2006年8月28日月曜日

CMの日のCM批判

 

・8月28日はCMの日だそうだ。ちょっと前から、テレビでCMのCMというコマーシャルをやっていて、気に入らないと感じていた。民放テレビにCMがあるのはあたりまえだが、中断して申し訳ないといった姿勢は、とうの昔になくなっている。というより、番組に不可欠なものとしてふるまっている。「CMの日」と「テレビでCMのCM」には、そういう既成事実をさらに正当化させる狙いがある。だからあえて、「視聴者にとってはCMはあくまで邪魔者である!」と言う必要がある。CMには市民権はないのである。
・しかし、こういう感覚は、誰にも共通したものではないようだ。たとえば、CM必要悪論をゼミで話すと、学生たちは「エー?」といった反応をする。「CMはじゃまだろう?」と聞くと、「あるのがあたりまえ」といった意見がでて、多くがそれに同調する。そういうものとしてテレビを見て育ったのだからあたりまえか、と納得するけれども、なかには「CMのCM」のキャラがかわいいなんていう者もいるから、ついついむきになって、「君たちはだまされているんだよ!」と言いたくなってしまう。
・テレビCMは「洗脳」の道具である。繰り返して「あれを買え、これがいい、私を覚えて、欲しいだろう」とやっている。ぼくは夕飯どきのニュースを民放で見るが、やっているCMはどこの局でも毎日、「保険」ばかりである。病気や老後の「不安」をかきたてて「安心」を買わせるレトリックは、詐欺商法と同質のものだが、テレビでやれば、それはまっとうなものとみなされてしまう。
・民放テレビの収入は、なによりこのCMにある。番組で高視聴率を稼ぐのも、スポンサーのCMを多くの人に見せたいがためなのである。CM は番組を5分から10分で刻んで連発される、内容とは無関係なメッセージである。これは放送開始以来のシステムだから、何を今さらと思われるかもしれない。けれども、集中力や一貫性をまるでもたないテレビに何の違和感も感じなくなってしまうというのは、ずいぶん困った意識の持ちようだと思う。そういえば、学生たちの集中力はおそろしく持続力がない。自発的に読書などせずテレビばかり見て育ったせいだといったら、いいすぎだろうか。

・高校野球が例年になく盛り上がった。何年も見なかったが、今年は早実の試合が気になって、何試合か見た。理由は勤め先の大学のお隣さんだからである。しかし、感動よりは不愉快さを感じた。もちろん試合そのものではない。「熱投」を賛美して興奮する中継やニュースに対してである。何で高校生に4試合もつづけて投げさせることに批判が出ないのだろう。斉藤君は人生で最高の瞬間といっていたけれども、彼にはこれからかなえたい、もっと大きな夢がある。甲子園はその入り口にすぎないのに、もし肩を壊したら、それこそ、甲子園が最初で最後の晴れ舞台になってしまう。
・実際、甲子園で活躍してプロ入りしたのに、故障が原因で活躍できなかった選手が何人いただろうか。そんな人たちはあっという間に忘れ去られてしまっている。ぼくはそのことについて前にも書いたことがある。今読み返すと懐かしい気がするが、その年、甲子園をわかせた平安高校の川口はやっぱり4連投で、翌年オリックスに入団したが、ほとんど活躍できずに終わっている。去年の甲子園をわかせた大阪桐蔭の辻内は巨人に入団したが、左肩痛で二軍でも投げられないという。はたして故障が癒えて活躍できるのか。今、そんなことを気にする人はほとんどいない。その代わりに「ハンカチ王子」に夢中で、テレビや週刊誌が学校はもちろん、アパートや実家に押しかけている。本人の困惑などにはもちろん無関心で、ブーム、あるいは「現象」をつくりだすことしか念頭にないようだ。その意味ではCMだけでなく番組そのものがCM化しているといってもいいだろう。この傾向が、最近とくにひどすぎる。

・最近あちこちでいろんなミュージアムができはじめている。それぞれに趣向を凝らして、見応えのあるものも少なくない。けれども、ぐるっと一回りして出口に近づくと、必ずギフト・ショップがあって、どこもここが一番の人だかりだ。記念のグッズ、土産物は展示されたもののコピーやカリカチャーだが、多くの人は展示されたものよりはコピーに関心があるようだ。まさに主客転倒で、展示物はギフトのためのCMにすぎないのである。ぼくはそこにテレビ番組とCMの関係を連想して、たいがい素通りしてしまう。
・何かを経験することよりも、経験した証がほしい。複雑なもの、わかりにくいものを自分の目と頭で判断するのではなく、あらかじめ用意されたわかりやすい下書き通りに味わいたい。もちろんそこには、驚きや感動、涙や笑いが欠かせない。大勢の人と一緒に経験することができれば、それで大満足。こういう風潮はなによりテレビが育て、増幅させてきたものだ。経験、記憶、思い出の商品化。 jaffe.jpg

・Joseph Jaffe の『テレビCM崩壊』(翔泳社)はアメリカのテレビCMについての批判で、その質の低下や効果、あるいは信憑性を疑う内容である。ネット利用者が飛躍的に増えて、テレビがメディアとして相対的に力を失いつつある。しかも、消費行動も受け身ではなく、ネットで検索してじぶんで探すといった行動が普及してきた。テレビがそれに追いついていないという趣旨の批判である。確かにそういう面は日本にも当てはまると思う。けれども、日本ではネット利用が多様性よりは画一性を増幅させる傾向にあって、その意味では、テレビとネットが共謀してブームや現象をつくりだしているといえる。人とはちがうものではなく、みんなと一緒に。この性向に変化がない限り、日本のテレビやCMは安泰なのかもしれない。

2006年8月21日月曜日

世界が老人ばかりになる

 

セオドア・ローザック『賢知の時代』(共同通信社),ローレンス・J.コトリフ、スコット・バーンズ『破産する未来』(日本経済新聞社),フランク・シルマッハー『老人が社会と戦争をはじめるとき』(SoftBank Creative),上野千鶴子『老いる準備』(学陽書房),赤川学『子どもが減って何が悪いか!』(ちくま新書)

・団塊世代がまもなく、60代になる。日本は世界一の長寿国で、女の平均寿命が85歳になろうとしている。一方で、子どもの出生数は減り続けているから、高齢化社会に向けてまっしぐらということになる。年金の破綻は目に見えているが、たいした改善策もなされぬままに秒読み段階に入っている。団塊本などには、すぐ下の世代から「年金泥棒」などという暴言が吐かれたりもしている。もらう前からこれだから、いざ年金生活者になったら何を言われるか、と思うとぞっとする。

journal1-104-5.jpg・フランク・シルマッハーの『老人が社会と戦争をはじめるとき』はドイツでベストセラーになったという。その内容は近未来の恐怖を誇張したもので、題名通りに、世代間戦争を予告する脅し文句で一杯だ。老いてリタイアを望んでいながら、他方で若さや長生きに執着する老人たちと、それを支えるしんどさを拒否し、ばからしさに嫌悪する若者たち。何もしなければ、数十年、あるいは数年後に、そんな状況がやってくる。しかも、ヨーロッパやアメリカや日本でいっせいにというのである。
・一番の原因は、第二次大戦後に多くの子どもが生まれたことにある。そして、その後の近代化の成熟過程で、少ない子どもを大事に育てるとか、子どもをつくらない結婚(Dinks)とか、一人で暮らすといった多様なライフスタイルが現実化した。さらに加えて、飛躍的な寿命の延びである。豊かさがもたらした悲劇。
・年金がもらえなければ、この世代は数が多いのだし、反抗の世代とも呼ばれたから、デモでも実力行使でもやりかねない。しかし、もらえればそれでいいという問題でもない。若い世代が金や権力を持つ大人に異議を唱えるのとちがって、年金は若い世代に高い負担を強いることになるし、それでもとても追いつかないほどの財源が必要だからである。

journal1-104-1.jpg・このような少子高齢化社会が招く問題については、どこの国にも明確な解決策は見あたらない。ローレンス・J.コトリフとスコット・バーンズの『破産する未来』は、アメリカの財政の現状と過去の政策、そして政府が持つ将来についてのビジョンをさまざまなデータをつかって経済学的に分析したものである。
・アメリカの人口構成は2000年で5歳以下が6.8%で65歳以上が12.4%。この数字は100年前とちょうど逆である。そして 2030年には65歳以上が20%近くになる。歴代大統領はこの問題を避けて通ってきた。ブッシュはそうはいかないはずなのだが、その危機意識はテロ問題には遠く及ばない。社会の高齢化はベビーブーマー世代に限った一時的な現象ではなく、これから恒常化するもので、著者が見通す未来予測はきわめて悲観的である。そして、政府の政策などあてにせずに自衛策を施せ!という以外に対処のしようはないというのが結論になっている。
・ただし、この本にアメリカとの比較で出てくる日本は、すでに人口構成比や年金の問題だけでなく、国の財政も破綻寸前にあって、状況はアメリカよりもはるかに悪い。平均寿命ののび(82)と出生率の減少(1.25)が同時進行の日本と比較して、アメリカの平均寿命は世界で25位(76)にあり、出生率も2.0前後を推移している。「破産する未来」という悪夢は、日本のほうがはるかに現実的なのである。

journal1-104-4.jpg・日本では、それをどうしようとしているのか。政府主導の「少子化対策」に「男女共同参画社会を実現させれば少子化は止まる」というスローガンがある。仕事や子育てを男女が協力し合い、それを国や自治体や企業が支援すれば、もっと子どもを産む気になるというものだ。しかし、本当にそうなるのだろうか。赤川学の『子どもが減って何が悪いか!』はそのスローガンの根拠自体に疑問を呈している。つまり、モデルとなるのは北欧やオランダといった国だが、提示されている統計が都合よく歪曲されていて、男女共同参画が実現しても出生率が増えない国が除かれているというのである。あるいは社会福祉の理想国として取り上げられるスエーデンでも、効果は一時的で、出生数の回復が恒常化されているわけではないようだ。
・少子化の原因は、都市化と核家族化、それに女の就業志向の高まりにあるから、そこを変えないかぎりは出生率が飛躍的に高まることは望めない。第一、少子化の大きな原因は、共働きの既婚者以上に、結婚しないシングルの増加にあって、ライフスタイルの多様化は、すでに意図的に修正できないところまできている。「少子化対策」に集められた研究者たちは、それがわかっていながら、「男女共同参画」と「出生率」の関係を強調して御用学者に成り下がっている。読みながら、年がいもなくかわいこぶりっこする「コスプレ大臣」を思い浮かべてしまった。

・高齢化社会への対応は、高齢化する人たちがみずから解決すべきものである。赤川はそう主張する。もうすぐ老人の中に入るぼくも、そう思う。しかし何をしたらいいのか。上野千鶴子の『老いる準備』は介護保険を中心に、団塊世代以降の人たちが、自分の将来を見通す必要性を説いたものである。上野は「介護保険法」の制定を強く評価している。


journal1-104-3.jpg 介護保険は家族革命だった、とわたしは思っている。「革命」というのは非常に強い表現だが、天地がひっくり返るような変化のことをいう。なぜあえてそういう強い表現を使うかというと、介護保険で、家族観が変わったからである。「介護はもはや家族だけの責任ではない」という国民的合意ができたからこそ、介護保険は成り立った。これを介護の社会化という。(p.106)

・介護保険は40歳以上が強制的に加入することでまかなわれる。年金とはちがって後の世代にみてもらうのではなく、自分のために用意する保険である。できた経緯にはかなり不純な要素があり、また政治家にも革命的な制度だという認識が薄かったようだ。また現実的にもさまざまに試行錯誤が必要なようである。ぼくはそれほどの制度改革とは思わなかったから、この本には目から鱗の思いがした。

・セオドア・ローザックはベビーブーマーが起こした動きを分析した『対抗文化の思想』(ダイヤモンド社)で知られている。そのかれが老年期に入るベビーブーマーの問題を『賢知の時代』で考えている。若いころに社会を批判し、あたらしい世界を思い描いた世代なのだから、老人ばかりになる世界をどうつくりだしていくか、についても考えて実践すべきだし、そうするだろうという内容になっている。ローザックはベビーブーマーよりも一世代上で、大病も経験したようだ。だから、その気持ちのもちようには、すでに老人期に入って死も自覚した人のたしかな見識がうかがえる。

journal1-104-2.jpg ・年長者はこの社会の創造的な力であって、それまでと同じことをしていてはならないのである。創造的であることは生産的であることとはちがう。いつまでも競争をつづけることに疑いの目を向け、富と名声の追求から手を引くことだ。その態度はまったく新しく、勇気と想像力を必要とする。(p.151)

・ローザックがいう創造力は、知識や情報ではなく、「知恵」の復権である。広告や流行に惑わされない、シンプルな生活スタイル。金が必要な消費ではなく、じぶんで工夫する試み。それらは60年代にベビーブーマーたちが社会批判として実践し、ほどなく消費文化にとりこまれたものだが、当時とはちがって現在では、かれらには経験や技術に裏打ちされた知恵がある。まったくそのとおりだと思う。具体的に何をどうという話はほとんど書かれていないが、不安や憎悪や恐怖ではなく、具体的に何かできそうだという希望を抱かせる本である。

2006年8月14日月曜日

富士・箱根・伊豆

 

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・朝起きたら快晴で、空がいつになく青い。夏には珍しい感じだったので、箱根までドライブをしようということになった。湿度が下がって遠くまでよく見える。富士山がこんなにはっきり見えるのは何ヶ月ぶりかである。もう雪はなく、赤茶けた地肌が見えている。あまり好きではないが、背景が青いからすっきり見える。

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hakone-4.jpg・河口湖から箱根までは60キロほどでたいしたことはないのだが、何となく遠い気がする。御殿場から乙女峠までの山道が曲がりくねっていて、結構きつい登り坂だし、上がればどうしても、尾根づたいに天城高原までつづく有料道路を走りたくなるからだ。もちろん、きつくていやだというわけではない。僕は山道のドライブは大好きで、夢中になってしまうから、後でぐったり疲れてしまう。だから、なかなか行く気にならないのだ。

hakone-5.jpg・芦ノ湖スカイラインにはいると、右後方に富士山、前方に三島や沼津の街と駿河湾、そして左に芦ノ湖と箱根の山が見えてくる。ぐるっと一望できる、まさにパノラマの風景で、いつきても爽快な感じを味わうことができる。
・ここからの富士山の眺めはなかなかいいが、今日は雲の感じがまたいかにも夏らしい。平日とはいえ夏休みだから人手は多い。しかも、サーキットやラリー・コースのつもりで運転する車が時折あるから、のんびり脇見というわけにもいかない。何しろここは、テレビや雑誌で新車の試乗をする定番の道なのである。ところが逆に、のんびりと低速運転を楽しんで、後続が渋滞するのにもお構いなしといった車もある。いらいらして無理な追い越しなんて車もいるから、かなり気をつかうコースなのである。
hakone-6.jpg・で、ここまでくると、やっぱり伊豆半島を南下したくなる。あまりに気持ちがいいから、いっそ下田までと思ったけれども、出た時間が遅かったから、有料道路の終点まで走って、城之崎海岸に降りた。 ・下に降りると何とも暑い。伊豆高原は26度だったのに、海岸は32度。金目鯛の煮付け定食を食べ、砂浜にたちより、干物を買った。帰りは海岸沿いに熱海まで北上して、また箱根へ。曲がりくねった道を登って降りて、また登り、また降りる。普段の高速道路の運転とはちがって、ステアリングを右に左にするたびに腰を回転させるから、かなりの運動になる。もちろん、絶えず腹筋にも力が入る。御殿場に降りた頃には、すっかりくたびれて、目も真っ赤になってしまった。

2006年8月7日月曜日

"LOHAS"なんて流行るわけがない

 

・8月になってやっと夏らしい暑さになった。湖畔は平日でも合宿らしい学生でにぎわっている。週末ともなると道路も渋滞気味で、高速道路はほとんど動かない状態になってしまうようだ。いつもなら1時間のところが4時間、あるいは5時間もかかる。それで日帰りというと、ほとんど高速道路上で一日過ごすことになる。クーラーをかけっぱなしだから、動かなくてもガソリンは消費する。何しに来たのかとうんざりするばかりだと思うが、週末になると、それがくりかえされている。来週はお盆の帰省もあるから、いったいどんなことになるやら。
・何でみんなが同じ時に一斉に休みを取るのか。こんな時期になるといつも思う。日本の社会はどこまで行っても仕事優先だから、生活は働くためにあるのであって、決してその逆ではない。生活のために働く。遊ぶために働く。そういう生き方がもっとあたりまえになってもいいと思うが、いつまでたってもそうはならない。


・しばらく前から"LOHAS"ということばを見聞きするようになった。もちろん、テレビや雑誌や新聞での話だ。その前には「スローライフ」で、こちらもメディアがはやしたてたことばだったが、最近ではほとんど聞かれない。「ロハス」は"Lifestyle of Health and Sustainability"の略で、直訳すると「健康で持続可能なライフスタイル」となる。何のことやらよくわからないが、自分自身のことから地球規模のことまでを連続させて、健康とそれを持続可能にする仕組みを考えた暮らしを目指そうということらしい。けっこうなポリシーだと思う。しかし、である。

・「ロハス」はなにより経済用語であることがうさんくさい。つまり、このことばには新種のビジネスを開拓するという狙いがなにより強く感じられるのである。ビジネスであれば、関心を集めて売り上げを伸ばすということが第一になる。趣旨に賛同した人がやることは、消費するものをちょっと変えるということだけだ。確かに、農薬をつかわない野菜や、化学合成の飼料をつかわないで育てた牛や豚の肉を僕も食べたいと思う。電気や石油などのエネルギーを浪費しない工夫も大事だし、ゴミや廃棄物のことまで考えた生活サイクルを実現することが必要だと思う。そして、こういった意識で生活するためには、じぶんの力だけではとてもだめで、企業や自治体、あるいは政府や国連機関の力に依存せざるを得ない面がたくさんある。しかし、である。「ロハス」という理念を共有した新ビジネスは新しい経済システムとなって「地球を救うのだろうか」?。

・要するに、ロハスは「より良い社会のためのお買い物」を提案し、そのための商品を開拓しようという運動なのである。しごくもっともらしいが何かおかしい。じぶんの健康を考え、環境の悪化を防ごうと思ったら、まず、できあいの商品を買わないですむ生活スタイルを考えてみるといった発想からスタートすべきではないのだろうか。スローライフを実践することはスローフードを買って食べることではなくて、時間をかけてじぶんでつくることを意味している。一晩かけてシチューをつくることと、有名シェフが時間をかけてつくったシチューのレトルトパックは全然違う。そこのところが、うやむやにされている。だから「スロー」も「ロハス」もインチキくさいのである。


・今の社会で、それなりの快適さと楽しさと安全さを前提にして生きていこうと思えば、それに対してお金を払うことは避けられない。しかし、「ロハス」や「スロー」というなら、そこからまず疑ってかかることが必要で、じぶんでできることはじぶんでやる、という姿勢をもたなければ、立派な趣旨も一過性のブームで消えてしまう。「ロハス」は懸命に宣伝しても今ひとつブームになりきれていないから、そう時間がたたずに消えて、また新しい標語がつくりだされるのだと思う。第一、"LOHAS"は日本人には全然しっくりこないと思う。 "sustainability"なんてことばをいったいどれほどの人が理解できるのだろうか。もっとも「エステ」や「セレブ」や「カリスマ」だってもともとは難しいことばだから、「サステ」などといって流行る可能性はなくはない。

2006年7月31日月曜日

気仙沼と十和田湖

 

去年は行かなかったが、夏休み恒例の東北旅行に出かけた。今年は青森まで行ったが、1日目は気仙沼まで。翌朝魚市場に出かけると、ちょうど船から魚を降ろしているところで、次から次へと鱶(フカ)が出てきた。さすがはフカヒレの町だけのことはある。積み上げられた小山が無数に並んでいる。フカの体はグニャグニャで、頭は切り取られてある。まるでアウシュビッツだなと思うとちょっと気持ち悪くなった。 photo36-1.jpg photo36-3.jpg
photo36-2.jpg photo36-4.jpg魚はほかにもいろいろ並んでいる。中でも見事なのは大きな(←)本マグロだ。ここでも滅多にあがらない大物らしく、仲買人たちがのぞきこんでは話していた。ほかに長い鼻をちょん切られたカジキマグロもごろごろと並んでいる。一本釣りで生きたままの大きなヒラメや鯛は一匹ずつ水槽に入っている。東洋一の水揚げだそうで、たしかにすごい。ちなみに、ここには高いところに見学者用のフロアがある。そこから見下ろすのだが、景色は壮観だった。
青森では三内丸山遺跡を見た。なだらかな丘にあるかなり大きな集落で、天気もよかったから、その環境の良さに縄文時代の豊かさが想像できた。巨大な塔は栗の木で作られている。栗の木がこんなに大きくなるとすると、栗の実はどれほどみのったことか。海岸線も今よりずっと近くにあったようだから、ここで何千年も暮らした人びとの生活はきっとものすごく豊かだったことだろう。5000年前のユートピア。photo36-5.jpgphoto36-6.jpg
photo36-7.jpg photo36-8.jpg青森は、本当に森の県だ。ブナやヒバの森がどこまでも続いている。広葉樹の多い森は松や杉に比べてもっこりとして緑の色も明るい。十和田湖から唯一流れ出る奥入瀬川の流れは、テレビでよく見てきたがやっぱりさわやかで美しい。雨続きのせいか流量も多い。両脇の崖から清水が落ちて、あたり一面に霧が立ちこめている。月並みだが、やっぱり幻想的な雰囲気だと思った。
十和田湖でカヤックをやった。着いた日は風があって波が高くてあきらめたが、翌日は無風で波もほとんどなかった。早朝にガイド付きで湖畔を散策して、その自然の豊かさに驚いたが、湖に浮かんで周囲を見ると、森の深さにまたびっくり。冬は-20度にもなって訪れる人もないようだ。泊まったホテルも4月から11月までの営業で、周囲には土産物屋もレストランもない。開発されすぎた河口湖とは対照的な景色だった。photo36-9.jpgphoto36-10.jpg
photo36-11.jpgphoto36-12.jpg桂の木は香木として有名だが、その巨大さは並外れたものだった。古い木の後に新しい芽が出て、やがて一つの根の上に何本もの幹が立ち並ぶ。樹齢は数百年で根の周囲は11m。近くにはツキノワグマの糞。十和田湖にはまた来てみたい。帰りに田沢湖によった。ここは三度目だが、今回はカヤックはやらず。かわりに、パートナーと一緒に、前回来たとき見つけた粘土の採集をした。白くてねっとり柔らかい。いい土なのだそうである。

2006年7月24日月曜日

ポートランドのデザイン工房

 

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去年の12月におじゃましたポートランドの友人から写真が送られてきた。雪のかぶったMt.Hoodが間近に見える湖でカヌーをやっている。針葉樹に囲まれた静かなところのようだ。こういう写真を見ると、たまらなくカヤックがやりたくなる。山と森と湖。そこにただ一人だけというのは、まさに世界を一人占めという気持ちになる。夏に来ませんか?というお誘いに、「今年は忙しくてだめです」と返事をしたのだが、こんな写真を見せられると、誘惑に負けそうになってしまう。 

 tomita1.jpgおまけに、すっかり仲良しになった黒ラブのatom君まで写っている。のんびり水など飲んでいるが、水が怖くて意気地がなかったそうだ。犬は不安定なところを嫌うから、カヌー犬にするには、小さい頃から乗せなければむりかもしれない。しかし、犬と一緒にカヤックに乗るというのは、いずれは実現したい僕の夢だから、こういう写真には参ってしまう。仕事を辞めて、毎日犬と散歩ができる身分に早くなりたいな、と思う。車に犬とカヤックを乗せ、あちこちの湖や川に出かける。もっとも、アメリカまで出かけるのはちょっと無理だろう。

  送られてきた写真の中には、ちょっと怖そうなものもあった。滝から飛び降りているのだが、やっているのはK君、弟のY君は飛び降りる勇気がなかったのか下で見ている。彼はatomと同じで、慎重なのである。僕も高所恐怖症だから、一緒にいてもぜったいにやらない。右の写真では壁をよじ登っているから、たぶん、何度も落ちている。高さは10m以上はあるだろう。そう思っただけで、心臓がかゆくなる。

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tomita1.jpg ・tomita1.jpgK君はデザイン工房をやっていて、奇妙なオブジェをいっぱい作っている。名前はTomita Design.Buildで、作品を展示したサイトもある。木工のいすやテーブルなどもあって、そのデザインもおもしろい。アメリカ育ちの日本人だから、竹などの素材を使うが、和洋折衷とはちがうおもしろさがある。 

2006年7月17日月曜日

初心を忘れず

 

Neil Young "Living with War", Bruce Springsteen "We Shall Overcome"

・ニール・ヤングとブルース・スプリングスティーンが、どういう関係かよくわからないが、ふたりはよく同じ場面に登場する。エイズをテーマにした映画『フィラデルフィア』ではスプリングスティーンが導入部の、ヤングがラストの主題歌を歌っているし、9.11直後の追悼番組でも最初がスプリングスティーンで最後がヤングだった。あるいは、最近ふたりが出すアルバムにはDVDがよく付属している、といった共通点もある。それからもう一つ、これが一番大事だが、アメリカ社会や政治、そして文化の現状について、人一倍の危機感を持っていて、それがアルバムのコンセプトになっていることだ。
young2.jpg・ニール・ヤングの"Living with War"はその題名通り、アルバムのほとんどが反戦歌で占められている。歌詞はどの曲も率直なものだ。

「この庭がなくなった後で、人は一体何をするんだ?」"After the Garden"


「毎日戦争と一緒に生きている。心には戦争のことがある。
平和に手を上げて、思想警察の法律になど屈服しない。」"Living with War"


「落ち着きのない消費者が世界中を毎日駆け回っている。
おいしさとおしゃれの欲のために。」"The Restless Consumer"


「1963年のボブ・ディランの歌を聴いてみろ。
<自由の旗>がはためくのを見よ。」"Flags of Freedom"


「この国を誤った戦争に引き込んだ大統領の嘘を弾劾せよ。
我々の力を浪費させ、我々のお金を外に投げ捨てた。」"Let's Impeach the President"


springsteen2.jpg・スプリングスティーンの"We Shall Overcome" にはトラディショナル(伝統的)なフォーク・ソングが集められている。タイトル曲はピート・シーガーが作り、黒人に対する人種差別に反対する運動などで歌われたが、マルチン・ルーサー・キング牧師の「私には夢がある」という演説とならんで、公民権運動には欠かせない一曲になった。

・アルバムにおさめられている曲の多くはピート・シーガーがアラン・ロマックスとアメリカを回って集めたものだ。どれもポピュラーになってよく歌われるが、最初のものとはずいぶん変わってしまったものもある。それを最初に戻って歌ってみる。そこには、シーガーが残したものを語り継ぐという使命感もあるようだ。録音は彼の自宅の居間でおこなわれ、シーガーに近いミュージシャンたちが集められている。フォーク・ソングにしても、黒人のブルースにしても、各地に散在し、埋もれかけていたものを集める作業をした人がいる。それが現在の音楽の出発点になっていることを、多くの人は忘れているし、若い人には知らされていない。

・だから、古いものを出発点に戻ってやり直してみる。それは最近のディランのアルバムにも見られる姿勢だ。ピート・シーガーとの関係でいえば、もちろん、ディランの方がはるかに近い。ウッディ・ガスリーやピート・シーガーに憧れて歌を歌いはじめたディランは、メッセージ性の強いフォーク・ソングをつくる若手として、彼らから期待をかけられた。ニール・ヤングが「1963年のボブ・ディランの歌」と歌っているのは「風に吹かれて」のことで、この歌は"We Shall Overcome" とならぶ60年代を代表するフォーク・ソングになっている。

・そのディランはギターをエレキに持ち替えて、シーガーとは一線を画したし、彼が始めたフォーク・ロックのスタイルからニール・ヤングもスプリングスティーンもスタートした。そんなフォークの第二世代や第三世代が、今、共通して、初心に帰っている。ノスタルジーではなく、できるだけ昔のままのものを求め、それを若い世代に伝えようとする姿勢には、スターという立場とは無関係な、アメリカの歌を語り継ごうとする意志がある。あるいは、何か訴えたいことがあったら率直に、素直に声に出す。そんな表現の仕方の大切さを訴える気持ちもある。

・初心に戻るのはノスタルジーに浸るのとは違う。それは現在から過去を懐かしむのではなく、過去に戻って、そこから現在や未来に向けてやり直すことだ。あるいは現在までの道のりをたどり直してみる。ディランはもちろん、ヤングもスプリングスティーンもそういう年齢になったといえるのかもしれない。彼らのメッセージを若い世代はどう受け止めるのだろうか。