2013年8月26日月曜日

利尻と礼文から

 

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今年の夏はノルウェイのフィヨルドを歩くツアーに参加する予定でしたが、催行人数に達せず中止になって、急遽北海道に行くことにしました。北海道は20数年ぶりですが、利尻と礼文は40年以上前に大学生の時に稚内までやって来て、悪天候で船が出なくて、諦めた場所でした。その意味では、いつか必ずと思っていた地で、二つの島でゆっくり1週間過ごす計画を立てました。 risiri2.jpg risiri3.jpg
risiri4.jpg risiri5.jpg利尻といえば昆布とウニ、最初に泊まった宿はその名も雲丹御殿。名前の通り雲丹づくしで、そのおいしさに感激しました。翌朝、宿から見える海にはウニを捕る船がたくさんいて、竿で釣る様子がよく見えました。揺れる船からの漁は大変そうで、しかも漁は早朝の3時間ほどに制限されていました。いい調子で食べたことを反省してしまいました。
今回の旅の第一の目的は歩くこと、そこで利尻山に挑戦し、7合目まで登りました。山はあいにくの雨でびしょびしょになり、靴は泥まみれになりましたが、花を見たり、時折顔を覗かす山頂や麓の景色に見とれました。石が多くて足場の悪い登山路で、雨水が沢のように流れる道でしたから、下山の時は滑らないよう神経を使いました。risiri6.jpgrisiri7.jpg
rebun1.jpg rebun2.jpg利尻から礼文へはフェリーで移動。着いた町は香深(カフカ)と言います。そこから澄海(スカイ)岬まで移動して、最北端のスコトン岬まで歩きました。海岸から100m、200mと登ってはまた下る。岬を越えるたびに2度、3度と繰りかえす。しかも利尻山とは違って好天気で、照りつける太陽が刺すようにきつかったです。
3時間半の行程を何とか歩き通せたのは、目の前に連なる絶壁の岬やコバルトブルーのきれいな海のせい。あるいは道にかぶさるように生えた一面のお花畑のおかげだったかもしれません。スコトン岬の先にはトド島があって、そこから北はロシアのサハリンになります。利尻島ではハワイ島を連想しましたが、礼文島はアイルランドにどことなく似ていると思いました。rebun3.jpgrebun4.jpg
rebun5.jpgrebun6.jpg翌日、路線バスで香深にもどる途中でアザラシの群れを見ました。この日も歩く予定で地蔵岩までバスで行きましたが、雨と雷で、少し歩いてバスで引き返しました。その次の日も雨でしたが、今度は南端の知床から猫岩や桃岩を巡るコースを歩きました。雨は幸い途中で止んで、2時間ほどのトレッキングを楽しむことができました。よく歩き、よく食べて楽しい旅をしています。

2013年8月19日月曜日

幸福について

エリック・ワイナー『世界しあわせ紀行』早川書房
ジグムント・バウマン『幸福論』作品社

・「レジャー」をテーマにした本の出版のために勉強を始めている。10名ほどの人たちとの共同作業なのだが、編者として、この夏休み中に本の骨子を示す序文を書かなければならない。さて、「レジャー」について考えるときに解き口となるキーワードは何か。そんなことを考えていて、「幸福」と名のついた本が、最近目につくことに気がついた。

happiness1.jpg ・エリック・ワイナーの『世界しあわせ紀行』は幸福度が高いと言われる国を旅して、その実態に触れようとした紀行文である。訪ねたのはオランダ、スイス、ブータン、カタール、アイスランド、モルドバ、タイ、イギリス、インドの9カ国で、最後が自国のアメリカになっている。幸福とかしあわせという判断には客観的な尺度があるわけではない。お金やモノでは計れないし、忙しいとか暇で推測できるものでもない。あるいは、幸福感は一瞬自覚することもあれば、持続的に持つこともある。人とのつきあいの多少だって、必ずしも幸福度のバロメーターになるわけではない。

・そんな話に終始した内容なのだが、一つだけ大事な指摘があって、なるほどと思った。それは「嫉妬心」で、たとえば「スイス人は他人の嫉妬を買わないためならどんな努力もいとわないから幸せなのだ」という話を聞き出している。経済的な格差はスイスにだってもちろんある。しかしそれを見せびらかしたりひけらかしたりしないことを心がける。それはアメリカ人の態度と正反対だが、ここにはもちろん、労働に対する賃金を高く設定して不平等感を抑えるという政策もある。

・嫉妬心はアイスランドでもまた話題になっているが、アイスランド人の対処法は「分かち合うことによって嫉妬心そのものを消してしまう」ことだと言う。競争(compete)の語源はラテン語の「コンペトレ」だが、その意味は競うことではなく「ともに探求する」ことにある。助けあい協力し合って成果を生み出すことに価値を見いだせば、成果を独り占めにすることもできなくなる。それは「オープン・ソース」の発想で、コンピュータはもちろん、芸術や文学の新しい運動が起こったときには、必ず見られる現象でもあった。アイスランドには人口に比して芸術家や作家の数が多いようだ。

happiness2.jpg ・ジグムント・バウマンの『幸福論』は消費社会の進行と、社会の液状化、それに伴う貧富の拡大や将来の予測の不可能性といった、彼がこれまで指摘してきた現代社会の分析をもとにして、「幸福とは何か」を問う内容になっている。


・近代は、幸福を追い求めることを普遍的な人間の権利として宣言することから本格的に始まったと考えられている。また、近代は、すべての生活様式が昔より発展していくことを前提にし、今まで以上に役立つことを目指し、さらに骨が折れることや面倒なことを減らすことを追求してきたと考えられている。(p.11)

・生活を豊かにするためにモノやサービスを買う。この流れはもはや止めることができないどころか、ますます加速するばかりである。そしてバウマンは、現代人の不幸をこの流れの中に見つけている。消費社会は必然的に、競争心を煽り、羨望や嫉妬といった感情を消費欲求の源泉にしてきたのだし、市場主義は万人の幸福よりは貧富の格差を広げる結果をもたらしてきたからだ。それはワイナーがスイスやアイスランドで見聞きしたしあわせのための処世術とは正反対のものである。

・現代人にとって幸福は、ほんの一時的にもたらされる感情でしかないし、また他人との比較の上で絶えず実感しなければならないものである。安定を願いながら、その状態を不満や退屈の源泉として感じてしまうこと、他者との関係を重視し、孤立を忌避しながら、同時に絶えず、他者との間に羨望や嫉妬、優越や差別の感情を持ち込んでしまうこと等々。経済的な豊かさがもたらす幸福と不幸、医療と長寿がもたらすしあわせと不幸せ、多様なコミュニケーションによって経験する充実感と煩わしさ等々。それはまさにバウマンが指摘する「リキッド・モダンのジレンマ」に他ならない。この本の原題は「生活の技法」(The art of life)である。それが時流に乗っていたのでは身につかないし達成されない技法であることはいうまでもない。

2013年8月12日月曜日

山歩きと自転車

・地デジ用の高感度アンテナをつけてから地デジが4局だけ見えるようになった。4月にブラウン管から液晶のテレビに変えてから、画面も大きくなって、少しだけテレビを見る時間が増えた。と言っても、仕事のない日の昼と夜の食事時ぐらいなのだが、楽しみにしてみる番組が二つ。どちらもNHKのBSプレミアで、一つは「日本百名山」、もう一つは「日本縦断こころ旅」である。

・僕自身は百名山と呼ばれる山に特に興味があるわけではない。実際、百名山に入る山で登ったことがあるのは数えるほどしかない。有名な山は登山者が多くて歩きにくいし、出かけるのにも時間がかかる、それに、山小屋に泊まらなければならない場合が多いからだ。何より山はどんなところでも、それなりの特徴があって、それは歩いてみて初めて気づくことが多いからだ。

・だから番組を見ていて興味を覚えるのは、山ごとに違うガイドが歩き慣れた山道を案内する、その話や歩き方にそれぞれ特徴があることだ。もちろん年齢も違うし、男だけでなく女もいる。しかし共通しているのは、何度も登っている山に深い愛着を持っているのが感じられることだろう。だから見ているとどこでも、登ってみたい気になる。

・けれどもまた思うのは、頂上に至る山道の様子は、僕が登ってきたあまり有名ではない山でもよく見かけることが多いということだ。ブナ林やお花畑、野鳥のさえずりや鹿や猿といった動物の気配、あるいはコースにはガレ場もあるし、ロープや鎖で登るところや吊り橋が架かっている所もある。何より、有名な山はそれ自体に登るよりは、その近くに登って眺めた方がずっといい場合が少なくないのだ。その一番は富士山だろう。

・僕も富士山には一度登ったが、また行きたいとは思わない。ただし、富士山の周囲の山には、もうほとんど登っていて、また行きたいと思うところも少なくない。今年の富士山は恐ろしいほどの人混みで、あんな状態の所に登りたいと思う気持ちがわからない。その意味で、番組が富士山を取り上げていないのは懸命だと思っている。

・「日本縦断こころ旅」は火野正平が自転車で日本中を走り回るもので、これまですでに3年間で5回行われている。彼は僕と同い年だから、けっして楽な企画ではないと思う。実際、坂道をこぐときに聞こえてくる息づかいには、同情と言うよりは、一緒になってあえいでいるような気になってつらくなってしまうことがある。この春から夏にかけては鹿児島をスタートして、最後は長野から山梨だった。

・自転車での登りは、山歩きよりもはるかにつらい。それはだらだらとした坂道でもそうで、ちょっと急坂になれば、もう心拍数が上がって息も絶え絶えになってしまう。若い時と違って60歳を過ぎれば、走り込んでいても、平気という体力がつくわけではない。長野と山梨を走った7月の放送では、毎日のように坂道を登っていて、僕も車に乗って通ったことがある道だったりしたから、余計に同情してしまった。

・この番組がゴールに選んだのは、山中湖の近くの二十曲峠で、そこで、そこから眺める富士山のすばらしさを書いた手紙を読むことだった。富士山は登るよりは近くから眺めた方がはるかにいい。ぼくは6月にこの二十曲峠から石割山に登ったばかりだったから、この終わり方はなかなかいいと思った。ただし、彼が登った忍野村から二十曲峠までの急坂を車で通って知っているだけに、この道を本当に登ったのだとしたら、この3年で火野正平の体力が強靱になったことは確かで、そのことには驚きを覚えたし、また敬意を表したいとも思った。

2013年8月5日月曜日

夏休み

 

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・今年ほど夏休みが待ち遠しかったことはなかった。カルタイの準備で出校日以外に大学に出かけることが多かったし、7月に入ってからは中一日休みで11日連続出校なんてスケジュールだったからだ。おかげで車の走行距離が10万キロを超えた。この一年で3万キロ以上走ったことになる。車よりも自分の体力が心配だったから、初めて国分寺駅のホテルに2泊した。無事乗り切ったのは毎週のように山歩きをした成果だろうか。ところが、カルタイ直後の前期試験と500枚の採点で数日、クーラーの効いた研究室で座りっぱなしだったせいか、久しぶりにぎっくり腰が再発した。

・「春の山歩き」以後もせっせと山歩きした。奥穂高に行った後は甲府の兜山、川上村の御座山、道志の御正体山、河口湖の足和田山、山中湖の石割山、山梨市の小楢山に出かけ、カルタイの終わった後も奥多摩の黒川鶏冠山に登り、ぎっくり腰が治った先週は日本百名山の金峰山に行ってきた。

forest109-2.jpg←御座山


石割山神社→



←↓小楢山

金峰山↓→
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・忙しいのにせっせと歩いたのは、夏休みにノルウエイのフィヨルドを歩くツアーに参加を予定したからだった。去年スイスの山歩きで利用した「アルパインツアー」のスケジュールから選んだのだが、残念ながら参加者が集まらずに中止になってしまった。その代わりに、8月の後半は北海道に出かけることにした。利尻と礼文でゆっくりして島を歩き回ろうと思っている。

2013年7月29日月曜日

音楽と政治

(仮)ALBATRUS "ALBATRUS"

・あらかじめ予測されていたとは言え、参議院選挙の結果には落胆した。自民党圧勝の理由は何より投票率の低さにある。自民党に対抗して争点を作り出す勢力が生まれなかったのだから、組織票を基盤にした政党が勝つのは当たり前のことだった。

・と、CDレビューなのに選挙の話題から始まってしまったが、選挙結果で一つだけおもしろくて希望が持てることがあった。東京選挙区で無所属の山本太郎が当選したことと、緑の党公認の三宅洋平が比例区では最高の17万票を取ったことである。三宅洋平はミュージシャンで、レゲエ・ロックバンド「犬式 a.k.a. Dogggystyle」や「(仮)ALBATRUS」のメンバーとして活動してきた。その経歴を活かした彼の選挙運動は、まさにライブ・パフォーマンスと言えるものだったようである。その最終日に渋谷のハチ公前で行ったパフォーマンスの様子について、斉藤美奈子が東京新聞のコラムで次のように書いている。


・参院選最終日の20日20時前、山手線の右と左に位置する二つの街の光景は対照的だった。一方は秋葉原駅前。(中略)安倍首相が、街宣車の上からこぶしをふり上げて叫ぶ。「誇らしい国をつくっていくためにも憲法を変えていこうではありませんか!」歓声と共に日の丸の旗が振られる。演説終了後の「安部ソーリ」コールはやがて「NHK解体!」「ぶっつぶせ朝日!」などの罵声と怒号に変わった。
・他方、ほぼ同時刻の渋谷駅ハチ公前広場。「選挙フェス」と銘打った特設ステージでスピーチするのは緑の党の比例代表候補者三宅洋平と無所属の山本太郎だ。フィナーレで三宅氏は憲法9条を読み上げた。「戦争ぼけしているやつらに平和ぼけがどんだけ楽しいか教えてやろうよ!」スクランブル交差点の対岸まで人が鈴なりだったけど、文字通り老若男女が集まったハチ公前は和やかで明るかった。メッセージの内容と行動様式は同調するのである。(以下略)

・この記事を読んですぐにYutubeで両方の動画を見比べてみた。陰と陽、醜悪と美、音楽の有無はもちろんだが、メッセージの中に生きたことばがあるかどうかといった点で、きわめて対照的だった。山本太郎もずいぶん演説上手になったと思ったが、三宅洋平の演説はそのままラップにもなりそうで、聴衆の心を掴んでいるのがよくわかった。ネット選挙であることが注目されたが、公の場での訴えの仕方にこそに新しさを感じた選挙だった。

albatrus.jpg・で、さっそく三宅洋平のCDをアマゾンで探して"ALBATRUS"という名のアルバムを手に入れた。バンド名は「(仮)ALBATRUS」。アルバムは熱気に溢れ、強いメッセージとレゲエやロックのリズムが心地よく融和して、聴いていて力が湧いてくるようだった。ボブ・マーリーを彷彿とさせた「1/470 Party People」は次のようなメッセージで始まっている。


この国の47都道府県で本気で具体的な実践を行き始める男や女が
各県で10人ずつで良い その470人で日本は変えられる
470人の中の一人はでかいよ
で、誰が今日その一人になるか、だ

・三宅洋平が集めた17万票は、彼個人が選挙期間中に全国を飛び回って開催した「選挙フェス」で、彼に共感した人たちが入れたものだ。組織もなく有名でもなかった彼がたった2週間でこれだけの人の心を掴んだことは驚きだが、であればなおさら、彼が所属した「緑の党」や「緑の風」あるいは「グリーン・アクティブ」といった無力な乱立が気になった。470は無理にしても各県一人ずつでも候補者を出して、全国的な運動ができるよう準備したら、選挙はもっともっとおもしろくなっただろうにと思った。いずれにしても、音楽を使った新しい選挙のスタイルに新しい方法が見えてきたことは確かだろう。

2013年7月22日月曜日

戦前の日本に戻っていいのだろうか?

・自民党の選挙スローガンの「日本を、取り戻す。」を見るたびに、頭に「戦前の」を足した方がぴったりすると思っていた。自民党の憲法改正(悪)案は、まるで明治憲法の復活のようだし、自衛隊を国防軍にするとか、兵士が出兵を拒否したら軍法会議で死刑か懲役300年だといった話が平然と公言されたからだった。ぞっとするようなおぞましい話だが、そんなことがたいした議論にもならずに、参議院選挙で自民党が大勝した

・昨年の衆議院選挙の時に、僕は悪夢の選択だと書いた。どっちにしても悪夢にしかなり得ないのなら、よりましな方を選択すべきだという主張した。その時一番問題だと思ったのは原発事故の終息と原発の廃止に向けて、少しでも積極的な政策を掲げる所に投票すべきだと思ったからだった。しかし結果は、自民党の復活と民主党の壊滅的な敗北だった。

・で、勢いを盛り返した自民党が歩き始めたのが、原発再稼働に向けた道であり、憲法の改悪であり、借金財政をさらに悪化させるアベノミクスだった。憲法は近代国家の土台として政治権力の暴走を阻止するために作られたもののはずだが、自民党案には、表現の自由を制限したり、道徳的に国民を縛り統制する条項が追加されている。憲法が何であるかをはき違えた、戦前への回帰があからさまな内容と言えるものなのである。

・安倍政権の人気を支えているのはアベノミクスと名づけられた積極的な経済政策にあると言われてきた。確かに表面的には円高が是正され、株が上がり、景気が改善されはじめて来たように見える。しかし、株の上がり方はどう見たってバブルだし、多額な国債の発行は日本が抱える借金を増やすばかりなのである。この数ヶ月で2倍にも3倍にも上がった株があるから、確かに儲けた人や企業はあるのだろう。デパートの売り上げが伸びたのは株でもうけた人たちが買う貴金属や高級ブランド品によるところが大きいようである。一方で、物価がじりじりと上がり始めている。

・安倍首相は選挙期間中に「日本を、取り戻す」一つとして、60年代から80年代までの経済成長をした元気な日本をあげていた。しかし、後進国から先進国への過程にあった時代と、世界第3位の経済大国になって、成熟した社会になりつつある現在との違いを全く無視した発言には、呆れるほかはないほどである。
・必要なものはほぼ手に入れることが可能になり、少子高齢化がますます進行する社会で、いったいどうやって経済的な高成長を実現させるのか、そもそも経済成長が必要なことなのかどうか。アベノミクスの行き着く先は、バブルをもう一回はじけさせることでしかないのではと危惧せざるを得ないのである。

・自民党の政策は原発にしても経済にしても、そして憲法問題にしても、地獄への道を突き進む動きにしか思えないのに、なぜそれが支持されるのだろうか。誰も戦争なんかしたかったわけじゃないのに戦争にまっしぐらに突き進んでしまった、戦前の日本の状況に酷似していることを指摘する人は少なくない。空気には逆らえない、怖い現実は見たくない、遠い未来よりは目先の安心、といった気分が蔓延していて、その空気を取り払う風が吹き込めない。そんな息苦しさを感じる選挙結果だった。

2013年7月15日月曜日

「カルチュラル・タイフーン2013」報告

 

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・「カルチュラル・タイフーン2013」が無事終わりました。主催校の責任者としてほっとしています。スタッフとして手伝っていただいた人たちには感謝してもしきれないほどです。どうもありがとうございました。

・「カルタイ」は普通の学会大会とはずいぶん違いました。学会名は「カルチュラル・スタディーズ」ですが、あくまで協賛で、主催は「カルチュラル・タイフーン2013」実行委員会ということになっています。つまり、開催校を引き受けると、大学と折衝して会場や機材などを借り、できれば資金的な援助をお願いするといった仕事を任されますが、それだけではなく、実行委員会を組織し、事務局を置いて、大会の中身についても企画し、応募し、選考するといった作業をしなければなりませんでした。

・実行委員会や事務局のスタッフの多くが非常勤教員や院生、そして学生であることもほかには見られない特徴です。しかも、学会に所属しない人たちが大半でした。若い人たちの発想を重視して、自由な大会作りをするというのが趣旨ですが、彼や彼女たちには長い時間とエネルギーを割いてもらうことになりました。もちろん無休のボランティア仕事です。労をねぎらうために金銭的に余裕のある専任教員が差し入れをすることもありましたが、それで報われるわけではありません。若い人たちは何より、自分の勉学や業績作りのためにこそ、時間とエネルギーを使うべきだからです。

・この点が大会で行われた総会でも問題になりました。カルタイの趣旨を大事にすれば、若い人たちに過重な負担がかかること、学会であることを基本にすれば、カルタイの自由さを維持するのが難しくなること。そのあたりをどう解決していくか。それは長い時間をかけて準備をしてきた中で繰りかえし感じ、また話題にされてきたことでした。

・カルチュラル・スタディーズは既成の研究分野を横断する学際的な研究を特徴にしています。先生も生徒も一緒になって協力し、競争し合って研究するのが、その出発点にあった大きな特徴でした。しかし、現実には大学の専任教員と非常勤、院生との間には、経済的にも社会的にも大きな格差が存在します。そこを無視して一緒に仲良くというのは、あまりに非現実的でロマンチックな発想にしか過ぎません。

・「カルタイ」は他の学会とは違って研究発表だけでなく、パフォーマンスがあり、展示があり、映画の上映があり、そして物販や屋台で食べ物を売って作るといったこともありました。今回は食べ物の販売は認められませんでしたが、その他についても、なぜ学会なのにそんなことをするのか疑問をぶつけられることが多々ありました。学会らしくない学会だけど、学会の大会として続けていきたい。学会の総会では執行部からそんな意思も発表されました。であればなおさら、しっかりした基盤を作って、その上で、自由にやることについての戦略や戦術が必要だろうと感じました。

・もっとも僕はこの学会に所属していませんから、今回だけで、次回には大会に出かけるかどうかもわかりません。何事もなく終わってほっとしたところですから、しばらくはカルタイのことなど考えたくもないというのが正直な気持ちです。