2009年4月19日日曜日

いつもと違う春

 

forest74-1.jpg

・今年は冬がなかったといってもいい。例年なら白く被われて凍りつく森が、ずっと茶色のままだった。スリップを注意しながら車を運転することもほとんどなかったし、通勤時の雪を心配することもなかった。楽といえば楽だがちょっと拍子抜け。

forest74-3.jpg・灯油の値段も数年前の価格に戻って安心したが、薪が豊富にあるので、4ヶ月以上、火を絶やさず燃やし続けた。だから灯油の消費量は例年の半分ほどですんだ。使い続ければ煤がたまる。当然、薪ストーブのメンテナンスは例年以上で、煙突の出口にたまったタールの除去で急傾斜の屋根に何度も登った。
・ストーブにはコンバーターがついていて、酸素の供給をしぼって還元状態でじっくり燃やすことができる。ところがそれにすると煙が漏れてくるので、コンバーターをつけ替えることにした。商品をネットで検索すると4〜5年で交換と書いてある。もう9年も使っていたから、劣化するのは当然で、はずすとものすごい量の灰がつまっていた。で、新品に交換すると嘘のように温度が上がった。ストーブの上に置いたヤカンがすぐに走り出すように沸騰する。おかげで、加湿器も静かに運転することが多くなった。

forest74-2.jpg ・そのストーブも、すでに使わなくなって1週間以上経つ。煙突をはずして、煤落としもした。例年ならゴールデンウィークまで使うのに、ここのところの気温は連日20度を越えている。まだ寒くなって火をつける日もあるのだろうが、一応、お役目ごめんにした。
・植物の出足も早くて、蕗のとう、片栗、そして富士桜と続いた。東京の桜が散ってもまだ、こちらはつぼみだったはずなのに、あっという間に満開になって、数日で散ってしまった。東京の桜が長かったし、咲き始めたあと寒くなって満開までに2週間ももった去年に比べると、何ともあっけない感じがした。山の新緑も当然早い。「萌え」というのはこのことを言う。命の再生。新鮮で崇高な気持ちになる。

forest74-4.jpg・葉が茂ってBSアンテナの邪魔をしていた栗の木を切った。一人では大変で、院生のK君が来た時に手伝ってもらった。大木に育ってしまったから、倒す方向を決める必要がある。ロープをつけてコントロールしようとしたが、狙いとは違って、結局、木は傾いている方に倒れてしまった。ひやっとしたが、運良く、物置を避けてくれた。やれやれ………。
・薪を使わなくなったので、来年に備えて場所の移動をはじめた。ほぼ乾いた木を日の当たらない場所に移し、生木を南側に並べる。南側の壁をあけるのに3日かかった。空けた場所に積む生木は、これから少しずつ、東京から車で運ぶ。造園業で働く知人が、仕事で伐採した木を切って割って並べて置いてくれる。21万キロを超えたレガシーに、今年もがんばってもらわなければならない。

2009年4月12日日曜日

テレビで見たくない顔

・ニュースを見ていて、思わずリモコンに手が行く機会が増えた。見たくないのは自民、民主を問わず、政治家が映しだされた時だ。首相も大臣も野党の党首も、その顔を見ただけで反吐が出るほど不愉快になる。そろいもそろって、よくもまあ、これだけひどい人間を集めたものだと思う。そう思うようになったのには、もちろん、ここ数年、そして特にここ数ヶ月の、ひどい政治状況がある。国民の8割が支持しない総理大臣が、支持率など気にしないと言って、にやにやしながら続けている。政権交代を目指す民主党も、党首の政治資金問題で大揺れだ。選挙は、当人たちにとっては一大事であるかもしれない。けれども、どの顔を見ても次の選挙では負けて、消えて欲しいと思うだけだ。

・とは言え、政治にも無関心で知らん顔というわけにはいかない。政治家や官僚たちが、人気とり目当てに支離滅裂な政策を乱発しているからだ。たとえば、高速道路料金が土日に1000円になった。休日には高速道路を使って遠距離旅行を楽しんでくださいという趣旨だ。これまでも、高速道をが渋滞するのは土日や祭日だったのに、その渋滞がさらにひどくなる。ガソリンの値段は落ちついたが、だからといって無駄に消費してもよくなったわけではない。そのうえ、新車の購入に税金の優遇措置をする政策も登場した。景気を刺激する補正予算は15兆円で国債でまかなうから、その発行額は44兆円にもなるという。1年の税収を上まわる額で、いったい何を考えてるのか、と呆れるばかりだ。次の選挙で勝つことしか頭にない。それが見え見え、というよりは、それしかないのを露骨にしても恥じる顔も見せないという態度には、嫌悪以外の何も感じない。

・不景気になってテレビの広告収入も激減したようだ。だからどの局も番組の改編に懸命だった。しかし、相変わらずのバラエティとタレントたちで、ニュース番組にもかわいいだけの女子アナを抜擢したりしている。その無知さ、意見のなさに見ている方が恥ずかしくなった。で、当然、そのニュース番組はもう見ないことにした。視聴率ではNHKががんばっている。それも内容のある番組に関心が向いているという。特集やBSの番組など、僕も見ているものが少なくなかったから、バラエティやクイズ形式の制作が飽きられているのは明らかなのに、内容を充実させることができないのは、すでに民放にはその力がないということなのか、と考えてしまう。

・WBCがあって、今年は春先から野球中継をよく見た。おもしろかったがただひとつ、はじまる前からのイチローの発言には、「いい加減にしろよ」と言いたくなることが多かった。自分が日本チームのシンボルであることを当然視した、その自信過剰な態度に嫌気がさして、彼の顔が映った瞬間に、やっぱりリモコンに手がいった。ところが試合が始まると、イチローは絶不調で、その発言も混乱したり、口ごもったり。最後に優勝の瞬間を作りだして体面は保ったが、胃潰瘍で出血があったようだ。自意識過剰で目立ちたがりの性格が災いしたことは明らかだが、これを機会に改めるといったことは、おそらくないのだろうと思う。

・「ハニカミ王子」から「遼君」に名前が変わった少年ゴルファーへの注目も異常だ。他の選手が出ていていい成績を出しているのに、そのことには触れずに、予選落ちした彼ばかりを追いかけている。だからゴルフのニュースになるとまたリモコンに手が行く。矢沢永吉のビールやテレビのCMも見たくない。音楽を忘れてテレビで稼ぐ。テレビに出てくるミュージシャンは、そんな連中ばかりだが、彼らには「ロッカー」などと口にする資格はとっくになくなっている。

・こんな具合だから、民放のテレビはますます敬遠するようになっている。わずかに残ったニュース番組を見なくなるのも、時間の問題だな、と思う今日この頃である。

2009年4月6日月曜日

U2とSpringsteen


・オバマ大統領の就任コンサートに登場したU2とスプリングスティーンがそろってアルバムを出した。で、どちらもなかなかいい。U2はアフリカの貧困問題に多くの時間と労力を費やし、スプリングスティーンは、ブッシュを辞めさせるために前回の大統領選挙から先頭に立って活動してきた。最近ではそういった話で名前が出ることが多かったが、本業の音楽でも健在であることを主張した作品に仕上がっている。

U2.jpg ・U2の"No line on the holizon"は5年ぶりのアルバムだ。前作の"How To Dismantle An Atomic Bomb"はタイトル(原子爆弾を廃絶する仕方)通り、直接的なメッセージ色の強いものだったが、今回のタイトルは「地平線に線はない」と比喩的である。海や大地と空をわける地平線は確かに彼方に見えるものだが、実体として存在するものではない。それはちょうど、地図に引かれた国境線のようなものだし、肌の色のちがいや民族や階級の違いという観念にも共通するものだ。「そんなものはないって、想像してごらんよ」と歌ったジョン・レノンの"Imagine" を思い起こさせるメッセージである。当然、収められた曲のどれにも、直接的に訴えるメッセージはない。けれども、それは歌詞の端々に感じとれる。


この乾いた大地では どんな果物も育たない
三日月(イスラム?)の下で笑うのはケシの花だけだ
道路はよそ者を拒み 大地は蒔いた種を拒絶する
そこで見つけるのは、雪のように白い子羊だ
"White as snow"


・歌詞カードを見ながら聴いていてまず思ったのは、アフリカや中近東を歩き回って見聞きしたこと、感じたことが一枚の写真のように歌詞の中にちりばめられているという印象だった。だからどうしろというのではなく、こんなものを見た、こんな人にあった、こんな話を聞いた、といった描写に徹している。もちろん、メロディは美しく、声はつややかで、サウンドは激しく、また静かでもある。

私はまさに底の真上にいる
既知の宇宙の縁で、ここに来たいと思った
不慮のシーンに車を走らせて、私は私を待っている
"Unknown Caller


bruce4.jpg ・スプリングスティーンの"Working on a dream"はブッシュからオバマに変わった歓びの歌のようだ。それはたとえば、いきなり「驚き」を16回も繰りかえす "Surprise"にはっきりと感じとれる。U2と違ってスプリングスティーンは2005年以来、毎年のようにアルバムを出している。その精力的な仕事の中で歌い続けているのは、現状への批判と、諦めてはいけないという励ましだ。こんなではなかった昔を思いだすこと、夢を持ちつづけること。悪くなればよくなることもある。明日はだれにもわからないのだから。こんなメッセージが連続する。
・もうひとつU2と違うのは、スプリングスティーンの描く世界は、アメリカ一色だということだろう。それは良くも悪くも彼のこれまでの歌に一貫したものだ。その単純さに、時に辟易するが、またその素直さに心引かれる。このアルバムの1曲目の "Outlaw Pete"は無法者ピートの物語だが、"Can you hear me?"という印象的なフレーズが何度も繰りかえされる。それは誰より、スプリングスティーン自身からの呼びかけのように聞こえてしまう。だから、いつでも「あー、ちゃんと聴いてるよ」とつぶやきたくなる。
・前作の"Magic"について触れた時に、他のディランやジャクソン・ブラウンやジェームス・テイラー、そしてデーブ・メイソンやサウザーに比べて、ジャケットの写真が若すぎると書いた。だからこそ驚いたのだが、付録のDVDに登場する顔はしっかり老けていて、別人のようだった。もちろん、僕には、親近感が感じられた。 
 

2009年3月30日月曜日

大学のテキスト

 

・大学で勉強する時間とエネルギーの半分以上は、自分で本を読むことに割くべきである。新学期の開始時に必ず話してきたことだが、伝わらないな、という印象を年々、強く感じるようになっている。疑問を感じたこと、興味をもったことについて、自分が選んだ学部、ということは専門領域に目をむけて、そこから参考になりそうな本を見つけだす。そんなことをする学生は、少なくとも学部レベルでは、僕が知る限りもうほとんどいないと言っていい。

・もちろんゼミでは、卒論を書き上げるために、自分が選んだテーマに関連して、何冊も読むことになるのだが、放っておくと、ネットで簡単にすまして読まずじまいといった例も目立ってきた。しかも、そこに横着をしているといった自覚がほとんどないのも最近の特徴で、ネット(ケータイ)とコンビニで育った世代の典型的な傾向だな、とつくづく感じてしまっている。

・こういった、何でも手軽にすまそうとする意識を何とか変えてやろうと思うのだが、歳とって、気力も体力も衰えて来たことを実感する身としては、もう面倒だと諦めの気持ちにもなってしまう。けれども、大学で教員の仕事を続ける限りは、できる限りのことはやらなければ、と思い直すこともある。その一つは、授業に準拠して使いやすいテキストを自前で作ることだ。

・もうすぐ新年度がはじまるが、去年から担当している「コミュニケーション論」を多数の学生が受けている。大勢の学生に興味をもって聞いてもらえる講義をするのは大変だが、そのために、内容をまとめた資料を毎回準備して配布するのもひと仕事で、いっそ、教科書を作ってしまうかと考えた。で、今準備中で、来年度に間に合うようにと進めている。

ms.jpg ・そんな折に早稲田の伊藤守さんから『よくわかるメディア・スタディーズ』(ミネルヴァ書房)をいただいた。みんな同じようなことを考えているのだ、と改めて認識したが、その題名はもちろん、中身のレイアウトの仕方を見ながら、それが予備校のテキストや受験参考書と同じ形式であることに気づかされた。これまでのものは教科書とはいっても、複数の執筆者に一つの章(20〜30頁)を分担させて一冊にまとめた論文集がほとんどで、授業で使うというよりは、予習・復習として学生が自分で読むことを前提にしたものだった。しかし、それでは学生には使いこなせない。「今日は〜の章で、〜頁から」と指示し、さらにここは大事とか、自分でさらに調べろとか念を押して、宿題や授業中の小レポートなどもやる必要がある。テキストは、それをスムーズにできるものでなければならないのだが、『メディア・スタディーズ』は、そのことを十分に考えた編集をしている。

・ただし、ざっと見ながら疑問に感じた点も多い。その一つは、盛りだくさんすぎて、入門書としては手に余るほどだし、専門書としては一つ一つの内容に物足りなさを感じてしまうことだ。入門、概論、原論のどれにでも使えるし、検索項目も丁寧に作ってあるから、辞書的にも使えるといったメリットもある。しかし、いざこれに準拠して講義をと思うと、なかなかむずかしい。一年の授業回数ではとてもカバーできないし、取捨選択をして部分的にということになると、やっぱり補充の資料が必要になってくる。

・大学の講義は、高校までと違って、標準的な教科書があるわけではないし、各科目に、共通して盛りこまなければならないテーマがあるわけでもない。要するに、担当者が独自にシナリオを作り、それをもとに独演するのが一般的である。だからこそ、教科書選定は難しいわけで、自分の担当する講義に使うテキストはじぶんで作るしかないということになる。さて、コミュニケーション論についてどんな教科書を作るか。この春休みは、そのことのために多くの時間を費やしている。

2009年3月23日月曜日

K's工房個展案内(京都)

 

・K's工房の個展が京都で開かれます。3月24日(火)から29日(日)までで、場所はアートステージ567 。地下鉄丸太町駅近くにある町屋を改造したギャラリーです。今回のテーマは「ジーンズの体温」。実は、このイメージをかきたてたのは、僕が脱ぎすてたジーンズでした。2年ぶりの個展に是非、お出かけください。僕も、28日に京都に行って、会場にいる予定です。


photo51-1.jpg


photo51-2.jpgphoto51-3.jpgphoto51-4.jpg
photo51-5.jpgphoto51-6.jpgphoto51-7.jpg

photo51-8.jpgphoto51-9.jpgphoto51-10.jpgphoto51-11.jpg

2009年3月16日月曜日

イラク戦争とは何だったのか?

・NHKのBSが続けて、イラク戦争や9.11をテーマにしたドキュメンタリーを放映した。大半は当事国のアメリカとイギリスが制作したもので、事実を突きとめながら、流れを検証するといった姿勢をとっていた。イラクへの侵攻はサダム・フセインが核兵器や化学兵器、あるいは生物爆弾を隠し持っていて、それが他国に脅威を与えていることが理由だった。結局、そのような兵器は何も見つからず、アメリカがイラクに侵攻するために捏造したものであったことが明らかにされた。

・そのことが明白になると、ブッシュは侵攻の目的を「イラクの民主化」に変更した。かつての日本を例に上げて、イラクも同じように西欧的な民主主義の国にするのだと言った。それはすぐに現実化しはじめるかのように予測されたのだが、イラクの現状は混迷するばかりで、民主化どころか国としての体をなしていないのが現状だ。そのブッシュは、最後にイラクを訪れた時の記者会見で靴を投げつけられ、オバマへの期待に隠れるようにホワイトハウスを離れた。

・何本も見たドキュメンタリーに共通しているのは、9,11以後に示したブッシュの政策のことごとくが失敗であったこと、根拠のない理由によって強引に進められたこと、それを多くのアメリカ人が信用して積極的に支持したことの検証である。もちろん、そんなことはアメリカ人以外には最初からわかっていたことで、ただアメリカだけが自分の主張を強行しただけのことだが、それが今やっと、アメリカ人にもわかって、冷静にふり返る余地が見えるようになったのである。

・自分たちがいいと思ってやったことでも、後からふり返ってその判断の是非を問う、という姿勢は評価できると思う。けれども、外から見れば、間違った判断であることはわかっているのに、そのような意見に聞く耳を持たないという姿勢は、これを反省にして改まるのだろうか。ヴェトナム戦争で負けて、その後遺症に悩まされたたこと、政治的、経済的、そして軍事的に介入してめちゃくちゃにされた国が数知れないことを見れば、これからも同じことを繰りかえすだけだと思わざるをえない。次々とドキュメンタリーを見続けながら思ったのは、そのことだけだった。

chomsky.jpg ・とは言え、アメリカにもずっと、自国の行為を暴挙として批判しつづけた人たちはいる。たとえば、ノーム・チョムスキーだ。彼の『すばらしきアメリカ帝国主義』(集英社)は2005年にアメリカで出版されたインタビュー集だが、9.11直後から、アメリカ政府とそれを熱狂的に支持するアメリカ人を強く批判してきた。彼は「生成文法」で有名な言語学者だが、9.11以降に出したアメリカやメディアを批判した本は数多い。彼は、アメリカのイラク侵略を「国際法に根拠のかけらさえもない予防戦争」だと言う。


つまり、軍事力によって世界を支配しようとするアメリカに挑戦しようとするものがあらわれた場合__それがさし迫っていなくても、あるいは捏造や空想であっても__それが脅威に発展する前に消滅させる権利がアメリカにはあるというのです。

・いくつも見たドキュメンタリーの多くは去年(2008)の後半に作られたものが多かった。それはブッシュが辞めて政権が交代する時期と無関係ではないだろう。で、さまざまに問いなおし検証して、事実を明らかにしようとする。けれども、そこで確かめられることは、外から見れば最初から自明だったことだ。世界中の国や人が反対するのに、自分の考えをごり押しして、それが正当だと主張する。チョムスキーはイランや北朝鮮ではなく、アメリカこそが「ならず者国家」だと言う。あるいは、そんな国にリードされる人類は「絶滅危惧種」だとも。

・アメリカは今、オバマに期待をしているが、チョムスキーは最近のインタビューで、ブッシュと基本的にはほとんど変わらないと切り捨てている。強い国家と大企業が、政治的にも経済的にも社会的にも世界をめちゃくちゃにした。だから、その解決策をまた強い国家や企業に託すべきではない。もっともな意見だと思う。

2009年3月9日月曜日

雪のない冬

 

forest73-1.jpg


・正月明けに雪が降り寒くなって、本格的になったと思ったが、1週間ほどしか続かずに2月になると春の気配が感じられるようになった。雪はほとんどなく、代わりに季節はずれの土砂降りの雨で、何とも物足りない冬だった。ただし、富士山の雪は今年はたっぷりで、ここだけが冬の景色になっている。富士山の雪は寒いと風に吹き飛ばされて、かえって地肌が見えたりするが、今年は湿雪のせいか厚く積もっている。

forest73-2.jpg・去年は雪がたっぷり降った。2月の中旬にイギリスとフランスに出かける時には、あたり一面真っ白だったのだが、3月はじめに帰ってくると、それが溶けて春になっていたのが印象的だった。この欄のバックナンバーを見ると、一昨年も暖冬だったと書いてある。冬を通して地面が見えたのは初めてだったと書いてあるから、その前には、少なくとも引っ越してきた2000年の冬以降はなかったことになる。温暖化現象なのかとすぐに思いたくなるが、どうなのだろうか。大雪に備えて買った雪かき機は、今年はとうとう使わずじまいで、動くことを点検するために数回エンジンをかけただけだった。これでは、宝の持ち腐れだし、場所ふさぎで邪魔なだけになってしまう。

forest73-3.jpg・厚くはった氷に穴を掘ってワカサギ釣りは、隣の山中湖で時々可能になる。今年はもちろんダメだが、ワカサギがいないわけではない。だからボートを出して釣る人は少なくない。河口湖はブラックバスで有名で、ワカサギはその餌になってしまうから、いないのだろうと思っていたが、そうではないようだ。
・家の前を流れる川が湖に流れ込む近くで、大量のワカサギが遡上をした。人工的にできた高い段差があるから、漁協の人たちがつかまえて産卵させて、稚魚にして放流しているようだ。この時期なら100匹ぐらいはすぐ釣れるらしい。卵の入ったワカサギは、何と言ってもフライが一番おいしい。小さくて面倒くさいが、それでも毎年この時期には、知人からわけてもらって食べている。

forest73-7.jpg・この川に遡上するのはワカサギだけではない。河口湖まで毎日散歩しているパートナーが興奮して帰ってきて、川に魚がうじゃうじゃいると言った。去年の夏の初め頃だったと思う。調べるとウグイでやっぱり産卵目的の俎上のようだった。この時期には腹が真っ赤になるから、赤魚と呼ぶ地域もある。あるいはハヤともよばれるらしい。調べると、独特の臭みと小骨があって食用には向かないとある。ただし、釣りの相手としては、よく餌に食いついておもしろいようだ。釣りをしないから、湖にどんな魚がいるのかよくわからないが、結構多様なのだと認識を新たにした。

forest73-4.jpgforest73-5.jpgforest73-6.jpg


・雪のない冬、氷の張らない冬。まったく冬らしくないが、生き物は決まった時期に決まった行動をとる。せめてもの季節らしい出来事だ。もっとも、遡上した魚は、川にできた人口の段差に妨げられて数百メートルまでしかいけない。それがなければ、ひょっとすると我が家の前まで来るのかもしれない。と思うと、コンクリートの段差が何とも邪魔くさく感じられてきた。もっともここでつかまえて人工的に孵化させたほうが確実で、この段差はそのためなのかもしれない。