司馬遼太郎『南蛮の道I,II』朝日新聞出版
渡部哲郎『バスクとバスク人』平凡社
坂東省次他編『スペインのガリシアを知るための50章』明石書店
・ワールド・カップも日本が負けて、ヒートアップしていたメディアも静かになったが、僕は中南米諸国の強さに引き続き興味を持っている。決勝トーナメントに残った国が7つもあって、その多くはスペインの植民地から独立した国だからだ。そして当のスペイン、そしてブラジルの宗主国だったポルトガルは、戦前の予想に反して1次リーグで敗退した。
・その負けてしまったスペインとポルトガルに夏休みに出かけることにしている。もちろん、目的はサッカーではない。どちらも現在では、EUの中にあって、お荷物的な存在になっている。けれども、両国が世界に与えた影響は中南米を中心にして、計り知れないほど大きい。生活文化や宗教、言語、音楽、建築、そしてスポーツ等々上げたら切りがないほどだろう。
・スペインには2006年に出かけている。その時には戻ってから何冊か本を読んで、このコラムでも「スペインについての本」というレビューを書いた。旅行で受けた強烈な印象や疑問に答えてくれたのは堀田善衛のエッセイだった。ローマだけではなくイスラムの影響があること、他のヨーロッパ諸国とはちがって、宗教改革や近代革命、産業革命がなかったこと、中南米から収奪した金銀財宝を浪費して、貧しい国になってしまった理由などが書かれていた。
・今回読んだなかでおもしろかったのは司馬遼太郎の『南蛮のみち』である。この本の主なテーマは「南蛮」にある。外の世界と言えば中国とインドしかなかった日本人の世界観の中に、その壁を破ってやってきたのが「南蛮」だが、彼はそれを自ら確認するために旅に出た。「南蛮」の糸口にしたのはフランシスコ・ザビエルだった。僕は「南蛮」と日本の関係についてはあまり興味がないから、ザビエルについてよりは、彼がスペインを歩きながら感じ取ったスペイン理解について、納得しながら読んだ。
・スペインといえば赤茶けた大地というイメージだが、ローマ帝国が支配した時代にはそうではなかったようだ。イスラム王朝が支配した時代には森の消滅が進んでいたようだが、イスラム人は灌漑技術を駆使して農業を重視した。しかし、キリスト教徒による「レコンキスタ」(国土回復運動)とコロンブス以降のアメリカ大陸侵略が、自国の自然や農業を軽視させ、現在のような赤茶けた大地をもたらしたというのである。
・納得したことはもう一つ。アメリカ大陸の国家を見た時に気づくのは、メキシコ以南の国の人びとには原住民と白人、あるいは黒人の混血が進んでいて、北米とは対照をなしていることだろう。その点についての司馬は、ローマやイスラムの支配によって、他のヨーロッパ諸国とはちがう混血が進んだことに理由を求めている。
・とは言え、スペインは単一民族の国家ではない。むしろ、その違いを主張して独立を求めている地域がいくつもある。その典型はバスクで、『南蛮のみち』が追ったザビエルもバスク人だった。バスク人は他のヨーロッパの民族とは言語をはじめとしてかなり異質な特徴を持っている。しかもスペインだけでなく、フランスにまたがって住んでいる。漁業に長けていて、アメリカ大陸にもスペイン人として移り住んでいったようだ。他方でバスク人のアイデンティティにも固執して、スペイン内戦から民族独立運動まで、強い抵抗をし続けている。ヒットラーのドイツによって空爆されたゲルニカはピカソの作品で有名だが、チェ・ゲバラもバスク人だったと聞くと、なるほどと納得したくもなった。他の地域とはちがって産業も発展して、ビルバオという鉄鋼業で発展した都市も作った。ここにはグッゲンハイム美術館もあるから、ゲルニカを訪れることもふくめて、数日間滞在しようと思っている。
・もう一カ所訪ねるのはスペイン北西部のガリシアだ。ケルトの文化が残っていて、アイルランドやスコットランドと共通した音楽もある。あるいは巡礼で有名なサンチャゴデコンポステーラの教会もある。音楽についてはすでに「ガリシアのケルト」で紹介をした。『スペインのガリシアを知るための50章』によれば、スペインでも閉鎖的な辺境の地として取りざたされることが多いようだが、バスク同様にアメリカ大陸に移り住んだ人が多かったようだ。キューバのフィデル・カストロ、アルゼンチンのラウル・アルフォンシンなど、国家の指導者になった人もいる。あるいは独裁的権力を持ったフランコ将軍もガリシア出身である。
・まだまだわからないことは多いが、バスクとガリシアを訪れる楽しみがますます膨らんできている。