2006年6月26日月曜日

Wカップで気づいたこと

 

・サッカーのWカップは本当にワールドワイドな大会だと思う。春にやった野球のWBCがアメリカ大陸とアジアに限定されたローカルなスポーツ大会だったことを認識した後ではなおさら、そう思う。
・出場国はどこも2年間に及ぶ予選を勝ち抜いてきた。だから、どうしようもなく弱い国は一つもない。審判も世界中から厳選され、中立的な立場でゲームを管理できる人が担当する。当たり前の話だが、WBCはそうではなかったし、奇妙な判定が勝負を左右したことが何度もあった。アメリカ生まれのローカルなスポーツで、メジャー・リーグが現在でも頂点なのだから仕方がないといえばそれまでだが、世界大会を本気で考えるのなら、見直すべき点があまりにたくさんある。Wカップを見ていて、何よりそのことを感じた。しかし、である。
・Wカップに参加するチームはどこも勝つことを第一の目標にしていて、それぞれ、できる限りの支援をしてきている。けれども、それぞれのチームを支える国の状況は、また、あまりに違いすぎる。それはとても、公平な条件でやっているとはいえないものである。
・たとえば、アフリカから参加したチームには、その報奨金をめぐって選手やコーチに不満がくすぶって、試合をボイコットするといった問題が生じた。これは前回の日韓大会でもあったことで、国が極貧状態にあったり政情不安だったりすることが原因である。しかも、選手の多くはヨーロッパのプロ・リーグで活躍していて、母国に帰ることはほとんどないし、そもそもヨーロッパ生まれだったりもするようだ。監督や選手の要求する金額は国の財政からすれば法外なものだろうから、工面するのも大変なことだろうと思う。
・今回参加したアフリカの国は、トーゴ、ガーナ、アンゴラ、コートジボアール、そしてチュニジアの5カ国だが、どこもヨーロッパの植民地だった歴史がある。地図でそれぞれの国を調べると、トーゴ、ガーナ、それにコートジボアールは隣国で象牙海岸と呼ばれたところに位置している。
・奴隷貿易が盛んでカカオや穀物のプランテーションがつくられ、象牙や金などもとれて、ヨーロッパを潤わしたところだが、その代わりに貧しい生活と政情の不安がもたらされた。イギリスやフランスなどから60年代にあいついで独立したが、その後の政情はどこも不安定で、クーデターが何度も起きている。たとえばアンゴラは75年にポルトガルから独立した後、アメリカとソ連をそれぞれ後ろ盾にした勢力が激しい内戦を繰り返した。で現在のGDPはどこも世界で100位前後で最貧国と呼ばれる位置にいる。
・同様のことは中南米から参加する国にもいえる。ブラジルがポルトガル、トリニダードトバゴがイギリスで、ほかのアルゼンチン、パラグアイ、コスタリカ、エクアドル、そしてメキシコはスペインの植民地だった。その多くは19世紀の前半には独立しているが、アフリカほどではないにしても政情は不安で経済は破綻しているところが少なくない。
・ブラジルは経済的には比較的裕福だが、スター選手の多くは黒人で、極貧生活のなかで育った人が多い。彼らは奴隷貿易の時代にコーヒーや砂糖のプランテーションで働かすためにつれてこられた人々の子孫である。拉致され強制連行されてきた人は、カリブ海から中米、そしてもちろんアメリカ合衆国にも数多くいて、その大半は現在でも貧しい生活状況にある。ちなみに、トリニダードトバゴのGDPは世界126位でアンゴラの103位よりも低いし、コスタリカは82位だ。
・このような国々でサッカーが盛んなのは、もちろん、植民地支配をした国の影響である。だから、サッカーが文字通りの世界大のスポーツであることは、世界中のほとんどがヨーロッパの大国に支配された歴史を持つことを意味している。そして、宗主国の子孫ではない人たちにとって、サッカーやその他のプロスポーツが経済的な豊かさや社会的な地位を得る数少ない道の一つであることも共通している。同じ可能性を持っているのが音楽だが、それもまた、ヨーロッパから持ち込まれた楽器や音楽が、土着のものや奴隷によって伝えられたものと融合して生まれたものである。
・国情や国力の違いは他にもある。日本と対戦したクロアチアはユーゴスビアから凄惨な内線をへて独立した国である。人口は400万人で、 GDPは世界72位。一人当たりのGDPは12,000ドルで、日本とくらべて3分の1強、人口は30分の1である。もっとも旧ユーゴで今回出場しているセルビア・モンテネグロは6月5日にさらに分離したが、セルビア単独では人口は1000万人に近いものの、一人当たりGDPは3200ドル(日本の約1割でトーゴの2倍)にすぎない。
・こんなことに気づくと、試合を見ていて応援したくなるのは、どうしても、ヨーロッパの強国以外になってしまう。このような歴史や現状が反映して、試合以上に盛り上がるスタンドや自国での応援の熱の入れ方のすごさに圧倒されてしまう。「がんばれ、にっぽん」とはいっても、どこかにわか騒ぎで、せいぜい「感動をありがとう」程度で終わる日本の応援とは決定的に違う何かがある。
・日本はテレビの放映権に140億円もだしたそうだ。しかも、視聴率をあげるために日中の試合を2試合も組んだ。テレビは「がんばれ日本」を煽っておきながら、勝負よりは視聴率を重視したということになる。メディアは何よりビジネス大事。そのことは、もっと問題にしてもいいことだと思うが、さして話題にならないのは、勝敗より見やすい時間のほうがいいと考えた人が多かったということなのだろうか。

2006年6月19日月曜日

暑くないけど夏の朝顔の準備を

 

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forest52-2.jpg・農鳥がきれいにでない年は冷夏で凶作といわれている。ことしは先月半ば過ぎにヒヨコのような形が見えたが、あっけなく消えた。気象庁は夏は平年の暑さというけれど、昔の知恵にしたがえば、今年は暑くはならないということになる。この「森の生活」のバック・ナンバーをみると、去年は平年並みで一昨年は猛暑、そして一昨々年は冷夏と書いてある。その年は、桃も不作でろくに食べなかったが、今年はそのときによく似ている。
・とはいえ、家の周囲は日に日に緑を濃くしている。上(↑)のように、キッチンから見える森は雑草で鬱蒼としている。雨が多いから、ちょっと入っただけで体中びしょびしょになってしまうほど、露がいっぱいだ。うっかり触ると臭くてたまらないカメムシも、葉っぱの上で水を吸っている。背中の模様や前足の玉虫色にしばし見とれてしまった。

forest52-4.jpg ・近くから持ってきて植えたアイリスが毎年少しずつ増えている。今年は5本ほど花が咲いた。雨上がりで、その花にもいっぱい露がついていて、淡い色の上で少し光っている。クレマチスはもう花が落ちはじめているが、咲き始めの薄紫も美しかった。もう少しすると大きな白い花を咲かせるヤマユリがつぼみをつけている。
 


forest52-3.jpg・毎年家の南面いっぱいに朝顔を咲かせている。今年もその準備にと種をまいた。プランターで双葉がでたところで植えかえたが、雨ばかりで成長が遅い。中には葉が虫に食われたり、黄色くなってきたりしているのもある。雨の日がもっと続くと、もう一回発芽させる必要があるかもしれない。もともとはモンゴル土産の野生の品種だから、雨には弱いのだろう。周囲の自生している植物に負けないように、草取りをマメにしなければいけない。 

forest52-1.jpg ・湖畔ではもうハーブ祭りが始まっているが、ラベンダーはまだ全然花を咲かせていない。暑い年にはもう満開、なんてことがあったから開催時期を早くしたのだが、全くの肩すかしである。湖北にある大石公園のラベンダーは満開になると湖と富士を背景にした眺めがなかなかだが、今年はプランターを積んで花のナイアガラなどという妙なものをつくってしまった。蔓状の花を植えたのならともかく、ペチュニアだから、横からはプランターしか見えない。冬に続いて、原色のセルロイドでできた大きな七夕などもハデに飾ったから、何とも趣味の悪い景色になっている。このセンスのなさは天然記念物もので、何でも飾ればいいというものではないことの標本のようだ。

2006年6月12日月曜日

古い人たちの声も聴いた

 

Carole King "The Living Room Tour",Jackson Browne "Solo Acoustic Vol.1"

caroleking1.jpg・ジャクソン・ブラウンとキャロル・キングのライブ盤を買った。もちろん、名前はよく知っていてレコードは何枚か持っているのだが、CDはそれぞれ一枚しかない。嫌いではないが、どうしてもほしいというわけでもない。ふたりは僕にとってそんな存在のミュージシャンだった。とはいえ、ふたりともキャリアの長い大物であることに違いはない。
・たとえばキャロル・キングは僕が小学生の頃からのヒット・ソング・ライターで「ロコモーション」をつくっている。僕はよく聴いた覚えがあるが、そのときにはだれが作ったかなんて知らなかったし、どうでもよかった。歌っているのはリトル・エヴァだったか。しかし、今では顔も覚えていない。同じ頃にヒットしたニール・セダカの「オー・キャロル」は彼女のことを歌っているのだという。この曲もよく聴いたが、そんなことは知りもしなかった。
・キャロル・キングは1942年生まれだから、もう60代の半ばになる。ライブの「The Living Room Tour」は去年の発売だが、ジャケットの写真も若いし、声もほとんど変わっていない。会場に集まったのはおそらく長年のファンが大部分なのだろう。曲の合間のおしゃべりも気さくだし、歌の際にも会場からの歌声がよく聞こえる。ヒットした歌が中心で、アルバムタイトルのように、彼女の居間に友達を招いて歌っているという雰囲気である。アンコールはその「ロコモーション」。
・キャロル・キングというと「タペストリー」が有名だが、僕は1970年に出た「ライター」が好きだ。ソロ・デビューのアルバムなのに、若いジェームズ・テイラーを従えていて、僕はそれで初めて彼を知った。イケメンのかっこいいシンガーで声も優しかったが、その時代にしっくりくる内省的な歌だったから、僕はよく聴いた。それが「アイム・ノー・ヴァージン」なんていう当時では過激な歌をさわやかに歌ったカーリー・サイモンと結婚したから、意外な感じがして驚いてしまった。ちなみに15年ほど前に大阪で彼のライブを聴いたが、もうすっかり頭が後退していて、ステージに登場するとすぐに客席から「ハゲー」と声がかかって大爆笑。しかし彼はいつもどおりに「ハーイ」とやったから、また大爆笑。息子まで出ていて「The Living Room Tour」同様、楽しいコンサートだった。

JB1.jpg ・ジャクソン・ブラウンの「ソロ・アコースティックvol.1」もライブで2005年に出されている。キャロルのとおなじで、アットホームな感じで客とのやり取りが楽しそうだ。アンコールはやはり客席からのリクエストでイーグルスがヒットさせた「テイク・イット・イージー」で、笑いながら「ok」といって応えている。
・彼は僕よりも3ヶ月早く産まれている。だからほとんど同世代だといっていい。ジェームズ・テイラーと同様、静かで内省的な歌が多いが、政治的なメッセージのある歌もかなりある。1979年に起きたスリーマイル島の原子力発電所での放射能漏れ事故に抗議して「ノー・ニュークス」コンサートを企画したり、レーガン政権を支持するアメリカの右傾化を皮肉ったアルバムを出したり、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)を批判したアルバム「サン・シティ」にも参加している。
・「ソロ・アコースティックvol.1」では、そんな初期の頃から最近のものまで幅広く歌っている。ただし、僕が知っているのは半分ほどで、80年代後半からのものははじめて聴いたものばかりだ。

僕は家を借りる 高速道路の陰だ
朝、昼飯を持って出かける 毎日仕事だ
で、夜になる頃 家に帰って横になる
でまた、朝日が照らす頃に起きて 繰り返し
アーメン で、もう一回 アーメン
"The Pretender"1976


真理の探究がウィンクとうなずきで振る舞われるところ
権力と地位が神の慈悲に等しいとされるところ
こんな時代は、感覚的には祝祭であっても 魂は大飢饉だ
この国の淵に立って 海を背にしながら 東を眺める
"Looking East"1996

・あらためて、探すとふたりともアルバムを出し続けている。それほど話題にはならないが、いいなと思う歌が少なくない。アルバムも買ってみたいし、こんなコンサートならぜひ行ってみたい。そう思うと、またあらためて、日本人にはそんな気持ちにさせるミュージシャンがいないなとつくづく感じてしまう。

2006年6月5日月曜日

最近のSpamメール

  迷惑メールが相変わらず、毎日100通以上もある。Thunderbirdを使うようになって、ほとんどが自動的にゴミ箱行きになったので、気にならなかったのだが、最近、その網をくぐり抜けるものが増え始めてきた。迷惑ながら、敵もさるものといった工夫が少なくない。
一つは、個人メールを装ったもので、よくある苗字の送信者名で、題名は「こんにちは」とか「謹啓、はじめまして」、あるいは「お久しぶりです」「この前の件です」といったよくあるものだ。うっかりあけると裸の写真で「普段婦人警官として現場で働いています。なかなかまとまった時間は取れませんが、少ない時間でも一緒に居て下さる方を募集しています。」などと書いてあったりする。
迷惑メールの半分は、このようなH系のもので、最近目立つのは学校ものである。「県立白姫女子校保険室」「専門学校実習授業についてのお願い」といったものは題名からして怪しいが、送信者が「事務局」「情報課」だったりすると、大学の事務からのメールかと思ってしまう。実際、ぼくの大学では、そんな題名の学内メールがよくあるからだ。
「ギフト券、締め切り間近」「おめでとうございます」「採用のご報告」「【親展】当選通知在中」「初日招待券」といった題名はいかにもフィッシングくさい。しかし送信者が女の子の名前ではなくSupportだったりすると、引っかかる人がいるのかもしれない。ネットで買い物をすれば、そのサイトから、ギフト券や賞品や賞金の応募の知らせが来る。だからAmazonや楽天のサイトを真似たものであれば、引っかかる可能性は十分だ。
題名や送信者欄に何もなかったり、「"」や「?」だけだったりというメールが目立ってふえていて、それが迷惑メールの網をぬけるようだ。内容は相変わらずの「出会い系」や「欲求不満の女性の紹介」といったもので、先にあげた「個人メール」を装ったものと内容はほとんど変わらない。とにかく、棄てられずにあけてもらうことを狙った工夫で、確実に何%かはひっかかっているということなのかもしれない。ちなみに、詳しい人に聞くと「?」になるのは、判読不能な文字なのだそうである。アラビア文字、あるいは中国の略字等々といったもので、Spamかどうかの判断をさせない工夫としては、なかなかのものだと感心してしまう。

最近、ニュースを伝えるメーリングリストが何種類かはいるようになった。
「ニュースストリート」は「freeMLオフィシャルメールマガジン」で
 ◇トップニュース 【訃報】岡田真澄さん死去 70歳 他
 ◇芸能      マイケル・ジャクソンが都内の児童養護施設を訪問 … 他
 ◇スポーツ    ゴルフ 三菱ダイヤモンドカップ最終日 横尾要がパ… 他
 ◇ビジネス・経済 トヨタ、SUV「ランドクルーザー」を愛知・田原工… 他
といった内容のもので、特にいかがわしいところはないのだが、こんなニュースならわざわざ送ってもらう必要もない。だから、迷惑マークをつけて次回からはゴミ箱に直行にした。

「核はいらない—テヘラン大学で反核学生暴動」という題名のメーリングリストは、聞き慣れない話だったので、全部読んでしまった。ただし、危ないから、どこにもクリックはしなかった。そうすると、ライブドアのサイトに「反核運動かたる スパムメール横行」という記事を見つけた。

「今日、日本は平和と調和の中で生きています。世界の政治に我々の声を伝えることにより、過去のひどい事件を繰り返さないよう防ぐのは、我々のいまの権利と義務です」という文面で始まり、反核運動への賛同を求める内容だ。メールはHTML形式で配信されており、メールの最後には「全世界の請願書の全文はこちらで読めます。あなたのサインもお残しください」と、別サイトに移動するように促される。
促されるがままに、サイトに移動してみた。そうすると、意味不明のウィンドウが何度も立ち上がり、しまいにはブラウザがフリーズしてしまった。だが、それに懲りず、パソコンの設定を変えて、もう一度アクセスしてみた。
そうすると、ブッシュ大統領を始めとする各国首脳への嘆願書が英文で掲載されており、賛同者の中には、秋葉忠利・広島市長の名前もある。だが、その他にはこれといった内容はなく、自分の連絡先を記入する欄が設けられているだけだ。サイトを設置したのが何者なのかも分からない。
発信元は個人情報などを盗み取ろうとするサイトのようだ。つまり、うっかり署名をするとそれが迷惑メールの発信元などに使われてしまい、自分のメール・アドレスがブラック・リストに載ってしまったりする。そう言えば、ぼくのところには、自分が差出人で同時に受取人でもある変なメールがとどいたことがある。メールのアドレスを公開している人は、署名などしなくても悪用される危険性があるわけで、これは大量に受け取って不愉快、だけではすまない問題になりかねない。「悪質メールお断り」などといった抗議のメールが届いたら、何ともやっかいな話で、そうならないことを祈るばかりである。

2006年5月29日月曜日

大欧州と世界共和国

 

脇阪紀行『大欧州の時代』(岩波新書),柄谷行人『世界共和国へ』(岩波新書)

・EUという枠組みは日本ではあまりぴんとこない。しかし、実際に出かけてみると、肌身で実感することが少なくない。たとえば、アイルランドでは首都のダブリンも南部のコークも高速道路や新しいビルの建設が目立った。観光客を集める地域を設け、レストランやパブや店を並べる工夫が施されていて、実際に大勢の人で賑わっていた。ギネスとアイリッシュ音楽以外にめぼしいもののないアイルランドでは、観光が一番の売り物なのである。その資金はもちろん、EUから出されているが、ダブリンで泊まったホテルのカウンターにいたのは、大学に通いながら働いているポーランド人の女性だった。彼女によれば、工事関係の出稼ぎ者も多いのだという。

journal1-102-1.jpg・脇阪紀行『大欧州の時代』によれば、現在加盟している国は25ヶ国で、イギリスやフランス、ドイツといった大国のほかに、アイルランドや共産圏に属していた東欧が含まれている。人口は約4億6000万人。当然、政治体制の基盤や経済力も異なるのだが、EU内の格差をなくしつつ、結束してアメリカや日本に対抗できる競争力をつけることを目標にしている。その歩みはけっして早くないし、簡単でもないが、見えてきているものはなかなか興味深い。
・EUは2002年から単一通貨を流通させている。新しく加盟した東欧諸国とイギリス、それにスウエーデンは独自の通貨だが、鉄道網や道路の整備などとともに、一面では一つの国という形を目指している。経済力のない国は、それによってインフレを余儀なくされたようだ。スペインにいる友人は、ペソにくらべて円の使い出がなくなったと話していたから、日常の生活物資の価格もかなり上昇したのだと思う。しかし、同時に、EUの支援によって雇用の促進もはかられている。
・支援には「経済発展の遅れた地域の社会資本整備や雇用促進のための『構造基金』や環境改善、欧州を横断する鉄道や道路整備のための『結束基金』と共通農業政策からの農業補助金」がある。スペインを旅行したときに驚いたのはアンダルシア地方に延々と続くオリーブ畑だったが、それにも「農業補助金」が使われているということだった。
・このようにEUは、単一や共通を目指す一方で、地域の独自性を尊重する方向も強調する。たとえば、EUで使われる公用語は20あり、会議の通訳や公文書の翻訳にかかる費用は莫大なものになっているという。しかし、それぞれの文化の尊重という姿勢は、国の枠ではおさまらない。それは、出発点に国よりさらに小さい地域をおく動きを促進させてもいる。スペインにおけるバスクやカタルーニャ、フランスにおけるブルゴーニュ、そしてイギリスにおけるスコットランドやウェールズなど、自治権や独立を志向する地域は少なくないし、これから加盟を希望する国には旧ユーゴスラビヤの解体によってできた国々がある。
・多様さの問題はそれだけではない。旧植民地から移住してきた人たちがフランスで大きなデモ騒ぎを引き起こしたといった事態もある。実際ヨーロッパの大きな都市を歩くと、その肌の色や身につける衣装の多様さに驚かされる。彼や彼女たちの職業、福祉、あるいは言語や生活習慣をどうするのかといったことが、多くの国で切迫した問題となっている。
・EUは基本的には一体化することで、アメリカに対抗する強国を目指すものである。だから、うまくいけば世界を動かす二大勢力になる。しかし、それはどこまで広げるのか境界線が問題だし、周辺の国には新たな脅威ともなりかねない。EUにはトルコも加盟を希望している。トルコはイスラム教の国だが、欧州という境界線を理由に排除すれば、他のイスラム諸国との軋轢は一層強まるかもしれない。けれども、トルコを取りこめば、その範囲はトルコだけではすまなくなる。

journal1-102-2.jpg・柄谷行人の『世界共和国へ』はカントの「神の国」をあげ、「諸国家がその主権を譲渡することによって成立する世界共和国」という発想が重要だという。具体的には「各国で軍事的主権を徐々に国際連合に譲渡するように働きかけ、それによって国際連合を強化・再編成するということ」だ。実際日本は憲法によって戦争を放棄しているが、それは軍事的主権を国連に譲渡しているのである。
・このような発想は日本の憲法がそうであるように、理想主義的だと簡単に片づけられそうである。しかし、政治や経済や文化のグローバル化が、現実には国を超えた一層の緊密な関係やつながりを必要としていることを考えれば、夢ではなく現実に作るべき道筋として理解すべきものだと思う。世界各地でくりかえされるテロや紛争、そして戦争をなくすために、資源の利用や環境破壊について全地球的に対処するために、先進国と最貧国との間にあるはなはだしい経済格差を是正するために障害となっているのは、なにより国家という枠組みと資本制の経済なのである。
・国家はその外部との関係で存在する。だから、その内部から棄てることはできないが、内(下)と外(上)の力を合わせることによってなくすことができる。柄谷はEUをあまり評価しないが、2冊をあわせて読んで、今、EUで起こりつつあることはEU内に限定すれば、彼の展望に近いことなのではないかという印象を持った。だから、国家を超える大きな枠組みが世界中にいくつかできて、それらがさらに大きな地球全体を覆う枠組みに参加できたらどうだろうか。
・もちろん、それがきわめてむずかしい、やっかいなプロセスであることはいうまでもない。しかし、世界の現状を見たときに、人間が生きのびる道はそれしかない。絶望せずに希望を持って。そんな読後感をもった2冊である。

2006年5月22日月曜日

コーヒーとシガレット

・テレビを見ていたらジム・ジャームッシュの映画の宣伝をやっていてびっくりした。『ブロークン・フラワーズ』という題名で、現在ロードショー公開中らしい。彼の映画は地味でミニシアターでしかやらないようなものばかりだから、またどうしてと思ったら、去年のカンヌ・グランプリ作品だという。中年男(ビル・マーレイ)がまだ見ぬ息子とその母親を捜して回るロード・ムービーだというから、見てみようかという気になった。
journal3-79-2.jpg・こういう情報に最近まったく疎くなった。映画はもっぱらBSで、それもほとんど行き当たりばったり。おそらく、『ブロークン・フラワーズ』も、「見たいな」で忘れてしまったかもしれないのだが、Wowowでたまたま『コーヒーとシガレット』に遭遇した。それも途中からで、アメリカによくある古びたあか抜けないコーヒー・ショップのテーブルにイギー・ポップが一人でいてタバコを吸ってコーヒーを飲んでいた。モノクロ画面で直感的にジム・ジャームッシュと思ったが、そこにトム・ウェイツがやってきておしゃべりをはじめたからさらに確信した。
・時間は朝の8時半。ぼくは起きたばかりで、コーヒーを飲みながらネットをやって、新聞を読んで、タバコを数本。それで、ぼけた頭がはたらきはじめるのを待つという日課の途中だったのだが、そのままソファーに寝転がって見始めてしまった。これではトイレに行きそびれてしまう、などと気になることがいくつかあるけれども、動くわけにはいかなくなってしまった。
・イギーがトムにタバコを勧める。トムは「タバコはやめた」といって断る。しかし「やめたんなら吸ってもいいじゃないか」と言われると「そうだな」といって吸い始める。タバコをやめたからもう吸わない、ではなく、やめたんだから吸ってもいい。変な理屈だけど一理ある。買わないけれどたまにはもらいタバコを楽しむ人は、まわりにもいる。
・トム・ウェイツは酔いどれ天使などと言われてタバコと酒がトレードマークになっていたが、最近では田舎にこもって奥さんのキャスリン・ブレナンとつくったアルバムをだしている。イメージはずいぶん変わったけれど、映画には昔のままで登場している。この二人の会話はまったくかみ合わない。そこが何ともおもしろい。イギーがトムに店のジュークボックスに「君のレコードがない」というと、トムは「この店、気にいらないか?」と聞き返す。いいドラマーがいるけどどうか聞くと、「俺のバンドのドラムは駄目か?」と聞き返す。そのたびにイギーは、そんなつもりでいったわけじゃない、と弁解する。
・いつ壊れてもおかしくないやりとり。そこをかろうじて、タバコとコーヒーが取り持っている。もちろん、イギーの我慢強さということもある。イギーは待ち合わせがあるといって席を立つ。トムは一人残って、もう一杯。最後にジュークボックスを確かめて「何だ、イギーのもねーじゃねーか」。コーヒーショップのジュークボックスに自分のレコードがないのは、ミュージシャンのこけんにかかわる、ということか。
・もう一つおもしろかったのはケイト・ブランシェットが二役で演じたシーンだ。大女優とそのいとこの売れないロックミュージシャンがホテルのカフェで話をしている。携帯が鳴ったりして忙しい大女優に最初は同情的ないとこも、自分の売れない境遇と比較して、愚痴を言い始めたりする。大女優がいとこに高級ブランドの化粧品のプレゼントする。ありがとうといいながら、「もらいものでしょ?」と聞き返すのも忘れない。さらに「金持ちはただでもらって、貧乏人が金を出して買う。それっておかしいくない?」などとからんでくる。大女優はスケジュールがあるからと退席するがロックミュージシャンはしばらく居座ろうとする。で、タバコをくわえて火をつけようとすると「禁煙です」の声。

・どこもかしこも禁煙になって、タバコを吸いながら雑談、なんていう状況設定がだんだんとりにくくなった。レストランはもちろん、喫茶店もカフェと名前を変えて禁煙といった具合だから、もうタバコは憩いの道具ではないのかもしれない。第一今は、「憩う」ではなく「癒す」のである。ストレスなどで心身共にまいっているのに、万病の元のニコチンでさらに体を痛めつけるな、ということだろうか。そう言えば、カフェもテイクアウトがおおい。エスプレッソやカプチーノと気取っても、ゆっくり時を過ごすゆとりがないのかもしれない。
・ポール・オースターの『スモーク』と『ブルー・イン・ザ・フェイス』はブルックリンのたばこ屋が舞台だった。その『ブルー・イン・ザ・フェイス』のほうにジム・ジャームッシュが登場して、たばこ屋の雇われ店主のハーベイ・カイテルとタバコ談義をするシーンが印象的だった。それを見たときに書いたレビューには、ジャームッシュはそこに最後のタバコを吸いに来たと言ったと書いてある。
・『コーヒーとシガレット』は何年にも渡って撮りためた短編集のようである。その割にはトーンが一定で、最初から、後でまとめるつもりだったように思われる。タバコが吸えた時代、タバコが人々の間に介在して、間を持たせ、空気を和ませる役割を認められていた時代の記録。そんなことを考えてしまうほど、昨今の禁煙の波は激しい。それも、グローバルな傾向だから、どこに行ってもスモーカーには逃げ場がない。やれやれ……。
・ところで、『ブロークン・フラワーズ』はどうしようか………………。

2006年5月15日月曜日

石油の値段は高い?

 

・石油の値上がりは何とも頭が痛い。ぼくにとってはガソリンも灯油も欠かせないから、値が下がってほしいのだが、ここに来てまた値上がりした。さいわい、暖かくなってストーブをまったくつけない日が多くなったから、灯油の消費量はかなり減った。ただし我が家では給湯は灯油だし、パートナーが使う陶器の窯もあるから、1年を通して消費しなければならない。
・ガソリンも灯油も安かったときの5割増しの値段になっている。それで、冬の暖房は、薪ストーブをメインにした。去年までは薪が贅沢品だったのに、この冬はすっかり逆転した。だから、今は来冬に備えて、薪割りに精を出している。一応必要な木も集められたから、ほっと一安心、といったところだ。

・で、ガソリン対策だが、けちけち運転を心がけることにした。ぼくは以前からあまりブレーキを踏まない。オートマ車だけれど、シフトチェンジをつかうことが多いからだ。しかし、最近は、シフトチェンジも控えて、惰力走行を多くするように意識している。もちろん、加速も控えめにして、2000 回転を超えないようにした。東京で運転すると、ブレーキを踏まないわけにはいかないが、河口湖では、そんな運転でもスムーズに走ることができるし、時間もあまりかわらない。
・けちけち運転はもちろん、高速道路でも実行している。走行車線に乗るときでも、3000回転を超えないようにして、緩やかに加速をする。だから、アクセルは踏みこむというより撫でる感じで軽く触れるようになった。なるべく走行車線を走って、追い越し車線は遅い車を追い越すときだけ。そう自分に言い聞かせて運転をして、スピードも極力控えることにした。以前よりも10分近くよけいにかかるが、今のところ、燃費は1割ほど改善されている。これでも満タンで70キロほどよけいに走るからずいぶん経済的だが、5割増の値段にはとても追いつかない。

・石油の高騰にはいろいろな原因があるようだ。最近の急騰はイランの核開発の問題とそれを当て込んだ投機的な買いが原因で、状況次第では価格はもっと上がるかもしれないが、下がる可能性もある。けれども、もう一つの原因は中国やインドといった経済成長の著しい国での消費の増加にある。そしてこれは、今後の需要が増すことはあっても減ることはないから、その意味では、石油の価格は下がることはないのかもしれない。
・石油はいずれは枯渇する。そう騒がれてからもう30年以上たつが、消費量は増えるばかりだ。そして、一時的な高騰はあっても、あまり値段は上がらなかった。だから、最近の値段はもちろん、もっと上がって2倍、3倍になっても仕方がないのかもしれない。それよりは石油への依存を低くすることの方が肝心で、車のメーカーもハイブリッドや電気、あるいは水素といった新しいエンジンを実用化しはじめている。

・ぼくの車(スバル・ランカスター)はもう15万キロを走った。今年の秋に車検が切れるから、新車に乗り換えてもいい時期だが、もう一回更新して、ハイブリッド・エンジンが搭載される新車を待とうか、と考えている。スバルは独自の水平対向エンジンが特徴で、ハイブリッドも開発していたはずだが、トヨタの資本が入って技術的な提携もするようだ。だから、2年後には水平対向のハイブリッド・エンジンが出るのではないか。そんな期待をしているところである。
・田舎暮らしをするようになって、自分が消費するエネルギーや廃棄するものに自覚的になった。なったというより、自覚する機会が増えたといった方がいいかもしれない。どこに出かけるにも車が不可欠だし、火を燃やせば煙が出る。灯油も買いに行くから、その量と重さが実感できる。「地球に優しい」などというセリフは、どう考えても口には出せない。だからせめて、生ゴミは土に埋めて循環させるとか、使い捨ての商品(ペットボトルの飲み物、冷凍食品、コンビニ弁当等々)は買わないように、などと心がけてはいる。
・けれども、個人でできることにはかぎりがある。石油をつかわないで、土に返すことができる容器や包みが開発されたりしているようだ。石油の高騰は、こういう技術を進化させる機会になるはずで、その意味では、石油の値段はもう下がらない方がいいのかもしれない、などと思ったりしている。