奥野修司『沖縄幻想』(洋泉社)
松村洋『唄に聴く沖縄』 (白水社)
・3月に沖縄に出かけたが、その前後に何冊かの本を買って、ほとんど読めないままにきた。夏休みになって、気になっていた本を何冊か読んでみた。沖縄は40年近く前に出かけて以来だったから、その変容に驚いたが、ここで紹介する2冊を読みながら、その理由をあらためて考えてみた。
・始めて沖縄に行ったのは1974年で、復帰後の大イベントとして催された海洋博に反対するグループに帯同してのものだった。工事による海洋汚染、オニヒトデの大発生と珊瑚礁の被害などが話題になり、復帰後の沖縄の開発の仕方に強い批判が向けられていた。反海洋博のグループには日系米人も数名いたから米軍基地周辺や伊江島の射爆場に行き、これも建設中だった平安座の石油コンビナートにも出かけた。僕にとっては観光とはまるで違う、義務としての旅だったが、ことばも食べ物も人びとの気質もまるで違う世界には、大きなカルチャー・ショックを受けた。
・37年ぶりの沖縄はまったく違う世界だった。高い建物の林立する那覇の街並みや国際通りの変容はもちろん、高速道路や北部のヤンバルと呼ばれる地域にできた道路網、小島との間にできた橋、それとは対称的な、嘉手納基地やキャンプ・ハンセン周辺の寂れ方など、驚きの連続だった。
・奥野修司の『沖縄幻想』には、復帰後の沖縄の変容が国からの莫大な補助金と三度のバブルによると書かれている。復帰後に当時の田中角栄内閣は「沖縄振興計画」をたて、「本土との格差是正」と「自立的経済発展」を目指して「沖縄振興開発特別措置法」を策定したが、海洋博は目玉のイベントだった。その2年前に大阪で開かれて大成功した万博の再現を狙ったのだが、入場者は予測を下回り、かえってその後に不況をもたらした。
・その後沖縄が注目されたのは80年代後半のバブルの時期で、大型リゾート開発ラッシュになった。沖縄の音楽や歌が注目されたのもこの時期で、本土のグループであるThe
Boomの「島唄」が大ヒットして、すっかりポピュラーになったが、経済は本土と同様にバブルがはじけると沈滞した。
・2007年にやってきた三度目のバブルは、近くて安く海外より安全な観光地として、あるいは別荘地として本土から注目された結果だった。ここにはリーマンショック以前のアメリカのバブルによる外資の進出といった要因もあったようだ。いずれにしても、この三度のバブルによって沖縄が大きく変わったことは間違いない。ただし、その変容はけっして好ましいものではない。「自立的経済発展」は達成されないままで、ただ土建業だけが突出して多い現状は、道路や箱物ばかりを増やす公共工事や外からの観光開発の繰りかえしに費やされてきたことを証明するものだし、「本土との格差是正」は基地負担の見返りとしての補償費に頼りきっている。『沖縄幻想』を読むと、復帰後の沖縄の疲弊ぶりがよくわかる。
・松村洋の『唄に聴く沖縄』
は沖縄の歌や音楽を通して、この島の歴史や風土、そして人びとの暮らしぶりの中にある魅力を解き明かそうとする内容である。沖縄は琉球王国としての歴史を持っている。中国の明や清の時代に属国として貢物を差し出していたが、その見返りに絹織物や陶磁器が下賜され、貿易も盛んに行われた。三線も中国伝来のもので、主に琉球王朝の上流社会で使われてきたようである。
・沖縄の音楽には、この中国の影響を受け洗練された宮廷芸能と、人びとが仕事の際に歌うところから生まれた民謡があった。現在では欠かせない三線が民謡の中で使われるようになったのは、それが働く場を離れ、プロの歌い手が登場するようになってからのようだ。宮廷芸能と民謡の間には、その価値に基づく格差があって、民謡は軽蔑される音楽だった。
・薩摩藩に占領され、さらには明治時代になって琉球王国が沖縄になる「琉球処分」を経て、沖縄の人びとが本土や海外に移住をしはじめると、歌や音楽もまた、外に出るようになった。松村は沖縄の唄の中にある外国はもちろん本土との違いを訴える「アイデンティティ」の希求に注目するが、それは何より、外に出ること、そして中に侵入されたことから生まれた意識だと言う。多数の島によって成り立つ沖縄には、もともと個々の島やその中にある小さな集落ごとに、それぞれ特徴的な世界があり、唄に代表される文化があって、そこには沖縄全体を自らの地として考える発想はなかったのである。
・沖縄の文化や人びとの気質が島ごとに違うことは、今回の短い旅でも強く感じたことの一つだった。けれどもまた、いかにも観光客向けに強調された「沖縄らしさ」や、本土と同じように近代化された風景や暮らしぶりも目につき、それがあまりに雑然と混在していることが気になった。『唄に聴く沖縄』は、変容しながら魅力を失わずに歌い継がれてきた沖縄の音楽に注目する。しかし、沖縄という地とそこに生きる人たちは、大きな変化の中で、沖縄という地とそこに生きる人たちの現在や未来にとって不可欠な独自な「アイデンティティ」をどう見定めているのだろうか。この2冊を読むと、その音楽と現実との間にある断層の大きさが一層強調されて伝わってくる。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。