2014年8月25日月曜日

旅から戻って


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forest118-3.jpg・今回の旅はサンチャゴデコンポステーラがゴールで、ポルトガルのポルトは付録のような感じだったが、スペインとはまた少しちがっていて、来て良かったと思った。スペインのルーゴから乗った列車は国際列車とは名ばかりの古ぼけたディーゼルカーで、スペインの電車との違いに驚いたが、ポルトの街もまた、廃墟が多くて、経済的な沈滞や国そのものの衰退が感じられた。ただし、その分、古いものがそのまま残されていて、かえって味わいのある風景や街の様子を見ることもできた。上にあげたタイル張りの教会などはその好例である。

forest118-2.jpg・観光客がぞろぞろ歩く街並みには洗濯物を一杯干した家が多くて、それを珍しそうにカメラに納めている人も多かったし、店の外で鰯を焼いている光景なども目にした。僕は鰯の唐揚げを食べたが、丸ごと食べられるものでおいしかった。日本では高級魚の餌になっているような小鰯だが、ポルトガルではきわめて日常的なおかずになっている。経済的には豊かでないかもしれないが、けっして貧しくはない生活の一端が見えた気がした。観光政策が発展途上だからこそ見えた風景だろう。

forest118-4.jpg・同様のことはファド体験にも言えた。たまたま見つけたファドをやるレストランでは、客だと思っていた人が代わる代わる唄って、楽しんでいた。半数は観光客だが半数は地元の人で、提供される食べ物も地元の人が食べているものだった。聴いていて思ったのは演歌との類似性で、マンドリンのバック演奏などから、演歌は日本人の心ではなく、ファドを日本化させたものではないかと感じた。日本の演歌を形作ったのはマンドリン奏者の古賀政男だったからである。

forest118-5.jpg・対照的だったのは巡礼の目的地としてにぎやかだったサンチャゴ・デ・コンポステーラだった。大聖堂自体は荘厳で、私語を禁じるような雰囲気だったが、その回りの建物はほとんどが土産物屋かレストラン、あるいはカフェなどで、ぞろぞろと歩く観光客と巡礼者の人波にうんざりしてしまった。驚いたのは大聖堂自体のなかにも土産物屋があったことで、しかも安物ばかりが並んでいる様子にはがっかりするやら興ざめするやらだった。上からつり下げられた大きな香炉(ボタフメイロ)を焚いて教会内で振り回す儀式は、巡礼者の苦労を癒して毎日行われるのかと思ったら、高額な寄進があった時だけだと聞いた。まさに「〜の沙汰も金次第」だと思った。

forest118-6.jpg・旅のおもしろさは歩かなければ味わえない。そのことを追認させてくれたのはNHKがBSで放送している「街歩き」だった。今回も、目的地についてホテルのチェックインを済ませたら、さっそく街に出て、地図を頼りにあちこち歩いてみた。土産物屋ではなく地元の店をのぞき、スーパーマーケットで買い物をする。道ばたで立ち話をしているおじいちゃんやおばあちゃん、おじさんやおばさんに「ハロー」「ボンジュール」「オラー」などと声をかけてみる。そうすると、決まって笑顔が返ってきて、何やら話しかけてくる。そんな経験は、てくてく歩いてみなければ、なかなか出会えない経験だろう。

forest118-7.jpg・車とバスを乗り継いでのもので、ちょうど4週間の長さだった。国の違い、ことばや通貨、そして食べ物の違いはもちろん、都会と田舎、バスクやガリシアといった地域的な特性は、やはりある程度の時間と、ゆっくりしたペースでなければ味わえないことだと感じた。さて、こんな旅がいつまで続けることができるのだろうか。パートナーとの弥次喜多道中で、よく歩き、よく食べ、よく飲み、そしてよく眠ることができた。やっぱり、日頃の山歩きや自転車のおかげだろうと思う。これからも精進しよう、また旅に出かけるために!

2014年8月18日月曜日

ガリシアに来た

 

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galicia2.jpg・ビルバオからはバスでサンタンデールへ、ここでバスを乗り換えてサンティヤーナ・デル・マールに。ホテルに着くとすぐに、教科書で見たアルタミラの遺跡まで2kmほどを歩いた。劣化が激しくて今世紀になって入場が禁止され、その代わりに、大きな洞窟が掘られてレプリカが作られた。立派だが、ニセだと思うとありがたみはどうしても失せてしまう。ここでもやっぱり入場者は多い。何しろヴァカンス・シーズンまっただ中で、小さな村も人でごった返している。

・近隣のコミージャスにはカタロニア以外では珍しいガウディ設計の建物がある。レストランとして使われているというので食事を楽しみに出かけたのだが、入場料を取って見物するだけの場所になっていた。コミージャスはカンタブリア海に面していて海水浴場もあり、しかもその日は市が立っていたから、村の道路は大渋滞だった。その村を海岸から山手まで一回り歩いた。

galicia3.jpg・スペインの北岸には狭軌の鉄道が通っている。その電車に乗ってオビエドまで移動した。各駅停車で時間はバスの倍かかるが、景色がいいというので一日がかりの電車の旅を選んだ。山あり川あり海ありのなかなかの光景だったが、乗客はにぎやかで、午前中からワインに酔った若者達が乗ってきた。ろれつの回らないスペイン語でしきりに話しかけてくる。「儀礼的無関心」がまるで通用しない世界に来た。楽しくもあるがちょっと煩わしい。単線の電車は時に30分以上も停車したままで、バスで2時間の距離を遅れて、5時間半もかかってオビエドに着いた。

galicia9.jpg・オビエドは特に見るものや出かけるところがあったわけではない。アストゥリアス州の州都でビルバオ同様、鉱工業で発展した町だ。中心街には新しいビルが林立し、大きなデパートがいくつかあって道路や公園も綺麗に整備されている。たまたま見つけた大聖堂では結婚式があって。大勢の人の祝福を受けていた。

・オビエドからルーゴまでの移動はまたバスで、これも5時間半という長旅だった。どのルートを通るのかわからなかったが、何と100km以上も南下してレオンを経由した。途中岩肌がむき出しになったカンタブリア山脈をぬうように走り、山脈を越えると緑はなくなり、スペインらしい赤い乾燥した大地になった。レオンは予定外の場所だったが、バスは街には入らずに、わずかの停車で、今度は西に向かった。

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galicia6.jpg・バスが走り出すとすぐに、リュックを背負って道路脇を歩く人が目につくようになった。サンチャゴ・デ・コンポステーラまでを歩く人たちだ。自転車も結構いる。ぞろぞろと言うほどではないが、ゴールまでの300km以上の距離を考えると、今歩いている人は何千ではすまないだろう。フランスやドイツやイタリア、そしてイギリスなどからも歩く人がいるから、今サンチャゴに向かって歩いている人は数万人になるのかもしれない。すごいブームだと思った。
・バスがルーゴに着いてホテルにチェックインした後、すぐに世界遺産の城壁を歩いた。ローマ時代に作られたもので、旧市街をぐるっと囲っていて、その上を歩くことができた。ローマ帝国は占領した土地に城壁や橋や水道など、入念な計算と大がかりな土木工事を必要とするものをたくさん作っている。城壁を歩いてみて、今さらながらにそのすごさを実感した。
galicia7.jpg・翌日はバスで巡礼路のポルトマリンまで出かけた。昨日バスで追い越した人たちはまだここまでは来ていない。ミーニョ川に架かる橋を渡り石の階段を上ると、休憩地のポルトマリンの村なのだが、階段を上るのが何ともきつそうな人もいた。何でこんな苦行を、と思うが、歩いている人たちから宗教性を感じることはほとんどない。どちらかと言えば、長いトレッキングをしているといった様子だ。
・ルーゴに戻るとホテルの近くでバイオリンを弾くストリート・ミュージシャンがいた。「アベマリア」の曲に1€を払った。
・翌日はいよいよサンチャゴ・デ・コンポステーラへ。バスに巡礼者が乗ってきて、少しの間乗るとまた降りていった。足を引きずる人もいて、大変な行程だったことがよくわかった。大聖堂に行くと大勢の人たちでごった返していた。

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2014年8月11日月曜日

バスクをフランスからスペインへ


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ザビエルの父方の家

trip14-8.jpg・パリからボルドー、そしてバイヨンヌまではTGVでの移動だった。2列の座席は余裕があるのだが、新幹線と違って座席が回転しないから、後ろ向きの座席ばかりになってしまった。僕は前を向きたいから、この座り方は好きではない。ただし、何の音もなく出発し、車内放送もごくかぎられていて、日本のお節介な放送とはずいぶん違って、気持ち良かった。

・TGVは改札がない。ボルドーまでは車内検札もなかったから、切符なしで乗ろうと思えば簡単だ。ただし、見つかれば高額な罰金を払わされる。自己責任の徹底した国で、改札があってしかも車内検札がある日本の鉄道との違いに、いつも感心してしまう。

trip14-9.jpg・ボルドーはワインで有名だが、訪ねたのはワイナリーではなく、ボルドーの歴史を中心にしたアキテーヌ博物館である。ネアンデルタールとクロマニヨンから始まって、ラスコーの壁画、ケルト、ローマ帝国と続き、中世から近代を経て現代まで、見応えのある陳列物で、しかも無料だった。港町だから、大航海時代には活況を呈したようで、奴隷貿易にも積極的に関与したという。それ以前には一時期イギリスの統治下にあったようだ。

・泊まったホテルの近くの通りは観光客でごった返していたが、この博物館の周辺に来る人はほとんどいなかった。何とももったいない。ボルドーの街は衰退から再開発を目ざして、路面電車を復活させたり、「月の港ボルドー」として街全体を世界遺産に登録している。

trip14-10.jpg・次に泊まったバイヨンヌは近くのサン・ジャン・デ・ポーとともに、司馬遼太郎の『南蛮の道』を読んで行きたいと思ったところだ。彼の目的は聖フランシスコ・ザビエルにあったのだが、僕はこの本に出てくる彼が泊まったホテルとパブに興味があった。残念ながらホテルは米国系のホテルに変わり、パブは別の地区に移転していた。何より違うのは寂れた通りが観光客で賑わう繁華街に変わっていたことだった。そしてここでも、観光ルートを一歩外れると、ほとんど人通りのない、寂れた地区になってしまうことだった。

・バイヨンヌではバスク博物館を訪ねた。ボルドーのアキテーヌ博物館が良かったせいで、有料なのにそれほどでもない感じを強く持ってしまった。フランス語だけでなく、せめて英語での説明をもっと丁寧にしてもらえたら、と残念だった。

trip14-11.jpg・サン・ジャン・デ・ポーはバイヨンヌからバスで1時間半ほど南に行ったところにある。ピレネー山脈の麓で、峠を越えればもうスペインである。街全体が丘にあって、城壁がぐるっと街を囲っている。丘の上には当然城がある。サンチャゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼の出発地でもあって、リュク姿の人が多かった。僕もほんのちょっとだけ巡礼路をあるいて、巡礼者の気分を味わってみた。

・ここは『南蛮の道』によれば、ザビエルの父方の家があるというので探してみたら、本の通り表札があった(トップの画像)。家々にはほかにも、建てられた年と屋号がバスク語で書かれていて、それらを見ていくのもまた面白かった。

trip14-12.jpg・フランスからスペインへは鉄道を乗り継いで移動した。EUとは言え、国境には間違いない。しかし、川を電車が通過しただけで何ということもなかった。そこから、最近美食の街として話題になっているサン・セバスチャンで乗り換えてビルバオまで、狭軌の私鉄(EUSKO・TREN)は各駅停車で、3時間半もかかった。この電車に乗ってびっくりしたのは、人々の話し声が大きいことと、何となく中南米の人に顔が似ていることだった。大航海時代以降移民したのは、海沿いに住んで船を操ることに長けたバスク人とガリシア人だったというのが納得できる気がした。

・ビルバオで泊まったホテルはグッゲンハイム美術館の前で、着いてさっそく、花で飾られた巨大な犬と金属を積み上げたような建物を見に出かけた。
trip14-13.jpg・ただし、翌日はゲルニカに行き、ピカソの「ゲルニカ」のレプリカやバスクの議会を見た。あいにく博物館は閉まっていたが、代わりに月曜だけの市がたって、多くの人で賑わっていた。フランコに痛めつけられ、ヒトラーの空爆を受けて廃墟になった街は今、やっぱり観光客で賑わっている。

・次の日に行ったグッゲンハイム美術館も大賑わいだった。鉄鋼の街だったビルバオが再生したのは、この美術館ができたからで、街は地下鉄や路面電車を整備し、サッカー場も新設した。ここをホームにする「アスレチック・ビルバオ」はマドリッドやバルセロナと違って、バスク出身の選手だけで構成されているにもかかわらず、今シーズンは4位だった。そもそも、スペインのサッカーは、鉄鋼業の関係でイギリスと縁があったビルバオから広まったようである。
trip14-14.jpg・ビルバオに興味を持ったもうひとつはネルビオン川にかかるビスカヤ橋だった。大型船がビルバオ市内まで遡るために、橋の高さを50m以上にし、橋の代わりにゴンドラを吊して人や車を渡している。料金は一人35セントと低額だが、エレベーターで上まで上がって歩くとどういう理由か7€もする。ぼくはもちろん、上に登って164m を歩いた。ビルバオの街はもちろん、ビスケー湾に浮かぶ船も間近に見えたが、下が透けて見える木の板を歩くのは怖かった。

・高いところといえばもう一つ、散歩していてたまたま見つけたフニクラに乗ってアルチャンダ山に登った。ここからは真下にビルバオの街を見ることができた。旧市街は赤い煉瓦の屋根で統一されていたが、再開発の進んだ新市街には様々な形をしたビルが建ち並んでいた。

・旧市街の中心にあったバスク博物館は無料で、展示したものはボルドーに負けない程豊富だった。旅はまだまだ続きます。次回がガリシアから。

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2014年8月4日月曜日

久しぶりのロンドンとパリ


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trip14-1.jpg・ロンドンとパリは6年ぶりです。ロンドンについての第一印象は、にぎやかで街がきれいになったというものでした。オリンピックをやったことが理由だと思います。パリまでユーロスターを使うためにパンクラス駅の近くのホテルに泊まったこともあるかもしれません。週末だったということもあるでしょう。パブやカフェは夕方から客で溢れていて、ずいぶんにぎやかでした。

・今回の旅の目的は、出版予定の『レジャー・スタディーズ』のために、観光地を訪れることと博物館や美術館(どちらも英語ではミュージアム)を見学することにあるので、ロンドンでは大英博物館とチャールズ・ディケンズ博物館に行き、今までは避けてきたロンドン橋やロンドン・タワー、そしてグリニッジ天文台に出かけました。大英博物館は一日では見きれないほどの展示物ですが、ものすごい数の人で、フランス語やイタリア語、そしてドイツ語などが聞こえてくるほど、外国からの客でごった返していました。
trip14-6.JPG・同じような情景はロンドン橋でもありましたし、ディケンズ博物館でも、途中から中国語を話す団体客が押し寄せて、静かだった小さな建物がにぎやかに(うるさく)なって、執筆していたという書斎でディケンズの物語を思い浮かべるという空想が、たちまち壊されてしまいました。

・泊まったホテルからディケンズ博物館、それから大英博物館まで歩き、その後もソーホー地区やカーナビー・ストリートまで足を伸ばして、またホテルまで歩いて帰りました。全部で10km近く歩いたのでずいぶん疲れましたが、途中で休んだ公園や広場には、家族連れの人たちがたくさんいて、ロンドンに住む人たちの日常生活を垣間見た気がしました。特に目立ったのは、子ども連れの父親で、育メンなどということばを使う必要がないほど、当たり前の行動のように感じられました。
trip14-2.jpg ・二日目は地下鉄の一日券を買って、グリニッジ天文台まで行きましたが、グリニッジ駅から天文台までは小高い丘を数キロ登るような道を歩きました。ここはロンドンの東にあって、かつては港湾施設や倉庫などがテムズ川沿いに並ぶ地域でした。しかし再開発が進んで、高層ビルがいくつも建ち並び、大きなショッピングモールができて、丘の上の天文台から見える景色は、ここ数年でずいぶん変わったものになったのだと思いました。

・丘を下ってまた地下鉄に乗り、今度はオリンピックのメイン会場があるストラドフォードに移動しました。駅を降りて驚いたのは、インドやイスラム、それにアジアの人たちが多いことと、ここにも大きなショッピングモールがあって、人で賑わっていたことでした。ロンドンの東地区はかつては労働者の住む地区で、旅行者には近づきにくい場所でしたが、みごとなほどの様変わりでした。もっとも、再開発については多くの反対運動があったのも事実です。
trip14-3.jpg・パリで出かけたのはまずエッフェル塔です。モンパルナス駅近くのホテルでチェックインを済ませた後、塔を目ざして歩きました。浮浪者が多く、しかも老若男女さまざまで、子どもにまでお金をせびられて、ロンドンとはずいぶん違うという印象をまず持ちました。浮浪者の多くが大型の犬を連れているのも、前回にはなかったことでしたが、犬の糞ばかりが目立った道は、今回は割ときれいでした。犬と一緒にいるのは自分の身を守るためなのかな、と思いました。

・エッフェル塔はやっぱりものすごい人で、塔の上に上がるエレベーターはもちろん、歩いて登る階段を待っている人も長蛇の列ができていました。で、上がるのは諦めたのですが、「パリのもっともいい景色はエッフェル塔からのものだ」という皮肉な気分を追認できなかったのは残念でした。観光客が集まるところと全くいないところの落差は、ロンドンだけでなくパリでもはっきり感じられました。

trip14-4.jpg ・パリ二日目は市立美術館とオルセー美術館に出かけました。無料の市立美術館は閑散としていましたが、デュフィやシャガール、それにモジリアーニなど、見応えのある作品がかなりありました。オルセー美術館が所蔵する印象派の絵画は、もちろん、桁外れにすごいものでした。マネ、モネ、ルノアール、ゴッホ、ゴーギャン等々とじっと見ていたい作品がずいぶん多かったのですが、何しろここも人が多くて、立ち止まらずに回遊という感じでした。

・帰りに乗った地下鉄の駅で弦楽奏のパフォーマンスに出会いました。そう言えば、前回と比較して地下鉄でも街中でも、ストリート・パフォーマンスが少なくなったと感じました。
trip14-5.JPG ・三日目はセーヌ川からサン・マルタン運河を遡上する船に乗りました。4.5キロほどで高低差が25mの行程に2時間半もかけるという、何とものんびりしたものでした。閘門ごとに水位を調節するのですが、最初のうちは珍しかったものの、途中からはあきてしまって、「またか」という感じになりました。珍しいと感じたのは道行く人も同様のようで、川岸や橋の上から手を振る人がたくさんいて、そのたびに、こちらも手を振りましたが、それもやっぱり途中から面倒くさくなってしまいました。

・夜はパリで働いている友だちの娘さん達と食事をしました。二人ともがんばっているし、楽しんでいるというのが印象的で、内向き志向で空気ばかり読んでいる最近の大学生とは対照的だと思いました。旅はこれからボルドー、バイヨンヌ、そしてスペインとまだまだ続きます。

2014年7月28日月曜日

自転車に乗って

 


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・6月の末に泊まりがけで八ヶ岳周辺を歩いた。梅雨なのにご覧の通りの天気で、1日目は美しの森から牧場を横切って天女山までを周回した。12kmほどで4時間の歩きだった。2日目は清里のスキー場からリフトに乗って、そこから牛首山まで3kmほどで400mほどの登りを2時間ほど歩いた。いつかは八ヶ岳そのものに泊まりがけで登りたいと思っているが、まずは周辺からという行程だった。

forest117-1.jpg・7月に入ると天気が悪くて、山歩きの計画を立てにくくなってしまったが、その代わりに、自転車に乗った。薪割りが済んだ5月の中旬から乗り始めて、歩かない週は2〜3回、河口湖や西湖を走ってきた。もう乗り始めて7年になる自転車で、ドッペルギャンガーの折りたたみできるクロスバイクで、3万円ほどだったが、パンクもせずによく走ってくれている。ただし、あちこちガタがきているから、そろそろ新しい自転車に乗り換えようと思っている。

forest117-2.jpg・ネットで調べると、今さらながらにバイクの値段の違いに驚いてしまう。その差は主にフレームの素材にある。僕が乗っているのはスチール製で14kgもあるが、これがアルミだと10kg前後になって、さらにカーボンだと7とか6kgになってしまう。半分の軽さだったらもっとスピードも出るだろうし、坂道を登るのも楽なんだろうと思う。ただし値段はアルミだと10万円、カーボンだと20万円を超えてしまう。体力の維持のために乗っているのに、軽い自転車は求めるのは矛盾しているから、次もやっぱりスチール製でいいかと考えている。

forest117-3.jpg ・自転車で走るのは河口湖と西湖で、河口湖だと我が家からは20km、西湖は23kmほどで、両方を巡ると33kmを超える。この距離をそれぞれ1時間弱、1時間10分、そして1時間40分かけて走るのだが、どのコースにするかは体調や日差し、そして風向きなどで変えている。事前にと言うよりは走り始めて決めることが多い。調子が悪い時や風が強い時には河口湖大橋でショートカットすると、18kmほどになって50分程度に短縮できる。

・一番きついのは河口湖から西湖に向かう登り坂で、高低差が140mあってヘアピンカーブになっているから、ハーハー息をして、心臓もバクバクしてしまう。西湖を周回した帰りは、ブレーキをかけながらも50kmを超えるスピードが出るから、楽というよりは転ばないように気を遣う。

forest117-5.png ・その日の走りはSUUNTで記録して、帰ったらパソコンにつないでチェックをする。平均時速が20kmを切らないことが走る目安だが、最近心拍数や消費カロリーを計測できるバンドを買った。みぞおちあたりにつけておくと、走っている時でも、心拍数が時計に表示できる優れものである。数字フェチとしては、時間や平均速度だけでなく、心拍数もわかると、むやみにがんばる気も制御できるから、走る楽しみが増えたというものである。

・そんなわけで、7月は一日おきぐらいに自転車を走らせた。がんばったのは夏の旅行を考えて体力作りをするためだった。このブログを更新した今日はロンドンにいて、これからパリに向かう。これから4週間、自転車には乗れないが、元気に旅が続けられますように。

2014年7月21日月曜日

CM出演は金目でしょう

・テレビを見る時間が減ると、CMの多さが余計に気になるようになった。特にBSでは、健康や美容のための食品や薬品の宣伝が多い。で、そのたびに思うのは、驚きの表情で効果を話す人たちの真意についてだ。いったい、この人達は、どこまで責任を持って、発言をしているのだろうか。ついつい、そう言いたくなってしまうのである。同じCMがくり返し流されるとだんだん腹が立ってきて、チャンネルを変えてしまうが、それだけでなく、CMに登場している人に対する不信感や嫌悪感が湧いてきてしまう。そして、いったいこの人達は、何のために、こんなCMに出ているんだろうと、考えてしまう。もっとも理由ははっきりしている。要するに「金目」、これしかないのである。

・M大学のSさんは教育学者らしいが、毎朝のテレビ番組で司会をしているようだし、サントリーのCMで青魚と胡麻の成分の入ったサプリメントについて「考える仕事が多いから欠かせません」と推奨している。ひょっとしたら、いい仕事をしてきた人かもしれないが、このCMを見るたびに、「何やってんだ」と言いたくなってしまう。

・メジャー・リーグで活躍するI選手は、年俸が下がったとは言え、今でも数億円は稼ぐし、かつては毎年20億円ももらっていた。すでに一生かかっても使い切れないほどの蓄えができたと思うのだが,同時に何本ものCMに出ていて、最近では演技もするようになった。彼のファンなら、CMにつられて飲んだり、食べたり、買ったりするのかもしれないが、僕は野球選手としての卓越さを汚すだけのように思う。メジャーの選手には、その収入のかなりの部分を慈善活動に使う人が少なくないのだが、彼については、そんな話もあまり聞かない。

・東京オリンピックの誘致活動で「おもてなし」を流行語にしたTさんは、最近ではヱビスビールのCMに出ている。僕はヱビスビールファンだから、このCMに対しても腹が立ってしまう。理由は、3.11直後まで東京電力のオール電化を宣伝するCMに出ていたからだ。彼女の本職が何のなかよくわからない。報道番組の司会などもやったことがあるから、ジャーナリストを自認しているのかもしれない。だったら、CM出演にはそれなりの考えを持つべきだし、責任もあると思うのだが、それに関する発言は一切聞こえてこない。知らん顔して今度は東京オリンピック誘致で一役買うという節操のなさに呆れているから、ヱビスビールまでまずく感じてしまうのである。

・こんなふうにあげつらっていくと、CMに出る人に対する苦言は際限なく出てきてしまう。不良のロッカーだったYさんは、世の中の不条理を批判することなど全くなくて、ビールや缶コーヒーから自動車や化粧品など、ありとあらゆるCMに登場する。本職のゴルフが海外ではまったく通用しないI選手は、最近あまりCMに出ないが、英会話だけはスピードラーニングでマスターしたようで、BSでは頻繁に登場する。金を稼ぐのが何が悪いと言われてしまえばそれまでだが、有名性や人気を利用しているだけに、その社会的責任も自覚するべきで、日本人にはCMに出る人にも、それを見たり聞いたり読んだりする人にも、希薄だと思う。

・石原環境相の「最後は金目でしょう」発言が失言として非難された。この人に関しては父親共々「アホ」としか言いようがないが、失言が本音であることもまた、隠しようのないことである。僕はそんな、利己主義的で拝金主義的な今の日本の風潮に対して、うんざりすると同時に、絶望の気持ちにとらわれている。どこかに少しでもいいから希望は見えないのだろうか。その拝金主義の本家であるアメリカでも、映画スターやスポーツ選手はテレビCMに出ることを控える傾向にあると言われている。ましてやロック・ミュージシャンなどは聞いたこともない。そんな節度や自負心が、アメリカの映画やスポーツや音楽の魅力を支えている。その意味でも、昨今の日本人の拝金(金目)主義はひどいと思う。

2014年7月14日月曜日

南アフリカのジャズ

 Abdullah Ibrahim "Senzo" "Mukashi"
"Water from an Ancient Well"
"Essential South African Jazz - The Jo'Burg Sessions"

・アブドゥーラ・イブラヒムという名のジャズ・ピアニストを知ったのは、NHKのBSで見た「南アフリカ絶景を弾く〜ジャズ・ピアニスト アブドゥーラ・イブラヒム」だった。南アフリカの山や川、海、日の出などを背景にピアノが流れる内容で、その響きの透明さに引き込まれてしまった。この番組はすでに2010年に放映されたもので、僕が見たのはその再放送だった。彼のもともとの名前はダラー・ブランドで、イスラム教に改宗して改名をしたようだ。

ibrahim4.jpg・アブドゥーラ・イブラヒムは南アフリカのアパルトヘイトに反対して、ヨーロッパやアメリカに逃れて音楽活動をしていたが、彼が作曲した「マネンバーグ」という曲は「反アパルトヘイト運動」のテーマ曲となり、第二の南アフリカ国家といわれるほどに、人びとに親しまれ、支持されている。そのことは番組でも語られていて、反アパルトヘイトを理由に警察に逮捕された時に、人びとが口ずさむ、合い言葉のような歌だと言う人がいた。

 

ibrahim2.jpg・さっそくAmazonで検索すると多数あったが、「Mukashi」とか「Senzo」といった奇妙な名前のアルバムが気になって、その2枚を購入した。1934年生まれだからもう80歳になるのだが、この2枚のアルバムはごく最近の作品である。ほとんど即興に近いようなピアノソロで、曲の合間をなくしてアルバムが一つの曲であるかのように構成されている。「昔」「先祖」とは言っても、日本をテーマにしたものではない。聴いていて思ったのは、キース・ジャレットに共通した、透明感のある音色だった。

ibrahim1.jpg・ネットで調べると、長年武道を習っていて、日本については文化はもちろん、自然についても関心を持っているようだった。タイトルに込められているのは、今は失われてしまった、あるいは失われつつある自然や人びとの暮らしに対するノスタルジーであり、彼が静かなピアノで強く主張するのは、表層的で慌ただしく、本質を見失った現代社会に対する批判のメッセージなのである。僕は聴きながらキース・ジャレットの即興音楽を連想したが、秘められた強いメッセージを知ると、その音にあるアフリカ特有の明るさゆえに一層、彼の訴えが響いてくるように感じた。

ibrahim3.jpg・もちろん、これまでに発表されたアルバムにも、遠くパリやニューヨークから、南アフリカののことを思い、アパルトヘイト政策に反対するメッセージを込めた曲が多く残されている。ピアノだけでなく、トリオやカルテットで演奏される、いわゆるジャズの曲もあるようだ。もう少し、彼のアルバムを集めてみようと思っているが、僕が共感するのは、即興で惹かれるソロのピアノだ。今まであまり考えもしなかったが、アフリカ、それも一番遠い南アフリカの山や川や海、そして人びとに触れたくなったらどうしようか。そんなことも感じさせる出会いだった。