・75歳を過ぎたら10万円と引き換えに死を選べる。『プラン75』は高齢化社会を是正するために国が考え出した制度だ。失業して身寄りがない主人公が最後に選択するのだが、見ていて何も救いがない、憂鬱になるだけの映画だった。 ・そもそも、こんな姨捨山そのものの制度が何の反対もなく合法化されるのだろうか。見る前から、そんな疑問を感じていたが、窓口で業務をしたり、プランに入った老人のケアをする職員たちが何の疑問もなく仕事をする姿に違和感を持った。彼や彼女たちも次第に疑問を持ちはじめるのだが、最初から思わなければおかしいはずである。 ・主人公(倍賞美津子)が最後に夕日を眺めるところで映画は終わって、プランを中止したことを暗示させるのだが、それで何か救われた気になるわけでもなかった。いったいこの映画は何が言いたいのだろうと、首をかしげたが、すぐ後に、「老人は集団自決をすべき」といった暴言を吐いたテレビのコメンテーターがいて、批判されたりもして、そういう空気があるのかと、改めて思った。 ・もっとも、今の日本の状況は政治的にも経済的にも、そして社会的にもひどいことになっているのに、デモ一つ起こらないし、メディアはどれも何一つ本気になって批判していない。収入が上がらないのに税金などでその半分が召し上げられ、五公五民などと言われている。破綻してもおかしくない借金財政なのに、防衛予算だけが突出して増えている。子供の出産数がどんどん減って、少子化を食い止めるのはもう無理になっているのに、今さら口先だけの「異次元の政策」などと言い出している。 ・であれば、近い将来に「プラン75」のような制度ができてもおかしくない世の中になるのかもしれない。そんなふうにも思いたくなった。何しろいつの間にか国の防衛が大事だということになって、「新しい戦前」などと言われはじめているのである。「国のために年寄りは早く死ね」といった思いが空気となって漂い始めているのだろうか。この映画はそれに警鐘を鳴らしたのかもしれない。そう思えば、納得できないこともないが、それではダメなんだと言うメッセージがなければ、やっぱり映画としてはダメなんだと感じた。 |