2009年7月27日月曜日

「ソーシャル・ビジネス」と「21世紀の歴史」

 

attali.jpg・ジャック・アタリの『21世紀の歴史』(作品社)は、「未来の人類から見た世界」という副題にあるように、今はまだ未来でしかない21世紀の中頃から、過去の歴史をふり返っている。だから、話は人類の誕生からはじまって、4大文明、ギリシャ、ローマ、そして近代化の中で中心となった都市(ロンドン、ニューヨークなど)の話を経て、21世紀の50年代へと進む。主な話題と視点は「市場と資本主義」である。
・壮大な物語だが、独特の切り口と口調で興味深く読んだ。書かれたのが2006年で翻訳されたのは08年の8月だから、サブプライムショックで一気に世界的な大不況が襲った直前だが、まるでそれを予告するような指摘もあって、フランスではずいぶん話題を呼んだらしい。しかし、この本のテーマはそこではなく、不況や社会的な格差、環境破壊を乗り越えて、人類がどうしたら、21世紀を生き抜くことができるかというプランを提案した点である。
・アタリの予測では、21世紀の前半はますます悲惨なものになる。市場の力が国家を超え、国単位では制御できなくなる。近視眼的な見方しかできない市場では、資源や食料、あるいは水や空気を巡る統制のきかない奪い合いが起こり、紛争や破綻の火種が世界中に発生する。で、そのままでは当然、世界は破滅ということになるのだが、そこまで行ってやっと、何とかしようという大きな動きが起こるという筋書きになっている。

sb2.jpg・アタリが希望を託すのは、社会的な公正や環境の改善を目的としたビジネスだ。そこには、破滅の前夜まで、富を廻って争いあうほど、人間は愚かではないという信頼がある。そううまくはいかない気もするが、動きは実際に目立ちはじめていて、そんな本も何冊か読んだ。それらはたとえば、「ソーシャル・ビジネス」「社会起業家」と呼ばれ、「ビジネス的な発想で貧しい人々のニーズを満たす」ことを目的にしている。その代表はバングラデシュで貧しい人たちに融資をする銀行(グラマン)を起業したムハマド・ユヌスで、彼は2006年度にノーベル平和賞を受賞している。
・「ソーシャル・ビジネス」はNPOとは違って、企業として利益を上げることを目的にする。その利益は企業や市場の拡大に向けて投資して、貧困や教育、あるいは衛生面の改善を進めることになる。それはもちろん、毎日の食べ物に飢え、路上で物乞いをする人たちを目の当たりにしたところから出発した活動だが、ビジネスとして成功することで、先進国の人たちに新しい発想を気づかせたり、大きな企業との合弁で起業するといった動きも作りだしている。「エヴィアン」で有名なフランスの「ダノン社」と「グラマン銀行」が合弁して作った「グラマン・ダノン社」は、子どもたちの栄養状態の改善を目指してヨーグルトをバングラデシュで生産して安価で売り、採算のとれるビジネスに成功させている。仕事を増やし、子どもたちの栄養状態を改善し、学校へも通える環境を増やし続けているというのである。

sb1.jpg・「ソーシャル・ビジネス」は利益を上げるけれども、投資家に配当を払うことはしない。投資家や出資者が得るのは、あくまで善行をしたという満足感と自らのイメージ・アップだ。その意味では、既存の企業にとっては新たな広告料として見なすことができる。たとえば、飛行機や鉄道、そしてCDのメガストアを経営する「ヴァージン」のリチャード・ブランソンは、2007年に2500万ドルの「ヴァージン・アース・チャレンジ」賞を設けて、「毎年、大気中から最低10億トンの二酸化炭素を取り除ける」商業的に実現可能な技術の開発を募りはじめた。それはなにより、彼や「ヴァージン」のイメージ・アップに差しだされた投資だが、現実に開発されれば、温暖化現象を緩和させる大きな一歩にはなるだろう。「大金持ちになった人間としてではなく、世界を良くするために、大きな貢献をした人として、歴史に名を残したい。」こんな発想が21世紀の主流になって、世界の政治や経済、社会や文化、そしてなにより環境や資源を持続可能なものにしていくことができるのか。信じにくいけど大事なこと、だと思いながら読んだ。

・テーマからはずれるが、読みながら気になったことがある。「ソーシャル」が「ビジネス」や「起業」「企業」の頭につくと、なぜ「社会貢献」といった意味になるのかという点だ。そう考えたら、「ソーシャル・キャピタル」が「社会関係資本」と訳されていることを思いだした。で、日本語の「社会」には「貢献」や「関係」という意味が含まれていないことに気づいたのだ。日本語で「社会」に対応し、「貢献」や「関係」を含むのは「世間」である。しかし、「世間」にあるのは、タテ関係に基づく「甘え」の意識であって、「個人主義」に基づく「自立の意識」と、それをささえる「互助の精神」ではない。日本人には馴染みにくい発想だろうなと、つくづく感じた。「貢献」や「関係」をわざわざ補わなければならないほど、日本人は「社会」に無頓着なのだから。

2009年7月20日月曜日

テレビと政治

・政治ドラマにやっと区切りがつきそうな情勢になった。だらだらと続いた三文芝居のようなお粗末さで、とっくに愛想は尽きていたが、一方で、現実の社会はすっかりがたついていて、人びとの心には不安や不満が一杯だ。テレビはそんな空気を後ろ盾にして政党や政治家を批判するが、こんな状況をつくり出した原因のひとつがテレビであることにはまったく無自覚だ。それは、実はわが身の保身にしか興味のない政治家と同じレベルの意識だから、ニュースを見るのもうんざりしてしまう。

・テレビがいつも注目してくれると、自分が国民の支持を得ていて、きわめて影響力のある政治家だと勘違いしてしまうらしい。しかも、それが錯覚であることに気がつかない。宮崎県知事のそのまんま東はテレビが作った虚像だが、それだけに、宮崎県の広告塔としては、ずいぶん大きな効果を発揮してきた。ニュースだけではなくバラエティ番組にも頻繁に登場し、宮崎の宣伝に努めたから、宮崎県やその産物の知名度もずいぶん上がったと思う。しかし、それはあくまで、知名度やテレビへの露出が果たしたおかげであって、政治家としての手腕の結果ではない。

・自民党からの衆議院選挙への出馬というニュースは、彼の知名度に頼って得票数を何とか増やそうとした自民党の計算と、自分の政治家としての力を過信したそのまんま東とのズレが生んだ茶番劇だった。「総理候補にするなら出馬する」という発言は、その気がなければ、強烈なジョークとして、自民党をさらにおとしめ、彼の人気を高めた結果に終わっただろう。けれども、本気だったから、自民党も反発し、世論も呆れて見限った。その浅はかさは、やっぱり所詮は権力欲にとりつかれた芸人にすぎないことを暴露させたが、改めて、自分が政治家として実力も人気もあると思いこませたテレビの力に怖さを感じた。しかも、当のテレビには、そんな力を自省する意識はまるでないから、相変わらず、持ち上げては落として捨てるといった扱いを繰りかえしている。

・「有名人は有名だから有名なのだ」と言って、テレビが実体のない虚像をイメージだけでつくりあげることを指摘したのは、D.J.ブーアスティンで、テレビがまだ揺籃期だった半世紀も前のことだった。その『幻影の時代』(東京創元社)では見栄えのいいケネディが、はじまったばかりの大統領選挙のテレビ討論会で人気を博して当選したことが例にあげられたが、20年後には、ハリウッド・スターのレーガンが、その格好よさと演技で、大統領らしさを見事に演じて人気を得た。

・今年のMLBのオールスター・ゲームで、イチローがオバマ大統領と話をするところがニュースとして流された。オバマのサインをもらい、憧れのスターを目の前にした少年のように緊張していたイチローの姿がおもしろかった。彼はそのカリスマ性に圧倒されたようだった。オバマはアメリカ初の黒人大統領だが、それだけではなく、その演説のうまさと人を引きつける雰囲気をもっていることで人気を得て、支持された。アメリカの大統領として、世界をリードする責任を自覚して、ブッシュの時には敵対的だった国やその指導者の姿勢も変えさせてきた。

・一方で、そういった政治家の出現を目の当たりにすると、日本にはそれをせめてイメージだけでも感じさせる政治家やその候補さえいないことを思い知らされる。国民の反応である世論が大事で、そのためにはテレビに出て、愛想を振りまくことが必要だ。そんなことしか頭にない政治家ばかりが目立っている。国民はわがままで、気ままなのに、そこに自分の政治哲学や政策をぶつけて、人びとを納得させようと考える人がいないから、政治家も政治もテレビの無責任な取りあげ方に翻弄されることになる。この国の政治がダメなのは今に始まったことではないが、経済も社会も破綻しかけているから、その不信感は未曾有(みぞう)のもので、それを政治家もテレビも自覚しないから、怖い世の中になったなと、つくづく感じてしまう。

2009年7月13日月曜日

飛行機と自転車

 

forest76-1.jpg"

・今年から授業時間数が増えて、夏休みは8月になってからという信じられないスケジュールになった。文科省の指導だから、全国どこの大学でも同じで、9月も早くはじまるから、夏休みの期間は小中高校並みに短縮されてしまったことになる。大学生にもっと学力をつけさせよ、といった趣旨かもしれないが、大学は自分で勉強するところだから、学生はますます、授業さえ出ていればそれでいい、といった気になってしまう。百害あって一利なし。相変わらずの文科省の愚策だが、大学は素直に受けいれなければならないから、何ともしゃくに障ってしまう。

・で、夏休みはまだまだ遠いのだが、待ちきれない気がして、伊豆の神津島への短期旅行を計画した。木曜日に出発して土曜日に帰ってくる日程で、シュノーケリングとトレッキングを楽しんでくるという予定だった。天気予報は悪くないし、当日の朝も薄曇りで、早起きをして調布飛行場に出かけた。そうすると、神津島の飛行場は雲に覆われていて、出発のめどが立たないと言う。飛行機は20席たらずの小さなプロペラ機で、パイロットによる有視界飛行だ。そんなことがあるとは夢にも思わなかったから、ただ呆然という感じだった。
・飛行機は午後にももう一便あるので、とりあえず大学の研究室で待機して、もう一度飛行場に出かけた。今度は飛べるかもしれないと言うことだったが、いろいろ不安なことが思い浮かんだ。島についても今度は帰りの便が心配だ。島からの飛行機は、調布からの便の折り返しだから、島にやってこなければ戻ることはできない。それに何より、飛行機が小さすぎる。ここのところ欠航が多いし、着陸できなければ戻ってくると言われたので、あきらめて家にもどることにした。

forest76-2.jpg"・そんなわけで、この週末も、自転車で湖畔を走っている。暑くなったから、家に帰ると汗びっしょりになる。当然、ビールがおいしいし、食欲も出るから、体重はまったく減る気配もない。ただし、脚力は確実についている。去年は途中で断念した西湖一周も、今年は一度成功している。途中100m上がる急坂を自転車を引いて何とか登りきった。この次は漕いで登りきることに挑戦しようと思っている。
・今は一回に20 kmほどを1時間弱で走っているが、夏休みになったらもう少し遠出もするつもりだ。自転車は折りたたみだから、ドライブ旅行にも持っていく。最初は大げさでいらないと思っていたヘルメットを買うことにした。下り坂では速度が50kmを超えるし、最近自動車の数も多い。万が一転んだりしたらと考えると、少し不安になったからだ。

・河口湖は今花盛りだ。道路のあちこちに紫陽花が咲いているし、コスモスも咲き始めている。ラベンダーには観光バスでやってきた人がたかっているし、ブルーベリー畑やサクランボウも狩りをする人で溢れている。不景気だとは言え、客足は例年と変わらないように見える。ただし、我が家の工房に体験で来る人の数は、去年の秋からめっきり減ってしまった。土と戯れて、忙しさにくたびれた心を癒す。そんなつもりで来る人が多かったのかもしれない。仕事が暇だと、心を癒す必要もなくなるのか。そんなときこそ、のんびり、ゆっくりした楽しみ方をしたらいいのにと思う。

2009年7月6日月曜日

BlackberryとMacbook Air

 

blackberry.jpg・携帯は一応持ち歩いているが、ほとんど使うことがない状態だった。家族との間の連絡にしか使っていなかったからだ。あってもなくてもいいもので、買ってから機種変更も一度もしなかった。しかし、NTTのMovaはサービスが停止になるという知らせが頻繁に来るようになったことや、 iphoneが気になったこともあって、買いかえを考えるようになった。
・どうせ変えるなら、メールを全て受け取れるものをと考えると、選択はかぎられてくる。iphoneだとソフトバンクに変えなければいけないのが面倒だし、キーボード付きでないのが気に入らない。そんなふうに思ってNTTのサイトを見ると、気を引く機種がひとつあった。Blackberry baldという名で、小さいけれどもキーボードがほぼフルで備わっていて、デザインもなかなかいい。で、さっそくDocomoショップに出かけて現物を確認することにした。

・僕はモノの選択についてはあまり迷ったことがない。一目で気に入れば即座に購入するし、迷うようなら買わないことにしているからだ。 Blackberry baldは見た瞬間にいいと思った。キーボードも小さいくせに確実に打てる。今までの携帯に比べたら月々の払いは増えるが、その場で契約することにした。
・使いはじめて2ヶ月近くになる。最初の一ヶ月は7000円近くもとられてびっくりしたが、二ヶ月めは半額で治まった。ネットにつなぐのはなるべく大学の研究室(wifi)で、メールの受信は題名だけで受信拒否もこまめに設定する。と、何とか使い方が落ちついてきた。16ギガの microSDカードを入れたからビデオも画像も音楽もかなり入るが、そうなるとデジカメやiPodを一緒に持ち歩くのが無駄に感じられてくる。実は Zaurusも使っていて、道具に使われている気がしないでもない。

macbookair.jpg ・主に出かける時にと買ったPowerbook(12インチ)が5年目に入った。泊まりがけで出かける時には必須の道具で、重さが気になっていたから、ちょっと前からMacbook Airへの買いかえを考えていた。で、Powerbookは父親にプレゼントした。喜寿の祝いにプレゼントしたiMacとプリンターが、どちらもくたびれていて、ネットを見たり、写した写真を印刷するのがままならなくなってきたからだ。
・Airは軽くてキーボードも使いやすい。しかし、液晶画面が光って見にくいのは、最近のマックに共通した特徴だ。研究室用に去年購入した IMacも、作業している自分の顔がうっすら見えて、時にうんざりしてしまう。軽くなったおかげでいつでもバッグに入れて持ち運んでいるが、鞄にはその他にZaurus、デジカメ、iPod、そして小さなハードディスクがあり、腰にはBlackberry。さらに首にはUSBをぶら下げているから、何ともにぎやかで、何でこんなに必要なのかと首をかしげてしまう。なくてもいいけど、ないと不安。

2009年6月29日月曜日

マイケル・ジャクソンの功罪

・マイケル・ジャクソンが死んだ。享年50歳。一世を風靡したミュージシャンの悲しい末路。ニュースを聞いて、こんなことばが、これほどあてはまるケースはないと思った。僕は彼の音楽にはほとんど興味がなかった。だからレコードもCDも一枚も持っていない。しかし、彼が登場したことで変わった音楽状況には、以前から強い関心をもってきた。あるいは、富と名声を得たスターが辿る道筋としても、きわめて興味深いと思っていた。

・マイケル・ジャクソンは1966年に4人の兄たちと作った「ジャクソン5」でデビューしている。まだ8歳だったから、かわいらしさで人気者になったが、ミュージシャンとしての本格的なデビューは78年以降である。音楽そのものだけでなく、踊るミュージシャンとして、ミュージック・ビデオの隆盛を象徴する人物になった。最大のヒット作である『スリラー』は、80年代だけで5900万枚を売ったと言われている。

・マイケル・ジャクソンの登場以前と以後で大きく変容したことがいくつかある。その第一は、彼がかつてないほどに白人をファンにしたことだろう。肌の色と音楽の違いという垣根は、公民権運動や音楽的な交流によって、60年代の後半から崩れ始めていた。それが彼の出現によって吹き飛んだのだ。もちろん、ここには彼個人の力というよりは、そうなるべき時代の趨勢といった要素のほうが大きい。そのことはスポーツ界に起こった同様の現象見れば明らかだ。バスケットボールではマジック・ジョンソンやマイケル・ジョーダンといったスーパー・スターが出現したし、野球ではハンク・アーロンがベイブ・ルースのホームラン記録を破った。肌の色とは関係なしにいいものはいいし、強い者は強い。そんな当たり前のことが受けいれられはじめた時代で、マイケルはその象徴的存在になったのだ。

・アフリカで起こった深刻な饑餓という状況に対して立ちあがったボブ・ゲルドフの声にいち早く呼応したのもマイケルだった。彼はアメリカでの動きをリードして「USA for Africa」という名のプロジェクトを立ち上げ、アルバム『ウィー・アー・ザ・ワールド』を制作した。1985年にロンドンとフィラデルフィアで同時開催された「ライブ・エイド」は世界中に同時中継される一大イベントになり、音楽が政治や社会に対して働きかける即効性のある手段であることが見直されたのである。ただし、その後もこの種の活動に力を注いだゲルドフと違って、マイケルには目立った活動はない。

・3番目は、音楽の売り上げに果たす映像の役割の大きさを実証したことだ。音楽専門のケーブル・テレビのMTVが放送を開始したのは 1981年で、それはちょうどマイケルの最初のビッグ・ヒットとなったアルバム「オフ・ザ・ウォール」と重なっている。それによってミュージシャンは音づくりやライブでの演奏だけでなく、情宣用のビデオにも時間とエネルギーをさく必要に迫られるようになった。そのことを音楽軽視として批判する声は強く、たとえばそんな状況を揶揄したダイアー・ストレイツの「マネー・フォー・ナッシング」が大ヒットしてもいる。音楽性か金か。そんな論争の中で、音楽の産業化に対する批判の矛先がマイケルに向くことも少なくなかった。

・マイケル・ジャクソンに向けられた批判はもうひとつ、聴くものであった音楽を踊るものに変えたという点だ。それは、白人の中で生まれたロックには、歌われることばや演奏される音そのものへの集中的な聴取を求める傾向があって、からだで聴く黒人のR&Bなどと一線を画していたという歴史的違いに大きな原因があった。ただし、音楽を踊るためのものに変え、巨大なビジネスにする力になったミュージシャンは、他にもマドンナがいる。で、彼女の歌には踊らせる力と同時に、社会に対する痛烈な批判や反発が同居した。そんな性格は、黒人の中から新しく生まれたラップにも特徴的だが、マイケル・ジャクソンの音楽には稀薄だった。

・マイケル・ジャクソンは黒人だが、90年代以降になると、登場するたびに色が白くなり、だんご鼻が細く高くなっていった。少年に対する性的虐待の疑惑で訴えられたこと、ディズニーランド好きで、自らの住まいをお伽の国にして「ネバー・ランド」と命名したこと。そして稼いだ巨額のお金を湯水のように使う放蕩三昧の生活など、21世紀になってからは、その奇妙な変貌ぶりや奇行ばかりが話題になった。マドンナのしたたかな生き方に比べると、その脆さが一層際立ってくる。エルビス・プレスリー、ジョン・レノン、そしてマイケル・ジャクソン。現代のポピュラー音楽を作った巨人が、またもう一人他界した。

2009年6月22日月曜日

変わったライブ盤2枚


Lou Reed "Berlin Live At St. Ann's Warehouse"
Van Morrison "Astral Weeks Live at Hollywood Bowl"

・僕が長年聴き続けてきたミュージシャンには誰も、”伝説の”と名がついて語られてきた「ライブ」がいくつかある。それはディランでいえば、エレキ・ギターを持って登場して客を混乱させたニューポート・フォーク・フェスティバルや、ヨーロッパでの「ユダ!」と呼ばれて「お前なんか信じない」とやり返したコンサートなどがある。どちらも海賊盤では早くから出回っていたが、正式に発売されたのは最近になってからで、その一つ"No Direction Home"にはDVD版もある。
・同様にオフィシャル盤を積極的に出しているのはニール・ヤングで、その "Massey Hall 1971"と"Live at Fillmore East 1970"は購入してレビューも書いた。もう一枚、"Sugar Mountain: Live at Canterbury House 1968"が出て、アマゾンからお知らせも来たが、これはまだ買っていない。

・最近買ったライブ盤2枚には共通する変わった特徴があった。どちらも数十年も前に出されたアルバムで、傑作として評判は高いが、商業的には成功しなかったものだ。それをライブ盤としてリメイクしたもので、どちらもそれなりに良くできていると思った。

reed1.jpg ・ルー・リードの"Berlin"は1973年に出された彼の3枚目のソロアルバムで、ベルリンを舞台にした物語として全曲が構成されている。壁で分断されたベルリンにある小さなカフェでギターの演奏が聞こえる。主人公(リード)とショー・ガールのキャロライン、そしてジムとの奇妙な、それゆえ深刻な三角関係。キャロラインには幼い子どもがいる。ベルリンという東西の冷戦状態を象徴する街で、異性愛と同性愛が錯綜する関係が物語られ、キャロラインの自殺で話は終わる。作品としてのできは絶賛されたが売り上げはさんざんで、このアルバムをライブとしてパフォーマンスすることはなかったようだ。
・73年に発表された ”Berlin"を、僕はずっと、ベルリンでのライブを録音したものだと思っていた。途中で小さな子どもが泣いて、「マミー」と繰りかえし呼ぶ声がする。小さなクラブでのライブでおきた大きなハプニングのようだが、その時歌われている"The KIds"では、キャロラインに捨てられる子どもたちのことが語られている。
・その"Berlin"が35年ぶりに、同じタイトルでリメイクされた。ベルリンではなくニューヨークのブルックリンでライブとして行われたものの録音で、同時に映像化もされてDVDでも発売されている。ほとんど売れなかったアルバムを35年も経ってから作り直す意味は、どこにあるのあるのだろうか。ソ連と東側の共産圏が崩壊し、ベルリンの壁が壊された。この35年のあいだに政治や経済の状況は全く変わってしまった。同性愛やドラッグは、一方でエイズや中毒による死者を大量に生んで社会問題になったが、他方ではきわめてポピュラーになってもいる。ルー・リードが新しい"Berlin"で物語ろうとする世界の意味についてあれこれ考えを廻らすと、改めて、時代の流れに驚かされる気がする。とは言え、新しい"Berlin"のジャケットに写された彼の姿は、その浮き出た上腕筋に見られるように昔以上にマッチョになっている。

van1.jpg ・もう一人、ヴァン・モリソンが、彼の初期の代表作である"Astral Weeks"をライブで再演して、アルバムにしている。1968年に出されたものだが、これもまた、売り上げはさほどでもなかったようだ。ただし、ミュージシャンに与えた影響の強さなどから、名盤として取りざたされることが多い。英語版のウィキペディアには、マーチン・スコセッシが彼の代表作となった『タクシードライバー』の基盤にした話や、ジョニ・デップの「今までなかったほど心が動かされた」というコメントが紹介されている。
・ヴァン・モリソンはスタジオよりはライブでの録音が好きなようだ。ただし、レコード会社との契約で、新しいアルバムをライブで録音することは認められなかったし、そのアルバムの売り上げが芳しくなければ、アルバムそのものをライブとししてパフォーマンスすることも許可されなかったらしい。そういった制約から解放されて一番やりたかったのが、"Astral Weeks"のライブとその録音だが、それは単なる再演ではない。新しいアルバムは古いアルバムとほぼ同じ曲目、曲順だが、1曲目の"Astral Weeks"の題名には"/I believe I've transcended"が追加されている。何をどう超えたかは、聞けばわかるはずで、サウンド的には全く別ものになっているし、ルー・リードとは違って、風貌はすっかり老成している。一度はライブをみたいと思っているが、日本には絶対来ないから、こちらから出かけなければ、かなわないミュージシャンだ。

2009年6月15日月曜日

やさしいベイトソン

 

野村直樹『やさしいベイトソン』金剛出版
モリス・バーマン『デカルトからベイトソン』国文社

bateson1.jpg・ベイトソンの理論は魅力的だが難しい。だから、話題としては、決まった中身と形でしかできないできた。このパターンを脱けだして、もう少し自分のものにできないものかと、ずっと思ってきた。最近見つけた『やさしいベイトソン』は、そんな気持ちをくすぐる誘惑的な題名で、薄い本だからすぐに読み終わった。この本には、著者が直接目の当たりにして聞いたベイトソンの話が書かれている。ベイトソンが娘と交わす不思議な会話と並行させて、ドン・キホーテとサンチョ・パンサを登場させてベイトソンを読み解く工夫も施されていて、おもしろく読むことができる。ベイトソンへの興味も増すことは間違いない。けれども、読み終わっても相変わらずベイトソンは難しい。その意味では、この本はベイトソン理論を易しく解説したものではなく、ベイトソンという人物の優しい人柄を描きだしたものだと言える。で、ベイトソンの『精神の生態学』(思索社)を引っぱりだしてみた。

・ベイトソンの理論といえば「プレイ」と「ダブルバインド」が有名だ。「プレイ」は「遊び」と訳してもいいが、その他にも、演技をする、スポーツをする、あるいは音楽をやるなど多様な意味がある。ベイトソンはその全てに共通した特徴を、互いに相反するメッセージ、つまり、「本気でやるぞ」と「本気でやるな」が共存するコミュニケーションだと指摘した。普通には「これは遊び」というと、本気でない、真面目でないと解されるが、「遊び」はそこに本気が入るからこそおもしろく夢中になるはずで、だからこそ、「ウッソー」とか「マジ?」といったことばが出るのである。

・彼の代表的概念である「ダブルバインド」も構造的には「プレイ」同様相反する二重のメッセージで成り立っている。時に精神分裂病(統合失調症)を患う人に見られるのは、その原因が、身近な強者から自分に向かって放たれた互いに相反するメッセージに晒されることにあるという。つまり、「〜をしないと罰する」という命令が「〜をすると罰する」と同時に発せられるのだが、弱者には、それに異議を唱えることはできないし、しかもその場から逃げ出すこともできないのである。こんな状況に繰りかえし置かれた弱者が自己を守るすべは、狂気に陥ることだけだというわけだ。

bateson2.jpg・「ダブルバインド」的な状況は、人間だけにおこるものだが、「プレイ」はじゃれあいや威嚇、あるいは序列確認のディスプレイなど、哺乳類には頻繁に見られる行動である。相反する二重のメッセージをやりとりして遊ぶのはかなり高等なコミュニケーションで、そんなことが人間以外になぜできるのか。考えてみれば不思議な行動だが、ベイトソンによれば、それは人間を特別視したところから出てくる発想のようである。
・同様に最近読んだモリス・バーマンの『デカルトからベイトソン』にはベイトソンの理論が近代化の土台となったデカルトの思想に対する根本的な批判であることが力説されている。簡単に言えば「精神と身体」「主体と客体」を根本的に分離したデカルトに対して、それらがたがいに繋がりあう関係として存在するとした点である。デカルトに従えば「理性」と「感情」は別ものだが、ベイトソンによれば、それは同じひとつのプロセスのふたつの側面だということになる。あるいはそれはフロイトの「意識」と「無意識」と言いかえてもいいが、ベイトソンは「無意識」を「身体」全体に存在するとしている。そう考えれば、哺乳類の動物が「プレイ」をするのは何ら不思議なことではないのである。

・人間は、理性的な精神を意識する生き物で、それゆえにこそ万物の長としての資格がある。果たしてそうだろうか。哺乳類は「プレイ」を楽しむことはしても、「ダブルバインド」な状況をつくり出すことはしない。種の共存にとって前者は不可欠だが、後者は避けねばならないことだからだ。「プレイ」は争いや諍いを大きなものにしない工夫で、関係やコミュニケーションの基本に据えなければならない。そのことを自覚したのが哺乳類だとしたら、人間は、その重要性を軽視し、矮小化し、ないがしろにしているといわざるを得ない。2冊を読んで改めて実感したことである。