2024年7月15日月曜日

異常な暑さが当たり前になってきた

 

まだ梅雨明け前なのに、連日30度超えで、ついに34度とか35度という信じられない気温になりました。河口湖に住んで4半世紀になりますが、30度を超えはじめたのはここ数年ですから、温暖化のスピードはすさまじいと言わざるを得ません。我が家にはエアコンはありません。何しろ扇風機を買ったのも数年前のことでした。引っ越してきたばかりの頃には、肌寒くて冷麺も素麺も一度も食べなかった年もありました。京都に住んでいましたから、あまりの違いに、驚いたのですが、今はもうそれも昔のことになりました。

kokusho.png もっとも全国的には40度超えの地域も出ています。最高気温が40度以上になる「酷暑日」や、最低気温が30度を超える「超熱帯夜」ということばを初めて目にしました。このままでは、おそらく、夏の気温が40度超えになるのが当たり前になるのも時間の問題だと言えるでしょう。日本はもう完全に亜熱帯の地域になっているのです。

とは言え、河口湖の暑さは日中だけで、夕方には涼しい風が吹きはじめます。最低気温は20度近くに下がりますから、寝苦しい思いは今のところはしていません。早朝であれば自転車に乗ることもできますから、週に2回ぐらいは河口湖を一周して、運動不足にならないよう心掛けています。短時間ではありますが、伐採した木を薪にして、日当たりのよくなったところに積み上げることもやりました。もう汗びっしょりになって、終わったらシャワーでクールダウンといった一日を過ごしています。

kokusho.jpg 積み上げたのは栗と桜の木で、おそらく2立米ぐらいです。栗の木はかなりの大木でしたが薪にしたらこの程度かといった量でした。桜の木は皮が固くて割りにくくて大変でした。この量で、おそらく一冬の半分ぐらいは賄えるでしょう。原木不足の中、これから3年ぐらいは薪不足を心配することはなくなりました。温暖化の影響は冬にもあって、ストーブを燃やすのは夕方から朝までで済むようになりました。雪の降る日も少なくなったのです。

今年の梅雨は雨の降る日は少なかったのですが、降れば土砂降りで、全国的にも線状降水帯が頻繁に現れたようでした。梅雨といえばしとしと降って、じめじめしてというのが当たり前でしたが、梅雨のあり方にも大きな変化があるようです。こんな変化からうかがえるのは、温暖化はもう止めることができないという予測です。この変化はもちろん世界的なものですから、地球はこれからどうなってしまうのか。そんな不安も強くよぎります。

と書いていたら、梅雨が戻って、今度は肌寒い日が続いています。1週間ほどで梅雨明けのようですから、一時の涼しさかもしれません。それにしても極端な天気です。

2024年7月8日月曜日

宮本礼子・顕二『欧米に寝たきり老人はいない』 中央公論新社

 
miyamoto1.jpg 老人ホームにいる母親が脳溢血で倒れたという連絡が来た。もう何回目かだが、今回は重症だという。入院している病院に行くと、意識はない。呼吸はしているし、時々咳払いのようなものをする。飲み食いは当然できないから、鼻からの栄養補給だった。この状態では今までいた老人ホームには戻れないから、終末医療のできるところを探さなければならない。幸い、同じ系列のホームが近くにあるという。どうしたらいいのか、妹たちと相談することになった。

ネットで調べると、宮本礼子という認知症を専門にする医師の論文が見つかった。彼女には夫婦で共著の『欧米に寝たきり老人はいない』 もあって、さっそくアマゾンで購入した。それを読むと、欧米やオーストラリアなどでは、寝たきり老人は存在しないという。つまり、自分の力で食べられない、飲めないとなったら、もう何もしないで死を迎えるというのが、当たり前になっているというのである。驚いたのは、意識のある人に対しても、そういった対応をするのが一般的になっているという点だった。

確かに食べることも飲むこともできなくなったら、延命治療してもしょうがない。そう思う人は多いだろう。それに、栄養補給などをすれば、痰がつまって吸引する必要が出てきて、それがひどくつらかったりもするようだ。寝たきりになれば床ずれも起きるし、筋肉は衰え、身体は硬直してしまう。この本によれば、結局延命治療は、できるだけ生きていて欲しいと思う家族の希望によることが多く、それは日本や韓国などに特徴的な傾向なのだということだった。

で、僕らはもう何もしないで今まで住んでいた老人ホームで死を迎えるようにしようと考えたのだが、手違いがあって、退院後に終末医療のできるホームに移すことになった。で、栄養補給をしても母親の状態に改善が見られない時には、それを止めることにするということで、しばらく様子を見ることになった。ところが、病院に3週間ほどいた時にはほとんど変化のなかった母親の様子が少しずつ変わってきたのである。

マヒしていない左手を握ると、放させないほど強く握り返してくる。目も開くようになって、こちらを追うようになったという。ホームでは誤嚥に気をつけて、口からの栄養補給も試みるようだ。今さらながらに母親の生命力や体力の強さに驚かされてしまった。逆に言えば、入院している間、病院では一体何をしていたのだろうという疑問も感じた。面会に何度か行ったが、医師やカウンセラーから何の話もなかったのである。

母親の回復は子どもたちにとっては喜ばしいことだった。しかし、当の母親はどうなのだろうか。それが聞けるほどに回復するとは思えないから、どこかでやっぱり、家族が決断しなければならないことだと思う。僕はこの本に書いてあることに納得して、延命治療はしないでと思っていたが、少しづつでも回復している様子を見ると、その気持ちは大きく揺らいでしまう。

2024年7月1日月曜日

国会が終わり、都知事選が始まったけれど………

 

国会が終わり、都知事選が始まった。政治資金規正法改正だけの国会だったが、それも結局ザル法のままだった。円安が止まらず、貿易収支も赤字で、実質賃金は減り続けているというのに、ほとんど対応策がとれないままに、国会が終わったのである。岸田政権の支持率はずっと下がり続けていて、調査によっては17%という数字になっている。本来なら倒れていて当然の数字だが、当の首相は全く気にしていないようだ。

一番の要因はメディアの批判の甘さだろう。政権が支持されていないこと、政治資金規正法が手ぬるいと非難されていることを、世論調査を根拠に指摘しても、新聞が自ら、厳しく批判することはどこからも起こらなかった。自民党は最近の選挙でほぼ全敗している。世論調査でもその点ははっきりしていて、政権交代を希望、あるいは予測する人は半数を超えている。ただし、立憲民主党が政権奪取に向けて本腰を入れているわけではないから、衆議院選挙をしても、自民党が下野するところまでは行かないだろう。

そんな曖昧な状況はメディアにとっては好都合だということかも知れない。政府に頭を押さえられたNHKは言うまでもなく、民放はスポンサーと電通頼りだし、大手の新聞社だって、基本的には政権交代を望んではいないのである。日本は一体どこまで落ちるのか。改善策を見つけられない八方ふさがりの状態なのに、政治家も官僚も、そしてメディアも、自己保全のことしか考えていない。そんな態度や姿勢ばかりが目立つのである。

都知事選は小池百合子が3選をめざしている.蓮舫が立候補して二人の争いになっているが、調査では小池が圧倒しているようだ。大きな失政はないとは言え、先の選挙で公約した7つのゼロの多くは実現していない。神宮外苑の開発問題もあるし、何より学歴詐称の一件もある。しかしここでもまた、メディアはこのような点について強い批判を浴びせてはいない。フリーのジャーナリストを締め出した記者会見が当たり前になっていて、そこでは小池がいやがる質問は、ほとんど出ないようだ。非難を浴びせられる都内の街頭演説は避けて、八丈島や奥多摩に出かけている。集まる人は少ないが、テレビのニュースではトップに報道するから、それでも効果は絶大だろう。

都知事選には56人が立候補したようだ。中にはヌードのポスターを貼ったりする人もいて、一体何のためにと疑ってしまう。売名行為なのか、YouTubeやInstagramでのアクセス数を狙っているのか。そう言えば、衆議院議員の補選では他候補の邪魔をして逮捕された候補者もいて、YouTubeではかなりのアクセス数を獲得したようだ。こんな話ばかり耳にすると、もう世も末だと思わざるを得ない。どうせ誰が何をやったって、日本はもう経済的に復活などしない。だったら今だけ金だけ自分だけ。面白おかしく楽しくやろう。他人を傷つけたって構わない。そんな空気は何より最近のテレビにも溢れている。


2024年6月24日月曜日

ケネディ・センター・オナーをYouTubeで見る

 
kennedy1.jpg 今年になって1枚もCDを買っていない。この欄に書く材料に苦労しているのだが、YouTubeでたまたま「ケネディ・センター・オナーズ」のライブを見つけた。よく見ていたビリー・ジョエルが2013年に表彰された時のもので、2階席に設けられた彼の隣にはオバマ元大統領夫妻やシャーリー・マクレーンなどが座っていた。ビリーの生い立ちやミュージシャンとしての経歴を紹介し、ガース・ブルックスやドン・ヘンリーなどが代表曲を歌うというものだった。

この賞は、1978年から行われている。首都のワシントンにあるケネディ・センターで授賞式が開催されることからこの名がついたようだ。対象になるのは音楽、ダンス、演劇、オペラ、映画、そしてテレビの分野で優れた業績を残した人に与えられるものである。そして対象者はアメリカ人に限らない。音楽ではU2やポール・マッカートニー、そして小沢征爾が受賞している。

一つ見れば次々出てくるというのはYouTubeの特徴だ。スティング(2014)、キャロル・キング(2015)、ジェームズ・テイラー(2016)、ジョーン・バエズ(2020)、ジョニ・ミッチェル(2021)、U2(2022)、そしてブルース・スプリングスティーン(2009)、ポール・マッカートニー(2010)と見て、ボブ・ディランが1997年に受賞していることを知った。それぞれの授賞式に、その持ち歌を誰が歌うのか。ディランの時にはまだ若いスプリングスティーンだったし、スプリングスティーンの時にはスティングで、スティングの時にはスプリングスティーンだった。

大統領が同席し、タキシード姿という堅苦しい授賞式だが、それは客席だけで、ステージ上ではいつもながらのパフォーマンスが披露された。面白かったのは、民主党政権時の大統領が目立ったということ。ディランの時にはクリントンで、2010年代はオバマ、そしてここ数年のものはバイデンで、間にいたはずのブッシュやトランプはほとんどなかったのである。ここにはもちろん、トランプが出るなら受賞を辞退すると発言したり、言いそうな人が多くいて、出席しなかったという理由がある。ブッシュの時にも、受賞を辞退した人はいたのである。バイデンはともかく、クリントンやオバマはステージを本当に楽しんでいて、一緒に口ずさんでいたが、そんな光景はブッシュやトランプでは想像できないことだろう。

もっとも日本だったらどうか。こんな賞が半世紀も続いていたとして、授賞式には首相が同席する。おそらく演歌だったら一緒に口ずさむ人はいただろう。しかし、ロックはどうか。ブッシュやトランプ以上に想像しがたいことだ。そもそも芸術や文学に精通した政治家が、日本にはどれほどいるのだろうか。しかも、政治や社会について強い批判をする人たちを表彰する気になどならないだろう。アメリカで文化が尊重され、日本では軽視されていることを改めて感じた視聴だった。

2024年6月17日月曜日

観光スポットに異変あり!

 

今、河口湖周辺は外国人観光客で大賑わいだ。最寄りの富士急行線河口湖駅に行くと、一体ここはどこの国かと思うほど、多様な外国人で溢れている。その駅近くにあるコンビニの上に乗っかるようにして富士山が見えるというので、それを写真に撮ろうと大勢の人が集まっているようだ。道に出て、あるいは向かいの歯科医の駐車場から撮ろうとするから、交通の妨げになるし、クルマも駐車できなかったりする。町は撮影できないように黒幕を貼ったが、そこに穴を開ける人が続出しているようだ。それが全国に報道されているから、知人からのメールの話題になったりしている。

journal4-249-1.jpg 外国人観光客がたまたま撮ってSNSに載せた画像がきっかけで、観光スポットになった最初は、河口湖周辺では隣の富士吉田市にある忠霊塔から写した富士山だろう。右の景色はなるほど絵になっていて、外国人にとっては行って見たいという気にさせると思う。しかし、ここはそれ以前には、桜の季節以外には、訪れる人もまばらで、僕も一度行っただけだった。周辺には駐車場はないし、バスも通らないところだったのである。

journal4-249-3.jpg 富士吉田市は河口湖町と違って、観光客などほとんど来ないところだった。ところが忠霊塔をきっかけにして、他にも富士山を写すスポットが発見され、それがまた、交通や騒音、そしてゴミなどの問題を引き起こしているようだ。その一つが商店街の真ん中にそびえる富士山の画像らしい。おかげでほとんどシャッター通りだった商店街に観光客が目立つようになったのだが、それで店が繁盛するようになったわけではないようだ。富士吉田市はかつては富士山の登山口で、浅間神社があり、御師(おし)の宿もたくさんあった。

もっとも、そんな流れに乗ったあざとい狙いも目立っている。たとえば、三ツ峠に上る登山道にある母の白滝近くの山の上に、右のような鳥居が突然できた。以前はそこも、訪れる人もまばらなところだったが、わざわざ歩いて登ってくる観光客を見かけるようになった、それだけではなく、付近の森を伐採してキャンプ場が出来たりしたから、細い山道をクルマや人が行き交うようになった。河口湖周辺では他にも、斜面にキャンプ場が造られたりして、反対運動も起こっている。この町に住んで四半世紀になるが、周辺の景観の変わりようにはがっかりすることが多いのである。

forest179-7.jpgがっかりといえば、何と言っても新道峠から見た富士山の景色だろう。ここには下から歩いて登るか、御坂峠や黒岳から尾根伝いに歩くか、あるいは芦川村経由で林道をクルマで行くかのルートがあった。僕はここが富士山を見る一番のスポットで、あまり知られていないことが何よりもいいと思っていた。ところが、芦川村が笛吹市と合併し、町おこしの一環として、ここに展望台を作ったのである。

forest179-8.jpg ツインデッキと名づけられたこの地には、それ以降、一般のクルマは行けなくなって、専用のバスに限られてしまった。ところが、訪れる人が増えて費用が嵩んだことで、笛吹市はその料金を往復400円から1800円に値上げしたのである。市はこの件について、年間3700万円の赤字が出ていることを理由にしているが、これほど人気のスポットになるとは予想しなかったのだろう。

forest179-6.jpg こんなふうにして、周辺が急激に様変わりしている。クルマや人が多いのは週末に限らなくなっているから、出歩くことも時間や場所を考えてということになっている。実は富士山を眺める、ほとんど僕だけの場所がもう一つあって、そこには家から30分ほどの時間で登ることが出来る。いつ行っても誰もいないところだが、最近熊の出没が相次いでいるから、登るのを控えている。観光客とは違う困った客だが、熊にとっては自分の縄張りにやってくる人間の方こそ迷惑なのかもしれない。とは言え、我が家の周辺をうろつくことはやめてほしいと願っている。

2024年6月10日月曜日

見事な伐採作業!

 

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すでにこの欄で書いたように、隣地を購入して、生えている松の大木を伐採することにした。新しい土地に何かを作ろうというのではなく、松の枝が折れて落ちて屋根に当たったりして危なかったからだ。それに、別の隣地の赤松が強風で折れてしまったこともあった。伐採には、ストーブを購入して、原木を運んでもらっている木材屋さんにお願いした。松は20m以上あるから、ただ切って倒すというわけにはいかない。家もあるし、大きな欅の木もある。それで大型のレッカー車を使うことになった。当日やってきたレッカー車の大きさにびっくり。よくもまあ、ここまでの細い道をやって来れたものだと感心した。

forest201-2.jpg 作業はレッカーに吊るした檻のようなものに乗って松の上まで行き、ワイヤーをかけるところから始まった。そうしておいて根元からチェーンソウで切り、宙づり状態にしてブルドーザーと連携して少しずつ寝かせて、4mほどの長さに刻んでいった。最初の松を20分ほどで片づけたが、他の木を傷つけぬようにして行うその手際の良さにびっくりした。レッカー車を操縦する人、ブルドーザーを操る人、そしてチェーンソウで木を切る人。三人の連携が見事だった。

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forest201-7.jpg 伐採する松は全部で6本、それに栗の大木と、別の場所の桜の木が2本だった。伐採した木は作業の邪魔にならないように、置き場所を次々変えて行く。そして次の木にとり掛かる。記録係としては、iPhoneを持って、あっちこっち動き回って忙しい限りだった。もちろん、邪魔にならないよう細心の注意を払いながらである。切った後の切り株の大きさにまたびっくり。一番の大木は4.5トンもあったということだった。作業はほぼ午前中で終わり,レッカー車はすぐに退場した。昼休みをはさんで,午後に桜の木を切り、松の木を一ヶ所に積み上げて終了,ご苦労様でした。

forest201-8.jpg さて、栗と桜の木は薪にするとして、積み重なった松はどうするか。考えていることはいくつかあって、それはまた、この欄で紹介しようと思う。いずれにしても,枝だってバカにならない量で、山のように積み重なっている。片づくのは果たしていつのことになるやら。明るくなったところには新しい木を植えようと思うが,これも何にするか。林檎などの実のなる木がいいのだが、鹿はともかく,熊が来たら困ってしまう。実際、家のまわりをうろついた形跡があるからだ。いずれにしても大変やら楽しいやらの出来事だった。

2024年6月3日月曜日

とんだ1泊旅行だった

 
花畑が見られる時期に伊吹山に行こう。これは何年も前から考えていたことだった。で、今年こそと実現しようとしたのだが、とんでもない天候で行くことが出来なかった。庭の松の木の伐採が終わったら伊吹山に行こうか。そんな話をして宿の予約をしたのは半月ほど前だった。1週間ほど前の天気予報では雨マークがついていたが、何しろ僕ら夫婦は晴れ男と晴れ女で、めったに雨に降られたことがない。そう思って予報の変化を期待していたのだが、2日ほど前になっても雨は変わらなかった。それどころか大雨の予報である。さて、どうしようか。ちょっと高い宿を予約したからキャンセル料がもったいない。そんな気持ちも働いて決行することにした。

最初の旅程は家から新東名に出て名神の関ヶ原インターで降りて伊吹山ドライブウェイを山頂まで行き、しばらく散策して郡上の山奥にある宿まで行くというものだった。2日目は高山から松本に帰るとしていたのだが、翌日が晴れだったから、伊吹山は2日目に行くことにした。宿までのコースだが、松本から高山を考えて、中央高速で出かけた。最初はそれほどの雨ではなかったのだが、諏訪湖に近づくあたりから土砂降りになって、これは高速を使った方がいいと思い、そのまま中央高速を走り、東海環状道から東海北陸道で郡上八幡で降りた。雨は断続的に土砂降りになり、時には前が見にくくなるほどだった。

gujo1.jpg 郡上八幡は一昨年に能登に行った帰りに通過したが、訪れるのは初めてだった。長良川と合流する吉田川沿いの谷間に出来た街で、雨にも関わらず観光客が大勢歩いていた。そば屋で自然薯入りの蕎麦を食べて、せめてお城ぐらいはと、傘を差して歩いたのだが、背中も足もびしょぬれになるほどの雨だった。そこからかなり早かったが、宿に向かい、2時前にはチェックインして温泉につかった。晴れていれば満天の星が見えるはずだったが、大雨で、すぐ近くも何も見えなかった。夕食時から警報を告げるチャイムが何度も鳴った。通って来た道路も通行止めになったようだった。

翌日は天気が回復して、伊吹山に行けると思ったのだが、カーナビで行き先をセットすると100 km先に通行止めがあるいう。ちょうど伊吹山の辺りで、スマホで調べるとドライブウェイで土砂崩れがあって終日通行止めと出てきた。それでは仕方がないと、高山経由で帰ることにした。時間的に余裕があるから下道を北上すると、長良川最上流の夫婦滝という表示を見つけた。水量が多くて豪快な滝だったが、普段は二つに分かれていて、だから夫婦滝というのだということだった。そのすぐ先には太平洋と日本海(富山湾)に別れる分水嶺があった。小川とも言えないほどの小さな流れで、それが左右に別れている。本当かどうか疑わしいほどの流れだが、きっとそうなのだろうと思うことにした。

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fallenbirch.jpg で、高山の町を通り抜けて、上高地から松本に出て、中央道で家まで帰った。走行距離はおよそ700kmで、何のことはない、ドライブしただけの旅行だった。ところが帰宅すると、あたりに枝が散らばっている。それどころか、庭の白樺の木が根こそぎ倒れて、工房に寄りかかっていた。留守中にものすごい風が吹いたことがわかる有り様だった。知らぬが仏だが、こんな日に出かけるとはいい歳をして何と無茶なと、反省するばかりだった。しかし、伊吹山には絶対行きたい。そんな気持ちもますます強くなった。