・田村さんは数年前に大学を定年退職されている。しかし、その元気さは相変わらずで、連絡があるたびに、何処どこへ出かけてきたといった話をされる。最近ではもちろん、取材や研究ではなく漫遊旅行が多いようだが、そのフットワークの軽さには驚かされる。出不精の僕にはとても真似の出来ないことだが、新しく書かれた本を読んで、そのことを一層痛感した。
・『海外の日本語メディア』は海外に移民した日本人とその記録を追いかけた、彼の研究の集大成といえる内容になっている。登場するのはカナダからアルゼンチンまでの南北アメリカ大陸と東南アジアで、彼はそのすべての国に出かけ、日系人にあってインタビューをし、残存する日本語新聞を探している。もちろん、その一つひとつについて、すでに本としてまとめられたものがほとんどだが、一冊にすると、あらためて、その精力的な仕事ぶりに感心してしまった。
・日本人の海外移民には、さまざまな理由がある。貧しさからの脱出や一攫千金の夢を抱いてというのが一般的に知られているが、留学や思想的な理由といったものも少なくなかった。特に日系移民を読者にした日本語新聞の発行に携わった人の中には、後者の人たちが多かったようだ。中には、海外から日本の政治や社会の状況を批判するための海外脱出といった例もある。このような多種多様さが、国や都市によって特色づけられる。
・例えば、それは倒幕と明治維新の時代から始まる。榎本武揚がメキシコに作ったコロニアル、自由民権運動への明治政府の抑圧を逃れた志士がサンフランシスコ周辺で発行した新聞、あるいは大正時代の売れっ子作家だった田村俊子と鈴木悦のバンクーバーへの逃避行と、現地での労働運動を目的にした『日刊民衆』の発行といった話もある。第二次大戦中にはアメリカはもちろん、カナダや南米の日系人も敵国人ということで住む土地から立ち退きを命じられ、財産を没収されて強制収容された。田村さんは、その収容所を訪ねて、カナダのバンクーバーから小さなプロペラ機に乗り、レンタカーを運転して、カズローという地図でも見つけにくい小さな街に出かけている。
・海外で発行される日本語新聞は、もちろん、移民した先のことばになれない日本人のために作られた。ところが二世、三世と世代交替が進むと、日本語をほとんど使わない日系人が多くなる。移民と日本語メディアとの関係は、そういう推移の中で役目を終えるのが一般的のようだ。だから、すでに廃刊されてしまった新聞を見つけだすのは大変な苦労をともなうことになる。
・また、ブラジルのように、日系人の二世や三世が日本に出稼ぎに来るようになって、日系人のコロニアル(コミュニティ)自体が脆弱化してしまったといった例もある。日本から海外へ移民といったことがなくなった現在では、海外の日本語メディアは、当然、その性格を大きく変えて存在すると言うことになる。海外駐在員、転勤族、留学生、そして観光客を受け手にした新聞や雑誌といったものになるし、インターネットが普及した現在では、HPやブログの役割も大きなものになっている。
・ざっと読み通して、時間的にも空間的にも大きなテーマをうまくひとつの世界にしていると感じた。しかし、ここで書かれているテーマにはまだまだ多様な側面があるし、未発掘の資料も少なくない。だから、田村さんはこれが端緒としての一冊にすぎないという。たしかにそうかもしれないと思う。けれども、今後、彼ほどにエネルギッシュでしかも持続的に「海外の日本語メディア」を追いかける研究者が果たして出るだろうか、とも思う。