2003年10月13日月曜日

Neil Young "Are You Passionate?"

 

・ニール・ヤングが武道館でコンサートをやる。去年の「フジロック」に来ていたから1年ぶりだが、単独でのコンサートは久しぶりだろう。残念ながら、僕はこれまで一度も彼のコンサートには行っていない。だから、今度ばかりは無理をしてでも行こうかと思っているのだが、例によって、帰り道のことを考えると気が重くなってしまう。ルー・リードの時も直前まで、行こうかどうしようか迷っていて、結局くたびれるからやめようということになってしまった。あとでコンサート評などを読むと、かなりよかったようで、行けばよかったかな、と少し反省している。

・もっとも、コンサートに行くときにはだれであれ、予習をするのがこれまでの習慣になっていて、ルー・リードもこの間あらためてずいぶん聴いた。で今はニール・ヤングを聴き始めている。この習慣は、ディランが最初に日本に来たときからだと思う。一曲も聞き逃してはいけないと、歌詞やメロディを頭にたたき込むようにして聴いた。それでも、アレンジを気ままに変えるディランのコンサートでは、何の曲だかわからないものがいくつもあった。

・ニール・ヤングはいつでも同じように歌うから、知っている曲はわかるだろうと思う。ただし、バックのクレイジー・ホースとギンギンに乗ってしまうと何がなんだかわからなくなることもあるかもしれない。僕は彼の歌は断然、ソロで生ギターでやるのが好きだ。最近ではニューヨークの惨事のあとにしたテレビの特番で歌った「イマジン」が今でも忘れられないほど印象深く残っている。あとは『フィラデルフィア』のエンディング・テーマとか、MTVでやった「アンプラグド」のコンサート盤などは、部屋や車のなかで時折聴いている。だから、武道館という会場が「絶対行こう」と思えない大きな理由でもある。

young6.jpeg・来日が近いせいか、古いアルバムが何枚も新装されて発売されたり、予定されている。9月に2枚組の新作"Green Dale"も出たようだが、まだ買っていない。僕がもっているCDで一番新しいのは"Are You Passinate?"だ。彼の歌には二面性があって、高音で鳴くように歌う静かなものと、クレイジーホースをバックに絶叫するものがある。静かなものは「ロンリー」とか「ヘルプ」といったことばがよく出てきて、聴いていて情けない気になってしまうが、"Are You Passinate?"は全曲がそんな感じだ。

・曲名も「失望さん」「やめろ」「家に帰ろ」「旧友」「癒し人」といかにもで、彼の歌はデビューの頃から一貫して変わっていない。メロディにはどことなく演歌くさいものもあって、そこにテンガロン・ハットで泣くように歌う彼の姿をかぶせると、日本人に受ける理由がよくわかる気がする。頭ははげて、ずいぶん太ったから、けっして格好いいとは言えないが、雰囲気と声は若い頃のままで、それはディランとは対照的なところでもある。歌が変わらないからいいともいえるし、年相応という面がないから不満だとも言える。

young7.jpeg・以前にぼくのHPに興味をもった人が大学に会いに来て、その時に自分がプロデュースしたCDをもってきた。中身はニール・ヤングへのトリビュートで、ヤングの歌を何人かの人たちが集まって歌うというものだった。他にもあるのかもしれないが、ミュージシャンを志す人にとってニール・ヤングが根強い人気をもっていることを示すアルバムだと思った。ちなみにこのアルバムのタイトルは"Mirror Ball Songs"で、問い合わせ先はwww.elesal.com。

・このコラムで取り上げるミュージシャンはどうしても、ぼくと同世代かちょっと上の人たちが多くなってしまう。それは僕の好み、聞き慣れた音楽に対する愛着という点からも仕方がないのだと思う。けれども、ロックの第一世代のがんばりがずーっと目立ってきていることも確かだろう。この一年で僕がとりあげたもののなかにもスプリングスティーン、パティ・スミス、トム・ウェイツといった人たちばかりが目立つ。

dylan7.jpeg・ 前回紹介したルー・リードのアルバムは意欲的に新境地を開拓しようとしたものであることがわかるし、ディランはまた映画作りに参加して"Masked and Anonymous"というサントラ盤を出した。映画のできはひどく不評だが、アルバム自体は結構おもしろい。「ライク・ア・ローリング・ストーン」がスペイン語のラップに作り直されていたり、他のミュージシャンが歌う「セニョール」や「珈琲をもう一杯」などにはあっと驚くほどの新鮮みがある。他にもスティングのニュー・アルバムももうすぐ出るようだ。ロック音楽は完全に行くところまで行ってしまって、なかなか先に進む道が出てこない。新しい方向を探るのは若い世代の使命だと思うが、還暦を過ぎた、あるいはそれに近い人たちばかりが目立つのは、ちょっと見通しが暗いと言わざるをえない気がする。(2003.10.13)

2003年10月6日月曜日

野茂のMLB


・今年のMLBが終わった。プレイ・オフの最中で、ヤンキースの松井もがんばっている。僕ももちろん関心がないわけではない。けれども、野茂のゲームが終われば、そこでシーズンも終わる。これは彼が米国に行ったとき以来変わらない感覚だが、今年はその気持ちが一層強かった。ドジャースがプレイ・オフに出られなくて悔しかったし、チーム力のなさが歯がゆかった。そこで防御率2点台でずっとがんばった野茂のひたむきな投球には、毎年のことながら感心し、感激した。

・16勝(6位)13敗、防御率3.09(5位)、三振数177(9位)、投球回数218.1(6位)、被打率0.223(4位)。日米通算で3000個の三振を奪い、シーズンはじめに100勝をして通算では114勝、日本での勝利数と合わせると192勝で、来年には200勝を越える。野球は記録のスポーツで、記録は積み重ねのうえに成り立つが、野茂の残した数字がいよいよすごいものになってきた。名実ともに、日本はもちろん、メジャー・リーグを代表する投手である。

・野茂は今年13敗したが、そこでドジャースがあげた点は13点。ちょうど一試合に1点で、これでは勝てるわけがない。ドジャースのピッチング・コーチはチームがもっと援護をしていれば20勝以上をあげてサイ・ヤング賞の候補になったはずといったが、たら、れば、はいくら言っても仕方がない。しかし、見ていてじりじりする試合の何と多かったことか。相手に先に1点とられたら負け。そんなプレッシャーのなかで、よくもまあ、我慢して投げたものだと、今さらながらに思う。

・野茂は今年35才になった。もう若くはない。というよりは、あと何年できるだろうかという年齢になってきた。速球派で熱投型だから、力が衰えたらもたないだろうと思ってきたが、今年は投球術の巧みさに驚いたシーズンでもあった。コントロールがよくなった。ストレートも速さを微妙に変え、フォークでストライクがとれるようになった。球速は並みだが打者は振り遅れたり当たり損ないだったりと、見ていて不思議な感じがした。もう完全に技巧派で、彼は不器用だとばっかり思っていた僕には、ちょっとした驚きだった。で、これなら40才までいけるだろうと確信もした。

2003年9月29日月曜日

おかしな天気


forest28-1.jpeg・後期は18日からはじまったが、13-15日の3日間院の集中講義があって、僕の夏休みは1週間短かった。12名ほどの学生が集まり、「感情とコミュニケーション」をテーマに話をした。課題図書を決めて報告してもらったのだが、社会人が多いせいで、自分の問題に引きよせて発表をする学生が多かった。おもしろかったが、現役の学生との格差が年々広がっていて、これは何とかしなければいけない状況になったと強く感じた。目的意識の有無はもちろんだが、基礎的な文献についての知識も現役の学生は全然かなわない。
・ところで、集中をやった3日間、東京の気温は連日33-34度。この夏にもなかった暑さで、僕は東京に泊まらずに涼を求めて河口湖に毎日帰った。おかげで、寝不足と前回書いた頭痛に悩まされたが、集中講義は楽しい時間だった。学生にとってもたぶん有意義だったろうと思う。
・ところが、大学がはじまるとすぐに、気温が一気に10度以上も下がった。東京でも20度以下の日があったし、河口湖では最低気温が6度にまで下がるようになった。夜はもちろん、昼間も灯油ストーブをつけはじめている。先週まで汗をかいていたのに今度は震えている。今年の季節は本当におかしい。めちゃくちゃだ。
・そのせいか、植えた朝顔がまだ花を咲かせている。コスモスはあちこちで咲いているし、ススキの穂もいっぱいで、栗の木も実をつけはじめている。植物の季節はおおむね秋なのだが、夏の名残も消えていない。外に出しておいた観葉植物を慌てて家の中に入れた。こんな気温だとぼちぼち紅葉もはじまるかもしれない。もっとも、また突然暑くなったりするかもしれないから、先のことはわからない。

forest28-2.jpeg・生ゴミを埋めるために、朝寒いのに薄着で庭に出た。で、スコップで土をすくおうした瞬間にぎっくり腰になった。暑い、寒いの急変に耐えられなかったのか、急に忙しくなったせいか、またやってしまった。ちょうど半年ぶりで、歩くのや坐るのはもちろん、寝ているのもままならない。とにかくじっとして3日間辛抱すること。何度もやって身につけた教訓である。
・ちょうど、たまった仕事がたくさんある。学会の査読が3本。10月はじめには結果を出さなければならない。分厚い本の書評の依頼も来た。「肉体論」の原稿も最後にもうちょっと書き加えなければならない。日本社会学会(10月12- 13日:中央大学)の部会の司会も頼まれたから、送られてきた発表の要旨を読んでおかなければならない。何しろ発表者は7名で司会はひとりなのだ。報告者が激増しているせいだと思うが、こんな過重な労働を強いたのではだれも引き受けうけなくなってしまう。僕ももう次回からは絶対、断ることにする。というより、今回も断ればよかったと大反省しているところだ。何年か前にも苦労してこりごりしていたのだが、ぜひ引き受けてほしいという文面に迷いが出てしまった。

・本当は、学部のゼミの学生の卒論や大学院の修士に博士論文が手もとにたくさんあるはずだった。それがまだほとんど来ていない。やる気がないのか、力がないのか、それとも指導が悪いのか。これから年末に近づくにつれて、イライラのつのる日々が続きそうで、そのためにも、腰はしっかりなおしておかなければと思っている。
・日が早く暮れるようになってわが家のムササビの出勤時間も早くなった。夜7時頃になると、屋根をコトコト走り回る。で朝の6時頃にまたコトコトさせて帰宅。そのほかに、去年何度かみかけたヒメネズミが今年は頻繁に家の中を走るようになった。どこからかやってきて、リビングの隅を駆け抜けて一目散に台所にむかう。これも夜の9時前後で、こちらはどこかの宿からわが家への出勤だ。乾物類はきちっとしまってあるから食べるものはないはずなのだが、何か目当てのものがあるのだろうか。灰色で小さくてかわいいのだが、見つけるとやっぱり、追いかけて、バタバタ音をさせたり猫の鳴き声をしたりして脅したくなってしまう。リスが来たなら餌を用意してあげるはずで、それほど変わらないのにネズミは敵視してしまう。考えればおかしな話だ。

2003年9月22日月曜日

オリヴァー・サックス『サックス博士の片頭痛大全』(ハヤカワ文庫)

ここ数年、頭痛に悩まされている。といっても「頭痛の種」といった比喩の話ではない。正真正銘の頭痛だ。原因の一つは車による通勤。家のある河口湖は海抜800mで大学はたぶん数十メートル。この高低差にいつまでたっても順応できなくて困っている。耳がつまり、頭が重くなる。仕事をしているあいだはあまり気にならないが、家に帰ると目の奥やこめかみが痛い。もちろん、大学でくたびれることも、往復3時間のドライブで目が疲れることも原因だろう。


とは言え、ぐっすり眠れば翌朝にはすっきりしてしまうから、別に薬も飲まないし、病院にも行っていない。子どもの頃は車酔いをよくしていたし、今でも飛行機に乗ればかならず耳が痛くなる。老眼がはじまって読書がつらくなったし、酒を飲んでも頭が痛くなるから、これはもう年齢や体質だとあきらめるしかないのだが、それでも何とか対処法を見つけたい。そんなふうに思っていたら、気になる本があった。
オリヴァー・サックスの書いた『サックス博士の片頭痛大全』。彼は『妻を帽子と間違えた男』や『レナードの朝』などの著書がある脳神経科医だ。『レナードの朝』は映画になっていてロバート・デニーロがレナードになり、医者はロビン・ウィリアムズだった。ドラマチックに描いた映画とは違って、原作は症例の詳細な報告で、これはこれでなかなかおもしろい。


『偏頭痛大全』も多数のさまざまな症例が登場する。それを読むと僕の頭痛などは大したことのないかわいいものだと思えるほどだ。しかしもっと驚くのは、頭痛はずっと病気としてあつかわれてこなかったという文章でこの本がはじまっていることだ。「一般的には、片頭痛は傷害を引きおこさない頭痛の一形態であり、忙しい医師の手を他の疾患よりもよけいに煩わせるものとみなされている。」片頭痛の記述は2000年前から存在するにもかかわらず、ロンドンの病院で片頭痛の治療がはじまったのは1970年になってからだそうで、この悩ましい頭痛に医学はほとんど注意を払ってこなかったというのだ。

片頭痛性の頭痛が起こる場所は特にこめかみ、眼窩の上部、前頭部、眼球の後部、頭頂部、耳介の後部、そして後頭部である。
確かにそうだ。こめかみ、目の奥、頭頂部、そして後頭部。僕は胃や十二指腸にも持病をかかえていて、時折、きりきり痛むことがある。頭痛との関連はないと思っているのだが、本には「胃痛型片頭痛」といった症状も紹介されているから、ひょっとしたら関係しているのかもしれない。病気についての本というのは、読めば読むほど気になるものだが、次のような文章にはかなり納得した。
とくに負けん気が強くてしつこい性格の患者は、片頭痛に譲歩しない。したがって普通の患者は、重い通常型片頭痛を起こすと気力を失い、休息をとりたがるのであるが、こうした患者は無理に仕事や生活を普段どおり続けることになる。
頭が痛くなったら、何も考えず、仕事もせず、眠るにかぎるということだ。たとえばぼくは原稿の締切に追われてイライラするという状況にはとても耐えられない。胃がきりきり痛んでくるし、頭も痛くなる。若い頃に何度も懲りているから、仕事は早め、早めに片づける習慣が身についている。しかし、イライラする原因はもちろん、自分のことばかりでなく他人にも関係する。こちらが期待するとおりに仕事をしない、勉強をしない、気が利かない。そういう人に対するイライラは、直接怒ったからといっておさまるものではない。だからどうしても、人にはたよらず、できることは自分でやってしまうことになる。自分で肩代わりできないものについては、自分のことではないと突き放すしかないのだが、そういう輩にかぎって、たよってくるから始末がわるい。


『偏頭痛大全』の最後には片頭痛の治療や薬についての記述もある。疲れたら眠ること、イライラしないこととあたりまえだが、薬のなかにカフェインがあって、珈琲や紅茶を多めに飲みなさいと書いてあった。もう全部やってることで、病院に行って医師の判断を仰ぐ気もないし、市販の薬など飲みたくないから、さほど役にはたたなかったが、世の中にはさまざまな頭痛の症状があるものだと今さらながらに感心してしまった。

2003年9月15日月曜日

ナチとユダヤの物語

 

・時折、地元に一軒だけある映画館に出かけるが、そこで「戦場のピアニスト」と「めぐりあう時間たち」を見た。どちらもよかったからレビューを書こうと思ったのだが、その機会を逸してそのままにしてしまっていた。
・映画はBSで毎日のように見ているが、映画館で見るとやはり、ちょっと印象が違う。画面も音も大きいし、途中で席を外すこともない。何よりお金を払ってみようと思ったものだから、期待度も大きい。当然、その善し悪しについて考えたくなる。「めぐりあう時間たち」は特に書こうと思ったのだが、その前に原作を読んでからと考えて、時間が過ぎてしまった。もちろん原作もまだ読み終えてはいない。
・「戦場のピアニスト」はロマン・ポランスキーが監督している。好きな監督の一人だから期待して見た。素直な話で彼らしくないなと思ったが、悪くはない。そんな感じだった。ワルシャワの街が占領されると、突然バリケードができて、ユダヤ人が集められる。その街の様子がもつすごさは大きな画面ならばこそだし、連合軍との戦いで廃墟になった街の光景もすごかった。そこで生き延びた一人のピアニスト。それにしてもナチとユダヤをテーマにした物語は尽きることがない。
・夏休みに入ってBSで音楽とナチとユダヤをテーマにした映画を見た。「暗い日曜日」。シャンソンとして有名な曲の題名でもある。映画はその曲の誕生と作者やその友人たちとの数奇な運命を描きだしていた。舞台はハンガリーのブタペストで、登場人物はレストラン「サボー」を経営するユダヤ人のラズロとその恋人兼共同経営者のイロナ、その店に雇われるピアニストのアンドラーシュ、それに常連客のドイツ人のハンスだ。
・レストランはピアノが人気を呼んで繁盛する。ラズロは喜ぶがイロナとアンドラーシュの仲が気にもなる。奇妙な三角関係がはじまる。アンドラーシュがイロナに曲をプレゼントする。それが「暗い日曜日」。店で演奏されるこの曲がさらに評判になって、店はますます繁盛する。ラズロは三人の関係を受けいれることにする。男同士の嫉妬と友情。しかしイロナは二人を同時に愛せると思う。ここに常連客のハンスが加わって、イロナに求愛するが彼女ははっきりと拒絶する。断られたハンスは自殺を図って川に飛びこむが、ラズロに助けられる。
・「暗い日曜日」は曲の良さというだけでなく、聞いた人が死に誘われるといおうことでさらに評判になる。ハンスが川に飛びこんだのも、店でこの曲を聴いた直後だった。曲がレコードになってヨーロッパに広がると、自殺者の数も増えて、それが大きなニュースになって報じられるようになる。店はますます有名になって繁盛する。しかし、ドイツ軍のハンガリー侵攻とユダヤ人狩りもはじまる。ドイツ軍の司令官としてハンスが戻ってくる。彼はイロナへの思いを断ち切れないままで、ラズロとアンドラーシュの抹殺を画策する。ラズロは強制収容所送り、アンドラーシュは自殺………。
・この映画にリアリティをもたせているのは第一に、ユダヤとナチの物語だが、イロナを演じたエリカ・マロジャーンの魅力も大きい。彼女はハンガリーの女優でほとんど知られていないが、マドンナにちょっと感じが似ていて、妖艶さと心の強さをもっている。彼女に夢中になる三人の男たちが、そのたがいの関係のなかでくり広げる心理劇が真に迫っているのは、イロナの魅力があればこそだと思った。
・映画を見てすぐに「暗い日曜日」のサントラ盤を注文した。同時に「暗い日曜日」が入ったCDの検索もしたら、以前に見た「耳に残るは君の歌声」も見つけた。ジョニー・デップがパリに住むロマの集団のリーダーで登場する映画で、やはりナチの侵略とユダヤやロマの弾圧が絡んでいる。ナチはロマ(→)をユダヤ以上に嫌ったのだが、それはユダヤ人の優秀さに対する恐れとは違って、漂泊の民族を軽蔑し忌み嫌ったからだ。
・しかし、この映画に登場するロマは、パリの街を馬に乗って走り去るジョニー・デップに象徴されるように気高くて格好いい。彼はアメリカ・インディアンの血を受け継いでいるが、ロマの役もいい。デップの映画をはじめて見たのはジム・ジャームッシュの「Dead Man」で、その無口で無表情のところが妙に気に入ったのだが、最近は売れすぎて、ちょっと食傷気味だ。

2003年9月8日月曜日

バイクとお別れ


bike1.jpeg・長年乗り慣れたバイクを手放した。河口湖に引っ越してからあまり乗っていない。特に冬場の4カ月ぐらいは路面の積雪や凍結で動かせないから、1年に 1000kmも走らなかった。買ってから10年以上たつがまだまだしっかり走る。このまま置きっぱなしにしたのではもったいないし、バイクがかわいそうだ。そんな気持をずーっと感じていた。
・車種はホンダのトランザルプ(アルプス越)で排気量は400cc。オン・オフ兼用のタイプで、名前のしめすとおり、山道などにはぴったりのバイクだ。ドイツ・ホンダが設計した車種でもともとは650ccのエンジンを積んでいて、それを日本で400ccに作り直したものだ。一度モデルチェンジがあったが、現在では生産は中止されている。それほど売れた車種ではないから通りすがりに見かけるということもめったになかった。
・日本では人気がなかったのだろうと思ってネットで検索すると、結構マニアの頁があった。中古の車種のなかでは人気も高いようだ。売りに出そうかとも考えたが、それも面倒くさい。で、近くの人に譲ることにした。もうすぐ車検切で、タイヤなどの交換もしなければならないから、ただにして、せいぜい大事につかって、事故を起こさないようにお願いした。
・僕がバイクに乗りだしたのは大学生の時からだから、もうバイク歴は30年を越える。そのあいだに乗ったバイクは5台ほどだ。30代の後半まではそのバイクでどこにでも行っていた。40代になって車を主に使うようになってバイクはサブの乗り物になったが、それでも、京都にいる頃にはなくてはならない必需品だった。バイクは駐車場を気にする必要がないから、京都や大阪の街中に行くときには便利だった。

bike2.jpeg・河口湖に引っ越したら、野山のツーリングに使おうと思った。実際あちこちには行ったのだが、日常的に使わないとだんだん乗る機会は減ってしまう。それに冬場の寒さである。ここ1年はバッテリーが上がらないように時折湖畔を一周といった程度で、駐車しっぱなしのバイクを見るのがつらく感じさえした。去年から50肩になって右手が思うように動かないから、バイクの引き回しもままならない。何しろ200kgを越える車体なのだ。
・で、譲渡契約書を交わして持っていってもらうことにしたのだが、なくなる前に何度か乗っておこうと思って、今まで行ったことのない道に出かけることにした。行こうと思って行ってないところが2カ所ある。一つは富士山の旧登山道。もう一つは下部温泉から朝霧高原に抜ける山越えの道だ。富士山は時間がかかるし、準備も大変だから下部温泉に行くことにした。

・河口湖から下部温泉に行くには本栖湖を通って山を下る道がある。国道300号線(本栖道)で、高低差1000mをくねくねと一気に下る。下部温泉につくと源泉館を過ぎて、今度は急な登り道。かなり上がったところに数件の集落があって、それを過ぎると断崖絶壁になった。はるか下に下部川。ところどころに崖崩れがあり、工事中も数カ所。霧も出てきて雨も降り始めた。時計の高度計を見ると1400m。1時間ちょっとで1000m下って1200m 上がったことになる。で、峠のトンネル。
・休まず入ると真っ暗で霧が立ちこめているから何も見えない。ライトが照らすのはせいぜい5mほど先で、ほとんど手探り状態で真っ直ぐ進む。緊張と恐怖。しかしもう止まって後戻りするわけにはいかない。そんなに長いトンネルではないはずだが、いつまでたっても出口は見えてこない。天井からは滝のような水。対向車が来たらまちがいなく正面衝突だ。そんな不安が数分。薄明かりが見えたときには本当にほっとした。

・2時間ほどのツーリングを楽しんで、このバイクに乗るのもこれが最後と思ったら、ちょっといとおしくなった。事故も故障もなく、あちこち運んでくれてありがとう。今度は別の人を乗せて、もっともっと走ってください。さようなら。

2003年9月1日月曜日

Lou Reed "the Raven"

 

reed4.jpeg・ルー・リードの新作"The Raven"はエドガー・アラン・ポーの同名の詩を題材にしている。『大鴉』。2枚組で参加しているメンバーがすごい。デヴィッド・ボーイ、オーネット・コールマン、ウィリアム・デフォー等々で2001年に舞台で上演した作品のようだ。だから、通常のアルバムとちがって、詩の朗読や歌のない演奏があり、時折、ルー・リードの歌が入るという構成になっている。輸入盤には歌詞がついていないから、聴いているだけだといつもとちがってちょっと肩すかしといった感じだった。で、さっそく、ネットで歌詞を探して読みながら聴きなおした。

・エドガー・アラン・ポーは19世紀前半に小説や詩を書いたアメリカを代表する作家で、日本の江戸川乱歩やフランスのボードレールに影響をあたえた人として知られている。映画が登場するとすぐに「モルグ街の殺人」などが映画化されて探偵小説、推理小説のパイオニアとして有名になるが、生存中は貧困生活に苦しんだようだ。ポーは1849年に40歳で死んでいる。ボルチモアの路上で泥酔して倒れているところを助けられたが、数日後に病院で死んだと言われている。

・リードはそんなポーの人生と彼が残した作品に自分の人生と現在の世界、とりわけニューヨークの状況を重ね合わせているようだ。アルバムのライナーノーツにはつぎのような文章が載っている。

エドガー・アラン・ポーはアメリカの古典的な作家だが、彼が生きていた時代以上に、この新しい世紀に奇妙に波長の合う作家でもある。強迫観念、パラノイア、自滅的な行為がいつも周囲にある。僕はポーを読み直し書き直しておなじ問いかけをしてみた。僕はだれ?なぜそうすべきでないことに引きよせられるのか?僕はこの考えと何度も取っ組み合ってきた。破壊願望の衝動、自己屈辱の願望。ぼくの中ではポーはウィリアム・バローズやヒューバート・シェルビーの父だ。僕のメロディーの中にはいつでも彼らの血が流れている。なぜしてはいけないことをしてしまうか?なぜ、手にできないものを愛してしまうのか?なぜまちがいとわかっていることに情熱をかたむけてしまうのか?「まちがい」とは何なのか?僕は再びポーに夢中になった。ことばと音楽、テクストとダンスで彼を生き返らせる機会に出会って、それに思わず飛びついてしまった。

・この2枚組のアルバムの中でルー・リードが歌っているのは46トラックのうちの13曲。ポーの詩を読むのは「大鴉」をふくめてほとんどがウィリアム・デフォーで、バックにはジャズが流される。最初はちぐはぐな組み合わせのように感じたが、何度か聴いているうちに意図がだんだん分かってきた。ポーの詩(19世紀)にビートニクの詩と朗読会の雰囲気(50年代、モダンジャズ)を重ね、そこに自らの音楽の足跡(ヴェルヴェット・アンダーグラウンドから現在まで)を残す。そんな構成をイメージしながら聴きなおすと、これはなかなかいいアルバムだと再認識した。

・ルー・リードは今月、東京と大阪でコンサートをやる。大阪 9/17(水) 大阪厚生年金会館、東京 9/19(金) 東京厚生年金会館、東京 9/20(土) 東京厚生年金会館。僕は1996年のコンサートを大阪で見ているが、これ以来だとすると7年ぶりということになる。ちなみにこのライブのレビューはこのHPでの記念すべき第一回のものである。そんなわけで行きたいのはやまやまだが、ちょうど授業のはじまりで、仕事をしてコンサートを見て、夜中に高速で帰るのではちょっと体力がもちそうもない。でも、チケットは当日でも買えるだろうから、どうするかは直前に決めようと思っている。(2003.09.01)