2014年2月17日月曜日

どか雪2連発

 

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・今年は雪の少ない冬だと思っていたら、2月7日に大雪が降った。会議で出校する予定の日だったが、午前中には中央高速が通行止めになって欠席届を出して、何度か雪かきをした。我が家の周りでは70cm以上も積もって、次の日曜日にもう一回、雪かきをしなければならなかった。ブルドーザーが来て道もきれいになった。これで一安心。実は月曜日から熊野古道を歩く予定があって、道の除雪をしてもらわないと、出かけられなくなってしまうからだった。

・月曜日の未明に家を出ると、道路のあちこちに雪が残っていて、寝ぼけ眼もすぐに目が覚めるほど緊張した。熊野古道歩きについては次回のコラムに書くつもりだが、宿のテレビで天気予報を見て、予定を一日切りあげて帰宅することにした。雪が降り始める前に帰らないと、たどり着けない危険性があると思ったからだ。途中で食料などを買って、降り始める前に帰宅できた。やれやれ……。

・雪は未明から降り始め、一日中降りつづけた。当然、雪かきをやったのだが、プラスチックのシャベルが割れていて、それを補修するところからはじめなければならなかった。昨日ホームセンターによったのだが、当然売り切れてしまっていた。ボール紙とガムテープで補修したシャベルで何とか1日目は終わったが、翌朝起きると、雪は2mほどにも達していて、もうどうしようもないなと、半分はあきらめになった。けれども、何とかしなければ、冬ごもりのようになってしまう。


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・頼りないシャベルを使って少しずつ道をつけてもなかなか進まない。朝から始めて夕方までやって、家の周りだけは通れるようにして、町道までの道は翌日に1日がかりでやった。この9日間で2日の雪かき、3日の熊野古道歩き(40km)、そして3日の雪かきと体を酷使しまくっている。当然だが、ここにはクルマと新幹線、在来線と乗り継いでの往復18時間の移動もあった。そしてまだ、雪かきは終わっていない。

・観測史上最高の大雪は山梨県に限っても、多くの被害を出している。近くで凍死した人もいたし、孤立してヘリで物資を運んでいる集落もあるようだ。あちこちで雪崩も起きている。高速道路も閉鎖したままだし、国道や県道も通行止めになったままのところがいくつもあるらしい。しかし、折からのソチ五輪で、テレビは大雪被害のニュースは小さくしか扱っていない。メダル競争にうつつを抜かしたり、バラエティ番組でふざけたことやっている状況ではないだろうと思うが、都知事選での原発隠し、というよりは選挙自体の矮小化など、テレビのだめさ加減をますます裏づけることが続いた。

・公共放送を自負するNHKは、五輪はBS放送だけにして、地上波は大雪被害の特番を組むべきで、それをしないのは、失言続きの上に、さらに大失態を重ねて、しかも自覚がないとしか言いようがない。雪かきにうんざりし、災害の状況に驚いている立場からは、東電の破産と併せてNHKも解体させてしまえということばを吐き捨てたくなってしまった。 安倍首相は日曜日は一日休養して、夜は天ぷらを食べに出かけたという。またアンダー・コントロールなどとほざくのだろうか。

P.S.孤立7日目に除雪車がやっと来た。50mを1時間。家の前から見物しながらビデオを撮った。→YouTube

2014年2月10日月曜日

都知事選が終わって

・この2週間ほどネットを通じて主に細川候補の追っかけをした。ネットを通した選挙活動がこれほどおもしろいとは思わなかった。細川候補の街頭演説には小泉元首相が帯同して、どこに行っても大勢の人が集まった。そこでの反応は他候補を圧倒するものだったが、メディアによる世論調査は、いつまでたっても桝添候補の有利で変わらなかった。

・この違いは第一にマスメディアの取り上げ方にあった。直接演説会場に行かなければ、ネットでアクセスしなければ、都知事選が行われていることにほとんど気づかない。しかしネットで追っかけはじめれば、演説だけではなく、さまざまな情報が飛び込んでくる。中でもにぎやかだったのは脱原発を訴える候補の一本化だった。

・前回宇都宮候補を支援した人の中には、惨敗をした人をもう一回立てても勝てるわけがないと細川支持を表明した人もいる。他方で、今回も宇都宮支持をする人もいる。この股裂き状態を改めて一本化する動きもあって、何度も試みられたが、うまくいかなかった。お互いの間に誹謗中傷合戦めいたものもあって、大きなうねりにはならなかった。

masuzoe.jpg・相手が公私にわたって問題の多い桝添だった。その桝添候補については「舛添要一を都知事にしたくない女たちの会」が終盤になって落選運動をはじめたりもした。その会が作ったポスターには桝添がこれまでに発言したこと、議員や大臣として行ったことが列挙されていて、僕はこのポスターを紹介しながら「男だって知事にはしたくない」とツイートした。ネットがすごいのは、そのポスターに載っている発言がYouTubeやグーグルで見つけたブログですぐに確認できることである。街頭演説で笑顔を振りまき、福祉や介護や託児所を充実させると言っても、それが口から出任せであることはすぐわかる。

・僕は都民ではないから投票権はない。だから都が抱えている問題について、各候補者が何を言っているかについてはあまり関心がなかった。しかし、原発の再稼働の準備を進める安倍政権に対してブレーキをかける役割として、小泉元総理の脱原発宣言と細川元総理の都知事出馬宣言には、一筋の光明を見つけた思いがした。二人の元総理が立ち上がれば、原子力村を大きく揺さぶることができる。選挙を追っかけた理由は何よりそこにあった。

・結果は桝添候補の勝利だったが、政治の流れが変わりはじめるきっかけはできたのではないかと思う。最終日の新宿東口での最後の演説で、細川候補と小泉元首相は、選挙で感じた力を受けて、これからも脱原発の運動を続けると宣言した。ネットが解禁されて選挙がおもしろくなった。街頭演説会にも大勢の人が集まった。それが結果に結びつかないのは、組織票の強さ以外の何物でもない。投票率の低さはマスメディアの選挙隠しが原因だろう。もちろん、20年ぶりという大雪のせいもある。

・結果から見れば、ネットの力はまだまだだと言えるかもしれない。しかし、回を重ねれば、ネット選挙の力が増して、従来の選挙のやり方が通用しなくなる日が来るかもしれない。国政選挙までの地方選挙で、「脱原発」を争点にくり返し戦って欲しいものである。

2014年2月3日月曜日

NHKはAHK


ahk.jpg・NHKがおかしいのは今に始まったことではない。けれども、最近のNHKはおかしいどころではない。中立公正なんてとんでもない。あれはNHKではなくてAHK(安倍放送協会)だ。こんな声をネットで聞いたが、本当にその通りだと思った。このことを書こうと思ったのは、昨年暮れの「秘密保護法」成立についての国会中継の仕方や、安倍総理が靖国参拝をして、それを報じたNHKのニュースに呆れたからだった。安倍をアップで長い時間写し、その後、数名の人から意見を聞いたのだが、そのほとんどは自民党議員だった。その余りの露骨さに、いい加減にしろと言いたくなった、

・だからNHKのニュースは見ないことにしたのだが、NHKがひどいという話は年が変わってからも、いろいろ聞こえてきた。アベノミクス効果で景気が上向いていることをトップで連日放送しているとか、海外からの安倍批判をまったく取り上げないとか等々……。

・NHKは都知事選が始まっても、あまり取り上げないようだが、ピーター・バラカンがインターFMで、複数の放送局から都知事選が終わるまで原発の話題には触れないよう言われたと明かした。彼はNHKFMでレギュラー番組をやっている。同様の話は、朝のラジオに出演予定だった東洋大学の中北徹が、脱原発論を話そうと思っていたのに変えてくれと言われたといって出演をやめたというニュースになって続いている。

・極めつけは、NHKの新しい会長になった籾井勝人が就任時の会見だ。彼は従軍慰安婦はどこの国にもいたという、橋下大阪市長と同じ失言をして、大きな話題になっている。あるいは「政府が右と言うことを左というわけにはいかない」といったとんでも発言もしている。権力から距離を置いて批判をするというジャーナリズムの基本を否定しているのだが、NHKはすでにずいぶん前から、政府の広報機関になってしまっている。新会長の発言は、そのことを公言しただけのことなのである。

・NHKはAHK。国営放送でないのはもちろんだが、公共放送でもない。安倍晋三の私的放送局だ。何でそんなところに、毎月高額な受信料を払わなければならないのか。拒否の声があがってもおかしくない状況だと思う。しかし、世の中の動静について、テレビだけに頼る人は少なくないから、払わないわけにはいかないと考えている人も多いのかもしれない。あるいは、こんな事態であることに気づいていない人、無頓着な人が、まだまだ多いのだろうか。

・安倍首相はNHK会長の失言について国会で追及されて「NHKの皆さんはいかなる政治的圧力にも屈することなく、中立、公平な報道を続けてほしい」と答弁した。圧力をかけている張本人が、こんな台詞を吐くのはブラック・ユーモアだが、笑い飛ばしてすますわけにはいかない問題である。

・都知事選が始まって、連日、細川=小泉の選挙運動の中継をネットで追い続けている。立川や吉祥寺、府中や調布といった郊外の駅前に毎回、数千人の人が集まっている。新聞社が行っている世論調査では桝添候補がリードしているようだが、演説への反応を見ている限りは、細川候補が圧倒的であるように感じる。テレビからは都知事選についてのニュースがあまり流れていない。話題にして選挙が盛り上がらないようにする意図がありありのようだ。

・だから、こんな盛り上がりも、ごく一部に限られるのかもしれない。しかしもし、細川候補が勝ったとしたら、それは脱原発だけでなく、脱マスメディアの流れの本格化にもなるだろう。原子力村とマスコミ村が同じ体質で同じ目的を持った政治圧力であることが露呈されるに違いない。

2014年1月27日月曜日

都知事選に期待?

・猪瀬前知事の辞職によって、政治が動き始めた。これで安倍政権の暴走に歯止めがかかるかもしれない。そんな希望が生まれてきた。ここは何としても、選挙を盛り上げて、できれば、脱原発を強く掲げる候補者に勝って欲しいと思う。

・脱原発を全面に掲げる候補者は二人いる。前回の知事選に出馬した弁護士の宇都宮健二と総理大臣経験者の細川護煕だ。宇都宮候補は真っ先に手を挙げて、前回とほぼ同じ政策を掲げているようだ。サラ金問題などで被害者側に立った地道な活動をしてきた人で、人間的にも行動力から言っても、知事として適任だと思う。ただし、前回の選挙では大差で負けているから、今回も勝つのは難しいかもしれない。

・一方細川の出馬の噂を聞いたときには唐突な気がした。政界から遠のいて、絵を描いたり陶芸をしたりして、悠々自適な生活をしている。何と言っても高齢で76歳になる人に知事の仕事が勤まるのだろうかと疑問を感じた。ただし、細川を担ぎ出したのは小泉元総理で、彼はしばらく前から原発の怖さを訴えていたから、二人がタッグを組んで本気で戦えば、勝てるかもしれない。そんな印象を持った。

・危機感を持った自民党はさっそく、原発問題は都知事選になじまないとか、佐川急便からの借金問題を蒸し返したりして、躍起になっている。世論調査では自公が推薦する桝添候補が圧倒的にリードしているというニュースもある。脱原発を支持する人たちの中には、細川に一本化をすべきだと動いた人もいたようだが、うまくいかなかった。選挙戦に突入してからだって、その可能性が消えたわけではないが、少なくとも、お互いの中傷合戦だけはして欲しくないと思う。

・細川候補の演説を聞いて、まるで大学の講義のようだと思った。静かで、考えながら、訥々と話す。対照的に応援弁士の小泉は時に絶叫し、派手な身振り手振りで人を引きつける。小泉が候補になった方がメディアも注目して確実に票が集まるだろう。しかし、僕は細川の演説に、日本の政治家にはほとんど伺うことができない政治哲学を聞いた。現実をしっかり見据えた上での将来に向けた理想やビジョンがある。そのことに感心した。

・細川候補は「脱原発」を第一に掲げる。それを「ワン・イッシュー」だと批判する声がある。東京都にはもっとさまざまな問題があるから、脱原発だけでは知事の公約にはならないというのだが、彼にとって「脱原発」は、掲げる政策の出発点にあるもので、そこから、脱原発後の経済や社会の仕組みを考えるという発想だ。それは、100年後には人口が半減すると予測されている日本の将来像を、それに沿ったものに組み変えようという提案である。

・経済発展や物質的な豊かさをさらに求めるのではなく、経済や生活の質を重視する。そんな政策を本気になって訴えて立候補しているところに、僕は彼の本気さを感じ取った。それは、冷静に考えれば至極当たり前な考えだと言える。男の平均寿命に達しようかという彼が、50年後、100年後、あるいはもっと先を見据えた社会のあり方、そして個々人の生き方や生活の仕方といった「ライフスタイル」の変革の提案を政治の方針として掲げているのである。

・もっとも、そんな主張は悠々自適に暮らしてきた趣味人の考える絵空事だと思われているのかもしれない。しかし、景気をよくする、社会保障を充実させるといった口先だけの、目先の公約こそが、絵に描いた餅であることを、もういい加減に気づいて欲しいものだと思う。今日本の政治に必要なものは哲学と倫理を置いてほかにはない。それは、自分の生き方や生活の仕方に関わるものでもあると同時に、グローバルな問題にも関係することでもある。

・さて、こんな提案を都民はどれほど本気になって受け止めるのだろうか。

2014年1月20日月曜日

今年の卒論(2013年度)

 

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・今年の卒論集のタイトルは「学級崩壊」です。4年生はわずか6人でしたが、ゼミらしいゼミはほとんどできませんでした。数が少なかったことやまとまりに欠けたのは、学部長をやったために、このゼミが2年生からではなく、3年生から始まったことにあります。留年生が3人でそのうちの一人は12年生でした。他の3人も授業をサボっていて2年次にゼミをとらなかった者、取ったけれども追い出された者などでした。

・それでも3年生の時は毎週出席して、基礎の基礎からやりましたが、熱心さに欠けるのはいかんともしがたい感じで、学生同士の関係も少しも近くならないままに1年が過ぎてしまいました。こんな経験は、長い教員生活の中で初めてのことでした。正直言ってうんざりもしましたし、今年こそ、卒論集はやめとこうと思いましたが、何とか全員が論文を書いたので、やっぱり出すことにしました。

・来年は一転して16名という大人数です。おもしろい論文が生まれることを期待したいものです。

1.カフェの昔と今‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥栗原 晴子
2.女性誌『CanCam』の実態‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥田中涼子
3.~振り込め詐欺~‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥熊谷友佑
4.沖縄戦でのひめゆり学徒隊について‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥後藤駿一
5.ザスパクサツ群馬と群馬県のつながり‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥高橋和希
6.若者に広がるうつ病の真実‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥佐藤雄哉

2014年1月13日月曜日

アムネスティ『Human Rights Concerts 1986-1998』

 

amnesty.jpg・ロック音楽とアムネスティの関係にはずいぶん長い歴史がある。その活動の記録が何種類ものCDやDVDになって発売された。収録されているのは1986年から1998年までのものである。僕はその中の一つを買ったが、若いスプリングスティーンやスティング、ルー・リード、ジャクソン・ブラウン、シニード・オコーナー、ジョニ・ミッチェル、アラニス・モリセット、トレーシー・チャップマン、そしてU2などの元気のいい歌を聴いて、20年、30年前の音楽状況を思い出してしまった。

アムネスティは軍事政権下のポルトガルで逮捕され、7年間も投獄された二人の学生を支援する目的で1961年に結成された。「アムネスティ」には「恩赦」の意味があり、国際法に則って死刑の廃止、人権擁護、難民救済、良心の囚人の支援などの活動をしてきた。現在ではその活動はさらに広範囲になり、女性の権利、子どもの権利、難民と移民の権利、テロとの戦いにおける人権侵害、そして企業の社会的責任などに及んでいる。1977年にはノーベル平和賞、78年に国連人権章を受賞した。

・アムネスティ主催した"Human Rights Concerts"は1986年にアメリカの6都市で開催された。その後88年には世界中を回るツアーに発展し、日本でも東京ドームで公演が行われ、1990年、そして1998年と続けられた。今回発売されたCDやDVDは、86年のニュージャージー、88年のブエノスアイレス、90年のサンチアゴ、98年のパリの単独のものと、その中からピック・アップされたものである。当然ながら、この売り上げはアムネスティの活動資金に使われる。

journal2-126-1.jpg・以前にこのコラムでも取り上げたことがあるが、アムネスティの50周年を記念してボブ・ディランのトリビュート・アルバムが出された。『自由の鐘』(Chimes of Freedom)と題された4枚組のアルバムで、80組のミュージシャン達がディランの曲をカバーしていた。今回のCDにはディラン自身は登場しない。このコンサートにはまったく出なかったのかもしれないが、アンコールでみんなが歌うのは「自由の鐘」であり、また「我、釈放さるべき」(I Shall be Releasd)だった。どちらにしても、アムネスティのテーマ・ソングとしてはぴったりすぎるぐらいの歌だから、彼がいなくても、最後はこの曲以外にはないのだろうと思う。

・そのディランが3月末から日本でツアーをやるようだ。見に行きたい気もするが、スタンディングのZeppだから迷っている。コンサートは東京で6回、札幌で2回、名古屋で3回、そして大阪で3回行われる。73歳になったが、ディランはけっして過去の人ではなく、12年に新しいアルバムを出している。今世紀に入ってから出したアルバムには"Love & Theft"(2001)、"Modern Times"(2006)、"Together through Life"(2009)、"Christmas in the Heart"(2009)があり、そのほかに、伝記映画の "I'm not There"やドキュメントの "No Direction Home"、あるいはいくつもの海賊版シリーズが出されてきた。だから同世代ばかりではなく、若い人たちにも多くのファンがいるのだろうと思う。

・アムネスティのコンサートに登場したミュージシャンの中でルー・リードは昨年死んでしまったが、スティングやスプリングスティーンは、最近新しいアルバムを出している。古い歌も懐かしくていいけど、新しい歌も聴きたい。このアルバムに登場するミュージシャン全員に対する思いである。

2014年1月6日月曜日

正月休みに読んだ本

村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』文藝春秋
若杉冽『原発ホワイトアウト』講談社
輪島裕介『創られた「日本の心」神話』光文社新書

haruki4.jpg・クリスマスから正月にかけて、何冊かの本を読んだ。今まで気にはなっていたけど後回しにしていたものだ。その一番は村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』。
・ストーリーとしてはよくできていると思う。けれども、60代の半ばになった村上春樹がなぜ、30代の男の自分探しの巡礼の旅を書いたのかがぴんとこなかった。もちろん、彼の小説の主人公はこれまでもずっと10代から20代の若者だったから、むしろ少しだけ年長になったと言うことができるかもしれない。ただし、前作の『1Q84』や『ねじ巻き鳥』、あるいは『海辺のカフカ』と違って、『ノルウェイの森』の焼き直しのような感じがしたから、物語に引き込まれることも、主人公に同一化することもなかった。

・そう思った原因は、ポール・オースターの最近の小説を夏に読んで、自分と同じ歳の男を主人公にして、老いに伴う「消失感」をテーマにしていた点に共感したことにある。アイデンティティを模索する、あるいは確立させないままにするといった話ではなく、アイデンティティの荷をおろす物語。高齢者と言われる歳になったのだから、村上春樹も老人を主人公にした小説を書くべきだ。同世代の読者として、そんな不満を持った。

whiteout.jpg・『原発ホワイトアウト』は霞ヶ関で働く現役の官僚が書いたもののようだ。自民党が政権を奪い返して、原発政策が再稼働に大きく舵を切った。福島原発事故の現状を矮小化して原発の存続を画策する政権と経産省の官僚の動きやメディア操作の仕方、そして警察や検察の操り方がうんざりするほど詳細に描かれている。おそらく実際に、そんなことが行われているのだろうと思いながら読んだ。
・で、その結果が、新潟の柏崎原発のメルダウンとなる。原因は送電線の爆破と強い寒波の襲来によるのだが、反原発のデモを力によってねじ伏せ、知事を汚職の疑いで逮捕して、柏崎原発の再稼働を強行した報いでもあった。事故が起きたのは12月28日で、メルトダウンはこの正月中に進行した。まさにリアルタイムで読んだわけで、その意味でもおもしろかった。

・福島原発事故は「アンダー・コントロール」されているなどと言った嘘を世界に向けて公言し、原発の再稼働を政策に盛り込もうとする。その内実を暴露したこの本は、ずいぶん話題になったが、もう話題にされることもない。この本のように、もう一回原発事故が起こらないと、本気になって反省して方針展開することはないのかもしれない。最近の情勢を見ているとそんな気持ちになるが、この本の最後では、とてつもない事故に発展する危険性のなかでおろおろしながらもなお、原発の存続を考える政治家や官僚のつぶやきが描写されている。

enka.jpg・『創られた「日本の心」神話』は演歌に代表される日本の流行歌が、伝統的なものなどではなく、海外から輸入されたポピュラー音楽との融合で出来上がった「創られた伝統」であることを解き明かしている。それはちょうど「柔道」が、それ以前にあった柔術などをもとに、西欧のスポーツと合体させて「伝統」と称したことと、奇妙なほどに符合する。
・演歌は戦後に形作られた音楽である。ブルースやジャズ、そしてクラシック音楽やロックにいたるあらゆる要素を採り入れて、日本人の心の歌として流行らせてきた。この本を読むとその過程が、あの歌手、あの作詞家、作曲家によるこの歌と、事細かに紹介され分析されている。

・演歌は「和洋折衷」「和魂洋才」の産物だが、それこそが「日本人の心」なのだと言える。つまり、外からどれほど異質なものが入りこんでも、それを自分の口に合うよう味つけを変えてしまう。その意味では、ニュー・ミュージックだろうがJ・ポップだろうが、日本人は何でも「演歌」にしてしまうと言ってしまってもいいかもしれない。