2013年7月15日月曜日

「カルチュラル・タイフーン2013」報告

 

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・「カルチュラル・タイフーン2013」が無事終わりました。主催校の責任者としてほっとしています。スタッフとして手伝っていただいた人たちには感謝してもしきれないほどです。どうもありがとうございました。

・「カルタイ」は普通の学会大会とはずいぶん違いました。学会名は「カルチュラル・スタディーズ」ですが、あくまで協賛で、主催は「カルチュラル・タイフーン2013」実行委員会ということになっています。つまり、開催校を引き受けると、大学と折衝して会場や機材などを借り、できれば資金的な援助をお願いするといった仕事を任されますが、それだけではなく、実行委員会を組織し、事務局を置いて、大会の中身についても企画し、応募し、選考するといった作業をしなければなりませんでした。

・実行委員会や事務局のスタッフの多くが非常勤教員や院生、そして学生であることもほかには見られない特徴です。しかも、学会に所属しない人たちが大半でした。若い人たちの発想を重視して、自由な大会作りをするというのが趣旨ですが、彼や彼女たちには長い時間とエネルギーを割いてもらうことになりました。もちろん無休のボランティア仕事です。労をねぎらうために金銭的に余裕のある専任教員が差し入れをすることもありましたが、それで報われるわけではありません。若い人たちは何より、自分の勉学や業績作りのためにこそ、時間とエネルギーを使うべきだからです。

・この点が大会で行われた総会でも問題になりました。カルタイの趣旨を大事にすれば、若い人たちに過重な負担がかかること、学会であることを基本にすれば、カルタイの自由さを維持するのが難しくなること。そのあたりをどう解決していくか。それは長い時間をかけて準備をしてきた中で繰りかえし感じ、また話題にされてきたことでした。

・カルチュラル・スタディーズは既成の研究分野を横断する学際的な研究を特徴にしています。先生も生徒も一緒になって協力し、競争し合って研究するのが、その出発点にあった大きな特徴でした。しかし、現実には大学の専任教員と非常勤、院生との間には、経済的にも社会的にも大きな格差が存在します。そこを無視して一緒に仲良くというのは、あまりに非現実的でロマンチックな発想にしか過ぎません。

・「カルタイ」は他の学会とは違って研究発表だけでなく、パフォーマンスがあり、展示があり、映画の上映があり、そして物販や屋台で食べ物を売って作るといったこともありました。今回は食べ物の販売は認められませんでしたが、その他についても、なぜ学会なのにそんなことをするのか疑問をぶつけられることが多々ありました。学会らしくない学会だけど、学会の大会として続けていきたい。学会の総会では執行部からそんな意思も発表されました。であればなおさら、しっかりした基盤を作って、その上で、自由にやることについての戦略や戦術が必要だろうと感じました。

・もっとも僕はこの学会に所属していませんから、今回だけで、次回には大会に出かけるかどうかもわかりません。何事もなく終わってほっとしたところですから、しばらくはカルタイのことなど考えたくもないというのが正直な気持ちです。

2013年7月8日月曜日

「カルチュラル・タイフーン2013」にお越しください!

 

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・いよいよ今週末から、東京経済大学で「カルチュラル・タイフーン2013」が開かれます。12日は東経大が主催する学術シンポジウム「(アンチ・)デジタル時代におけるカルチュラル・スタディーズと人文学」で、17:00から6号館7階の大会議室で開催されます。デジタル化の波、就職難といった状況が大学における教育をどう変えてしまったのか。本学コミュニケーション学部所属の西垣通(「デジタル時代における身体と知の変容」)、深山直子(「<先住民>にとって知識とは何か」)、そして首都大学東京の西山雄二(「人文学と制度」)の各氏による報告と、中京大学の大内裕和、東京外国語大学の岩崎稔の両氏のコメントによって展開される議論にご参加ください。終了後に懇親会を予定しています。参加費は無料です。

・13日、14日は「カルチュラル・タイフーン」の本大会で、特別企画、パネル、ブース、そしてシネマタイフーンなどの企画が盛り込まれています。

特別企画

・「復興」への違和感、そして直視すべき問題
・「NEXT WAVE CULTURE-ポスト資本主義下の実践カルチュラル・スタディーズ
・文化と政治――音楽が鳴り止むとき
・抗うアジアの表現と情動 ―― オルタナティヴな<記憶-歴史>を想像する
・たまスタディーズ:国立編
パネル

・パネルは総数が27で、内容も「若者」「ジェンダー」「メディア」「スポーツ」「音楽」「文学」「移民」「沖縄」「東アジア」「多摩」「ポスト資本主義」「サブカル」等々と多岐に渡って行われます

・その他、ブース/グループワーク、シネマタイフーンがあり、演劇やパフォーマンス、ディスカッション、そして伝統工芸やものづくりのワークショップ、あるいは写真等の展示が行われます。シネマタイフーンは福島原発事故のドキュメントを中心に上映され、最後にディスカッションが予定されています。

・このようにカルチュラル・タイフーンは多様な発表を行う場として、すでに10年以上続いてきました。半年以上の準備期間のなかで、院生や学部生、そして一般の人たちが自発的に参加して協力してきたという面もふくめて、一般的な学会とは大きく性格を異にするイベントだと言えます。多くの方々の参加を希望します。

2013年7月1日月曜日

アルンダティ・ロイ『民主主義のあとに生き残るものは』 (岩波書店)

・インドについては、ほとんど知らないと言っていい。もちろん、訪れたこともない。中国に次いで人口の多い国で、中国に続いて急速な経済成長をしている国であること、世界で一番映画が生産されていて、その多くはノーテンキなミュージカルらしいということぐらいだった。

roy.jpg・アルンダティ・ロイの『民主主義のあとに生き残るものは』 は大学の同僚が訳した本である。贈呈されたもので、そのまま読まずに放っておいたのだが、強姦事件の多発といったニュースを耳にして、手にして読み始めた。題名は、3.11の地震のあった2日後に東京で予定されていて中止になった講演会の原稿だった。


・私たちは民主主義をどんなものに変えてしまったのか?民主主義の寿命が尽きたとき、いったい何が起きるのか?民主主義が空虚となり、意味を失ってしまったのはいつからなのか?民主主義を支える諸機関がなにか危険なものに変化してしまったとき、何が起きるのか?民主主義と自由市場がいまや一つの搾取する有機体に統合され、そこには最大の利益を得るという発想に支配された、薄っぺらで広がりのない想像力しかない。そんな時代に、どうすればこうしたプロセスを逆転させることができるだろうか?どうすればいったん変化してしまったものを、かつての形に戻すことが可能となるのか?(p.10)

・ロイの問いかけは、もちろんインドの現状に対するものである。しかし、それは同時にアメリカやヨーロッパ、そして日本にも向けられている。インドは今、経済成長のめざましい国として、民主主義が育ちつつある国として注目されている。けれども、彼女によれば、インドの経済成長は、「ヒンドゥー原理主義」によるイスラム教徒の迫害と、国土に眠っていた鉱物資源の多国籍企業による開発、巨大なダム建設、森林伐採を伴うもので、カースト制度の上にさらに、貧富の差を拡大させたものである。森に住んでいた先住民を追い出し、抵抗する者たちを虐殺するやり方はすさまじいものだが、その多くはメディアで報道されることもなく、また取り上げられたとしても、発展のためという理由をつけて不問に付されてしまってきたようだ。

・本書によれば、インドの経済成長は12億人の人口のうちのわずか100人の人びとにGDPの4分の1を占有させるに至っている。もちろん、このような流れに抗して多くの運動が起こってきた。独立後1980年代までは「さまざまな民衆闘争が土地改革や、封建地主から土地なし貧農への土地再配分を求めて戦われてきた」のである。それが今日では「土地や富の再配分を語ろうとすると、非民主的どころか狂気の沙汰と見なされる。」経済成長の過程で強固になった「上方蓄財システム」が裁判所や国会、そしてメディアといった民主主義を守るはずの組織に、湯水のごとくお金を使って機能不全状態にしてしまっているからだ。

・この「上方蓄財システム」からのお金の流れは、芸術活動や奨学金に向かい、多くの慈善活動にももたらされている。ロイによれば、それは、批判的な勢力を分断し、取り込んで、その力をそぐためにこそ役立っている。実際、このような手法は20世紀の初めから、アメリカにおいて巨万の富を得たフォードやロックフェラーといった財閥によって行われてきたことで、現在のインドでもきわめて有効に機能しているのだという。

・もちろん、この「上方蓄財システム」はインドに限ったものではない。同様に高い経済成長をしているブラジルやトルコでも、大規模なデモが起きている。またそれは経済成長を続けている国に限ったものではないことは、アメリカで昨年起きた「ウォール街を占拠せよ」デモにも共通したものである。そこで糾弾されたのはアメリカの富の半分がわずか400人によって占められているということだったのである。

・経済成長に自然破壊と公害が伴うことは、日本が実証済みである。しかし、そのひどさは、中国においてもインドにおいても、はるかに深刻なようだ。それは南米においてもアフリカにおいても同様のようだ。経済成長が多くの人びとを豊かにし、民主主義を発展させるのではなく、貧富の差を拡大し、権力と資本を一部の人間に持たせてしまう。本書はインドだけでなく、グローバルな規模で「上方蓄財システム」によって民主主義の崩壊が起こっていることを気づかせてくれるものである。

2013年6月23日日曜日

車の進化


・この春にパートナーの車を買い換えた。27万キロも走った僕の車と違って、走行距離は5万キロにも行かなかったが、中古で買ってから13年も経ってあちこち劣化がひどくなったからだった。僕の車を買い換えたスバルのディーラーにそんな話をすると、すぐに「おすすめの車があります」と連絡が来た。今ひとつという気がして断ったのだが、その時に、スバルが新しく出したXVという車種がおもしろいという話になった。その中古が出たら考えましょうと言って、電話を切ったのだが、数日後に、お目当ての車がありますという電話がまたかかってきた。

journal4-115-1.jpg・XVはクロスビークルの意味で、街中でも山道でも高速道路でも気持ちよく走れることをコンセプトにした車だ。僕がそもそもスバルの車に乗り始めた一番の理由が舗装路だけでなく未舗装の山道でも走れる車で、レガシーやインプレッサのワゴンに乗り続けてきているから、取り立てて新しいものではない。僕が気に入ったのは一番に鮮やかなオレンジ色であったことと、スタイルの斬新さだった。それほど乗り気でなかったパートナーと車を見に行くと、彼女も一目惚れして、その場で購入を決めてしまった。

journal4-115-2.jpg・スバルの最近の車にはIsightというメカニズムが装備されている。追突を防ぐ自動のブレーキ装置で、前の車に接近したり、車線をはみ出したりすると警告音が鳴る。狭い道では自転車や歩行者にも反応するから、うっかり見過ごしたりしたときには役に立つのだと思う。ただし、頻繁になる警告音には少々うんざりしてしまう。これに、カーナビやオービス探知機からも音声やブザーが頻繁に出るから、それを消すためにiPodの音を大きめにすることになった。とは言え、これからだんだん歳をとって運転に注意が必要になる身としては、役に立つ装置だと思った。

・もう一つ新しい装置はアイドリング・ストップだ。2年前に燃費が表示されるアウトバックに乗り換えてから、僕の運転の仕方が大きく変わった。燃費が著しく落ちる急加速は極力しないようになったし、高速道路でも100キロ以下で走ることが当たり前になった。速度メーターが実速度より5キロ前後多めに出ることもわかったから、実際には90キロぐらいで走っているのである。
・それで、燃費は以前乗っていたランカスターより2キロほど改善されたのだが、下道を走っているときに燃費がどんどん落ちるのが気になるようになった。信号待ちでエンジン・ストップができれば、燃費はさらに良くなることがわかったから、アイドリング・ストップには大きな関心があった。アイドリング・ストップを装備したXVでは確かに、下道でも燃費はそれほど落ちない。だからアウトバックに比べてまた2キロほど燃費が良くなった。アウトバックは12キロ台、XVは14キロ台といったところである。

・その他にキーも変わった。ドアがボタンで開くのはアウトバックでも同じだが、XVはドアノブに触るだけでも開閉できるようになった。エンジンもキーを差し込まずにボタンを押すだけになったから、キーがキーでなくなったのである。要するに、持っていればいいだけのものになったのだ。それほど便利になったとは思わないが、これには盗難防止の意味があるのかもしれない。

・と、こんなわけで、最近の車の進化に驚いたり、感心したりしている。週に3〜4回、東京まで行くのに、1回はXVにして、その乗り心地の違いを楽しんでいる。おおむね満足なのだが、最近XVにハイブリッド車が登場した。おそらく燃費はもう数キロ良くなるわけで、ちょっと早まったという気もしている。もっともスバルについては、もう何年も前からディーゼル車の発売を待ち望んでいて、裏切られ続けている。ヨーロッパでは売っているのに日本で売らない理由は規制の厳しさだが、ディーゼル・エンジンに対する悪評が、開発を消極的にしているのだとも言われている。とは言え、仮に発売されても、当分は買い換えるつもりはない。

2013年6月17日月曜日

「カルチュラル・タイフーン2013」準備中です

 

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・7月12日(金)から14日まで、東京経済大学において「カルチュラル・タイフーン2013」が開催されます。2003年から始まり、今年で11回目になる今回のテーマは「たまる?たまらん!」。実行委員会での「あーでもない、こーでもない」という長い議論の末に決まりました。
・大学が多摩地区にあること、東京の郊外である以上に、多摩が歴史的に問いかける意味のある地域であること、あるいは忌野清志郎が歌った「たまらん坂」同様に、大学への通学路にはきつい坂道があること、そしてもちろん、原発事故の実態に目をつむって再稼働に動き出した自民党政権に「たまらん!」とnoを言い続けることや「アベノミクス」の口車に乗っても金は絶対に貯まらん!と言いたいこと等々、このテーマには多様な意味が込められています。

ct2013-2.jpg・「カルチュラル・タイフーン」は今回から「カルチュラル・スタディーズ学会」が協賛する大会になりました。しかし、いわゆる学会の大会とは違って、単に学者の研究発表の場に限定されない、幅広く雑多な内容を盛り込んでいます。プログラムの詳細は右のイラストをクリックして、PDFをダウンロードしてください。
・「カルチュラル・スタディーズ」は文化を単独に存在するものとしてではなく、政治や経済や社会との関連の中でとらえることを基本にしています。そのことは、プログラムを見ればすぐにわかると思います。福島の原発事故や沖縄の基地からアジアへ広がる政治的な問題を、文化との関係の中で捉えようとする一方で、音楽やスポーツ、あるいは演劇やアートにある、政治との関わりを見定めようとする視点が数多く見受けられるからです。

・一般的な学会と大きく異なるのは、大会を準備する実行委員会が大学院生や学部生によって担われていることです。大学教員の助手として働くのではなく、自ら委員会のメンバーとして主要な仕事を担当し、大会そのものにも積極的に参加をする。11回目を数える中で、そんな伝統ができつつあるようです。参加する学生はもちろん、都内各地の大学から集まってきていて、東京経済大学の学生達にとっても、他大学の学生との交流の場になってきました。

・大会の準備は昨年の10月からはじまり、毎月の実行委員会の他に、学生のための準備研究会も6回ほど開かれました。学部の学生達を集めて、カルチュラル・スタディーズとは何か、どんなテーマをどんな手法や視点で考え、分析するのかといったことについて、毎回二人の人に話をしてもらいました。

・このように「カルタイ」はきわめてユニークなイベントですが、それだけに、一般的な学会とは異なることを大学に理解してもらい、協力や支援をしてもらうことについては、何度も折衝し、説明をくり返すことが必要でした。そんな苦労と長期間に及ぶ準備の甲斐あって、何とか、開催にこぎつけることができました。大会はもう目前に迫っています。大勢の方の参加を願っていますが、同時に当日の運営に必要なスタッフも募っていますので、関心のある方々の協力をお願いしたいと思います。

2013年6月10日月曜日

デモクラTVを見よう

・政治のこと、経済のこと、社会のこと、そして文化のことについて、身近な問題としてとらえ、時には行動しなければとこれほどに考える時代が、これまであったのだろうかと思う。ところが一方で、新聞やテレビがこれほど信用できない時代もなかったのではと感じることも多い。

・とは言え、頼りになる、信頼できると思えるジャーナリストや評論家と言われる人もいて、その人達が書いたものや登場するテレビ番組に、これまで以上に注意を向けるようになったのも確かだ。特に3.11以降は原発の是非を巡ってその立場をはっきりさせることが、信頼できるかどうかの基準になった。また、憲法改正の動きやTPP加盟といった問題、あるいはぎくしゃくし始めた韓国や中国との関係への対処法、さらには沈滞する日本経済を立て直すとして安倍首相が掲げた「アベノミクス」に対する評価等々、自分なりに考える上で、意見を参考にする人の数も増えた。

・Youtubeなどのサイトに、地上波やCSの番組が掲載されていて、おもしろい番組があるのを知ったのは3,11がきっかけだった。その中にCSの「朝日ニュースター」という名のチャンネルがあって、僕は愛川欽也が司会をした「パック・イン・ジャーナル」や「ニュース解説 眼」「ニュースの深層」といった番組を見るためにCSと契約をした。そこで神保哲生、青木理、上杉隆などのフリーのジャーナリスト達を知った。

・その「朝日ニュースター」が朝日新聞からテレビ朝日に身売りされて、番組の廃止やキャスター変更になった。同じ時期に京大原子炉実験所助教の小出裕章さんがレギュラー出演していた毎日放送ラジオの「種蒔きジャーナル」も廃止されたから、ぼくは政治的な圧力があったのではと思った。数少ない自由な言論の場が次々と消えていくことに危機感を持ったが、「パック・イン・ジャーナル」は愛川欽也が独自に立ち上げた「KInkinTV」で「パック・イン・ニュース」として生まれ変わることになり、「種蒔きジャーナル」も「報道するラジオ」と名を変えて継続されることになった。

democra.gif・「パック・イン・ニュース」を見るためには月に1050円の料金が必要だった。僕にとって欠かさずに見る番組だったが、愛川欽也の個人的な理由で1年間で休止になった。そしてこの4月から、この番組にレギュラー出演していた人たちが中心になって立ち上げた「デモクラTV」で継続されている。料金は毎月525円と半額になったが、内容は盛りだくさんで、毎週土曜日の昼に生放送される「本会議」の他に、レギュラー達がそれぞれ、独自の番組を持って、週一回の割で放送している。

・放送されたものはアーカイブに残されているから、暇な時間を見つけて、ほとんどを視聴している。内容は「田岡俊次の軍略探照灯」(軍事問題)、「早野透の時間」(憲法と政治)、「山田厚史のホントの経済」、「池田香代子の100人に会いたい」(インタビュー)、「ウッチーのデモくらジオ」(内田誠のトーク)、「鈴木耕の『原発耕談』」といったもので、短い間に充実した番組作りを成し遂げている。なかなか精力的で、これからもさらに番組を増やして充実させていくつもりだから、月々525円払って是非視聴して欲しいと思う。

2013年6月2日日曜日

大工仕事

 

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・玄関前のポーチやリビング前のウッドデッキに傷みが目立つようになったのは去年からだった。それで両方の階段を作り直したのだが、天板や手すり、そして何よりデッキは天板を支える下の板の腐食がひどくなった。で、薪割りを後回しにして、今度は大工仕事に精出すことになった。

forest108-2.jpg・天板は古い木をはがして新しい木を打ち付けるだけだから難しくはないが、それを支える下の板は幅も広く厚みもあって、持ち上げるのに苦労するほど重さがある。しかも縁の下に入りこんでの作業だから、変な姿勢のままで力を入れなければならない。あるいは、所定の場所にきっちり置くためには仰向けになっての作業をしなければならないから、上から落ちてくるゴミをまともにかぶることになる。頭も顔も泥だらけになっての仕事はなかなかつらいものがあった。

forest108-4.jpg・最初は一本か二本と思ったのだが、確認すると腐食して付けかえなければならないのはまだまだあって、とても一日では終わらない仕事になった。このブログで確認すると、手すりを付けかえ、天板の張り替えは2005年にやっている。玄関ポーチの板はその時全部張り替えたから、8年しか持たなかったことになる。それを支える下板は今回もまだ大丈夫で一安心だったが、デッキの方は天板は一部の張り替えだけで済んだのに、下板は半分以上が腐食していた。

・どうしてそうなるのか。玄関は日が当たるから腐食は少ないが、出入りが激しいから傷みは早い。デッキは日が当たらないから、雨で濡れたままの下板が腐る。多分そういうことなのだろうと思う。いずれにしても、何年かおきにはやらなければならない大仕事であることは間違いない。楽しくやるにはかなりの体力が必要で、今度大がかりに修理するときには、大工さんに任せなければならなくなるかもしれないと思った。

forest108-3.jpgとは言え、今回もまだまだやらなければならないことはたくさんある。思い切って手すりを全部付けかえるか。ペンキを塗り直すか。これから梅雨になって仕事のできる日は限られてくるから、おそらく夏休みの仕事になるのだろうと思う。何より、薪割りを早く片づけなければならないのだ。
・やらなければならないことはまだまだある。ログのペンキもそろそろ塗り替える時期になっている。これも始めたら何日もかかる仕事だ。週一度の山歩きもあるし、カルタイの仕事もある。あれもこれもで目の回る忙しさだと言っていい。

・実は来年、国内研究が認められた。院と学部のゼミはやるが出校は週一回で済む。たぶん時間的な余裕ができるだろうから、大がかりな作業は来年にしようかと思い始めている。