから、大学でおとなしいのをちらほら見かける程度だったが、ロンドンでは、その洪水に悩まされた。しゃがんだりすると本当におしりが半分露出してしまう。目のやり場に困るというよりは、そこに目がいってしまう自分の関心の強さにとまどい、見ていることをさとられることに恥ずかしさを覚えた。もっともそれは最初の数日で、しばらくたつとごく当たり前の光景に見えてきたから、不思議といえば不思議である。
・しかもそれはロンドンばかりでなく、イギリスの各地、あるいはアイルランドでも見かけ、女だけではなく男も、町行く人ばかりでなくウェイターやウェイトレス、店員などにも多かったから、すでに先端的な流行ではなく、ごく当たり前の普段着になっているのだろうと思った。これをもちろん非難する気はないが、腹の突き出た人まで平気で晒しているのはどうかと思った。特に男の半ケツなどはオエッとしてしまう。自分の後ろ姿に気づいているのだろうか。自信のある女の子は腰にタトゥをしていて、そこが見せる場所であることをはっきり自覚していたが、本物ばかりでなく一時的なものを書いてくれる場所は、確かにあちこちにあった。見せることはそこを美しくすることにつながる。とは言え白人の肌はけっしてきれいではない。イギリスの水はミネラルがたくさん入った硬水で、肌の油分をとってかさかさにしてしまう。だから老化が早く、大きなシミができてしまうようだ。そんなこともいっそう目立ってしまうから、流行とは言え誰でもというわけにはいかないと思った。
・こんなふうに外国に行って異文化にふれると、いろいろなことに気づき、とまどい、また興味を持たされる。今回の旅で感じたことはまだまだあるが、最後にもう一つだけ紹介しておこう。今回の旅では主に鉄道を使った。Brit Railパスを買って一等車の旅を楽しんだのだ。そこで気づいたのは駅に改札口がないことで、最初はこれでいいのかと思った。もちろん、車内では車掌が検札に回ってくる。しかしそれは日本でも同様で、なおかつ出入りには改札口を通らなければならない。人を信用することを前提にした制度だと言えるかもしれない。だからキセルをしたときには1000ポンドだったか1万ポンドだったか、高額の罰金が問答無用で科されるようだ。そう考えると、人を信用しない代わりに、不正をしても寛容な態度をとったりする日本の鉄道との違いがよくわかる。
・たとえば、同様のことは駅や車内での放送の量でもわかる。日本では、「白線の内側で待て」「降りる人が済んでから乗れ」「〜〜」とおせっかいがましいが、イギリスでは次の停車駅がどこかという放送もほとんどなかった。それはじぶんで判断しろということだろうが、旅行者にとっては大きな不安の種である。特にリバプールからブリストルまで行くときには、途中で3回も乗りかえたから、駅に着くまでに名前をチェックすることに気を使った。ところが駅名の表示にはまた次の駅が書かれていない。特急だったら意味はないといえばそれまでだが、違いというのはこうも徹底するものかと感心してしまった。
・こういう国ならたぶん、自己責任という意識は、誰に言われなくても当たり前のこととして認識されているだろう。それに比べると日本は自分の判断で勝手に動くなという社会で、自己責任は、それに背いたときの罰則的な言辞として使われる。そんなことが、事細かな経験の端々で感じられた。ついでに言っておくと購入した鉄道パスは4日間有効のもので、使用した日付を書き込むところがあった。1日目は車掌が「これが大事」といって書き込んだから、その後も車掌が書くものと思っていたら、誰も書き込まない。ずいぶんいい加減だなと思い、それをいいことに短距離の部分ではあったが2日もよけいに使ってしまった。後で旅行会社の人に話をすると、そこもやっぱり自分で書き込むべきところだったと言われてしまった。怪しまれて「何日使った?」などと問いつめられ。不正使用だと判断されたら1000ポンドの罰金だったかもしれない、と考えたらひやっとしてしまった。自己責任の意識が薄い証拠だと、つくづく実感させられた。