『モリのいる場所』
『ラッキー』
『ペンタゴン・ペーパーズ』
『ウィンストン・チャーチル』
・ここのところよく映画館に出かけている。もっぱら甲府で、メジャーな映画は「東宝シネマ」、マイナーなものは「シアターセントラルB館」だ。いつ行っても見ている客は僕等以外に数人だったのだが、『モリのいる場所』は珍しく20名以上いて、笑い声や話し声が聞こえた。
・『モリのいる場所』は画家の熊谷守一のたった一日の生活を描いたものだ。演じるのは山崎努でその妻役は樹木希林。老夫婦の一日は朝食で始まり、昼食を挟んで夕食で終わるが、出入りする人の数は多い。出版社の編集者、カメラマン、若い画家たち、そして旅館の看板を書いてもらいに来た人などだ。そんな忙しいやりとりの中でモリはお構いなく、毎日の日課をこなす。
・彼が出かける場所は庭のあちこちで、そこで蟻や蝶やメダカを飽きもせず眺めている。彼はもう30年以上、家から出たことがないという。そんな大事な庭が近くに立った高層マンションで陽があたらなくなってしまう。家の塀にはマンション反対を訴える張り紙がいくつも並んでいる。しかし、夕御飯は、その現場で働く人たちを呼んでのにぎやかなすき焼きパーティだった。
・熊谷守一は文化勲章を辞退している。映画にはこれ以上来客が増えては困ると電話で断るシーンがある。盛りだくさんの話題を、小宇宙を巡るモリの日課と対照させて一日の物語にした。話としてはおもしろい。そんな感想を持った。
・『ラッキー』は『パリ・テキサス』でトラビス役を演じたハリー・ディーン・スタントンが死ぬ一年前に撮った映画である。90歳を超えた老人が主人公である点で『モリのいる場所』と似ているし、毎日する事が同じだというのも共通していた。ただし、ラッキーは一人暮らしで、一日の大半を出かけて過ごしている。朝昼晩、同じ所に出かけて、顔なじみの人とおきまりのやりとりをする。家に帰って一人になってする事は、自分の人生を振り返ることと、もうすぐやってくる「死」について考える事だ。
・ラッキーはヘビースモーカーでしょっちゅうたばこを吸っている。やせ衰えた風貌は明らかに癌に犯されたもので、スタントン自身もこの映画を撮った一年後に肺がんで死んでいる。映画にはスタントン自身の体験にもとづく話も描かれていて、ラッキーはスタントン自身のように思えてきた。まさに遺作と呼べるものだろう。
・『ペンタゴン・ペーパーズ』は、ベトナム戦争についての最高機密文書を巡る政府とメディアの戦いを描いている。監督はスピルバーグで、メディアとの戦いに明け暮れるトランプ大統領の存在に危機感を持って作られたようだ。この機密文書はベトナム戦争とトンキン湾事件に関して作られた政府報告書だった。その執筆者の一人であるダニエル・エルズバーグが全文をコピーしてニューヨーク・タイムズに渡した。
・ただし、映画の舞台はワシントン・ポストで女社主役のメリル・ストリープと編集主幹役のトム・ハンクスで、社運と報道の自由をかけた政府との戦いが描かれている。ワシントン・ポストはこの戦いに勝利した後、「ウォーターゲート事件」を暴露してニクソン大統領を辞任に追い込む働きもした。トランプを追い詰めて止めさせよ、というスピルバーグのメディアに対する叱咤激励のメッセージのように感じたが、日本のメディアの弱腰さを思い知らされる内容でもあった。
・『ウィンストン・チャーチル』の原題は"Darkest
Hour"でチャーチルの名はない。『ペンタゴン・ペーパーズ』の原題も"The
Post"で機密文書ではない。題名はその作品をもっとも良く表象するものだが、原題のままでは日本人には何の映画かよくわからないだろうと思う。原題と邦題の違いは時に奇妙な感じをもってしまうこともあるが、この二作は賢明な名づけだと思った。
・台頭するヒトラーのドイツがフランスに攻め込んで、加勢するイギリス軍が苦境に立たされている。イギリス議会はその苦難に対処するためにヒトラーに批判的なチャーチルを首相に選んだ。徹底抗戦を主張するチャーチルと、あくまで和平交渉で解決すべきだとする勢力とのせめぎ合いがこの映画の主題になっている。
・この映画では日本人のメイクアップ・アーティストがアカデミーを受賞した。しかし僕にはチャーチル役はフルシチョフのように見えた。また、映画を見ながら、カズオ・イシグロの『日の名残』の執事が、和平交渉派の貴族政治家に仕えたことなども思い出した。そのせいか、チャーチルを英雄視した国威発揚映画のように感じられた。
・最近、テレビやパソコンでも映画をよく見るようになった。暇になったおかげで、今のところ「毎日が日曜日」を満喫している。それにつけても、「働かせ改革」は企業の側に立ったひどい法案だと思う。