2000年8月1日火曜日

Neil Young "Silver and Gold",Eric Clapton "Riding with the King",Lou Reed "Ecstasy"

 

・元気な中年ロッカーの新作が相次いでいる。まずはニール・ヤング。久しぶりのアコースティックで、昔をふりかえるような内容である。「君にまた会えて良かった」と歌う一曲目。デビューしたときのバンド「バッファロー・スプリングフィールド」についての歌では、バンドがだめになった理由を思い返し、誰が悪かったわけでもないと言っている。突っ張りのやんちゃ坊主たち。

・今では楽しみのために歌うことができる、と言うとおり、このアルバムには何の気負いも、気取りもない。歌いたいときに歌い、つくりたいときに歌をつくって、出したいときにアルバムを出す。頭はだいぶ薄くなって、からだは重たくなったが、ヤングの声は名前の通り、昔のままでみずみずしい。ヤングというよりはボーイ・ソプラノ。しかし、その声からは、ナーバスな感じが消えて、落ち着きやゆとりが生まれている。クレイジー・ホースとやるロックこそニール・ヤングだと思う人には物足りないかもしれない。でも、ぼくは彼のアコースティックな歌が好きだ。特に今はそう思う。

・ふりかえると言えばクラプトンのアルバムも同じだ。ただし彼は、ロックンロールの生みの親であるB.B.キングと歌っている。ジャケットにはオープン・カーを運転するクラプトンと後ろの座席でくつろぐキングがいる。かたわらにはそれぞれ愛用のエレキ・ギター。何か冗談でも言い合っているのか、二人とも笑っている。本当に楽しそうだ。裏には30年以上前に一緒に並んでギターを弾いている写真。当然二人とも若い。

・「スロー・ハンド」と呼ばれるクラプトンのギターはロックを象徴するようなサウンドを聴かせてきたが、キングは彼の少年時代からのヒーローだった。だから、30年以上前の写真に写っているクラプトンの表情は真剣そのものだ。クラプトンはいつかキングと一緒にアルバムをつくろうとずっと夢見てきた。彼の笑顔はその夢が叶った喜びの表情なのかもしれない。
・もちろん、B.B.キングを敬愛するロック・ミュージシャンは多い。ぼくが10年ほど前に出かけたU2のコンサートは、キングとのジョイントだった。ステージではボノがいかにも楽しそうにキングとデュエットをしていて、ぼくはそのシーンを今でもよく覚えている。

・20世紀の後半は「ロック音楽の時代」といってもいいと思うが、そのきっかけを作ったのはB.B.キングとマディー・ウォーターズ。この二人がいなければ自分もいなかった。成功したロックミュージシャンには、そんな気持ちが共有されている。半世紀を経て、ロックも歴史になった。この先の行方を見定めるためにも、過去を振り返って見る必要がある。クラプトンのアルバムには、そんなメッセージが読める気がした。もちろん、二人の歌はノリが良くて楽しい。ロックの原点と、そして今。

・ルー・リードのニュー・アルバムは「エクスタシー」。ジャケットには目を閉じたそんな顔が連続的に5枚。エクスタシーとはいえ、セックスではなくドラッグでもない、気持ちよく歌っているときの表情のようだ。
・もっとも、歌の内容は恋人たちの出会いと別れ、夢と悪夢、共感と欺瞞といったもので、彼のつぶやくことばはいつもながら、シニカルで、しかも優しい。

彼女が愛って何と呼んだらいいって聞いた
そうだな、家族じゃないな
性欲でもない
わかってるだろうけど、結婚なんかじゃ断じてない
結局は信頼ってことだろう
しいて言えば、愛は時間だ(Turning Time Around)

・この歌を聴きながら、ぼくはG.ジンメルの「誠実(トロイエ)」ということばを思い出した。

心には、それを一般にある道へと導いた衝撃がすぎ去った後にも、なおひとたびとられた道を固執する持続力があり、誠実をこのような心の持続と呼ぶことができる。(『社会学の根本問題』岩波文庫)

・愛が一時の衝動であることはよく言われている。だから恋愛と結婚は別といった割り切り方がされたりする。しかし、愛とは、そのような衝動が消えた後に残る一人の相手、一つの対象、一本の道にこだわる気持ち。心の持続。3人のロック・ミュージシャンから伝わってくるのは、何よりロックに対するこの気持ち、「誠実(トロイエ)」である。ぼくも全く共感!!

2000年7月24日月曜日

伐採と薪割り

工房をつくるために、庭の赤松と唐松と杉を10数本伐採した。といってももちろん、ぼくがやったのではない。専門の人が3人がかりで、ブルドーザーまで使ったのである。伐採は当然ながら、倒す方向が一番問題になる。川に向かってということになったが、樅の木がじゃまになる。まずそれを移してということになった。あいたところからブルドーザーが進入。雑草はあっという間になぎ倒されて、すっかり見通しが良くなった。


で、一本一本伐採。ブルドーザーが幹を押さえつけて方向を定める。チェーンソーが動き始めると、20m以上もある大木が数秒でなぎ倒されてしまう。あまりのあっけなさに、拍子抜け。1時間もたつと庭には太陽がさして、今までとは違う雰囲気。部屋の中まで明るくなった。チェーンソーをもっていたのは70歳を過ぎたおじいちゃんで、始める前と終わった後に丁寧に道具の手入れをしていた。使いっぱなしのぼくの道具が気になってしまった。 この土地は昔から森だと思っていたのだが、管理人さんが、戦前には農地だったといった。放置された後に赤松や唐松、欅や杉が自生したのだそうだ。そうすると、この鬱蒼とした森もおよそ半世紀ほど。ぼくと同じ年齢ということになる。松の成長の早さに改めてびっくり。とはいえ、生きている木を倒すのは殺生をしているようで何となく後ろめたい気もした。せめて大事にして、冬の暖房に使うことで供養にしよう、などと全く自分勝手な納得の仕方。

伐採した木は3mほどに切って、ブルドーザーで山積みにしてもらった。二山の木材は全部で50本以上。とりあえず動かしやすい細いものから、電動のチェーンソーで30cmほどに切って斧で割りはじめた。蚊がいるし、材木の皮で傷つくから、長袖で作業をした。涼しいとはいえ、5分とたたないうちに汗びっしょり。春先までとはずいぶん違う。

午前中からはじめたのだが1時間ほどで中断して、また夕方再開。5本ほどをやっと割り終えたのがごらんの通りの量。山のように積んで、その成果に一人にんまり。全部割るのは大変だが、しかし一回分がこれだけの量になるとすると、積み上げる場所にも苦労しそうだ。家の周囲だけではとても間に合いそうにない。
などと考えながら、全く逆の心配もした。それで、いったいどのくらいもつのだろうか。まさか1年ということはないだろうと思うが、ひょっとしたら、使い切ってしまうのかもしれない。薪ストーブで一冬すごそうと思ったら、いったいどのくらいの森が必要なのだろうか。全然予測がつかないのは何とも頼りない。

工房が建った後で、当然、何本かの木を植えるつもりでいる。雰囲気からいったら断然白樺だが、それは伐採する木ではない。では松や杉を植えるかというと、薪にできるまでには、少なくとも10年はかかるし、第一、見栄えが良くない。一挙に豊富になったとはいえ、ストーブを使い続けるためには、毎年山のような材木がいる。だから倒木を見つけたら、やっぱりこまめに運んで来るよう心がけなければならない。


周辺には育ちすぎて危険になった松がかなりあるようだ。ペンション村が中心になってつくっている自治会では、その伐採も検討されている。我が家の薪の供給源にはなると思うが、森と一緒に生活するのは、いろいろと難しいことが多い。薪割りと積み上げた満足感、それに新しい庭の風景を想像しながら、思いはあちこちにうろうろ、ふらふら………。我ながらつくづく、自分勝手だと思う。

2000年7月17日月曜日

多木浩二『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』他

 

・大学院の授業でベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』を読んだ。メディアについての基礎文献にふれるためのもので、ぼくにとっては何回目かの通読だが、やっぱりおもしろかった。これほどメディアの変容が激しい時代であっても、中身が陳腐化することがない。だからこそ、目先の新しさを追う新刊本に惑わされて、大事な古典ともいえる本を見逃さないでほしい。学生たちにつたえたいことは何よりそこにあったが、たまたま多木浩二の『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』がでて、また新しい読み方を教えられた気がした。

・『複製技術時代の芸術作品』でおさえるべきことは近代化によって生じた芸術の「礼拝的価値」から「展示的価値」への変化。そして複製技術の登場によって引き起こされた芸術がもつ一回性、唯一性の根拠となる「アウラの消滅」。さらに、そこから展望される「文化の民主化」の可能性といった点だった。しかし、多木浩二は、ベンヤミンがここで見ていたのは、アウラを喪失した芸術が「史上初めて巨大な遊戯空間に生きる場を見いだす過程」だという。写真とそれに続く映画は、人間を疎外する技術に代わってあらわれた第2の技術。それは人間を解放する可能性をもった遊戯空間をつくりだす。

・もっとも、大衆の人気を獲得しはじめた映画は、すぐに大衆によってではなく映画資本、さらにはファシズムによってコントロールされるようになる。スター崇拝と観客礼賛。それは大衆が真に望むものではなく、望んでいると思いこまされるものでしかない。だから、そこでは相変わらず人びとは技術に操られたままでしかない。そうではなくて、技術を使って大衆が自らを解放する道の可能性………。

・ベンヤミンが見ていたのは絶望のなかのほんの一筋の光明だが、写真や映画はベンヤミンが期待した世界を実現したのだろうか。そうともいえるし、そうではないともいえる。その曖昧な展開をベンヤミン自身も、見通していたが、何よりそこがベンヤミンの洞察力のすごさで、多木浩二が力説しているところである。

・『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』を読んで、彼の別の本も再読したくなった。まず『ヌード写真』。裸、それも女性のそれは絵画の時代から一つのテーマだった。当然写真の時代になってもそれは変わらない。と言うよりは、ますます強調されるようになった。写真の始まりはダゲレオタイプだが、もちろん、その発明と同時にヌードは登場する。しかし、その写真は公にはされない。あくまで個人の秘蔵物として珍重される。多木は、それを公に普及した個人や家族の肖像写真と対にして考えるべきものだという。近代社会のなかでは性は結婚した男女がつくるプライベートな世界、つまり家族のなかに閉じこめられる。そしてさらに、家族のなかでもまるで存在しないものであるかのように扱われる。しかし、それが、なくてはならないこと、少なくとも男にとってはやらずには我慢ができない行為であることはいうまでもない。多木はヌード写真が生まれ、珍重された裏には、こんな社会の構造があるという。

・ヌード写真は、男の性的欲望が描き出す世界。だから写真に映っているのが陰毛や性器を露出した女ばかりになるのは当然である。ヌード写真は男がする視姦行為にほかならなかったからである。そして、20世紀の後半になると、そんな写真が雑誌のピンナップや広告、映画、さらに日本では、テレビでも溢れ出すことになる。それは性や性表現の自由の実現なのだろうか。多木は、そのような写真が相変わらず男による視姦行為の対象であること、性的欲望を物的欲望に転換するための手段として使われていることをあげて、一面では、ダゲレオタイプの時代から性の感覚に変化は見られないのだという。

・しかし、他方では、このような写真の氾濫はそれを限りなく無意味化、無力化する。限りなく無限に近い力が、同時に限りなくゼロに近い空虚なものでしかない世界。写真はまさにそのような現代社会の特質の象徴である。

・『ヌード写真』はヌード写真を材料にして、社会や政治や経済について考えた本である。ぼくはこのような視点に共感するが、それは多木浩二のもう一つの著書である『スポーツを考える』でも変わらない。スポーツはナショナリズムの高揚手段としてくりかえし使われるづけてきたが、逆にまた、国境や人種の壁を真っ先に破る働きもしてきた。あるいは、アマチュアリズムに顕著なように商業主義に対する拒絶感をもつ一方で、資本の論理によって盛衰をくりかえしてもきている。スポーツを対象にするおもしろさや大切さが、このような視野をもつことにあるのは明らかだが、スポーツの専門家にはまた、芸術同様、どうしようもなく欠落したものであることもまちがいない。

2000年7月10日月曜日

掲示板を作ろうかな?

  • 東経大に移ってから、見知らぬ人からのメールが少なくなった。アクセス数は、1日に100を越えるようになっている。多くの人が訪ねてくれているはずだが、反応がほとんどない。さまざまなダイレクト・メールがごそっと入るようになったのとは対照的で、ちょっと残念な気がしている。
  • 理由はよくわからない。はじめの頃は、こんなHPがあるなんて、という反応が多かったから、HPが珍しいもの、新鮮なものではなくなったということなのかもしれない。たとえば、中学や高校の先生からのメールというのは、ほとんどこなくなった。もっともこれについては、関西から東京に移ったせいかな、という気もしている。大学の後輩だったとか、生徒にあなたの大学に行くことを薦めたといった話が多かったからだ。
  • いずれにしても、アクセス数ばかり増えて反応がないのは、あまり喜ばしいことではない。で、掲示板でも置こうかな、と思い始めている。ただし、僕は掲示板のやりとりはあまり好きではない。どれを見ても携帯の延長で、しょうもない内容が多い。気の合う仲間や友達であることの確認などはやりたくもない。それに、人生相談などを持ちこまれるのもやっかいだ。だから、無用と思っていたのだが、ぼくのHPについての反応だけと断って載せてみようかなどと考えている。
  • 反応が少ないことについて、ある学生に聞いてみたら、「先生のHPに感想を書くのは、ちょっとハードルが高くて気が引ける」と言われてしまった。そんなに難しいことを書いているつもりはないし、きちっとした感想でなければだめ、などと断ってもいないのだが、気楽には書きにくいのかもしれない。よその大学の学生から匿名で安直な質問やお願いなどがあると、腹が立って、お小言の返事を送り返したりするし、そんなことをこの場でも書いたりしているから、確かに敷居は高いのだろう。ちょっと反省という気もするが、しかし、だからといっていい顔も、迎合もしたくはない。なかなか難しいところだと思う。
  • 以前にも書いたが、実はぼくが一番ほしいメールは高校生からのものだ。行きたい大学を決めるのにインターネットを活用する。そんな学生が増えるのではと思っていたのだが、いつまでたっても全然こない。大学案内が段ボールで来たりするから、その必要はないのかもしれないが、しかし、大学案内には具体的な内容がほとんどない。あってもいいことばかり紹介されているから、有効な資料とは思えない。大学の先生が必ずしもHPを出しているわけではないし、その増え方も遅々としたものだが、それでも、役に立ちそうなHPはかなりあるはずだ。
  • 今年の新入生のゼミでHPを作った。半期のクラスだから、とりあえず数頁ほどを大学のサーバーに載せる。そこまでがやっとだった。学生たちは朝1時限の授業にもかかわらず、開始時間にはほとんどが集まって、楽しそうにやっていた。HTMLの基本を教えてページを作らせると、学生たちは、背景の色合いや文字の形、それにページを移動させるボタンなどが指示通りになることに歓声を上げて喜ぶ。その新鮮な感動は、教える者にとってもまた、大きなやりがいになった。
  • しかし、それは学生たちが、大学にやってくるまでにインターネットはもちろん、パソコンにさわりもしていないことを意味している。IT革命などと言うけれど、これが現在の高校までの教育の現状である。何年たってもまるで改善されていない。中国や韓国の熱の入れ方を耳にすると、数年先には日本はとんでもなく遅れた状況になって、世界から取り残されるのではと思ってしまう。
  • 話がちょっと脇道にずれた。今回のテーマは掲示板である。携帯電話と違ってインターネットは見ず知らずの人との出会いやコミュニケーションを基本にしている。それによって広がる世界を有効に活用すること。うまく使えば掲示板が果たす役割は大きいはずだ。ぼくはよく野茂投手のファンが集まる掲示板を覗いている。彼は今年不運続きで、ファンは一様にいらいらしている。しかし、彼の活躍を待ち望むという気持ちを共有しているせいか、議論をしあっていてもお互いに対する気配りが感じられて、とても好感が持てる。匿名をいいことに無責任でがらの悪い発言をする掲示板も目立つが、これはHP作成者のポリシーでコントロールできるのではないかと思う。
  • いずれにしてもインターネットは新しいコミュニケーションの道具なのだから、ルールや礼儀をみんなで作り上げていく発想がなければ、言いたい放題の無責任な場か、馴れ合いの関係になってしまう。そのあたりも掲示板をつくって考えてみようか、などと思っているが、それではやっぱりハードルが高くて、誰も書き込みなどはしないのかもしれない・
  • 2000年7月3日月曜日

    桑の実と木工

    まず桑の実。僕は小さい頃に摘んで食べた記憶があって、母親には唇を真っ赤にして帰ってきた、といわれているが、それでも、まるではじめてのような感激だった。「赤とんぼ」の歌の中にある風景そのままに「桑の実を小かご」に摘んでみた。甘くておいしい。木イチゴなどもたくさんなっていて、サラダに入れて食べている。

    もう一つはクルミ。実がたわわになる木を何本も見つけた。秋のはじめには収穫できるだろう。ちょっと得意顔でいえば、クルミは実ではなくて種の部分なのである。

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    ・家の周りが緑一色になった。今年は雨が多いから、成長の勢いが一段とあるのかもしれない。茂みになって気をつけないと蛇をふんずけるなどと脅されたりしているから、庭に出るのも長靴ということになってしまう。しかし、毎日毎日発見するものは多い。
    花も次から次へと咲いている。雑草の中に隠れるように咲き始めるから、草取りをすることができない。おかげで庭は水を含んだ葉っぱで覆われていて、ちょっと歩くとびしょびしょになってしまう。湖畔にはラベンダーも咲き始めた。

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    20-02.jpeg 部屋でパソコンをやっていると、ドシンという大きな音がした。何かが倒れたのかと思って家の中を見回したが、そうではない。で、窓から外を見ると、山雉が倒れている。羽根がけいれんしてぴくぴく動いていたが、すぐに死んでしまった。雉は飛ぶのが下手でよくぶつかるのだそうだ。フランス料理のシェフなら、いい素材と思うのだろうが、僕は草むらに放り投げてしまった。

    て、その中で作品を焼くことにした。割れたものもあったが、煤がついていい雰囲気になった。それにしても6月にストーブを焚くとは思わなかった。

    僕は僕で、木工に目覚めてしまった。最初は檜の枝をつかって木刀を何本かつくったのだが、白樺が細工しやすいことを発見して、ナイフやフォーク、スプーン、それにしゃもじやへらなどを次々作り始めた。使いやすいものは形状がむずかしいし、彫刻刀は削りにくいから、気に入ったものはなかなかできないが、ナイフを持っていると奇妙に気持ちが落ち着くから不思議だ。
  • ただの木片が、次第に形を見せてくる。そのおもしろさに、一つ作ってはまた一つ。手には刺し傷や切り傷。バンドエイドがいつも巻かれている。ほんのちょっとした傷でも、当然痛い。人を切ってみたいとか、殴ってみたいなどと思う少年たちは、きっと刃物を使って木を削ったことなどないのだろう。

  • 2000年6月26日月曜日

    中山ラビ・コンサート


    吉祥寺 Star Pine's Cafe 6/18

    rabi1.jpeg・吉祥寺の街を歩いたのは何年ぶりだろうか。昼前に雨がやんだ日曜日の午後。通りは人で溢れかえっていた。実は街中を歩くのも数カ月ぶり。人のたくさんいるところはせいぜい大学のキャンパスだったから、暑さもあって目眩がした。体はすっかり森のリズムになっている。居心地の悪さを感じたが、今日は夜コンサートがあって、吉祥寺にはそのために来たのだ。
    ・吉祥寺には中央線の特別快速は止まらない。しかしデパートがいくつもあって活気がある。昔からある駅前の商店街も健在なのに、北口の道路が整備されて駅前には広場ができているから、ごみごみした感じもない。折からの衆議院選挙でロータリーには選挙カーがやってきていた。菅直人、中村敦夫とタレント揃いで、思わず足を止めて話を聞いてしまった。結果が決まっている田舎の選挙区に住んでいると選挙にはほとんど関心が持てないが、やっぱり東京はタレント社会だな、と思った。
    ・で、コンサートである。中山ラビは50歳を過ぎている。60年代の関西フォークのスターで、何枚もレコードを出して根強い人気を持っていたが、店(国分寺ほんやら洞)のきりもりや子育てで音楽活動をやめていた。それがここ数年動きを再会しはじめている。僕は彼女とは高校生以来のつきあいで、関西でも友達だった。「東京に来たのだから来て!」という再三の誘いがあったから今日は行かないわけにはいかなかった。彼女の歌を聴くのは「中山容さんを偲ぶ会」以来だから3年ぶりである。
    ・会場はライブハウスの「Star Pine's Cafe」。開場の6時半に行くとすでに長蛇の列。チケットの整理番号順に並んだが、チケットの番号は171で会場には100席ほどしかいすがないという。入場前に長いこと立たされた上、入ったらもう席はない。ステージ脇のスピーカーにもたれて立ったまま聴くことになった。腰が痛くなったらかなわないな、と正直言って憂鬱になった。
    ・中山ラビは皮のホットパンツに金太郎の腹巻き姿。木履(ぽっくり)のようなサンダルをはいて頭はブロンド。「ヤー、がんばってるな!」とさっそく驚嘆。最初はギター一本で数曲やり、その後はバックをつけて喋る間もなく次々と歌うこと2時間。懐かしさと相変わらずのエネルギーに腰の痛さを忘れてしまった。観客の大半は同世代かそれに近い人たちで、ほとんど身動きのとれない状態だったが、楽しく盛り上がったコンサートだった。
    ・最後に歌ったのは「いい暮らし」。実は僕は彼女の歌ではこれが一番好きだ。


    忙しさにかまけ 忘れてたんだ
    こんな力があるなんて

    ほんのわずかな暇もとれないと思い
    こんなこともなかったよ
    虫を追いかけ土を握れば あたしの中で暖かく臭ってる

    だから今でもでも時々は思うんだ こんな暮らしに憧れて
    君といつか戻ろうと あたしの中で声が呼んでいる


    ・そう「いい暮らし」。これが一番の生きる理由。彼女の歌は今でも、僕の心に響いてくる。東京もいいけど、やっぱり森の中に戻ろう。憧れてた暮らしに………。
    ・ 中山ラビの歌とパフォーマンスを楽しみながら連想したのはマリアンヌ・フェイスフル。ロックもいいけど、アコーディオンのバックでじっくり歌ったらかなりいい味が出るのではと思った。それに今の心境や時代を描写した歌も聴きたい。

    2000年6月19日月曜日

    村上龍『共生虫』村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』

     

    ・同世代ということもあって二人の作品はほとんど読んできたが、村上龍は決して気になる存在ではなかった。暴力やセックスに始まって描写のグロテスクさが僕の性分にはあわない気がしたからだ。反対に村上春樹にはずっと関心を持ち続けてきた。それがここのところ、変わりはじめている。きっかけは村上春樹のオウム真理教への関心と、村上龍の少年が起こす事件へのコメントだった。

    ・もうこのHPでも書いたが『アンダーグラウンド』も『約束された場所で』もおもしろい本ではなかった。もっともそのつまらなさは、インタビューを受けたサリン事件の被害者やオウム真理教の信者たちが持つ現実感覚の貧しさからくるもので、インタビューをした著者にとっては、その貧弱な現実感覚を描き出すことが目的だったのかもしれないと思った。

    ・現実と距離を置くことで生まれるリアリティの多元性。一言でいえば村上春樹の小説はそんな感覚がもたらすおもしろさにある。異なる世界を井戸や壁の穴やエレベーターによって行き来する時に生じる自由さと危うさの感覚。もちろんそれはフィクションとして作り出された世界で、現実の世界ではありえない。けれども、見方によってはいくらでも現実そのものに置き換えることができる。村上春樹の小説にはそんな知的遊びを楽しむゆとりが感じられた。

    ・一方、村上龍の小説が描き出すのは、人が持つ欲望がむき出しにされたところに生まれるどろどろとした世界。で、話はどんどん非現実的なところに突き進んでいく。一見安定して強固に見える現実が、実は薄皮一枚で支えられている。その表面的に取り繕われた現実世界の皮をはぐとどんな光景が見えてくるか。村上龍の狙いはいつでもそこにあったような気がする。

    ・村上春樹は阪神淡路大震災によって生まれ育った世界が瓦礫の山と化したこと、あるいはオウム真理教のサリン事件の発生などから、現実が虚構の世界以上にもろいものであることを実感する。そこから、現実と距離を置く姿勢ではなくもっと積極的に関わる方向へ転換する。そのプロセスの中から生まれたのが『アンダーグラウンド』であり『約束された場所で』だった。そして『スプートニクの恋人』と『神の子どもたちはみな踊る』。

    ・『神の子どもたちはみな踊る』は短編集である。で、どれもが、何らかの形で阪神淡路大震災に関連する。僕は正直言って、あまりおもしろいと思わなかった。現実(震災)への関与の仕方がものすごく薄いという気がした。震災との関連性があってもなくてもたいして違いはない。ただ一つ、カエルがミミズと戦って東京の大地震を未然に防ぐという話だけは、童話風だが、よくできた話に仕上がっていると思った。

    ・村上龍の『共生虫』は引きこもりの青年が殺人事件を犯す話である。ちょうど引きこもりの17歳の事件が連続したこともあって、そのタイミングの良さが話題になっている。そして、著者は現実が虚構に追いつき追い越してしまったことにとまどっている。村上龍はグロテスクな世界を描き続ける一方で、現代の社会の病理について発言することに積極的である。現実の重みが失われたこと、現実への適応がうまくできない若者が生まれてしまったことにたいして、彼は戦後の世界を作り上げ、子どもたちを育ててきた大人たちに批判の矛先を向ける。

    ・現実にたいして距離をとる姿勢、あるいは現実を維持する薄皮をはぐ行為。今それが、若い人々の共通感覚になってしまっている。二人の村上は一方では、そのことを自省する。しかし、そのような発言とは裏腹に、創作されるフィクションは相変わらず、現実との距離と現実暴露がテーマになっている。そのちぐはぐさに、僕は正直言ってとまどいを感じているが、そこには二人への批判というよりは、今のところそうとしか表現しきれないだろうなという了解も含まれている。実際、現実にたいして距離をとる姿勢にしても、現実暴露を面白がる態度にしても、僕自身がこれまでずっと示してきたものであって、そのことに肯定も否定もしきれないアンビバレントな感覚を持っているのは同じだからである。

    ・現実は、それが現実だと一般に了解されたフィクションにすぎない。しかし、この「現実」は単なるフィクションとして片づけることもできない。そのような微妙な姿勢をどうやって納得し、持続させるか。若い人たちに伝えなければならないのは何よりこんな感覚なのだが、それはいったいどう伝えたらいいのか。その難問に立ち往生しているのは、誰より僕自身なのである。