2016年8月8日月曜日

経済、メディア、そして教育

・参議院選挙で改憲勢力が3分の2を超えました。いよいよ憲法に手をつけるのではと言われています。自民党のとんでも改憲案がいきなり登場するわけではないでしょうが、(アメリカに追随して)戦争ができる国になることが憲法上も認められる危険性はかなり大きいと言えるでしょう。しかし恐ろしいのは憲法改悪に限りませ

・安倍首相は選挙演説で「アベノミクスをさらにふかす」と繰り返しました。さっそく20兆円を超える経済対策を打ち出しましたが、財源は借金ばかりで,最大の目玉がリニアモーターカー、生活保護費の削減をすでにやりながら、低所得者に一人1万5千円を配るようです。福祉給付金や子育て給付金、また障害者年金を削減したり廃止しておきながら、保育士・介護職員の給与を上げることなど、矛盾の多い,支離滅裂なごまかしの対策だと言えるでしょう。

・「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)が2015年度に5兆円を超える損失を出しました。年金の株での運用率を倍増させた結果ですが、ここには国家や地方の公務員が加入する共済組合年金は含まれていません。また日銀はマイナス金利を実行し、さらに「ヘリコプター・マネー」というお金のばらまきをするのではないかと言われています。日本経済の実態以上に株価を高くするのは政府の強い要請によるのですが、目先の政権維持が目的ですから,将来的には破綻の道を後戻りできないほどに進んできてしまっているのです。

・政府の思いのままというのはメディアも同様です。上記した政策に対して海外メディアは辛らつな批判を浴びせていますが,日本のメディアは黙っているか、申し訳程度の批判しかしていません。「選挙期間中の報道は中立公正に」というお達しに、新聞もテレビも参議院選挙や都知事選の争点をほとんど取り上げませんでした。ところが終わった途端に、その結果について大騒ぎをしています。今の日本には御用新聞と御用テレビしかないのです。テレビに出ている人気者は御用タレントである限りは安全ですから、政府に批判的な発言が出てこないのは当然でしょう。

・他方で教育に対する文科省の姿勢もますます強権的になっています。高校に「公共」という科目が新設されるようです。選挙権の引き下げに伴って生徒が主体的に政治や社会に関心を持つことを狙いにするとされています。しかし一方で、高校生の政治活動については制限をする動きがありますし、ここでも「中立公正」な授業が求められますから、高校生の主体性を育てる教育などはできないのではないかと思います。

・そもそも日本の教育には欧米では当たり前の「ディベート」の授業がありません。それこそ小学校から、多様なテーマで生徒たちに自由に調べさせ、考えさせて議論し合うことが何より必要で、それがなければ、早期に英語教育をはじめても、ほとんど身につくことはないのです。英語は何より自己主張を基本にして、相手と戦うことを求める言語ですから、それなしの語学教育などは「ガラパゴス」そのものに過ぎないのです。

・最近、20歳代のパスポート所持率がたったの5.9%だという実態が明らかにされました。海外に関心がない若者の増加は、自民党を支持する若者の増加と無関係ではないはずです。戦前回帰の志向を強める政権にとって「グローバル化」が何を意味するのか。弱者を切り捨てておきながらの一億総活躍、財政再建と言いながらのヘリコプターマネー、主体性を育てると言いながらの自由の制限、今のことや過去への回帰しか考えないのに未来チャレンジ内閣……。醜悪な素顔を隠した厚化粧なのに、それを言ってはいけないような空気が蔓延しています。

2016年8月2日火曜日

感情と勘定が世界を劣化させている

・相模原市の障害者施設で19人の入居者をナイフで殺害する事件が起こった。犯人の言い分は「社会に無用な人間はいなくなればいい」というものだったようだ。この施設で働いていた時に思ったのかもしれない。それは老人ホームで働いていた職員が,入居者を殺した事件に共通している。

・確かに,有用性から見れば、障害者にしても,老人にしても,手間がかかりお金もかかるばかりで,社会にとっては無駄だと言える側面はある。こういう施設で働いている人も,あるいは家族の人にとっても、そんな思いをふと感じることもあるだろう。しかし、そうではないと打ち消す強い気持ちも同時に感じるのが普通のはずである。

・人にはいろいろな側面がある。優れたところも劣ったところも、それをひとつの個性としてつき合うところに、人間同士の親密な関係やかけがえのなさが生まれてくる。もちろんそこには、どんな人も皆平等に人権を保障されるべきだとする近代社会以降に確立した考えがある。これは法律上だけでなく、倫理の問題としてすべての人に分け持たれるべき思想でもある。

・しかし今、こういった倫理をないがしろにする、きわめて一面的な知識に基づいた感情的な発言が目立っている。差別意識を露骨に公言するヘイトスピーチが各地で起こったりするのは好例だが、それを正当化する政治家の発言も少なくない。批判や非難が起こっても,同様の発言が繰り返されるから,もうすっかり慣れっこになってしまっているし,逆に選挙運動での発言が注目されて,支持を増やしている例なども少なくない。

・その代表はアメリカの大統領候補として共和党から指名されたトランプだろう。理想(建前)をないがしろにしてきわめて感情的な発言(本音)を強調するのは、今の社会や自分の置かれた現状に不満を感じている人たちを引きつけやすい。アメリカが強くなること,それを牽引するのが白人の男であることといった訴えが、中流以下の白人に受けている。ここには人種や性別に関する露骨な差別主義があるし、アメリカのことしか考えない傲慢さや,他国を見下す意識がある。

・同様の傾向は最近の参議院や都知事の選挙でも見られた。野党が統一候補を立てたことには「自公」の連立を棚に上げた「野合」「民共合作」などといった非難が浴びせられたし、都知事選でも野党統一候補には何年も前の未遂と思われる「不倫報道」が週刊誌で取り上げられた。ところが肝心の政策に関する論争に対しては、メディアは「中立」に名を借りた政府の圧力によって、ほとんど何も取り上げずじまいで、それこそ一時の感情によるイメージ選挙に終始した。

・政府は沖縄で敗北すると、その翌日に機動隊を動員して、高江のヘリポート建設に反対する住民を暴力的に排除する行為に出た。県民の意思を無視した暴挙だが、メディアに大きく取り上げられることはなかった。弱者切り捨ての方針は明確だが、沖縄に冷酷に対応すればするほど,強者であるアメリカへの追従が明らかになる。また首相はこの時期にリニア新幹線を目玉にした28兆円の経済対策を表明したが,その裏で生活保護費や福祉給付金、子育て給付金、障害者年金、介護報酬、障害者事業者報酬などを削減、半減、廃止する政策も出している。まさにやりたい放題の犯罪的な行為だが、取り締まるどころか支持率が上がっているのだから、どうしようもない。

・感情と勘定が日本はもちろん世界中を劣化させている。ひどい時代になったもんだとつくづくと思う。

2016年7月27日水曜日

テレビをおもしろくした人たちの死

・癌で長いこと闘病生活をしていた大橋巨泉がなくなった。永六輔が亡くなってまだ日が経っていなかったから、一層、時代の変わり目を感じた。二人ともテレビで活躍し、テレビの面白さを作り出した人だったからだ。最近のテレビのつまらなさのひとつは,この二人のようなパーソナリティが皆無なことにある。そんなことを改めて感じた。

・大橋巨泉はジャズ評論家だったが、彼が有名になったのは「11PM」の司会だった。夜11時からの深夜番組で、1965年から始まっているが,巨泉の司会は翌年からだったようだ。競馬や釣り、そして麻雀といった娯楽や性風俗を取り上げたり、裸に近い若い女の子を登場させたりしたが、また政治や社会の問題を取り上げて、高校生だった僕には,ずいぶん刺激的で見たい番組になった。しかしもちろん、見ればいつでも親に怒られた。

・巨泉は他にも「巨泉X前武ゲバゲバ90分」(1969〜1971)、「クイズダービー」(1976〜1992)、「世界まるごとハウマッチ」(1983〜1990)などの番組に企画段階から参加して、テレビ番組の形を作りだしている。そう言えば,のちに「11PM」の司会をした愛川欽也や「ゲバゲバ」の前田武彦も今は亡き人である。ちなみに「ゲバゲバ」は当時の学生運動の中で使われていた「ゲバルト(暴力)」から来ていて、バラエティ番組が当時は社会や政治に目を向けていたことがわかる名前でもある。

・永六輔は「上を向いて歩こう」の作詞で知られている。しかし彼もテレビ番組の構成に関わり、出演もして、あるべき形を作りだした人でもある。「夢で会いましょう」(1961〜1966)、「遠くへ行きたい」(1970 〜)などがあるが、彼はラジオ番組にも多く出演していて、「誰かとどこかで」(1967〜2013)、「永六輔の土曜ワイド」(1970〜1975、1991〜2015)など、最近まで続けていた。巨泉や欣也同様、政治や社会に対する歯に衣着せぬ発言も多く、オピニオン・リーダーとしての役割は,ごく最近まで大きかったようだ。彼はまた野坂昭如や小沢昭一と「中年御三家」を結成(1974)してコンサート活動なども行ったが、野坂も小沢もすでに他界している。

・この世代は第二次大戦中に少年時代を過ごし、青年期に進駐軍の占領時代を経験している。そこから戦争の悲惨さや軍国主義への回帰の愚かさや恐ろしさを説き、表現の自由の大切さや,個人として生きる権利の正当さを主張してきた。そんな人たちが次々いなくなって、つくづく時代の変わり目を感じるようになった。折しも今は戦前回帰と経済成長の時代を一緒くたにした安倍の悪政の時代である。テレビは萎縮して自制し、政権のご機嫌伺いばかりでジャーナリズムの役目を放棄している。バラエティ番組は救いがないほどのアホな内容ばかりだ。

・永六輔や大橋巨泉、そして愛川欽也が残した遺産は、今ラジオには受け継がれている。Podcastを使えば、全国のラジオ番組が聴取できて、おもしろいものが少なくない。荒川強啓や大竹まことといった同世代だけでなく、荻上チキや津田大介といった若い人たちがキャスターとして政治や社会の問題を話題にしている。あるいはネットの動画番組にも「デモクラTV」や「Videonews」など、硬派でも視聴者の増えているものが多くなった。

・参議院選挙の期間中にはろくに報道しなかったテレビが,選挙当日に各局一斉に特番を組んだ。番組開始と同時に当選確実が大量に出るといった現状では、面白さは半減以上だし,結果が出てからとやかく言ってもしょうがないわけで、ジャーナリズムとしてのテレビの無力さを露呈するばかりだった。もちろん僕は、そんな番組はまったく見ていない。

2016年7月18日月曜日

「イクメン」を当たり前に

 

工藤保則/西川知享/山田容編著

『<オトコの育児>の社会学』ミネルヴァ書房

・「イクメン」ということばが流行語になって、確かに小さな子どもを連れた男たちを見かけるようにもなった。しかしまだまだ珍しい。実際、男が「育休」を取る割合は,現在でも2%程度で、「イクメン」にはほど遠いのが実態のようだ。だから「イクメン」には、もの珍しさというニュアンスが強いのかもしれない。何とも保守的な日本の男たちだが、共働きが当たり前になった現在では、「育児は女に」などと考える男は結婚の資格なしと駆逐されるべきだし、「育休」を渋る企業は名指しで批判してやるべきだとも思う。

・ こんなふうに思うのは、僕自身こそが「イクメン」の第一世代だったと自負する気持ちがあり、そんな風潮が生まれかけたにもかかわらず,同世代の男たちにはほとんど無視されたという経験があるからだ。団塊世代の僕は70年代の後半に結婚して二人の子どもを育てた。ちょうど「ニューファミリー」ということばが流行し、その本来の意味に共感して実践を試みたのだが、日本では、新しい消費スタイルを宣伝するマーケティング用語に変質してしまったのだった。その同世代は今、退職して新しい生活の仕方に戸惑いを見せているという。食事も洗濯も掃除もできずに,家でごろごろしている男は「企業廃棄物」として女たちからは嫌われる存在でしかないようだ。

・ もちろん僕は、家事のすべてを分担し,その他に冬の暖房用の薪割りや家のメインテナンスに欠かせない大工仕事を引き受けている。けっして自慢ではなく,それこそが生活の楽しさを実感する基本になることを、子育てからずっと確信し続けてきたからだ。

ikuji.jpg ・ 『<オトコの育児>の社会学』の執筆者は全員男である。年齢は違うが誰もが、育児をした自分の経験から書き始めていて、章構成が「けいけんする」「ひろげる」「かんがえる」「ふりかえる」で統一されている。そして多くの書き手が,初めて経験する育児に対する戸惑いや失敗を語り、そこから個別に与えられたテーマに広げて考えている。I部では「近代家族」「しつけ」「性別役割分業」「夫婦関係」を問い、II部ではオトコの育児について,「遊び」「文化資本」「人生儀礼」「レジャー」を考察した上で、III部では「待機児童」「育児不安」「医療」「子育て支援」「育休」といった問題を男の側から論じている。

・ 僕はこの本を大学生に読んで欲しいと思う。もちろん男だけにというのではない。家族といった狭い領域ではなく、社会学でもなく,もっと広い範囲で、大学生が自ら考えるテーマにすべきだろう。今の学生は就職のことで頭がいっぱいで、採用してもらえるならと、企業に迎合的な姿勢を取りがちだ。そんな彼や彼女たちに、これからの人生を考える上で、結婚や家事、育児について、その現実的な問題に無関心なままで社会に出て行って欲しくないと思う。

・ 大学の教員は企業に勤める人に比べて,自由に使える時間に恵まれている。また、どんな生活の仕方をしたって、とやかく言われることが少ない恵まれた境遇にある。だから社会学者に限らず、家事や育児を共有する男たちも少なくないはずである(と思いたい)。今大学は就職に役立つカリキュラムの実践に力を入れている。それはもちろん、そのようなニーズに応えての対応だが、若い人たちにとって本当に必要なのは、結婚や家族の作り方、家事や育児の共有の仕方と、そこから仕事や地域といった社会へ、あるいは経済や政治へと考えを広げていくための知識の獲得と,あらたな認識なのだと思う。

2016年7月11日月曜日

アイルランドの若い歌手たち

 

Damien Rice"O" "9" "My Favourite Faded Fantasy"

Lisa Hannigan" Sea Saw" "Passenger"
Wallis Bird "Architect" 'Bird Song"'

rice1.jpg・アイルランド出身のミュージシャンにはずっと聴き続けている人がたくさんいる。ヴァン・モリソン、U2、シニード・オコーナーなどで、その他にもケルト音楽としてチーフタンズ、アニューナ、エンヤ、ジム・マッカン、アルタン、そしてカルロス・ニュネスなどがいる。音楽ジャンルとしてはそれぞれ違っているが,誰にも共通した雰囲気や主張があるなと思って聴いてきた。行ってみたい国だったから、紛争が落ち着いた2005年に出かけ、パブでギネスを飲みながら音楽を聴いた。

rice2.jpg・アイルランドはケルトというヨーロッパに古くからいた民族を基本にした国だ。スコットランドやウェールズも同様だが、アイルランドだけがイギリスから独立している。しかし、隣の強国に押さえつけられて苦難の歴史を辿らされてきた。そのことを強くメッセージしてきたU2のボノやシニード・オコナーなどもいるし、古くから歌われている歌に思いを込める人もいる。僕が一番好きなのはヴァン・モリソンとチーフタンズの『アイリッシュ・ハート・ビート』と言うアルバムだ。

rice3.jpg・最近続けてアイルランドの新しいミュージシャンを知った。その一人、ダミアン・ライスは6月に日本に来たようだ。デビューは2002年だから、僕のアンテナも頼りない限りだと思った。最初が"O"で2枚目が"9"という何とも意味不明なアルバムタイトルだが、歌そのものはメロディアスでオーソドクスなものが多い。ただし言われなければアイルランド出身だとは思えない。アルバムではバックもつけ,ストリングスなども入れているが、ステージではギター一本で歌うことが多いようだ。それで何千人もの聴衆を釘付けにするほどの訴求力を持っていて、それが何よりの魅力のようだ。

lisa1.jpg ・リサ・ハニガンはダミアン・ライスのバック・コーラス、と言うよりはデュエットのように歌うメンバーだったが、独立して2枚のアルバムを出している。で、彼女のオリジナルで構成されたアルバムは、ダミアンのとはまるで違う感じに仕上がっている。ジャケットにさいころのパッチワークが使われているが,これは彼女の自作のようだ。経歴にはダブリンのトリニティ・カレッジで美術史を専攻したとある。ハスキーで静かに歌う様子は,ケルト色を薄めたエンヤのようでもあるし、棘のないシニードのようでもある。

lisa2.jpg ・ダミアン・ライスにしてもリサ・ハニガンにしても、すでにヨーロッパでは有名なミュージシャンで,コンサートをやれば大きな会場のチケットがすぐに完売するほどのようだ。ケルトの臭いがないのは僕にとっては期待外れだったが、EU以後に登場して人気者になったミュージシャンであれば,それも当然だろうな、とも思った。たぶん彼や彼女にとってEU圏内は国内と一緒だという感覚なのかもしれない。ライスはデビュー前に一年間、EUをストリート・ミュージシャンとして放浪したようだ。イギリスの離脱がいかに時代に逆行したものかがわかる話だと思った。

bird1.jpg ・リサはその清楚さと知的な容姿が魅力になっている。しかし、もう一人ウォリス・バードはエキサイティングなロック・ミュージシャンだ。ネットには、ロンドンでデビューしたがポップな歌を強要され、ドイツに移って自由に音楽作りができる環境を見つけたといったコメントがあった。その圧巻のパフォーマンスが日本公演でも一部で話題になったようだ。その場所が吉祥寺のスター・パインズ・カフェだったと聞いて、日本での知名度の低さに驚いた。オールスタンディングでも300人ほどしか入らない小さなところだったからだ。もっともライスのライブもけっして大きくはないEX シアター六本木だった。

bird2.jpg ・音楽的には三者三様でアイリッシュであることやケルト音楽を意識させない。しかしコマーシャリズムや流行に迎合しないでやりたいことを自由にやるという姿勢は共通している。YouTubeでライブを見ると、アルバムよりはずっといいパフォーマンスをする実力派のようだ。こんな魅力的なミュージシャンが続出するのは羨ましい限りだが、日本ではきわめて限られたファンしかいないのは残念というほかはない。その日本に来ての熱演は僕も是非聴きたいと思うのだが,オールスタンディングの狭い会場では,とてもついて行けない。

2016年7月4日月曜日

休日の散歩と自転車

 

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・今年の梅雨は雨の日と晴れの日がはっきりしている。しかも仕事に行く日に雨が多く,休日に晴れが多い。だから毎週2〜3日は自転車に乗り、もう一日はパートナーの散歩につき合っている。2kmで高低差は200mほどを目途に5月の甘利山、帯那山、6月の富士山馬返しから一合五勺、御坂山塊の新道峠周辺、河口湖天上山、そして富士山の麓の大室山と歩いてきた。上の新道峠からの富士山は、雄大な独立峰であることが一望できる一番の眺めだと思う。特に登った日は雨上がりで、てっぺんに笠雲がかかった富士は息を飲むほどの美しさだった。

・パートナーの左足は腿があげにくくて,足首やつま先が思い通りにならない。だから歩く時には右足を軸に左足を回すようにして前に出すし,足首が内側に折れがちになる。それを意識するために,散歩の時にはいつも,僕がビデオカメラを回している。なかなか良くならないが,歩く距離が伸び、上り下りができるようになった。僕が自転車に乗る時には,家で、MacBookを前にYoutubeで世界中の道を眺めながら、エアロバイクを漕いでいる。もう2ヶ月も続けているから,かなり筋肉がついてきたようだ。

forest134-3.png・僕の自転車も4月の中旬から雨でなければ土日月と続けている。コースは河口湖(20km)、西湖(24km)、あるいは両方(33km)などで、最近平地では平均30kmの速度で走れるようになった。続ければこそで、休めばすぐに足も弱くなるし息も上がる。だからしんどくても出かけるし,走り出せばついついがんばってしまう。土日には走る人も多いし早い人もいるから、競争心も涌いてきてしまうのだ。言われるまでもなく年寄りの冷や水を自覚しているが、この歳になっても記録が伸びればやる気が増すというものだ。

forest134-4.jpg・富士山の5合目まで自転車で走るヒルクライムが今年も開かれた。僕は出るつもりはないが,一度は5合目までスバルラインを走ってみようと思っている。Youtubeで見ると料金所から五合目までは25kmで標高差は1270m、平均勾配は5%程度のようだ。ヒルクライムの制限時間は3時間15分だからそれが目標になる。疲れたら休んで登っても,たぶんいけるのではないかと思う。マイカー規制のある8月か、涼しくなった9月を目標に、走り込むことにしよう。

・それにしてもここ数日は暑い。河口湖でも30度を超えたから,もう梅雨が明けて真夏という感じだ。今年の夏は猛暑だという予測もある。ところが大学はまだ7月末にならないと休みにならない。最後の1年だからと思って,もうひとがんばり。

2016年6月27日月曜日

EUを壊してはいけない

・英国が国民投票でEUからの離脱を選択しました。世界中の株価が暴落し,円が急騰して、もっぱら経済的な大事件として扱われています。リーマンショック級の出来事だとも言われますが、僕はそれ以上に大変なことではないかと思いました。EU(欧州連合)は2度の世界大戦で疲弊したヨーロッパ諸国の人びとが、もう戦争はごめんという反省のもとに作られた制度だからです。アンソニー・ギデンズの『揺れる大欧州』(岩波書店、2015)は1946年9月にチューリッヒ大学で行ったウィンストン・チャーチル英国首相の次のような演説からはじめています。


・奇跡によってすべての光景が変わるような救済、ヨーロッパ全土で大多数の人々がみんなで選び取れば、常に救済はある。……この至上の救済とは何だろうか。それは、できる限り、ヨーロッパの家族を再び創造し,平和や安全、自由の下で暮らせる仕組みをつくることである。われわれはヨーロッパ合衆国のようなものをつくらなければならない。

・EUは強い反省のゆえに奇跡的にできた、国家を統合する組織です。既存の国家はそのままに国境を緩やかにして行き来を自由にし,ユーロという新しい貨幣を造りました。国家間には経済格差がありましたから、インフレに苦しむこともありましたが、経済成長を促すための資金援助をして、平和で安全で自由な豊かな大欧州を目指したのでした。

・英国の離脱の理由は、シリアなどからの移民の流入やドイツ中心で官僚的な体制に対する批判、あるいはかつての大英帝国復活を願うナショナリズムにあるようです。残留を支持したのは都市に住む高学歴で国際的な経験があり,比較的高収入の人と若者層で、離脱支持者には地方の労働者階級でEUの恩恵を感じられない人や高齢者たちだと言われています。

・イギリスの離脱によってスコットランドが独立の国民投票をもう一度やろうと言いはじめてますし、北アイルランドでもアイルランドとの統一の気運が高まりそうだと言われています。他にも離脱する国が追随すると、たとえば、スペインにおけるカタルーニヤやスペインとフランスにまたがるバスクのように、国を分裂させて独立する動きが起こるかもしれません。EUの崩壊は同時に、既存の国の分裂を起こしかねないのです。

・EUにはすでに財政の破綻したギリシャだけでなく、不況の続くスペインやポルトガル、そしてイタリアをどう建て直すかといった難問を抱えています。新しく加入した東欧諸国との経済格差の解消も解決しにくいテーマでしょう。これほど経済力の違う国々を単一の通貨、ユーロで統一させていくのが無理なことなのかもしれません。

・今回の国民投票で唯一明るい光のように見えたのは,若い世代の多くが残留に投票したことでした。ウルリッヒ・ベックはそのことを『ユーロ消滅?』(岩波書店、2013年)の中で次のように指摘しています。


・若いヨーロッパ人はまず自らの国籍を通じて,それからヨーロッパ人として自己規定するのである。国境がなく共通の通貨をもつ欧州は,かつてなかったような移動のチャンスを彼らに提供している。そしてこの移動は、きわだつ文化的な豊かさ、言語、歴史、美術館、博物館、食文化等の多様性をもった社会空間において行われるのである。(86p.)

・EUは発足してすでに20年になる。若い世代の人たちにとってEUは、自らの国と同様にアイデンティティの拠り所になっているのです。この「コスモポリタン的自由」(ベック)を国民国家主義者の不法な介入から守るにはどうしたらいいのか。ヨーロッパ人であることを血肉化した若い世代の動きに期待したいものです。