2009年8月31日月曜日

千客万来

 

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・ぐずついた天気でちっとも夏らしくなかったが、お盆あたりから太陽が照りつけるようになった。で、京都や東京から来客が続いた。その客を迎えるために、家のログや屋根の裏側のペンキを塗ることにした。はしごを使っても届かないところや、屋根の裏側を塗るためにJマートでローラーを買った。半信半疑だったが、これがなかなかの優れもので、いつも気になっていた白カビなどもきれいに塗ってしまうことができた。一部をきれいにすると、他との違いが目立ってくる。だから、玄関のログや屋根裏も塗った。上を見ながらの作業だから、当然、首と背中が痛い。
・京都からやってきたキミちゃんは友人の娘だが、短大を出た後ニュージーランドで暮らしていたと言う。山好きで、この後、単独で鹿島槍ヶ岳に行くと言って大きなリュックを担いでやってきた。思わず「ひとりで?」と聞いてしまったが、それは日頃接している、最近の学生とずいぶん違う印象を受けたからだ。陶芸を体験し、自転車で河口湖も西湖も走り回った。

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・そして、後半は、大学院の学生、OBたち。『カルチュラルスタディーズを学ぶ人のために』(クリス・ロジェク著、世界思想社)の出版パーティを我が家でやり、編集を担当していただいた川瀬さんも京都からおいでくださった。庭でのバーベキューは4時頃から始まり、夜中まで続いた。パートナーや子どもを連れてきた人もいて、家では収容しきれないので、テントで寝てもらった。歌を歌う人、せっせと食べる人、アルコールのだめな人、底なしで飲みたい人、それぞれに、たき火と冷気を楽しんだ。
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・翌日は西湖に出かけて、カヤックと自転車。ゆったり漕いで爽快な気分を味わった人もあり、転覆しかけるハプニングに奇声を上げた人もあり。西湖一周10km のサイクリングでは、日差しが強くて、みんな久しぶりに筋肉を使い汗だくになった。残念ながら富士山は雲に隠れていて姿を見せなかったが、澄んだ湖と樹海の風景を満喫したようだった。その後は富士吉田の名物「うどん」を食べに行って、富士急ハイランドのバス停で「さようなら」。やれやれ、楽しかったけど、疲れた!。 ・この1週間に訪ねてきた人は12人。パーティに参加できない三浦さんがカップルで陶芸体験にやってきた。早起きをして午前中に体験教室をすませたから、お昼は、かき揚げ天ぷらとうどんをご馳走した。にぎやかさが過ぎ去って久しぶりに静かになった晩は、夜更けに13度にまで下がって寒いほどになった。夏もこれで終わり。あれこれ仕事も山積みだ。

2009年8月21日金曜日

友人の死

 

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・関大の木村洋二さんが亡くなった。肺ガンで寝耳に水の話しだった。同年代というだけでなく、彼とは若い頃からつきあいがあって、ある意味では、一番影響を受けた人だったし、非常勤をはじめ、ぼくの就職先をいろいろ心配してくれる優しい人だった。昨年の秋に東北大学で開催された「日本社会学会」で会ったときには、いつもながらの元気さで、一緒に飲みながら、よく笑っていたことを思うと、未だに信じられない気がしてしまう。

・木村さんは亀岡の山奥に住んで、そこから大阪まで通っていた。最初にバイクで訪ねたときには、急斜面に数軒の集落と段々畑がある風景に驚いたが、すっかり気に入って、その後、何度もお邪魔した。付近を歩いて、生えているキノコの名前を言いながら、食べられるものをとって、おみやげにしてくれた。もう30年近くも前の話だ。ぼくが田舎暮らしを本気になって考えたのは、彼との出会いがきっかけだったと言っていい。

・山奥に住むには車が欠かせない。彼は4輪駆動のスバル・レオーネを絶賛して、乗るならこれと力説したから、ぼくもその気になって、しばらくして、レガシーのワゴンを購入した。子ども達とあちこちキャンプをして回ったり、北海道をはじめ国中を走り回って、今では彼以上のスバリストになってしまっている。職場への通勤ももちろんレガシーで、片道100キロの道のりを往復して10年になる。

・高らかに笑いながら話す人で、最初の本も『笑いの社会学』(世界思想社)だった。一見豪快で達観したように見えるが、きわめてデリケートな感性をしていて、いろいろ気を遣う一面もある人だった。出会ったのは、胃潰瘍を患って胃を切除した直後だったようで、玄米食などを勧められたが、ぼくも程なくして胃潰瘍になって苦しんだ。幸い特効薬が出たばかりで、ぼくの場合は切除を免れたから、気にせずに食べたいものを食べて、今ではメタボを指摘されるようになっている。

・会ったときはいつでも話すのは彼で、ぼくは聞き役だった。人間の感情やそれをもとにした関係をルービックキューブの六面体で構想するというアイデアが、彼の追求するテーマで、あれこれ思いついたことを目を輝かして話した。しかし同時に、人間関係における日本人的な特徴にも興味を持っていて、2冊目の本は『視線と私』(弘文堂)という題名で出された。私は他者の視線によって捉えられたものの集積として自覚される。そんな鳥瞰図と虫瞰図の間を行ったり来たりしながら思索をし、また人づきあいをする人だった。

・ぼくが東京の大学に移ってからは、会う機会も少なくなったが、しばらく前に、新聞に出た顔写真つきの記事を見たときには、笑ってしまった。笑いの程度を測定する器械を考案して、その単位を"aH"にしたという話しだった。いかにも彼らしいと思ったし、性の革命を提唱したウィルヘルム・ライヒを思い浮かべた。自然界に偏在するエネルギーを「オルゴン」となづけ、それを集積して身体や精神の治療に役立てようとした試みだ。ライヒの発明は受け入れられなかったが、笑いの測定器と"aH'という単位は傑作だと思ったし、いろいろ話題にもなった。

・その「笑い」とライフワークの「ソシオン理論」が、これからどう展開するのか、またあってゆっくり話を聞いてみたいと思っていたのだが、それがかなわぬうちに他界してしまった。彼の流儀からすれば、笑ってさようならをするのが適切なのかもしれないけれど、あまりに唐突で、早すぎる死だから、今はとても笑う気にはなれない。

2009年8月16日日曜日

政治哲学なき選挙

・いよいよ衆議院選挙がはじまる。もう間近だと言われてから、2年近くにもなるが、その間に国内はもちろん、世界の状況もずいぶん変わった。日本の首相もころころ変わったが、選挙での訴えやマニフェストを斜め読みしても、相変わらずといった印象が強い。だから、政治家に何かを希望したりする気もまったく起こらない。人里離れた所に住んでいるから、選挙運動の声がうるさいということもほとんどないだろう。興味がないと無視してしまうのは楽なのだが、そうすればするだけ、そのダメさ加減に腹が立ってくる。

・各党の党首達は当然、全国を飛びまわって、街頭演説をくり返している。その様子を伝えるテレビのニュースを見ていて気になるのは、何を訴えているのかではなく、どう訴えているかという、その口調にある。「国民の皆様」「ご理解願いたい」「ご支持をよろしくお願いいたします」といった言い方を聞いていて思うのは、それは政治家の口調ではなく、商人が客に対する話し方じゃないの?という疑問だ。一票ほしさに腰を低くしてお願いする。そんな気持ちばかりが目立つのである。

・人びとの支持の取りつけ方にはいろいろある。国民受けするパフォーマンスで人気を得た小泉元首相以来、政治家は国民のご機嫌伺いをいっそう気にするようになったようだ。「ポピュリズム」(大衆迎合主義)と呼ばれて、批判されるやり方だが、それを小泉ほどの演技力がない政治家がやると、票集めしか頭にない無能な政治家丸出しになってしまうから、何ともみっともなく見えてしまう。この国の財政はとっくに破綻していて、年金や健康保険などの社会保障もいつダメになるかといった現状なのに、マニフェストに並ぶ政策は、自民も民主も景気のいいばらまきばかりなのである。

・そんな国民への媚びへつらいの姿勢が目立つのは、自分の政治哲学を提示して、国民を説得しようという意思がないからだろう。広島と長崎の原爆の式典では、市長が口をそろえて、オバマ大統領の核廃絶の宣言に続き、それを推進する役割を果たそうと宣言した。ところが、それに声高に賛同する日本の政治家はほとんどいなかった。世界的な不況を乗り切る政策は同時にエネルギーや環境の問題と重ねあわせてやらなければならない。そんな「グリーン・ニューディール」の提案も、日本の政治家達には馬の耳に念仏でしかない。とにかく景気を回復させてというだけの自民党と、高速道路の無料化を目玉にする民主党の政策のどこに、環境やエネルギーの問題に対する危機感があるのだろうかと疑ってしまう。

・環境やエネルギーの問題に真剣に対処するためなら、今の生活レベルが下がってもいい。そう考える人の割合がかなりあるという調査結果があった。あるいは、社会保障を確かなものにして安心できるなら、消費税が上がっても仕方がないと考える人の割合も少なくないという。そういう国民の意識を自覚して、日本という井の中にとどまらず、世界を見据え、将来を見通した政策を提案できる政治家や政党の出現を期待したいのだが、選挙運動の流れを見る限りはそんな動きは皆無のようだ。

2009年8月9日日曜日

尾瀬ヶ原を歩いた

 

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・尾瀬はずっと行ってみたいと思っていたところだ。理由はやっぱりあの歌だろう。♪夏が来れば思いだす/遥かな尾瀬遠い空♪ところが、今年はいつまでも梅雨空で、最初の予定はキャンセルした。神津島に続いて二度目の中止で、今年はもうどこにも行けないかと思っていたのだが、天気予報を見ると、何とか雨は避けられそう。で、ペンションの予約をしなおして、思い切って出かけることにした。

photo52-2.jpg ・出がけはやっぱりどんより曇り空。中央道から圏央道にはいるあたりから真っ黒い雲がたれ込めて、イヤーな空模様だったが、関越道で北上するにつれて青空が見えてくる。高速を降りて下道を走る頃には、日差しがきつくてまぶしくらいになった。さい先良しで、とりあえずは「吹割りの滝」の見物から。沼田街道は通称「日本ロマンチック街道」と言うようだ。もうちょっとましな名前をつけたらどうか、などとぶつぶつ言いながら、尾瀬の入り口に着いた。

photo52-3.jpg ・時間はもうすでに1時を過ぎていたが、行けるところまでと、富士見下で車を止めて、富士見峠をめざす。今は尾瀬に入るルートはいくつもあるが、もともとはここだけだったようだ。林道をだらだら登っていくと、降りてくるハイカーが3組と富士見山荘の車と出会った。ブナ、ミズナラ、ダケカンバ、それに巨大な朴の木と広葉樹の豊かな森が続く。富士見峠まで行けば尾瀬ヶ原が望めたのだが、いかんせん歩き出したのが遅すぎた。3時になったところで引き返すことにした。ウグイスが鳴き通しで、しかもなかなかの美声だった。
・宿は丸沼高原にあるロッジ「ネイチャー莫」。オーナーは周辺の山、動物や植物を熟知したネイチャー・ガイドで、当日も尾瀬笠ヶ岳をガイドして歩いてきたと言う。いろいろ話を聞いて、明日の尾瀬沼が一層楽しみになった。

photo52-4.jpg ・尾瀬沼をめざして7時半に出発。オーナーは今日もガイドで至仏山に登るという。鳩待峠まで車を駐車させて歩きはじめた。駐車場は昨日は8 時で満杯になったらしい。今日はまだ余裕があるが、それにしてもすごい人だ。尾瀬ヶ原のはじまりの山の鼻までは下り道だが全部木道が敷かれている。尾瀬から戻ってくる人もたくさんいて、「おはよう」「こんにちは」がだんだん面倒になった。たまに会うから声をかけたくなるんで、この混雑では「儀礼的無関心」の方がいいかも、などと思う。
・山の鼻に着くと、これぞ尾瀬という眺めが見えた。歩荷(ぼっか)と呼ばれる荷担ぎの人もいて、「重さはどのくらい?」と聞くと「今日は 110キロぐらい」と言った。食べ物や飲み物をこんなふうにして運ぶのかと思っていたら、空をヘリコプターがしきりに飛んでいる。大きな荷物を運んでいて、それなら歩荷なんて必要ないのでは?と不思議な気がした。
・木道の両脇にはさまざまな高山植物が咲き、ハチやチョウチョが飛んでいる。途中に何度も交差する川や池には魚も見えた。遠くには至仏山と燧ヶ岳も望めるほどの好天で、本当に久しぶりの青空だったようだ。


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photo52-11.jpg・尾瀬ヶ原は山の鼻から牛首、竜宮、そして見晴まで続き、そこから尾瀬沼に至るが、竜宮まで来ておにぎりを食べたところで引き返すことにした。鳩待峠から7.5キロで、ゆっくり来たから3時間半ほどかかった。この行程を戻ることを考えると、ここまでが限界かなと思った。くたびれていたが、帰り道は登りにもかかわらず2時間で鳩待峠に戻った。15キロを6時間ほどで歩いたことになる。ここのところ毎日、河口湖や西湖でサイクリングをしていたから、足には自信があったが、それでも、最後は棒のようになってしまった。
・ロッジに帰って、オーナーとまた、尾瀬の話をした。写した植物の写真を見せると、すぐに名前を教えてくれた。聞けば同年代で、大学も京都だったという。学科は違うが僕の後輩で、卒業後に尾瀬の山小屋に就職?したようだ。ただ歩くだけでなく、何倍も、尾瀬のことがわかったし、また是非来たいと思わされた。
・尾瀬の自然は極力残さなければいけないが、こういう自然を是非、大勢の人に体験してほしい。そのジレンマをずっとかかえながらガイドをしてきたと言う。ロッジをはじめて20年。何度も歩いている周辺の山々に、飽きるどころかますます魅せられている。こんな生き方をしてきた人がいるんだと思うと、ちょっと羨ましくなった。

2009年8月3日月曜日

新譜がない


・そろそろCDレビューの頃だなと思って、itunesを開いて、ここ 3ヶ月ほどCDを一枚も買ってなかったことに気がついた。そう思って、Amazonの新譜欄をチェックしたが、やはりめぼしいものは何もない。 Amazonからもお勧めのメールが頻繁に来ていたのだが、紙ジャケとかリマスター、あるいはDVD付きの再生品ばかりで、ろくに読みもしなかった。こんなことは最近なかったことだ。

・たとえば去年のレビューでは、「新譜あれこれ」を2回書いている。一つひとつやるのでは多すぎるのでまとめて書いたもので、去年の7月は 4枚、11月のは6枚にもなっている。おまけに12月には「聴きおさめ」としてさらに4枚で、一年で50枚ほど買ったと書いてある。念のために itunesで今年買ったCDを調べると20枚もなかった。しかもその中で新譜と言えるものは半分もない。これはどういう現象なのか。僕個人の好みによるのではない気がした。

・Amazonで洋楽の売り上げ状況を確認すると、マイケル・ジャクソンが何枚も上位に入っている。これは世界的な現象でしょうがないのだが、その他に上位に入っているのもビートルズだったり、サイモンとガーファンクル、イエスにレディオヘッドだったりして、そのどれもが再発売なのである。そういえば、ここのところニール・ヤングの古いアルバムの再生品のメールがやたら多かった。

・とは言え、新譜がまるでなかったわけではない。このコラムでも、今年すでにディランやスプリングスティーン、あるいはU2といった人たちの新譜を取りあげている。どれもできが良くて気に入っているのだが、日本での売り上げ状況はAmazonで見る限りはたいしたことがないようだ。新しいものよりは古いものの方が売れるということなのだろうか。昔懐かしさだけを追い求めて、今の様子には関心がないとすれば、CDの購入者は年齢が高い者が主流だということになる。

・中津川のフォーク・ジャンボリーが40年ぶりに開かれたそうだ。歌っているのも聴いているのも僕と同年代で、ニュースを見ていた限りでは、「懐かしい」ということばしか聞かれなかった。おそらく、40年前に歌った歌をそのままやったのだろう。ただし、歌っている者も、聴いている者も、その外見は昔とはまったく違っていて、そこに何とも言えぬ気味の悪さを感じた。死んだ歌を偲ぶ40回忌。

・そう言えば、身近な学生に洋楽好きがいなくなってずいぶんになる。だから、新しいミュージシャンでおもしろいものについて、学生に聞くこともほとんどなくなった。ipodが普及して、イヤフォンで聞いてる姿はずいぶん見かけるから、その落差が一層際立って感じられてしまう。大学生の聴く音楽は実際、高校生や中学生とほとんど大差がない。こんな現象に気づいてからももうずいぶんと経っている。だから講義やゼミで、音楽を話題にすることも少なくなった。

2009年7月27日月曜日

「ソーシャル・ビジネス」と「21世紀の歴史」

 

attali.jpg・ジャック・アタリの『21世紀の歴史』(作品社)は、「未来の人類から見た世界」という副題にあるように、今はまだ未来でしかない21世紀の中頃から、過去の歴史をふり返っている。だから、話は人類の誕生からはじまって、4大文明、ギリシャ、ローマ、そして近代化の中で中心となった都市(ロンドン、ニューヨークなど)の話を経て、21世紀の50年代へと進む。主な話題と視点は「市場と資本主義」である。
・壮大な物語だが、独特の切り口と口調で興味深く読んだ。書かれたのが2006年で翻訳されたのは08年の8月だから、サブプライムショックで一気に世界的な大不況が襲った直前だが、まるでそれを予告するような指摘もあって、フランスではずいぶん話題を呼んだらしい。しかし、この本のテーマはそこではなく、不況や社会的な格差、環境破壊を乗り越えて、人類がどうしたら、21世紀を生き抜くことができるかというプランを提案した点である。
・アタリの予測では、21世紀の前半はますます悲惨なものになる。市場の力が国家を超え、国単位では制御できなくなる。近視眼的な見方しかできない市場では、資源や食料、あるいは水や空気を巡る統制のきかない奪い合いが起こり、紛争や破綻の火種が世界中に発生する。で、そのままでは当然、世界は破滅ということになるのだが、そこまで行ってやっと、何とかしようという大きな動きが起こるという筋書きになっている。

sb2.jpg・アタリが希望を託すのは、社会的な公正や環境の改善を目的としたビジネスだ。そこには、破滅の前夜まで、富を廻って争いあうほど、人間は愚かではないという信頼がある。そううまくはいかない気もするが、動きは実際に目立ちはじめていて、そんな本も何冊か読んだ。それらはたとえば、「ソーシャル・ビジネス」「社会起業家」と呼ばれ、「ビジネス的な発想で貧しい人々のニーズを満たす」ことを目的にしている。その代表はバングラデシュで貧しい人たちに融資をする銀行(グラマン)を起業したムハマド・ユヌスで、彼は2006年度にノーベル平和賞を受賞している。
・「ソーシャル・ビジネス」はNPOとは違って、企業として利益を上げることを目的にする。その利益は企業や市場の拡大に向けて投資して、貧困や教育、あるいは衛生面の改善を進めることになる。それはもちろん、毎日の食べ物に飢え、路上で物乞いをする人たちを目の当たりにしたところから出発した活動だが、ビジネスとして成功することで、先進国の人たちに新しい発想を気づかせたり、大きな企業との合弁で起業するといった動きも作りだしている。「エヴィアン」で有名なフランスの「ダノン社」と「グラマン銀行」が合弁して作った「グラマン・ダノン社」は、子どもたちの栄養状態の改善を目指してヨーグルトをバングラデシュで生産して安価で売り、採算のとれるビジネスに成功させている。仕事を増やし、子どもたちの栄養状態を改善し、学校へも通える環境を増やし続けているというのである。

sb1.jpg・「ソーシャル・ビジネス」は利益を上げるけれども、投資家に配当を払うことはしない。投資家や出資者が得るのは、あくまで善行をしたという満足感と自らのイメージ・アップだ。その意味では、既存の企業にとっては新たな広告料として見なすことができる。たとえば、飛行機や鉄道、そしてCDのメガストアを経営する「ヴァージン」のリチャード・ブランソンは、2007年に2500万ドルの「ヴァージン・アース・チャレンジ」賞を設けて、「毎年、大気中から最低10億トンの二酸化炭素を取り除ける」商業的に実現可能な技術の開発を募りはじめた。それはなにより、彼や「ヴァージン」のイメージ・アップに差しだされた投資だが、現実に開発されれば、温暖化現象を緩和させる大きな一歩にはなるだろう。「大金持ちになった人間としてではなく、世界を良くするために、大きな貢献をした人として、歴史に名を残したい。」こんな発想が21世紀の主流になって、世界の政治や経済、社会や文化、そしてなにより環境や資源を持続可能なものにしていくことができるのか。信じにくいけど大事なこと、だと思いながら読んだ。

・テーマからはずれるが、読みながら気になったことがある。「ソーシャル」が「ビジネス」や「起業」「企業」の頭につくと、なぜ「社会貢献」といった意味になるのかという点だ。そう考えたら、「ソーシャル・キャピタル」が「社会関係資本」と訳されていることを思いだした。で、日本語の「社会」には「貢献」や「関係」という意味が含まれていないことに気づいたのだ。日本語で「社会」に対応し、「貢献」や「関係」を含むのは「世間」である。しかし、「世間」にあるのは、タテ関係に基づく「甘え」の意識であって、「個人主義」に基づく「自立の意識」と、それをささえる「互助の精神」ではない。日本人には馴染みにくい発想だろうなと、つくづく感じた。「貢献」や「関係」をわざわざ補わなければならないほど、日本人は「社会」に無頓着なのだから。

2009年7月20日月曜日

テレビと政治

・政治ドラマにやっと区切りがつきそうな情勢になった。だらだらと続いた三文芝居のようなお粗末さで、とっくに愛想は尽きていたが、一方で、現実の社会はすっかりがたついていて、人びとの心には不安や不満が一杯だ。テレビはそんな空気を後ろ盾にして政党や政治家を批判するが、こんな状況をつくり出した原因のひとつがテレビであることにはまったく無自覚だ。それは、実はわが身の保身にしか興味のない政治家と同じレベルの意識だから、ニュースを見るのもうんざりしてしまう。

・テレビがいつも注目してくれると、自分が国民の支持を得ていて、きわめて影響力のある政治家だと勘違いしてしまうらしい。しかも、それが錯覚であることに気がつかない。宮崎県知事のそのまんま東はテレビが作った虚像だが、それだけに、宮崎県の広告塔としては、ずいぶん大きな効果を発揮してきた。ニュースだけではなくバラエティ番組にも頻繁に登場し、宮崎の宣伝に努めたから、宮崎県やその産物の知名度もずいぶん上がったと思う。しかし、それはあくまで、知名度やテレビへの露出が果たしたおかげであって、政治家としての手腕の結果ではない。

・自民党からの衆議院選挙への出馬というニュースは、彼の知名度に頼って得票数を何とか増やそうとした自民党の計算と、自分の政治家としての力を過信したそのまんま東とのズレが生んだ茶番劇だった。「総理候補にするなら出馬する」という発言は、その気がなければ、強烈なジョークとして、自民党をさらにおとしめ、彼の人気を高めた結果に終わっただろう。けれども、本気だったから、自民党も反発し、世論も呆れて見限った。その浅はかさは、やっぱり所詮は権力欲にとりつかれた芸人にすぎないことを暴露させたが、改めて、自分が政治家として実力も人気もあると思いこませたテレビの力に怖さを感じた。しかも、当のテレビには、そんな力を自省する意識はまるでないから、相変わらず、持ち上げては落として捨てるといった扱いを繰りかえしている。

・「有名人は有名だから有名なのだ」と言って、テレビが実体のない虚像をイメージだけでつくりあげることを指摘したのは、D.J.ブーアスティンで、テレビがまだ揺籃期だった半世紀も前のことだった。その『幻影の時代』(東京創元社)では見栄えのいいケネディが、はじまったばかりの大統領選挙のテレビ討論会で人気を博して当選したことが例にあげられたが、20年後には、ハリウッド・スターのレーガンが、その格好よさと演技で、大統領らしさを見事に演じて人気を得た。

・今年のMLBのオールスター・ゲームで、イチローがオバマ大統領と話をするところがニュースとして流された。オバマのサインをもらい、憧れのスターを目の前にした少年のように緊張していたイチローの姿がおもしろかった。彼はそのカリスマ性に圧倒されたようだった。オバマはアメリカ初の黒人大統領だが、それだけではなく、その演説のうまさと人を引きつける雰囲気をもっていることで人気を得て、支持された。アメリカの大統領として、世界をリードする責任を自覚して、ブッシュの時には敵対的だった国やその指導者の姿勢も変えさせてきた。

・一方で、そういった政治家の出現を目の当たりにすると、日本にはそれをせめてイメージだけでも感じさせる政治家やその候補さえいないことを思い知らされる。国民の反応である世論が大事で、そのためにはテレビに出て、愛想を振りまくことが必要だ。そんなことしか頭にない政治家ばかりが目立っている。国民はわがままで、気ままなのに、そこに自分の政治哲学や政策をぶつけて、人びとを納得させようと考える人がいないから、政治家も政治もテレビの無責任な取りあげ方に翻弄されることになる。この国の政治がダメなのは今に始まったことではないが、経済も社会も破綻しかけているから、その不信感は未曾有(みぞう)のもので、それを政治家もテレビも自覚しないから、怖い世の中になったなと、つくづく感じてしまう。