2008年7月13日日曜日

学生気質が変わった?


・最近、学生の気質が変わった、という話が教員の間でたびたび持ち上がるようになった。ケースはそれぞれだが、僕にも思いあたる節がいくつかある。たとえば、大講義で苦労した「コミュニケーション論」で、学生から感想を聞く「授業アンケート」をした。試験前だったせいもあって、いつにもまして大勢の学生が出席して、席がたらないほどだった。で、アンケートを回収すると、あまった紙が大量にある。おかしいなと思って、アンケートに回答した枚数を数えると、250枚しかない。550人、いや600人近くいたはずなのにと、TI(ティーチング・アシスタント)の院生K君と顔を見あわせて頭をひねってしまった。

・出席した学生の半分以下しかアンケートに回答してくれない。しかも3分の1は用紙すら受けとらなかった。どうしてなのだろうか。「コミュニケーション論」では4回の授業中レポートを課した。だからだろうか、出席者が500を切ることは一度もなかった。もちろん、出席した学生のほとんどがレポートを書いて提出した。じっくり読む時間はないが、それでも一通り目を通したし、TIのK君にも読んでもらっておもしろいものにチェックをしてもらった。大講義だからとほったらかしにはできない、と思ったからだ。なのに、無記名だと出さなくてもいいと判断する学生が過半数もいたのだ。ずいぶん現金で、自分勝手だな、と思った。

・講義の中身は「コミュニケーション論」だから、当然、現代の人間関係の特徴について考えるもので、他人事ではなく自分のこととして受けとめるよう授業を進めた。だから、学生が書くレポートにも、それなりの自己分析や反省がこめられていた。「無関心」「孤独」「誠実さ」、そして「信頼」とは何か。そんな話をしたのだが、僕の言いたいことがどのくらい、どれほどの人に伝わったのか、と考えるとはなはだ心許ない気持になった。試験の答案では、逆に教員の顔色をうかがうような媚びた回答が目立つから、それと対照させると、現金で自分勝手という意識が一層強調されてくる。「必要となれば、相手にあわせることに懸命になるが、そうでなければ、相手かまわず自分勝手にやる」といった行動の仕方である。

・ここにはまた、「面倒くさいことは、極力回避しよう」といった行動基準もうかがえる。それは、学生と接していて、よく目にする反応でもある。課されたレポートについて、本を読むことなど面倒くさい。買うのはもちろんもったいない話だが、図書館に行って借りるのも煩わしい。だからネットでグーグルかウィキペディアということになる。同じ内容や文面のレポートを読まされる教員は、そのことで学生を叱ったりするのだが、彼や彼女たちには、どこが悪いのか今一つわからない。自分で読んだり、考えたりしなくても適当な材料が手近にあるのだから、それを使えばいいじゃないか、という発想なのである。

・要領よくやることは、もちろん、決して悪いことではない。けれども、要領だけで行動したのでは、おそらく大学では何も学ばず、何の技術も身につけずに、ただ学士の称号だけ受けとって卒業することになってしまう。知識や技術は、面倒なことを地道にやって始めて身につくものだからだ。その地道な努力を無意味に感じさせる要因は、ケータイ、ネット検索、そしてコンビニなど、学生たちの日常生活に溢れていて、しかも、どれもが便利で不可欠な道具や手段になっている。グーグルやウィキペディアでレポートを手軽に仕上げるのが、マクドナルドでハンバーガーを食べるのと同じ感覚だとしたら、どこが悪いかわからないのは無理のないことなのかもしれない。

・これが新しい学生気質だとしたら、それに、どう対応したらいいのだろうか。小うるさいじじいと思われてもしつこく指摘するか、もう好きなようにやれと突き離すか。悩ましい課題だが、幸いもうすぐ夏休み。学生のことも、大学のことも、この期間はすっかり忘れることが肝心だ。

2008年7月6日日曜日

ジグムント・バウマン『コミュニティ』筑摩書房 ほか

 

bauman.jpg・「コミュニティ」についての本を何冊も読んでいるのに、バウマンの『コミュニティ』を読んで改めて、‘目から鱗’という感じを味わった。「コミュニティ」がまさに壊れるときに、アイデンティティが生まれる」という一文に出会ったからだ。これはジョック・ヤングからの引用だが、バウマンは続けて次のように書いている。


アイデンティティは、「単なる代用品」であることを否定しなければならない。つまり自らが取って代わることになる、当のコミュニティの亡霊を眼前に呼び出さなければならない。アイデンティティはコミュニティの墓場で芽吹くが、この死者の復活を約束することで繁茂するのである。(p.26)

・こんな指摘は、社会学を勉強し始めた頃に最初に習ったことである。たとえばテンニースの「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」やマッキーバーの「コミュニティ」と「アソシエーション」といった概念だ。なのに今さら、感心してしまったのは、「コミュニティ」ということばの氾濫とその概念の多様さで、訳がわからなくなってしまっていたからで、まさに一言、原点に戻れといわれた気がした。

・本来の意味での「コミュニティ」は、近代化の過程で葬り去られてしまった。それは個人にとっては何より、「社会的な自由」として積極的に受けとめられたが、しかし一方で、人びとは個人的な安心を感じられる場や関係が必要であることにも気づかされる。それを引きうけたのは近代的な家族であり、生活の場であらたにできる近隣関係、働く場としての「企業(工場)」、そして「国民国家」という枠組みで、要するに、ホッブスボウムの言う「想像の共同体」のことだ。

・こういった新しい枠組みのでき方はもちろん、国によって多様だ。ヨーロッパでは数百年の時を経ているし、移民国家としてのアメリカには、バウマンの言う「コミュニティ」はなかった。バウマンはある人の解放には別の人の抑圧がともなったと言い、多くの人は「堅苦しい古いルーティン(習慣に支配された、コミュニティ的な相互行為のネットワーク)から力ずくで引っ張り出され、(仕事に支配された、工場のフロアの)堅苦しいルーティンに押し込まれ」て「大衆」と呼ばれるようになったと言う。その貧困と劣悪な生活環境が見直されるのは、ヨーロッパでも20世紀の前半のことだし、本格的な改善がはじまるのは第二次大戦後のことだ。

・国家や企業が個人の「アイデンティティ」や経済の基盤を保証し、家族や近隣関係によって安心した生活ができるようになる。20世紀の後半は、その範囲を先進国であれば社会の下層やマイノリティにまで広げることが課題とされたし、後進国の経済的発展にも援助が行われた。まさに、古いコミュニティの墓場に新しいコミュニティと自立した個人のアイデンティティを徹底して実現させる試みだったのである。この流れはもちろん現在進行形だが、一方で、そこから離脱する新たな流れも強くなってきた。

sennett2.jpg ・リチャード・セネットの『不安な経済/漂流する個人』(大月書店)が注目するのは、働く場所にもたらされた構造的な変化で、彼はそれを、「組織への「帰属心」の低下、労働者間のインフォーマルな相互信頼の消滅。組織についての知識の減少」という三つの損失としてとらえている。自分の存在価値を確認するよりどころは第一に自分がする仕事と、それを行う場や関係においてだろう。それが自分にとって流動的なもので稀薄なものに感じられるようになれば、それは「アイデンティティ」を保証するものではなくなってしまう。セネットが見定めるのは現代のアメリカの状況だが、このような傾向は日本にもあてはまる。というより、何より企業人間、職場の人間関係を大事にしてきた日本人の「アイデンティティ」にとっては、この変化はアメリカ人よりずっと大きく深刻だと言えるかもしれない。しかもわたしたち日本人は、古いコミュニティの代わりに作るべき、近隣関係のコミュニティに無関心できたし、欧米型の個人がもつべき確固とした「アイデンティティ」確立にも消極的だった。

・こういった流れを深く憂慮するセネットとちがって、バウマンの論調はもっと悲観的で突き放したものになっている。彼が指摘するのは新たに生まれつつある、恵まれた者たちが作るシェルターとしての「コミュニティ」と「ゲットー」への分断だ。「恐怖の対象としてのよそ者、異邦人、場違いな者」を排除して、限りなく同質な人たちだけで作る隔離された「コミュニティ」。バウマンはそれもまた自発的な「ゲットー」だと言う。本物の「ゲットー」はそこに閉じ込められた者が自由に外に出られない場所だ。それに対して「自発的なゲットー」は、外部の者の立ち入りを拒み、何より安全性を確保したうえで、自分たちの出入りは自由にする。


mita1.jpg ・見田宗介の『社会学入門』(岩波新書)には、人間関係のあり方、他者関係のとらえ方を二つにわける発想が紹介されている。つまり、他者を「生きるということの意味の感覚と、あらゆる歓びと感動の源泉」として見ることと、「人間にとって生きるということの不幸と制約の、ほとんどの形態の源泉」と考えることの二つである。見田が言うように、この二つのとらえ方は本来的には対立的ではなく相補的なものだ。人は完全に自立した存在ではないし、また完全に他者に依存して生きるわけでもない。また、人間関係は信頼でき親密さを前提につきあえるものと、極力排除してしまいたいものに分けられるわけでもない。同質な者同士の安心で安定した関係には退屈や束縛の感覚が伴うし、異質な人間たちの異質性に触れることには、不安や不審を超えた新鮮さや自由の感覚がもたらされる。

・バウマンは、「自由の名の下に犠牲となる安心は、他者の安心であることが多く、安心の名の下に犠牲となる自由は、他者の自由であることが多い。」と言う。社会の近代化の過程には、そこが顕著になる時代と是正される時期がくりかえしてあらわれる。他人を不自由にしても、もっと私に自由を、他人を不安にさせても、もっと私に安心を。こういう発想が露骨な時代における「コミュニティ」とは何なのか。とても軽はずみには使えないことばであることを再認識した。

2008年6月29日日曜日

ジャニス・ジョプリンの孤独

 

janis1.jpg・ジャニス・ジョプリンは27歳で生涯を閉じている。原因はヘロインの多量摂取で、遺作になった「Pearl」の制作に疲れ果てたことが原因だったようだ。今から40年近くも前の1970年のことだ。僕がこのアルバムでよく聴いたのはクリス・クリストファーソンの作った"Me and Bobby McGee"のカバーで、その他にはあまり印象にのこっていなかった。そもそも、歌の迫力は認めてはいても、ソング・ライターとしてはほとんど関心がなかったと言っていい。特に耳を傾けるべきメッセージや詩的な表現があったわけではない気がしたからだ。

・NHKBSで「ジャニス・ジョプリン恋人たちの座談会」という番組を見た。すでに60代の半ばになっているかつての恋人たちが4人集まって、ジャニスの話をするという内容で、当然だが、表には出なかった彼女のプライベートな一面がずいぶん明らかにされた。こういう番組に出会うと引きこまれてしまって、何年も聴きもしなかったCDを引っ張り出してきて、しばらくは、何度も聴くようになってしまう。で、今回も、今までとは別の感覚で、彼女の歌に触れる機会になった。

・彼女の作った"Cry Baby"は、最後の恋人だったデビッドへの気持を素直に歌ったものだ。二人は偶然、ブラジルで出会っている。世界を放浪する青年のデビッドはアマゾンから出てきたところで、ジャニスは休暇中だった。二人は恋に落ち、ジャニスはヘロインの禁断症状を克服する。しかし、アメリカに戻ると、いつもの仲間といつもの忙しいスケジュールで、デビッドは半年後にカトマンズで会おうと言い残して、アフリカに旅立ってしまう。酒とヘロインと一夜限りの男たち(One Night Stand)との付き合いの日々がまたはじまる。


あなたは世界中を歩き回って
世界の果てを探したいと言った
その道の終わりがデトロイトだったと気づくかもしれないし
カトマンズにまで続いているのかもしれない "Cry Baby"

・ジャニスにはたくさんの恋人がいて、きまって長続きしていない。「カントリー・ジョー&フィッシュ」のジョー・マクドナルドとは当時の政治状況に対する考え方ですれ違い、「ビッグブラザー&ホールディングカンパニー」のジェームズ・ガーリーとは音楽的な主導権で対立した。その時一緒にバンドから離れたサム・アンドリューとあたらしいバンドを作ったが、それも長くはつづいていない。デビッドとは唯一、音楽抜きで認めあえる関係だったが、ジャニスに音楽抜きの人生は考えられなかったし、デビッドも派手なミュージシャンの世界は性に合わなかった。彼女は愛と音楽、プライベートな生活と名声の間で引き裂かれる。

・保守的なテキサスに生まれ育ち、それに反発してサンフランシスコに行って音楽で身を立てたが、そこで出会った都会育ちの人たちにもまた心底なじめない。もし男であれば、異性ではなく同性の友達として、気心を通じ合わせる相手を見つけられたのかもしれない。しかし、周辺にいるのは圧倒的に男ばかりのミュージシャンで、近づけば、セックスのともなう男と女の関係しか持ち得なかった。あるいは、彼女が手にした名声も、故郷のテキサスの人には奇異なものとして受けとられたから、それがますます、彼女の孤独感を募らせることになる。

・アフリカのモロッコを出発してバイクでカトマンズに向かっていたデビッドは、そのカトマンズのホテルで、ジャニスが死んだという雑誌記事を目にする。彼女にあてて何通か手紙を書き、彼女もまた彼にあてて手紙を書いた。しかし、いつでも行き違いで、どの手紙も読まれていない。デビッドは香港で"Pearl"を見つけ、レコード屋で試聴をして"Cry Babe"を聴く。自分への思いを絞り出すように歌う彼女の声に涙してしまう。

・40年もたてば、4人の恋人たちのどこにも、青年の面影などは見つけることができない。カントリー・ジョーは孫と遊ぶおじいちゃんになっているし、ビッグ・ブラザーのジェームズにも温かな家庭がある。二人は口をそろえて、人生には音楽だけでなく、もっと大事なものがあったんだ、と言う。男との関係、プライベートな自分の人生を軽視したと言いたげに、それがジャニスにはわからなかったと話すと、デビッドが反論して、ぼくらは信じ合っていたと断言した。彼は、自分が近くにいればという後悔の念でずいぶん悩んだ一生を送ったはずだ。同じように年老いて、仲良く話してはいても、それぞれの思いと現在までの人生の足取りはずいぶんちがっている。「ジャニス・ジョプリン 恋人たちの座談会」は久しぶりに見応えのある番組だった。

2008年6月22日日曜日

ガソリンと灯油の節約

 

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・ガソリンの値段が1L180円(ハイオク)を超えた。来月にはまた値上がりするというから、200円になるのも、そう遠くはないだろう。通勤が主とはいえ、週に50Lを超えると1万円以上になってしまう。これではもう、冗談ではなく、お金を撒いて走っているような気になってくる。だから、去年から気にしはじめた燃費の向上を一層心がけるようになった

・僕はバイクから始めているから、どうしても急加速になりがちだったが、それをまず意識して抑えるようになった。遅い車に追いつくと、どうしても抜きたくなるが、追い越しも極力避けて、走行車線を流れに沿って走る。これで、最近の燃費はL12km弱まで改善された。全然気にせず走っていた2 年ほど前に比べると1Lで2kmアップということになる。

・現在乗っているのはスバル・レガシー・ランカスター(2.5L)で、もうすぐ丸9年で20万kmになる。乗りかえの時期が近づいていて、あれこれ考えているのだが、ヨーロッパでスバルが売り始めたディーゼル・エンジンを搭載したアウトバックを待つしかないと思いはじめている。ただし、日本での発売は2010年となっているから、あと2年は、今の車でがんばらなければならない。さて、そこまでもつか、ちょっと心配な気もする。

・ガソリンが高騰すれば、当然、無駄な走行はしなくなる。朝の通勤時の高速道路は、今までも渋滞するほど混まなかったが、車の量は明らかに減った。一般道路でも、スムーズに進むようになった気がする。これは大助かりで、高速道路でスピードを落として走っても、通勤時間はあまり変わらない。用がなければ車は使わない。こういう意識の浸透は、CO2の削減にはきわめて効果的だろう。

・便利さを競い合って、日本中の高速道路を大型のトラックが走っている。だからこそ、アマゾンで本やCDを注文すると、翌日には確実に届く。スーパーに行けば、魚や肉や生鮮野菜が、日本国内はもちろん、海外からも来ていることがよくわかる。そのような経済の仕組みが温暖化の根本的な問題だとすれば、この便利さや豊富さは、もっと改められてもいい。それを自発的に、意識的にやるのは難しいが、原油の高騰で否応なしということになれば、ずいぶん効果的な現象だといえるかもしれない。僕も通勤での日帰りはやめて、東京に宿泊して、車は一往復だけにしようかと考えたりしている。

・原油の高騰で困るのは、もうひとつ、灯油の値上がりである。灯油にはガソリンとちがって高額な税金がかけられていないが、現在では1Lで 100円を超え、値上がり前の3倍にもなっている。我が家ではほぼ半年、暖房をする。一番寒い時期には1週間で100L以上も使ってきたから、冬が来れば、この出費も毎週1万円を超えることになってしまう。昨冬から、灯油ではなく薪ストーブを主に使って節約してきたが、今度の冬には、その比率をさらに高めなければならない。というわけで、準備する薪の量もこれまで以上に大量にしなければならなくなった。

・灯油から薪へという考えが広まっているのか、ホームセンターのストーブ売り場には多様な薪ストーブが並ぶようになった。薪ストーブは維持管理が難しいから買ってもやめる人が多いとは思う。けれども、これによってこれまで以上に薪の調達も難しくなるかもしれない。もっとも新たな市場として自覚されれば、山林の所有者が倒木を放置したり、間伐をしないで山を荒れさせてきたことを反省して、薪として供給するようになるだろう。付近の山を歩いていても、実際、薪にするために持って帰りたい倒木をはたくさんある。

2008年6月15日日曜日

エコ、その啓蒙とビジネス

 

・ここのところ、NHKなどでエコやCO2をテーマにした番組が目立つようになった。それ自体は悪いことではないが、見ていて何とも違和感がある。

・たとえば、いかにして資源の無駄づかいをを工夫するかといった話をする。出演のタレントたちが、まるで目から鱗といった感じで驚き感心したりする。そんなこと、今まで何度もお目にかかっているはずなのに、と思うと、そのわざとらしさが何とも嘘くさい。タレントが無知を演じているということは、視聴者が無知であることを前提にしているわけで、その相変わらずの啓蒙的な姿勢にあきれてしまう。

・一方に地球の平均気温が一度上がっただけで変貌する恐ろしい環境変化という現実がある。ところがその対処として出てくるのが、スーパーのレジ袋や天ぷらにつかった廃油の再利用、あるいはトイレやシャワーの水の節約だったりする。そんな程度でどうなるものでもないことはわかっているはずなのに、まずはここからということになる。しかし、その先には進まないから、何か機会があるごとに、また一から繰りかえすだけで終わる。今回はもちろん、北海道で開かれるサミットのせいだ。

・違和感をもつ話はほかにもたくさんある。レジ袋の代わりにつかうトートバッグが新たなビジネス市場になって、高額のブランド品に人気が集まっているとか、CO2の排出量を企業間や国家間で売り買いするといったビジネスの発生だ。あるいは、CO2を循環させるバイオ燃料が「エコ」の切り札のように言われたと思ったら、今度は、そのおかげで世界的な食糧危機がもたらされたと批判がわき起こっている。また、原油の高騰の原因には、需要の高まり以上に投機的な介入があるという。投資家が悪者扱いされたりするが、その資金はまた、年金運用目的で調達されてもいる。

・エコの問題は実際、ものすごく大きな矛盾の上に立っている。そもそも、現在進行中の環境問題は、産業革命、つまり近代社会の誕生と発展に関連している。現在地球上に生きる人間の数は60億人を超えたが、1800年には9億人だった。このまま行くと、2050年には90億人を超えると予測されている。当然、エネルギー消費量も爆発的に増えてきた。現在問われているのは、この爆発がもたらす変化をどう沈静化させるかということで、それができなければ、地球環境は持続不可能になるという問題のはずなのである。他方で、消費資本主義は半永久的に成長し続けなければ、破綻するという性格を持っている。

・横浜で「アフリカ開発会議」が開かれた。この会議は日本政府が提唱したもので、1993年以来、これまでいずれも東京で開催されてきた。 4回目の今回はU2のボノも来て、アフリカの貧困の現状を訴えるメッセージがテレビで報道された。産油国を中心に経済成長のめざましい国が出はじめている。ところが、それが貧富の拡大をもたらしたり、政情不安の原因になったりしている。それをどううまく舵取りして、すべての人に豊かさを実現させてゆくか。会議の目標はそういうところにあった。そのこと自体は結構な理想だと思う。けれども、それはまた環境問題と大きく矛盾するという難問をはらんでいるし、現実的には、アフリカの資源や新たな市場を先進国が奪い合うというビジネス競争の場にもなっている。

・「地球に優しく」などという言い方が相変わらず、多くの人の口から出てくる。しかし、温暖化は今の環境のなかで生存できている生き物にとっての危機なのであって、地球にとってのものではない。第一、地球は温暖期と寒冷期を繰りかえしていて、数千年前の縄文時代には、東京湾の海水は低地では50km近くも内陸に入りこんでいた。温暖で食べ物に恵まれた豊かな時代だったようだ。だとすれば、困るのは、そういう変化を知らずに、あるいは無視して作った人工物に及ぶ被害ということだろう。大きな地震が怖いのは、そこにさまざまな人工物があり。多くの人が住んでいるからで、そうでなければ、被害ははるかに小さくてすむ。

・僕は一方では、こういう知識のほとんどをテレビをきっかけにして学んでいる。けれども、そのテレビが、それらの知識とは矛盾する情報や話題を繰りかえし提供して、根本的な問題から目をそらせている。最近のエコ番組を見て思うのは、まずそんな能天気さに対する呆れだが、実はそれはテレビが独自にもつ性格なのではなく、現代の社会がよってたつ仕組みそのもので、それを思うと、もう諦めるしないのかな、と思ってしまう。人類なんて滅んだっていい。何か生き物が生き延びれば、また別の地球環境が出来上がる。最近、そんなSFのような世界に強いリアリティを感じてしまう。

2008年6月9日月曜日

K's工房個展案内

 

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・K's工房の個展は、1年おきに京都と東京の国立でやっています。今年は6月24日(火)から29日(日)まで、いつもの中央線国立駅南口にある「ゆりの木」でおこないます。ぜひお出かけください。おもしろいもの、不思議なもの、奇妙なもの、楽しいものなど、多様な作品が展示されます。

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2008年6月1日日曜日

模索舎と有機本業


・春休み中にA4版の茶封筒が大学宛に届いていた。大学に出かけたのがしばらくぶりだったから、メールボックスは一杯で、いちいちチェックをせずに机の上に積み重ねたままにしておいた。新学期が始まって、そこに新しい手紙やら、書類、それに教材がたまったのを整理して、すっかり忘れていたその封筒に気がついた。差出人は五味正彦とある。「うわー、懐かしい名前」と思って中身を見ると、私信と一緒に何冊かの冊子(GREENSTYLE)や新聞記事のコピーが入っていた。僕が書いた朝日新聞のキャンパスブログを懐かしく感じて出したと書いてあった。読みながら、ずいぶんほったらかしにして申し訳ない気持で一杯になった。で、これはぜひ紹介しなければという気になった。

・五味さんは新宿で「模索舎」という名の本屋さんを営んでいた。御苑の入り口近くにあって、さまざまなミニコミを委託販売する書店だった。僕は、そのミニコミに関心があり、雑誌に時評を書いていたこともあって、その店を時折訪ねていた。もう30年以上も前の話だ。永井荷風の『4畳半襖の下張』を掲載した雑誌『面白半分』のコピー版を販売した罪で摘発され、長いこと裁判をしたことでも知られている。マスコミとはちがう情報を伝えるメディアとして、ミニコミが存在していた時代、だからこそ、危険な媒体として見られることもあった時に、圧力に屈せずに交流の場を維持しつづけてきた。

・ミニコミの変容や、僕の関心が他に向いたことなどもあって、模索舎への足は次第に遠のいたが、五味さんは一貫して初心を貫いている。封筒の中身を拝見して、そんな印象を強く持った。模索舎は今でも開店しているようだし、「ほんコミ社」という「世の中と暮らしを考え直す出版物の流通屋」も手がけてきた。で、最近、「有機本業」という新たな試みも始めたようだ。そのサイトを訪ねると、「『国内フェアトレード』というコンセプトで、持続可能な社会の実現、地域経済活性につながるものづくりを応援しています。」とある。その、樟脳の製造と販売という部分に強い興味を覚えた。

・実は最近、ぼくも偶然、樟脳に出会った。造園業ではたらく知人にもらった材木を家まで運び、斧で割っていると、突然、メンソールの匂いが立ち上ってきた。その木を手にとって匂いをかぐと、強い香りがする。さっそくネットで調べると、楠木で樟脳の原料になると書いてあった。樟脳は防虫剤としてよく使われてきたものだ。風呂に入れると薬効があるというので、それ以後、我が家では小さく割って何本も浮かべている。さわやかな香りがして、心なしか体も良く温まる気がしている。カビもつきにくくなるようだ。

yuuki_hongyo.gif・「有機本業」では間伐林を利用した割り箸やトレイなども扱っている。割り箸は木の無駄使いとして悪者扱いされたりするが、けっしてそんなことはない。植林して放置された森林や、伐採されても使われずに捨てられる木材を有効に利用する、数少ない方法のひとつなのである。

・たとえば、風が吹いて庭の木の枝が落ちることがよくある。その木をストーブや焚き火の焚きつけにしたりもするが、形のいいものはとっておいて、箸やスプーンなどに細工をする。そうすると、落ちた枝とは思えないモノに変身する。森に住みはじめてから何度となく味わった喜びである。ストーブで燃やすために集めた木のなかにも、桜や白樺など、細工用にとっておいて、灰皿や表札、靴べらやさまざまな台所用具に生まれ変わらせたモノがたくさんある。

・楠木は神木として神社などによく植えられている。その香りや薬効が、この木を大切にする気持を生みだした。楠木から抽出した樟脳は、かつては日本の重要な輸出品で、防虫剤の他に、プラスチックが普及する前のセルロイドの原料にもなったようだ。しかし、現在ではほとんど見向きもされない木になっている。「有機本業」では、その役割を再認識して、広く使われることをめざしている。エコブームはマーケティング戦略が露骨でうんざりするが、地道に本気で考えている人もいる。五味さんからの手紙を見て、改めて、その思いを再認識した。