・12年間乗ってきたレガシー・ランカスターが27万キロを超えた。この間、ほぼ無事故で違反も少々、免許を取って40年を過ぎて、はじめてゴールドにもなった。元気に走ってくれていて、まだまだ大丈夫と思うが、ここ数年は点検のたびにいろいろ部品を交換して、かなりの費用がかかるようになっていた。で、一大決心をして、乗り換えることにした。長いつきあいで、僕にとっては人格をもっているかのように感じることもあるのだが、いつ壊れてもおかしくない距離になってからは、信頼と同時に不安感ももってきた。
・この車については、これまでも何度か話題にしてきた。20万キロを超えたときに書いた「20万キロ越えに感謝」には、東北に3度でかけ、佐渡島にも行ったことが記されている。そう言えば、大震災の時に思い出したのは、津波に襲われた三陸のリアス式海岸の道が上り下りが連続する曲がりくねった道だったことだった。あるいは下北半島の恐山に行く途中に見かけた原発や六ヶ所村、そして立ち並ぶ風車の景色も頭をよぎった。義母が住んでいた福島県のいわきにも何度も行ったし、義兄が別荘を持っている磐梯山や那須にも頻繁に出かけた。
・富士山周辺の地域の自動車ナンバーが「富士山」になったのは、車がちょうど20万キロを超えた直後だった。まだしばらく乗り続けようと決めた時で、新しいナンバーに興味があったから、陸運局に出かけたが、この時のことも「富士山ナンバーに変えた」に書いた。この後、他府県に出かけた際に「こんなナンバーあるんですか?」と聞かれたことが何度もあった。中には「いいな」とか「かっこいい」と言った人もいて、何となく鼻が高い気になったこともあった。
・ランカスターは車高が高いから未舗装の山道でも平気で走ってくれる。だから、富士山周辺の林道をずいぶん走ったし、富士山の道も行けなくなるところまで何本も登って見た。たくさんの荷物が積めるから、数日間の旅行やキャンプにも出かけたし、パートナーが京都で開く個展にも、作品を一杯乗せてお供した。あるいは、ストーブに使うために見つけた伐採した木を運ぶのにも大きな力を発揮してくれた。そして何より、冬の雪道や凍結路を安心して走るのにはタイヤ以上に4駆やABSが役立つことを実感させてくれた。
・もちろん、はじめからこんなに長いこと乗り続けるつもりでいたわけではなかった。特にガソリンが値上がりしはじめた頃からハイブリッドに乗り換えることも考えたが、スバルがヨーロッパでディーゼルを販売したニュースを聞いてからは、それが日本で発売されるまではがんばってもらおうと思ってきた。しかし、発売時期は当初2010年と言っていたのに次々延期されて、現在では一体いつになるのか、そもそも日本で発売する予定があるのかどうかさえわからない状況になってきた。
・レガシーはランカスターの後継車は「アウトバック」という名に変わっている。車のデザインも現行モデルは大きく変わってしまった。そして僕は現在売られている車が好きではない。ずっと乗り続けてきた理由は何よりそこにあるのだが、元気に走っているとは言え、いつ故障してもおかしくない状態になっている。で、ずいぶん前から中古車のチェックもして、旧モデルで色も同じ車を探してきた。自分で見に出かけられるところは東京と山梨に限られるから、なかなか気に入ったものがなかったのだが、ちょっと前にいいのを見つけて、買うことにした。色も同じでデザインも似ているから、乗り換えたことに気づく人は少ないかもしれない。
・だから12年乗ってきた愛車とはあと半月でお別れで、乗るたびに「ご苦労さんでした」とつぶやいている。廃車にしてもスクラップではなく、オークションにかけて、外国に輸出される可能性が高いようだ。ロシアかインドか、あるいはアフリカでまだまだ走り続けることになるのかもしれない。そう思うと、かわいそうな気もするし、車冥利に尽きる幸せな奴だとも言いたくもなる。