・ぼくにとって韓国は沖縄同様、近くて遠い国だった。歴史や政治問題に関心を持てば、観光気分で行くことは躊躇してしまう。だから、韓国や沖縄が手軽な旅行地になってからは、余計に行く気になれなかった。その沖縄に3月に観光旅行に出かけ、そしてこの夏、韓国に出かけることにした。きっかけは、息子が宮古島で結婚式をしたことにあった。それに、アメリカの友人が日本に来て韓国に行くという予定を伝えてきた。都合で行けなくなったのだが、それでは代わりに行ってやろうか、という気になったのである。
・ソウルは羽田から2時間ちょっとしかかからない。空港についてもほとんど日本人と変わらない顔つきや体つきをしているから、国内旅行をしているような気にもなる。けれども、耳に聞こえてくることばの違いやハングル表記の看板や表示板などを見ると、やっぱり外国に来たことを実感してしまう。韓国は中国や日本と並んで漢字文化圏にあったはずなのに、漢字をきれいさっぱり払拭してしまったようである。このハングルを出かける前に少しでも理解しておこうと思ったのだが、勉強し始めてすぐに諦めてしまった。単純な表音文字を合成させて、漢字一字文の音を一つの文字として表記する仕方の複雑さは、にわか勉強ではとてもマスターできるものではないのである。
・飛行機がソウルの金浦空港に降り立つときに目についたのは、林立する高層住宅だった。その細くて高い形が日本で見慣れた高層住宅とどこか違う気がしたのだが、その後歩いているときに、どの建物にもベランダがないことに気がついた、ベランダがなかったら閉塞感を持ってしまうだろうにどうしてなのだろうか。そう言えば、ソウルや光州の地下鉄駅のホームはどこにもシールドがあって、電車が止まったときだけドアが開くものだった。思い過ごしかもしれないが、自殺予防?という理由がすぐに浮かんできた。
・韓国と言えば焼き肉とキムチ。毎日ではかなわないが、数日なら食べ続けてもいい。そんなふうに思っていたのだが、最初の晩に食べたキムチの辛さにまいってしまった。焼き肉にかぎらず、どんな店に入って何を注文しても、キムチはもちろん、漬け物や煮物の入った小鉢がテーブルをいっぱいにするほど並べられる。辛さもしょっぱさも甘さも強いのだが、それとは別に味噌がつき、生のニンニクや生の唐辛子がついてくる。だから早くも二日目にホテルの日本食レストランで松花堂弁当を食べたのだが、三日目に思い直して焼き肉を食べた。骨付きカルビをハサミで切って金属の箸で食べるのだが、ここでもやっぱりいくつも小鉢が並べられ、食べたことのない葉野菜に肉と一緒に包んで食べた。
・若い人たちのファッションはどこに行っても同じようなものだ。そのことはソウルや光州でも再確認したのだが、光州の地下鉄や中心地の文化殿堂で見かけて気づいたのは、40
歳ぐらいを境目にして、今昔の違いがはっきりわかるということだった。韓国が軍事政権から民主化したのは90年代で、経済成長もそれ以降のことである。だから豊かな社会を生まれながらに享受しているのは20代で、民主化を勝ち取った40代以下と50代以上の人たちの間には世代間の大きな断絶がある。日本からは20年遅れてやってきた現象だ。そんなことを勝手に考えたが、それが当たっているかどうかはわからない。
・もうひとつ、アメリカやヨーロッパではよく見かけたのに、韓国では日本の自動車はほとんど走っていない。もともとは日本と提携して成長したメーカーがいくつもあるが、よく見るのは現代自動車だ。反対に日本で韓国の自動車を見かけることもほとんどない。アメリカでは仲良く並んで走っていたり、駐車してあったりするのにどうしてなのか。これも近くて遠い国の一例だろう。ちなみに運転の仕方も怖くなるくらいに荒っぽかった。