2005年9月15日木曜日

トイレ・喫煙・etc.

 

・出かけたときにトイレの場所がわからず困るといった経験はたまにある。子供が小さかった頃はいつでも気にして、早めにおしっこを確認したことを今でもよく覚えている。それでも、たとえば渋滞の高速道路などでは、もうどうしようもない。仕方がないからペットボトルに、といったことがあったかもしれない。そんなトイレについての困った体験を、今回の旅行で久しぶりにした。


・ロンドンの町には公衆トイレが少ない。特に地下鉄駅には見あたらないし、あっても有料のが一つといった具合だ。それはデパートやショッピング・センターでも同じで、30ペンスを払って用を足すといったことが何回かあった。一回は突然、大きいのをもよおしてきて、乗りもしないのに地下鉄の駅に行って有料トイレに入った。当然、すぐにはすまない。長居をして、すっきりしたところでドアを開けると数人の行列。誰に不平を言われたわけではないが、視線があったとたんに恥ずかしくなってその場を急いで離れた。パートナーが笑いながら「使用中はなんて表示されていたかわかる?」なんて聞いてきたが、そんなことに注意を向ける余裕があるわけはない。

・けれども気になって別の機会に確認すると、"Vacant"と"Engaged"となっていた。「空き」はわかる。しかし "Engaged"は「従事する」とか「没頭する」といった意味で「使用中」のことだとはすぐにはわからなかった。だから、従事したり没頭したりするのは利用者のことかと勝手に考え、ずいぶん直接的な言い回しだと思ったりした。後で辞書を調べるとたしかに「「使用中」とある。そして従事するのはトイレそのもので、そこで用を足す人の様子を形容したものではないことがわかった。しかしそれにしても素直な言い方で、アメリカでは"Occupied"(専有中)とちょっと遠回しである。


・そのトイレだが、日本では便所という直接的なことばは最近ではほとんど見かけない。かわりに手洗い、化粧室、あるいはカタカナでトイレ、さらには英語でrest roomと表示されていたりする。アメリカでもrest roomが多かったように思うが、イギリスやアイルランドではどこでも「トイレ」で一貫していた。では、性別はどうかというと"Lady"と "Gentleman"あるいは"Gents"で、アメリカの"Woman""Man"に比べて丁寧な感じがする。さすが紳士淑女の国と思ったりするが、それは何百年も当たり前に使われてきたことばだから、特に丁寧な言い方という感覚はないのかもしれない。


・イギリス人(といってもあまりに多様で驚いたが)は、アメリカ人ほど大きくはない。僕と変わらない人も大勢いる。けれども、トイレの小便用の便器はえらく高い位置にあって、いつでも背伸びをする感覚を強要された。しかし、違いは背の高さではなく足の長さかと気づいて安心したり、がっかりしたり。また観光地などではステンレス製の樋のような形状をしているところが多くて、これにもずいぶん違和感をもった。樋が膝上あたりにあるから、並んで用を足している人たちの小便が混ざり合って流れていくのがよく見えるからである。連れションするのも多生の縁ということか、などと妙な納得をしたが、感覚的にはいい気持ちではなかった。


・これほどトイレが気になったのは、その少なさを不安に思って、すぐに尿意を感じてしまったからだ。用を足しても30分もするとまたすぐにしたくなる。で、行っても少ししか出ないし、我慢すればできないわけではない。しかし、したくなる。これは明らかに軽い神経症で、バスに長時間乗るときなどは飲み物を控えるようにせざるをえなかった。イギリス人はいったい、この自然現象(Nature calls me)をどう処理しいているのだろうか。

・僕はヘビー・スモーカーではないが、我慢するのはつらい。だから飛行機で禁煙を強いられる海外旅行は、ここ数年敬遠してきた。行かなかった最大の理由がそれだったといってもいい。もっとも、全面禁煙になる前から飛行機は大嫌いで、特に離着陸の不安定なときにはいつでも生きた心地がしないから、なおさらという感じだった。それが今年の春にしたハワイ旅行で少しだけ払拭された。飛行機は相変わらず怖いが、タバコは吸わなくても我慢できることがわかったからだ。ただし、アメリカ行きの便ではライターが没収されるというニュースがあったこともあって、飛行機はもちろん、どこでも吸いにくいのだろうなと予測はしていた。そうは言っても、吸いなれているウィンストンの赤箱を1カートン、バッグに入れることは忘れなかったが……。


・ところがロンドンに着いてみると、建物内には禁煙マークが目立つが、一歩外に出れば禁止する表示は何もない。実際に多くの人が歩行喫煙をしているし、吸い殻入れがないから平気でポイ捨てしている。路上には吸い殻が一杯なのである。本当にほっと一息、ついでに久しぶりの一服。頭がくらくらするほどよく効いた。
・確かめたわけではないが、イギリスにおける建物内での禁煙は、条例で一方的に定められたもので、イギリス人の間に自発的な強い動きがなかったのではないかという気がした。実際、建物内ではあってもホテルのロビーには灰皿がおいてあるところがあったし、喫煙可の部屋もあった。レストランでも必ず席を喫煙にするかどうか尋ねてきて、一角では食後においしそうに吸う人が多く見かけられた。

・またまたところがである。アイルランドにはいると状況は一変。建物内ではほとんど全面禁煙になった。可哀想なのはパブで、酒とタバコはつきものだが、客たちは吸いたくなると表に出て外で吸わなければならない。だからどこのパブも入り口にはタバコを吸う酔客がたむろする。観光客にとってはきわめて入りいにくい光景だが、観光客を呼び込むためにマナーの徹底を急ぐという姿勢がありありだった。アイルランドのパブでは、観光用として新しく作られたゾーンはともかく、従来からある店では、ほとんど食べるものがない。客はただひたすら黒ビールを飲んで、しゃべり、歌い、踊る。そこにタバコは不可欠だと思うが、そのイヤな煙と臭いは消さなければならないというわけである。ところが店内は、タバコの臭いは消えても小便の臭いが充満しているから、決して居心地がいいわけではない。聞きたいライブ音楽がなければ、とても長居はできないし、そもそも入ったりしないだろう。第一僕は、最初の晩、その入りづらさに躊躇して、あきらめてホテルに帰ったのである。


・広告塔や立て看板の有無、建物の様子、町行く人の格好などを比較すると、イギリスとアイルランドの生活格差がよくわかる。イギリス人は背筋を伸ばして大股で歩くが、アイルランド人は少しうつむき加減で、たらたらという感じがする。アイルランドは近代化が遅れ、今やっと経済成長をし始めたところだが、そんな状態が人びとの挙動からもよくわかる。そんなところへの突然の禁煙化条例なのだと思う。聞いたわけではないが、パブの客はさぞぶつくさ文句を言いつつ、法を破ることはせずに、タバコを吸いに店の外に出るのだと思う。
・それに比べてイギリス人は、たとえ禁煙が国際的な風潮であっても素直には従わない。そんなプライド、あるいは個人主義的な考え方があるのだろうか。つんとすまして姿勢を正して歩くイギリス人と、田舎で出会う人たちの人なつこさや親切さを感じさせるアイルランド人。そう対照させてもいいかもしれないが、イギリス人が冷たいといわけでは決してない。僕らが行き場所を探しあぐねてウロウロしていると、どの人も、声をかけて助けを申し出たりしてくれた。あるいは、こちらから尋ねれば親切に応じてくれた。

・そう思うと、最近の日本人のことが気になった。東京にはすでに、田舎の人情はない。しかしまた、自分の行動には自分で責任をという個人主義的な態度も育っていない。禁煙条例が出れば渋々したがう従順さがあっても、人びとの間につながりを感じさせようとする態度はほとんどない。イギリスもアイルランドも人びとの顔は本当に多様だ。その人たちが互いに相手を意識し、気遣いあって生活している。対照的に日本はというと、ほとんど同じ顔をした人たちが互いに全くの無関心・無関係でいるから、一見平穏に見えても、自分勝手で殺伐とした感じがしてしまう。

 

・ロンドンの街角のあちこちにStarbucksがあった。それは、リバプールにもブリストルにもあったから、イングランドの大きな町ならどこにでもあるのだろうと思う。もちろん「スタバ」でなくても「カフェラテ」は注文できた。シアトルで生まれたコーヒー・ショップがあっという間に世界中の都市に出現したということなのだろうか。僕は値段の高いスタバは使わず、名も知れないスタンドやカフェを利用したが、イギリス人がこれほどコーヒーを飲む人たちだとは想像もしなかった。ここは紅茶の国ではなかったのか。


・それは世界(とは言っても一部の都市だが)同時発生的な流行の象徴だと言っていいかもしれない。しかし、そのように感じたのはほかにもいくつかある。女の子(時にはおばさん)の臍下(あるいは半ケツ)出しである。ぼくはあまり都心に出て行かないから、大学でおとなしいのをちらほら見かける程度だったが、ロンドンでは、その洪水に悩まされた。しゃがんだりすると本当におしりが半分露出してしまう。目のやり場に困るというよりは、そこに目がいってしまう自分の関心の強さにとまどい、見ていることをさとられることに恥ずかしさを覚えた。もっともそれは最初の数日で、しばらくたつとごく当たり前の光景に見えてきたから、不思議といえば不思議である。


・しかもそれはロンドンばかりでなく、イギリスの各地、あるいはアイルランドでも見かけ、女だけではなく男も、町行く人ばかりでなくウェイターやウェイトレス、店員などにも多かったから、すでに先端的な流行ではなく、ごく当たり前の普段着になっているのだろうと思った。これをもちろん非難する気はないが、腹の突き出た人まで平気で晒しているのはどうかと思った。特に男の半ケツなどはオエッとしてしまう。自分の後ろ姿に気づいているのだろうか。自信のある女の子は腰にタトゥをしていて、そこが見せる場所であることをはっきり自覚していたが、本物ばかりでなく一時的なものを書いてくれる場所は、確かにあちこちにあった。見せることはそこを美しくすることにつながる。とは言え白人の肌はけっしてきれいではない。イギリスの水はミネラルがたくさん入った硬水で、肌の油分をとってかさかさにしてしまう。だから老化が早く、大きなシミができてしまうようだ。そんなこともいっそう目立ってしまうから、流行とは言え誰でもというわけにはいかないと思った。

・こんなふうに外国に行って異文化にふれると、いろいろなことに気づき、とまどい、また興味を持たされる。今回の旅で感じたことはまだまだあるが、最後にもう一つだけ紹介しておこう。今回の旅では主に鉄道を使った。Brit Railパスを買って一等車の旅を楽しんだのだ。そこで気づいたのは駅に改札口がないことで、最初はこれでいいのかと思った。もちろん、車内では車掌が検札に回ってくる。しかしそれは日本でも同様で、なおかつ出入りには改札口を通らなければならない。人を信用することを前提にした制度だと言えるかもしれない。だからキセルをしたときには1000ポンドだったか1万ポンドだったか、高額の罰金が問答無用で科されるようだ。そう考えると、人を信用しない代わりに、不正をしても寛容な態度をとったりする日本の鉄道との違いがよくわかる。


・たとえば、同様のことは駅や車内での放送の量でもわかる。日本では、「白線の内側で待て」「降りる人が済んでから乗れ」「〜〜」とおせっかいがましいが、イギリスでは次の停車駅がどこかという放送もほとんどなかった。それはじぶんで判断しろということだろうが、旅行者にとっては大きな不安の種である。特にリバプールからブリストルまで行くときには、途中で3回も乗りかえたから、駅に着くまでに名前をチェックすることに気を使った。ところが駅名の表示にはまた次の駅が書かれていない。特急だったら意味はないといえばそれまでだが、違いというのはこうも徹底するものかと感心してしまった。


・こういう国ならたぶん、自己責任という意識は、誰に言われなくても当たり前のこととして認識されているだろう。それに比べると日本は自分の判断で勝手に動くなという社会で、自己責任は、それに背いたときの罰則的な言辞として使われる。そんなことが、事細かな経験の端々で感じられた。ついでに言っておくと購入した鉄道パスは4日間有効のもので、使用した日付を書き込むところがあった。1日目は車掌が「これが大事」といって書き込んだから、その後も車掌が書くものと思っていたら、誰も書き込まない。ずいぶんいい加減だなと思い、それをいいことに短距離の部分ではあったが2日もよけいに使ってしまった。後で旅行会社の人に話をすると、そこもやっぱり自分で書き込むべきところだったと言われてしまった。怪しまれて「何日使った?」などと問いつめられ。不正使用だと判断されたら1000ポンドの罰金だったかもしれない、と考えたらひやっとしてしまった。自己責任の意識が薄い証拠だと、つくづく実感させられた。

2005年9月6日火曜日

アイルランドのパブ

 

パブでギネスを飲みながらアイリッシュ音楽を聴く。それがこの旅の目的の一つだった。アイルランドで訪ねる都市はダブリンとコークで、ガイドブックにはどちらの街にも音楽が満ちあふれていると書いてあった。
けれども、コークの街を歩いても、あまり音楽は聞こえてこない。メインの通りはにぎやかで華やかだが、一歩はずれると閑散としていて汚かったりする。とにかく、工事中の現場が多い。アイルランドはEUに加盟してから観光都市づくりにがんばっていて、特にダブリンとコークは街の改造に忙しい。それでずいぶん便利になり、魅力も増えたのだろうが、古い建物が次々壊されコンクリートに変わっていくのは、ロンドンの煉瓦や石の家を見てきただけに、対照的に見えてしまう。街の整備を急ぎすぎているせいだろうか。あるいは修復困難なほど廃れた建物が多いということなのだろうか。


そんな街の所々に昔ながらのパブがある。昼間から開いていて、入り口にはほろ酔いばかりでなく泥酔気味の人が立ってタバコを吸っていたりするから、なかなか近づきにくい。もっとも目が合い、「ハロー」というと、素朴な顔に愛嬌のある笑顔が見えたりする。けれども、やっぱり警戒してしまう。昼間からこれだと夜はもっとやばいかも。などと最初のイメージは消えて、気持ちはどんどん退却を始めている。で一日目は、あちこちウロウロして結局入らずじまいだった。ライブはだいたい夜だけで、しかも9時過ぎがふつうのようだ。こちらに来てから、そんな遅くまで起きていたことがない。


目星をつけたパブに入る。三軒並びで左隣も同じ時間にライブをやる。開始は9時半からで「父と子」という名の二人組がやるという。パブの中は薄暗く、小便臭い。監視カメラのビデオモニターが二つもあって、客はまばらだ。カウンターの中にはセクシーな女性が一人。ギネスではなく、コークのマーフィーという黒ビールを注文する。1パイントで3ユーロ15セント。心地よい苦みですっと入っていく。

バンドは本当に父と子の組み合わせのようだ。父がギターを弾き歌を歌い、息子がベースをやる。アイリッシュ音楽ではないようでちょっとがっかりしたが、ギターのイントロを聴いてびっくり。ディランの曲から始まったからだ。父のコスチュームはヴァン・モリソン風で白髪に黒い帽子がよく似合っている。歌は2曲目も3曲目も、ずーっとボブ・ディランで、割と初期の知っている曲ばかりだったので、ついつい一緒に声を出して歌ってしまった。

ライブが始まると続々人が入ってきて、いつの間にか席は埋まって立ち見で一杯になる。踊り出す人もいてにぎやかだが、おもしろいのは文字通り老若男女が入り交じってディランの曲を口ずさんでいることだった。世代ギャップが当たり前の、日本ではこんなことはまずない。昼間危惧していた酔っぱらいのおっちゃんたちはどこに行ったのか、怖い雰囲気という最初の印象は完全に払拭された。「父」はディランを40分ほど歌って、休みもせずに次はジョニー・キャッシュを歌い始めた。こんな調子だと、ヴァン・モリソンもやるかもしれない。しかし、時間は10時半を過ぎていて、明日が早いから出ることにした。

"Legends of Irish Folk"

 

ireland6.jpg・ダブリンの宿は有名なトリニティ・カレッジの近くにあって、学生寮を夏休みの間だけホテルにしているところだった。だからホテルには当然あるべきものがない。ただ、繁華街のど真ん中にあるから便利さは一番だ。その学生寮から出て1分も歩かないところに大きなホール(Gaiety Theatre)がある。そこでアイリッシュ・フォークのコンサートをやっていることに気がついた。夜の8時からで、どうしようか考えていると、切符を買いませんか?と言ってくる人がいた。急に都合が悪くなったようだ。チケットはすでに売り切れているというから、売り場で本物かどうかチェックして買うことにした。
・このあたりはクラフトン通りという。観光用に再開発され、ブティックやレストラン、あるいはパブが並んでいるところだ。ストリート・パフォーマンスも多種多様で、観光客たちであふれかえっている。

ireland7.jpg・最初はもの珍しくあちこちぶらぶらしていたが、しばらくすると人混みに疲れうんざりしてきた。いかにも作られたという雰囲気で、きれいで華やかだが、その分、嘘くさい。昨日のコークの小便臭いパブが懐かしくなった。ダブリンはコークに比べたら人口も倍以上だが開発のスピードもまた恐ろしく早いようだ。都心には路面電車が開通したばかりだし、空港までの高速道路も建設中だ。しかし、最初から堅いことは言わずに、今日は観光客になって、夕食はジェームス・ジョイスが通ったというパブに入り、鮭のサラダとアイリッシュ・シチューを食べ、ビールはギネスを飲んだ。シチューは肉とニンジン、タマネギ、それと大きなジャガイモがごっそり入って、塩と胡椒だけの味つけのきわめて素朴なものだが、なかなかおいしかった。イギリス人もアイルランド人も、本当にたくさんジャガイモを食べる。おとといはコークで頭をとっただけで丸ごと蒸した鯛のような魚を食べたが、やっぱりその下にはマッシュしたジャガイモがごっそりのっていた。



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・で、メイン・イベントのコンサート。出演者のほとんどを僕は知らなかったが、アイルランドではよく知られた大御所たちばかりだったようだ。そして歌われた歌も、誰もが知っているものばかりのようで、最初から会場では手拍子や足拍子がおこり、ハミングやことばでの合唱がつづいた。客の大半はたぶん僕よりも年上の人たちで、いかにも懐かしそうに聴いていた。そのうちの何曲かは僕にもわかったが、それはヴァン・モリソンやシニード・オコーナー、あるいはチーフタンズやアルタンで知っているものばかりで、歌の感じは必ずしも一緒ではなかった。しかし、アイリッシュ・シチューのように素朴な感じがして、とても親しみを感じた。10年、20年、あるいは50年、100年前の歌が今でも歌われていて、若い世代もアレンジを変えて歌い継いでいる。アイルランドの音楽は一度消えかかったが、うまく復活したということが、よくわかった気がした。


・出演したミュージシャンは4人で、その年齢を足すと300歳を超えるという。とてもそうは見えない若々しいパフォーマンスだった。日本では考えられないことだが、僕はこのステージをごらんの通りフラッシュをたいて撮った。文句を言われるのではと冷や冷やだったが、何の注意もされなかった。偶然とはいえ、すばらしいコンサートに出会えて最高の経験だった。


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2005年8月30日火曜日

英国だより

 

uk1-1.jpg・イギリスに来て1週間ほどすぎた。地下鉄爆破事件などがあって心配したが、今のところ快適に過ごしている。確かに、地下鉄に乗ると、改札口や車両に警察官の姿が目立つ。目つきも鋭いから緊張するが、予測していたほどではない。もっともロンドンの地下鉄は駅によってはものすごく深いところにあるし、トンネルが小さく、電車も狭いから、かなりの圧迫感がある。何か起きたら一瞬でとんでもないパニック状態になることは、容易に想像がつく。事件が起きたときのキングスクロス駅は大変だったと思う。もっとも地下鉄は時折地上にも顔を出す。これは最初に作ったときが蒸気機関車で、煙を地上に出す場所が必要だったせいだ。何しろロンドンの地下鉄は日本が江戸時代だったときに作られたのである。
・二階バスはそれに比べたらずっと開放的だが、何しろ渋滞がすごくて、都心部ではいつになったら着くのやらという感じだし、ルートがなかなかわからない。なぜ二階なのかというのは知らないが、なかなか眺めはいい。特に最前列の眺めはパノラマで、運転手がかなり強引な運転をするからひやりとすることが多い。渋滞だからよけいに狭いところに強引に進入するし、自転車も多い。都心部に車を乗り入れると税金を取られるようだが、爆破事件以後に車を使う人が増えたのだろうか。
・気にしていたことはもう二つ。誰に聞いても食事がまずいと言っていたから、期待はしなかったが、とんでもなくまずいものを食べるのは避けたいと思ってきた。で、今のところ、特にまずいものにあたってはいない。というより、おいしいものの方が多い。イタリアンははずれがないし、コンビニで買うサンドウィッチも、日本で買うのよりましだと思う。一つ気がついたのは、何でも薄味なことだ。ただそれは、好みで塩や胡椒やビネガーを足せばいい。ただ問題は物価高だ。1ポンドは200円ちょっとだが、値段を見る限りは100円で計算した方がいいほどで、カフェで珈琲とサンドウィッチを注文しても10£ (2000円+α)もする。いったいイギリス人の平均収入はどのくらいなのだろうか。

uk1-2.jpg・イギリスの食事がまずいという評判は、もちろん最近のものではない。ジョージ・オーウェルがそれに反論して、イギリスを代表する料理として「プディング」と「パイ」の種類の多さをあげている。確かにそうで、いろいろなものがある。豚の血を固めた「ブラック・プディング」は見た目はともかく、なかなかの美味だった。「プディング」と「パイ」の違いは前者が蒸したもの、後者が焼いたものだと思っていたが、必ずしもそうでもないようだ。オーウェルが美味の代表としてあげていた「ヨークシャー・プディング」はまだを食べていないが、どう見てもパイだ。食べたのは、パイ皮に野菜や肉や魚、そしてチーズを入れて焼いたコニー・ペイスティ。イギリスの南西部のポピュラーな食べ物で油っぽいけど、暖かいうちはおいしい。
・気になっていたもう一つの点は、タバコだった。飛行機では吸えないし、成田空港でも吸える場所が少ないことはわかっていた。だから、飛行中の12時間+αは我慢をしなければならないと覚悟しいていたのだが、問題はイギリスに着いてからどの程度吸えるのか、ということだった。で、結果はというと意外なほどである。街中での歩行喫煙が多いし、吸い殻のポイ捨ても当たり前である。アメリカとはずいぶん違うし、最近の日本とも違う。ただ、一歩屋内にはいると、どこでも全面禁煙に近い。だから、吸うのはもっぱら外でだが、今のところイギリスに着いてから2箱目で、1日5〜6本しか吸わない。吸えなければそれで仕方がないという感じだから、これを機会にタバコをやめるのは難しくないと思う。
・イギリス人は歩きながらや電車の中での摂食行動を平気でやると言われている。確かに目につくし、ロンドンでは電車やバス、あるいは歩行中の携帯も気になった。手の爪にマニキュアを塗って、周囲にシンナーの臭いをかがしている女性もいたから、公共の場での対人儀礼にはアメリカ人ほど気を使わないのかもしれない。もっとも、ロンドンですれ違う人たちの人種の多様さはアメリカ以上で、価値観や習慣の違いにどう折り合いをつけているのか興味を持った。

uk1-4.jpg・最後に建物と街の雰囲気について。とにかく建物のほとんどが石と煉瓦でできていて、その赤や黄色の色合いが美しいし、また趣がある。コンクリート・ジャングルとはだいぶ違う雰囲気を作っていて、街の印象としては東京とはだいぶ違うと思った。どこに行っても大学のキャンパスのよう、と言ったらわかりやすいだろうか。新しい建物ももちろんあるが、多くは数百年前に建てられている。汚れが目につくが、それほど汚い感じはしないし、色を塗ってまた感じを変えていたりする。すぐに壊して作り直しという日本人の発想とはだいぶ違うことが一目でわかる。そういえば、いろいろなものを修理する店も多い。
・もっとも、建物の屋根にはたくさんの煙突が並んでいて、かつてはそのすべてから、もくもくと煙がでていたことも想像できる。ロンドンがスモッグの街と呼ばれた名残だし、森林のほとんどを伐採してしまった原因の一つでもある。イギリスの気候は日本に比べると、夏涼しく、冬は暖かい。それでも冬の暖房が欠かせなかったのは、石や煉瓦の建物のせいなのかもしれない。また、住宅は長屋が基本で、それぞれがあまり大きくない。これも、石の家だからこそ、容易に建て増しなどはできないということなのか。
・などと、いろいろ気づいたこと理由を考えながら、のんびり旅をしている。ネットにつなげる機会があれば、また近いうちにアップするつもりだ。次回は「アイルランドだより」になるかもしれない。

2005年8月22日月曜日

やれやれ、今度は………

 ・ステレオに続いて、Power Bookが故障した。数日前から、おかしい症状はあった。それに発熱がすごくて、さわると熱いほどだった。ディスク修復などしてみてもダメで、さっそくAppleのサポート・センターに電話をした。例によってなかなか繋がらない。やっと繋がると、アドバイスは有料でチケット購入が必要だから、HPのTIL(技術情報欄)に載っている対処方法を試せと言う。もう長いことマックを使っているから故障の原因がソフトかハードかは感覚的に分かる。だから修理に出したいと言ったのだが、試してからもう一回電話をしろという。ムッとして電話を切った。


・書いてあることは一応試したが、全部ダメ。それでまた電話をすると、まだ幾つか対処法があるので試せと言う。こちらがハードの故障だと言っても認めない。それでまた電話を切って、やってみたのだが効果なし。で、3度目の電話。なかなか繋がらない。


・繋がると、最後にもう一回、電話を切らずに試して欲しい対処法があると言う。いい加減にしろと思ったが、相手の受け答えが前の二人より丁寧だったから素直に従った。しかし、やっぱりダメ。それでやっと、ハードディスクの故障だと判断してもらい、発送の手順などに進んだ。この間、4時間余り。イライラして胃が痛くなってきた。マックが不調の時に出る症状で、1年ぶりのことだった。不幸中の幸いで1年保証の期限切れ半月前。修理の受付にハードルを課したのは、そのせいかもしれないが、何とも面倒なことである。


・すっかり食欲もなくなったのだが、食事の最中に見た夜のテレビで、暑さでパソコンがダウンするケースが急増しているというニュースをやっていた。河口湖は30度にもいかないが、今年は湿気が多くて蒸し暑い。発熱量が多いのはPower Bookの基本的な欠陥だから、日本の夏に弱いのはあたりまえだろう。去年の夏はデスク・トップのマックが壊れて、いそいで同じ型の中古を探したから、夏は鬼門の時期なのだとあらためて思った。


・故障はこれで何とかなるのだが、保存したデータは全部取り出せない。外付けのハードディスクにバック・アップしているが、ここ数日のものはダメだ。読書ノートをかなり打ちこんだが、それもやり直し。ブラウザーのブックマークや保存したメールもだめ。戻ってきたら、ソフトも入れ直しで、考えるとうんざりしてしまう。戻ってくるまではipodの同期もできないし、ディジタル・カメラもだめだ。
・その読書ノートだが、『ヘンリー・ソローの日々』という伝記があった。700頁を超える大著で9500円もしたが、書き抜いたノートも多かった。仕方ないから、またやり直し。大変だが、書き抜く文章には、心を落ち着かせよ、と諭すものが多い。

風が葦の間で囁くのが聞こえるだけの、池の近くで、すぐにでも暮らしたい。自分を置き去りにできれば成功だろう。しかし、友人たちは、そこへ行って何をするのかたずねる。季節の移りかわりを見るだけでも十分に、仕事ではないだろうか。(p.181)
・『ヘンリー・ソローの日々』は翻訳されたばかりだが、書かれたのは1962年で、著者のウォルター・ハーディングは「ソロー協会」の会長でもある。だから、ソローが書き残したノートやメモを駆使した詳細な伝記に仕上がっている。ソローがある講演でした自己紹介を読んで笑ってしまった。僕もこういう自己紹介がしてみたい、と思った。
怪物の頭を幾つか紹介しましょう。学校教師、家庭教師、測量士、庭師、農民、ペンキ屋、大工、石工、日雇い労働者、鉛筆製造業、紙ヤスリ製造業、作家、時には三文詩人のこともあります。(p.323)
・家のまわりに摘んだ薪に棒を立てかけて朝顔を植えた。もう3年目だが、それが8月になって咲き始めた。今は毎朝20〜30の花を咲かせている。モンゴル産の朝顔で気候があっているせいか、雑草の伸びにも負けずに成長する。ムクゲも花盛りで、こちらも一日咲いたら落ちてしまうが、次々と花を咲かせている。




・部品待ちとかで10日も待たされたPowerBookが、やっと戻ってきた。あんまり遅いから電話をして、催促した結果だった。旅行にもっていけるのでホッとしている。やれやれ………。

日時:2005年8月22日 

2005年8月15日月曜日

Sinead O'connor "Sean Nos Nua"

 

sinead1.jpg・シンニード(シネイド)・オコーナーはアイルランドの歌姫と形容されたりする。けれどもまた、人騒がせな過激な言動でもよく話題になる。たとえば、僕が彼女を最初に知ったのは、BSで見たボブ・ディランの30周年記念コンサートだった。ヤジの中をステージに出て沈黙。全員がディランの持ち歌を歌うはずが、一人だけ、ボブ・マーリーの「ウォー」をアカペラで歌った。終わると泣きながら舞台の袖に行き、待っていた司会役のクリス・クリストファーソンに抱きかかえられて、その胸でまた、ひとしきり泣いた。ヤジの理由は、テレビ出演時に、妊娠中絶を認めないローマ法王に抗議して、その写真を破り捨てた行動にたいするものだった。坊主頭に鋭いまなざしと、それとは裏腹の涙。強さと弱さの混在。僕にとってのシンニードの印象は、そのとき以来変わっていない。
・彼女の歌にも、同様のアンバランスさがある。そして、過激なメッセージよりは素直なラブソングにいいものが多い。たとえば"Nothing compared to you"。プリンスのつくった曲だが、シンニードの代表曲になっている。

あなたがここにいないのは
歌わない鳥のようにさみしい
医者は楽しいことをしなさいというけれど
ばかなこと
あなた以上のものはなにもないのだから

sinead2.jpg・"Sean Nos Nua"はアイルランドの伝統音楽を素材にしている。ダブリン育ちの彼女にとっては足元を見つめ直すといった作品だが、ゲール語で古いスタイル(Sean Nos)と新しさ(Nua)を意味するタイトルに見られるように、彼女自身の雰囲気をのこしたアルバムに仕上がっている。ジャケットには庭のハーブに囲まれた、ちょっと太って顔も温和になった彼女が映っている。もっとも彼女は最近引退を宣言して、引退盤と銘打った"She who dwells in the seacret place of The Most ........"という長いタイトルの2枚組みのアルバムもだした。一枚はダブリンでのライブで、収録されている曲の多くは伝統音楽である。感情をおさえた静かな歌い方だが、歌詞には悲惨なアイルランドの歴史が刻みこまれたものもある。

飢えに苦しみ、貧しさに打ちのめされている
だから、アイルランドを出ようと考えたんだ
馬と牛、それに子豚と雌豚を売った
父から譲り受けた農場も手放した
………………
アメリカへ
"Paddy's Lament"

・アイルランドの民謡はアメリカのフォークソングの源流の一つになっている。移民が持ち運んだものだが、移住の最大の理由は貧困と飢えだった。特に19世紀半ばの飢饉には、ジャガイモがほとんどとれなくて餓死者が続出した。それをきっかけに増えた移民と合わせて、アイルランドの人口は20世紀の初めには4分の1に減少したと言われている。音楽もすっかり衰退したのだが、その伝統がアメリカで生きながらえ、20世紀の後半に里帰りして復活した。だから、現在歌い演奏されている民謡にはアメリカの匂いがして、そのぶん聞きやすく、入りこみやすい。ヴァン・モリソンやU2など、ロックの大御所がやっても全く違和感がない。シンニードのアイリッシュ音楽も同様に、彼女の歌そのものになっている。まさに「伝統の発明」の見本といえるだろう。引退も撤回したようだから、まだまだ歌い続けてくれるだろう。

joseph.jpg・シンニードには作家の兄がいる。ジョセフ・オコーナーで、日本でも数冊が翻訳されている。その『ダブリンUSA』(東京創元社)はアメリカにあるダブリンという町を訪ね歩く旅日記だが、同時に、アメリカとの関係を意識せざるをえないアイルランド人の、アイデンティティ探しになっている。ジョセフにとってのきっかけは、子どものときにアイルランドで見かけた陽気で太ったアメリカ人たちで、彼らが歌うアイルランドの歌にたいする違和感だった。ジェット機でやってきて、地元の人にはつらくて歌えない深刻な歌をアメリカ・ヴァージョンで夢中で歌う。反感をもつ人がおおかったが、ジョセフにはかえって、それが魅力的に映った。彼は米国を縦断する旅で、アイルランド移民の残した足跡の多さや大きさに驚く。それはアメリカにあるダブリンという9つの町、という以上のものである。
・ジョセフ・オコーナーの最新作は"Star of the Sea"という。1847年の飢饉でアメリカに逃れたアイルランド人たちが主人公のようだ。題名はそのとき乗った船の名で、船のなかでくり広げられる人間模様が主題らしい。アイルランドに行ったら探して買おうと思っている。(2005.08.15)

2005年8月9日火曜日

ジャンクでステレオ探し

 

・少し前からステレオの調子が悪くなった。イコライザーの電源が入ったり、入らなくなったりし始めたのだ。昔からの習慣で、ちょっとたたいてみるとライトがついた。そんなことを数日くりかえしているうちに、たたく回数や強さが必要になってきた。上からではダメで、横から、あるいはひっくりかえして裏からと、だんだんエスカレートした。たたきながら、壊れるのは時間の問題だと思った。しかし、聞こえるようにするためにはたたくしかなかった。ねじをはずして中を見たが、どこが悪いのか見当もつかなかった。
・もっとも、何年も前からぼちぼち寿命になるかもとは感じていた。サンスイのシステム・コンポで、京都の寺町の電気街で買ったものだが、すでに15年ほどたっている。もっているCDは1000枚をこえたが、オーディオ・マニアではないから、音には十分満足してきた。特に河口湖に越してからは野中の1軒屋だから、マンション暮らしでは考えつかなかいほどの大きな音も出せる。それに、ログハウスで傾斜の強い屋根が幸いしたのか、音の響きがものすごくいい。高級オーディオ装置などは必要ないと思っていた。
・とは言え、なしではすまないから、代替品を探さなければならない。ネットで価格コムをのぞくと、4,5万円でそれなりのアンプ(CD+ラジオ・チューナー)は手に入りそうだとわかった。しかし、ついでにとMcintoshやAccuphaseといったメーカーの製品を見たのがいけなかった。一桁違う。しかも音は全然違うといったコメントがたくさん書き込まれてある。「この際、思い切って!」と、ついつい考えてしまう。スピーカーの配置まで想像し始めると、もうたまらない。一方で、イコライザーはたたいても、たたいても、なかなかいうことを聞いてくれなくなっていく。Mcintoshか Accuphaseか、迷うな……。
・しかし、「いやいや、もったいない」という声が水を差す。喫茶店を開くのならともかく、一人で聴くのに数十万円の投資は浪費以外の何ものでもない。スピーカーやらCDプレイヤーなどそろえたら、軽く百万円をこえてしまう。そう思うと、確かにそのとおり。ぼくは高級品を集めてにんまりするようなマニアではない。それでは、中古品はどうか。Yahooのオークションをのぞくことにした。そうすると、あるはあるは、さまざまなメーカーのさまざまな機種がつぎつぎと出てきた。McintoshやAccuphaseも半値やそれ以下の値段で並んでいる。けれども、一番気になったのは、もう倒産したサンスイの製品が異常に多かったことだ。Sansuiなら、いま聴いているステレオと同じだ、と思ったら、妙に親近感が湧いてきた。
・中古品の世界では、Sansuiは別格らしい。会社がつぶれて新製品がないせいもあるようだが、根強い人気は何より、その性能にあるらしい。10年も前に製造されたものでも、最高級でしかも限定モデルだったりすると10万円もしたりする。たとえばAU-X111MOS VINTAGE。もう20年も前に発売されたもので、その時の値段が33万円だったから、骨董品扱いのようである。へエー、と驚いたが、これはもちろんパス。大きさや重さ、品数の多さからAU-607のシリーズがいいと思った。しかし、これにもいくつも種類がある。値段も数百円から数万円まであって、説明を読んだだけでは違いがよくわからない。完動品とか美品と書いてあっても果たしてどれだけ信用できるものかどうか。保証なしで返品お断りが多いから、数千円のものでも即決というわけにはいかない。で、ここでまた思案することになる。
・買い物に出かけたついでに「HARD OFF」をのぞいてみた。そうしたら、オークションで見たのと同じものがジャンク品として売られていた。12000円。ジャンクにしてはかなり高いが、特に問題はないと書いてある。同じ機種で8000円の方はヴォリュームにガリありとか、左右のバランスに難ありと書いてある。だったら高い方かと思ったが、保証はないというから買わずに帰ってきた。それでまたYahooオークションを一眺め。そしてまた思案……。
・信用できないとは言ってもマックのpsプリンターだって、いま使っているPowerPCだって、壊れて困ってネットで買って、それぞれ快調に働いている。新品なら数十万円のものをそれぞれ3万円程度で買ったのだ。そう考えたら、迷うことはないと思い始めてきた。
・結局、「HARD OFF」で買ったのだが、コードやケーブルを接続して音を出してビックリした。音が全然違う。ヴォリュームをあげても割れないし、絞ってもクリアに聞こえてくる。スピーカーもCDもラジオ・チューナーもレコード・プレーヤーも、まるで新しくしたかのようだから、うれしくなってしまった。もちろん、年代物だからいつ壊れてもおかしくない。しかし、この値段なら、1年ももてばおつりが来る。というわけで、いつにもまして大きなボリュームで聴いている。もうほとんど聴かなくなっていたレコードなども引っ張り出してかけると、これもまたなかなかいい。だったら同じものをCDで買ったりしなければよかった、などと思ったりしたが、それはipodのためだったと思い出した。