・シンニード(シネイド)・オコーナーはアイルランドの歌姫と形容されたりする。けれどもまた、人騒がせな過激な言動でもよく話題になる。たとえば、僕が彼女を最初に知ったのは、BSで見たボブ・ディランの30周年記念コンサートだった。ヤジの中をステージに出て沈黙。全員がディランの持ち歌を歌うはずが、一人だけ、ボブ・マーリーの「ウォー」をアカペラで歌った。終わると泣きながら舞台の袖に行き、待っていた司会役のクリス・クリストファーソンに抱きかかえられて、その胸でまた、ひとしきり泣いた。ヤジの理由は、テレビ出演時に、妊娠中絶を認めないローマ法王に抗議して、その写真を破り捨てた行動にたいするものだった。坊主頭に鋭いまなざしと、それとは裏腹の涙。強さと弱さの混在。僕にとってのシンニードの印象は、そのとき以来変わっていない。
・彼女の歌にも、同様のアンバランスさがある。そして、過激なメッセージよりは素直なラブソングにいいものが多い。たとえば"Nothing compared to you"。プリンスのつくった曲だが、シンニードの代表曲になっている。
あなたがここにいないのは
歌わない鳥のようにさみしい
医者は楽しいことをしなさいというけれど
ばかなこと
あなた以上のものはなにもないのだから
・"Sean Nos Nua"はアイルランドの伝統音楽を素材にしている。ダブリン育ちの彼女にとっては足元を見つめ直すといった作品だが、ゲール語で古いスタイル(Sean Nos)と新しさ(Nua)を意味するタイトルに見られるように、彼女自身の雰囲気をのこしたアルバムに仕上がっている。ジャケットには庭のハーブに囲まれた、ちょっと太って顔も温和になった彼女が映っている。もっとも彼女は最近引退を宣言して、引退盤と銘打った"She who dwells in the seacret place of The Most ........"という長いタイトルの2枚組みのアルバムもだした。一枚はダブリンでのライブで、収録されている曲の多くは伝統音楽である。感情をおさえた静かな歌い方だが、歌詞には悲惨なアイルランドの歴史が刻みこまれたものもある。
飢えに苦しみ、貧しさに打ちのめされている
だから、アイルランドを出ようと考えたんだ
馬と牛、それに子豚と雌豚を売った
父から譲り受けた農場も手放した
………………
アメリカへ
"Paddy's Lament"
・アイルランドの民謡はアメリカのフォークソングの源流の一つになっている。移民が持ち運んだものだが、移住の最大の理由は貧困と飢えだった。特に19世紀半ばの飢饉には、ジャガイモがほとんどとれなくて餓死者が続出した。それをきっかけに増えた移民と合わせて、アイルランドの人口は20世紀の初めには4分の1に減少したと言われている。音楽もすっかり衰退したのだが、その伝統がアメリカで生きながらえ、20世紀の後半に里帰りして復活した。だから、現在歌い演奏されている民謡にはアメリカの匂いがして、そのぶん聞きやすく、入りこみやすい。ヴァン・モリソンやU2など、ロックの大御所がやっても全く違和感がない。シンニードのアイリッシュ音楽も同様に、彼女の歌そのものになっている。まさに「伝統の発明」の見本といえるだろう。引退も撤回したようだから、まだまだ歌い続けてくれるだろう。
・シンニードには作家の兄がいる。ジョセフ・オコーナーで、日本でも数冊が翻訳されている。その『ダブリンUSA』(東京創元社)はアメリカにあるダブリンという町を訪ね歩く旅日記だが、同時に、アメリカとの関係を意識せざるをえないアイルランド人の、アイデンティティ探しになっている。ジョセフにとってのきっかけは、子どものときにアイルランドで見かけた陽気で太ったアメリカ人たちで、彼らが歌うアイルランドの歌にたいする違和感だった。ジェット機でやってきて、地元の人にはつらくて歌えない深刻な歌をアメリカ・ヴァージョンで夢中で歌う。反感をもつ人がおおかったが、ジョセフにはかえって、それが魅力的に映った。彼は米国を縦断する旅で、アイルランド移民の残した足跡の多さや大きさに驚く。それはアメリカにあるダブリンという9つの町、という以上のものである。
・ジョセフ・オコーナーの最新作は"Star of the
Sea"という。1847年の飢饉でアメリカに逃れたアイルランド人たちが主人公のようだ。題名はそのとき乗った船の名で、船のなかでくり広げられる人間模様が主題らしい。アイルランドに行ったら探して買おうと思っている。(2005.08.15)
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。