吉成順『<クラシック>と<ポピュラー>』ARTES
南田勝也『オルタナティブロックの社会学』花伝社
・音楽は大きく「クラシック」と「ポピュラー」の二つにジャンル分けされる。単純には、前者は古くて後者は新しいと思われているが、実際には、音楽の種類の違いであって、時間や時代に制約されるものではない。一般的には、コンサートホールの座席に座って音だけに神経を集中させて聴く「集中的聴取」が「クラシック」なら、「ポピュラー」は、立ち上がって踊ったり、手拍子したり、あるいは飲食をしながら聴く「散漫な聴取」が許される音楽だと思われている。
・『<クラシック>と<ポピュラー>』は音楽にこの違いが生まれたのがいつ、どこにおいてなのかを探求した研究書である。「クラシック」はもともとはヨーロッパの宮廷などで、上流階級の人びとが集まる社交の場で演奏される音楽として発展した。当然、そこには流行があり、古くなれば忘れられていたのだが、古いもののなかで良いものを厳選して再演しようとする動きが現れた。そのための演奏の場やジャーナリズムを支えたのは、近代化のなかで台頭した「ブルジョア」階級だった。本書の前半は、その過程をドイツを中心にして解き明かしている。
・他方で、近代化によって大発展した都市には地方から移住した人びとの中から生まれた音楽もあった。それらは主にパブやミュージックホールで歌われたり演奏されたりして「ポピュラー」と称せられることになるが、「クラシック」とはっきり区分けされるのは19世紀の後半のことである。その前の一時期には、たとえばパリのシャンゼリゼ通りの一角に特設された会場で行われる「プロムナード・コンサート」が流行して、そこでは二つのジャンルに分離される音楽が混在したかたちで演奏されたそうである。
・音楽の混在は、当然、そこに集まる人たちにも当てはまる。つまりこのコンサートには「ブルジョア」も「労働者」もいて、一つの音楽を一緒に楽しんでいたはずなのである。上流階級から生まれた音楽が「ブルジョア階級」によって「クラシック」になり、労働者階級が楽しんだ音楽が「ポピュラー」になる。しかし、そう区分けされる前の一時期に、両者が混ざり合ってストリートで演奏され、楽しまれたことは、ヨーロッパにおける近代化や都市の発展、そして階級の成立過程を見る上でも、きわめて興味深い分析だと言える。
・音楽におけるこのジャンル分けは、種類の違いというだけでなく、芸術的、知的レベルの違いとして序列付けされるようになった。その序列を揺さぶる動きは、20世紀の前半に登場したジャズにはじまり、後半に登場したロック音楽によって大きくなった。ロック音楽はアメリカの黒人音楽と、それに影響されて生まれたイギリスの労働者階級育ちの若者によって作り出されたものである。この新しい音楽の興隆がアメリカにおける黒人の位置やイギリスにおける階級の問題と深く関連していることは言うまでもない。
・南田は以前に『ロック・ミュージックの社会学』(青弓社)で、ロックとアートの関係を分析しているが、『オルタナティブロックの社会学』は、ロック以後やロックの現在形を対象にしている。既成の政治や社会、そして文化に対して痛烈な批判をして共感を呼んだロックは、商業的にも成功したことで、新しい流れによってくり返し批判され、乗り越えられてきた。パンクやレゲエ、ゴシック、あるいはヒップホップといったものである。著者はその現在形をグランジに見て、ロックの核心にあるロックたるものと、「ポピュラー」であるゆえに逃れられない商業性との確執に揺れ動く様子に焦点を当てている。
・ロック音楽はアートであり、文学であり、また政治的、社会的、そして文化的批判のための武器でもある。そこに本物性(オウセンティシティ)という価値をおけば、商業性やポピュラリティは両立しにくい要素になる。ポピュラー音楽が産業として大がかりなものになり、巨大な市場となった現在では、本物であることとポピュラーであることを具現化できるミュージシャンは希有の存在だと言えるかもしれない。本書では、その狭間で悩み、自殺をした「ニルヴァーナ」のカート・コバーンに注目している。
・そのコバーンが死んでからすでに20年になる。その間のオルタナティブ・ロックは小粒で、目立ったものはポピュラーに振れている。くり返しロックは死んだという言説で批判された音楽が、今ではクラシックとして一ジャンルを形作っている。1世紀半ほどの時を隔てて、クラシックとポピュラーが再構築されたと言えるのだろうか。僕はもちろん、その両方に興味がある。
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unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。