2014年11月17日月曜日

ブラウン、U2、そしてディラン

Jackson Browne "Standing in the Breach"
U2 "Songs of Innocence"
Bob Dylan "The Basement Tapes"

standinginthebreach.jpg・ジャクソン・ブラウンが6年ぶりにアルバムを出した。タイトルは"Standing in the Breach"(難局にあたる)でジャケットの写真はハイチ地震の際に撮られたもののようだ。そのアルバムタイトルになった「難局にあたる」は次のような歌詞で始まっている。

この地球が揺れて、土台が崩れたとしても
私たちは集まって、もとに戻すだろう
生きている人たちを助けようと駆けつけるし
難局にあたって一緒になって世界を作り直すだろう

・社会に目を向けて、メッセージとして歌を作る姿勢は相変わらず健在だ。”If I Could Be Anywhere"(どこにでもいることができるとしても)は、永遠に続くものはないと言っても、プラスティックはずっとあって、目をつぶったって消えはしない、と歌って環境汚染を訴えているし、"Which Side?(どっちの側か)は「ウォール街を占拠せよ」の抗議運動を支援するために作られた歌である。

・ジャクソン・ブラウンはいつでも、悲惨なことや不当なことから目を逸らさないが、彼の歌には必ず光がさしている。「厳冬に生きる人がいれば、常夏に生きる人もいる。幸運に恵まれた人と、それとは無縁な人。しかし、壁を作る人がいても、ドアを開ける人もいる」("Walls And Door")というように。そんな姿勢は彼の歌い方にも現れている。「壁と扉」はジョン・レノンの「壁と橋」を思い出させる題名だが、社会学の巨人であるジンメルにも「橋と扉」というエッセイがあって、言わんとするところはよく似ている。人はもともと結合しているものを分離したがるくせに、分離しているものは結合したがる奇妙な生きものだ、という点である。

songsofinnocence.jpg ・U2の"Songs of Innocence"(無垢の歌)はiTunesに公開されてAppleのデバイスに自動的にダウロードされて問題になったアルバムだ。ぼくのiPadには残念ながら入らなかったからAmazonで買うことにした。やはりこれも6年ぶりの新作で、U2にとっては満を持しての発表だったのだと思う。だからこそ、iTunesで多くの人に聴いて欲しいと考えたのかもしれない。けれども、これまで彼等のアルバムのすべてを聴いてきた者としては、一番印象が薄いと言わざるを得ない。確かにU2らしいサウンドにはなっているが、それだけに昔の焼き直しといったふうにしか聴けなかった。
・実際、彼等はどうだったのだろうか。自信があったからiTunesで無料で聴けるようにしたのか、あるいは自信がなかったからなのか。僕は後者だったのではないかと思う。ボノには音楽以外のことでエネルギーや時間を費やさなければならないことが多すぎるのかもしれない。

thebasementtapes.jpg ・最後はディランの"The Basement Tapes"で、ブートレグ・シリーズの11作目になるものだ。バイクの事故で休養していた1967年に、ザ・バンドのメンバーとウッドストックの別荘の地下室で録音をしたデモテープで、1975年に同名のタイトルで公式に発売されてもいる。僕が買ったのは6枚組のコンプリート版で、すべてを聴くと6時間半にもなるものだ。しかも同じ曲がいくつも入っていて、熱心なファンでもなければ聴き続けられない内容になっている。とは言え、僕はやっぱり何度も聴きたくなった。

・ロックフェスの原点として伝説化している「ウッドストック」は隠遁しているディランを引っ張り出すためにウッドストックでやったと言われている。ディランは出なくて多くの人をがっかりさせたが、その間に、実験的な新しい試みをして、なおかつしばらくの間、公にされなかった曲が並んでいる。僕はもちろん、資料のつもりでこの高額なアルバムを買ったが、それ以上の価値があるとも思った。

2014年11月10日月曜日

オバマの不人気はなぜ?

・アメリカの中間選挙で民主党が負けて上下両院で共和党が多数を占めた。その理由はオバマ大統領の不人気にあったようだ。確かに最近の政策には失敗も多いし、首をかしげたくなるものもある。しかし、ブッシュの時代よりは良くなっている面も多いはずで、そこを評価しないのはなぜなのか、疑問を感じた。

・オバマ大統領は「イスラム国」なる勢力が強くなって、その対応に苦慮している。弱腰だという批判をかわすために、「プレデター」という名の無人攻撃機を使っているのだが、誤爆や民間人を巻きこむことが多いと非難されている。遠く離れたところから、まるでゲームをするかのようにミサイルを撃ち込む。しかも、標的にする根拠が、怪しい奴が集まっているとか、4駆に乗って銃を持っているとといった漠然とした場合もあるようだ。

・ずいぶんひどいことをしていると思う。しかし、それを使うのは、アメリカ兵をイラクから引き揚げるという方針を実行したからで、それを覆して再び派兵をおこなうことを避けるためである。つまり、オバマはブッシュ前大統領が9.11に対する報復としておこなった無謀なイラク戦争の後始末をさせられているわけで、現在のようなひどい状況になった責任はブッシュこそがとるべきもののはずなのである。

・今、アメリカ経済はけっして悪くない。これはブッシュの時代に起きた「リーマンショック」の後始末をおこなってきたオバマの成果だと評価されてもいいはずである。なのに評価されないのはなぜだろうか。もちろん、景気の回復の恩恵を受けているのがわずか1%の富裕層に限られるという現実があって、若い人たちの批判が強いのは事実だろう。しかし、これも、ブッシュ政権が残した制度のためだし、それを変えたくても共和党や経済界の抵抗が強いという側面もある。

・オバマ大統領が掲げた政策で実現したものに「医療保険制度改革」(オバマケア)がある。日本では当たり前の健康保険制度をアメリカに定めようとしたもので、貧しい人でも病院で治療を受けられることができるようにしたものだが、この制度についてもまた、共和党の猛烈な反対があった。民間の保険会社と契約している人にとって何のメリットもないし、保険に入れない人は自己責任だという考え方や、国の予算はできるだけ少なくする「小さな政府」が党のスローガンだという理由が挙げられている。

・オバマは大統領選挙の中途で彗星のように現れて、「チェンジ」というスローガンであっという間に民主党の大統領候補になって、選挙でも圧勝した。しかも直後には「核廃絶」を唱えたことを理由にノーベル平和賞も受けた。環境保全や自然エネルギーの開発を謳った「グリーン・ニューディール」も時流に乗って、好意的に受け取られた。だから、不人気の理由は、それだけ大きな期待を寄せられたのに、たいした成果が上がらなかったという失望感にあるのかもしれない。特に、オバマに期待をした若い人たちには、強いのだと思う。

・オバマ大統領の任期はまだ2年ある。しかしアメリカでは次の大統領についての話題がすでに熱く語られはじめている。今度は女性初の大統領の登場をクリントンに期待する声が大きいようだ。年齢的にちょっと心配だが、女性大統領の登場はいいことだと思う。と言うよりはオバマの前にやるべきだったと今さらながらに感じている。

・共和党支配の議会とのねじれによって、オバマ大統領はまだ2年も任期があるのに、レームダックになったと言われてしまっている。何をやろうにも議会の反対にあって何もできないことが予測できるからだ。しかし、だからこそ、今までやろうとしてできなかったことを次々政策に掲げて、議会と対決するという姿勢に転ずることもできるのではないかと思う。

・これから数十年たってオバマがアメリカの歴史の中でどのように評価されるか。僕はブッシュとは雲泥の差で「名大統領」として評価されのではないかと思っている。とは言え、大統領について選挙のたびに夢を作り出して熱狂しては、数年後に落胆するくり返しをまたやろうとしていることには、多少のうらやましさもあるが、半ば呆れている。

2014年11月3日月曜日

 

老人力とは言うけれど

・赤津川源平が死んで、彼がポピュラーにした「老人力」ということばがまた、話題になりました。そう言えば、そんなことばがあったな、と思うと同時に、心身の老化を自覚することが多くなったこともあって、以前とは違う意味でいろいろ考えてしまいました。

・「老人力」は老化による衰えを読み替えて、積極的な意味を持たせようとしたことばです。これを耳にしたときには「なるほどそういう解釈の仕方もあるか」と思いましたが、いざ心身の衰えを自覚しはじめると、なかなか積極的な読み替えはできない自分に気づかされてしまいます。衰えはやっぱり不都合なこととして、自分に不意に襲ってきた災難のように感じられてしまうからです。

・わかっているはずの名前や地名が出てこない。ことばの引き出しにガタがきたのか、それともどこかにうっかりしまい忘れてしまったのか。思い出そうとしても全然出てこないのに、しばらくすると、何でもなかったように口をついて出る。笑って済ませる程度でなくなってきていますから、ちょっと不安を感じるようにもなってきましたた。

・もっと心配なのは体の方です。耳が遠くなったという自覚もありますし、目の疲れもひどくなりました。仕事を終えて夜、車で帰宅するときに、前を走る車の尾灯が二重に見えたりします。パソコンにタブレット、そしてスマートフォンなどを毎日長時間見つめているせいか、文字がぼけて見えたりすることも多くなりました。小さい字が読みにくくなって、本を読む時間も減りましたし、原書を読むことが億劫になりました。

・もっと困っているのは、トイレの近さです。特に最近体調を崩して熱を出したときには、数日間、一時間と持たないことが続いて難儀しました。慌ててトイレに駆け込んでも、ちょろちょろとしか出ないのですから、もう情けないやら呆れるやら。さっそくネットで漢方薬を買いましたが、効き目があるのかどうか、よくわかりません。熱を出した原因が何だったかよくわかりませんし、その後は、元通りにではないにしても、トイレに行く回数はそれほど多くはなくなったからです。

・テレビはBSを見ることが多いのですが、老化を防ぐ薬のたぐいのCMが多いのに、改めて気づかされています。無関心だったのが、そうではなくなった、こちらの変化のせいだと思います。同世代のタレントが「一度試したら手放せない」などと言って勧めています。「アホくさ」と思っていましたが、自覚があるとちょっと気になってしまう。そんな自分の変化にも老いを感じてしまいます。

・人の弱みにつけ込む手口は「オレオレ詐欺」が顕著です。何でと思うほど引っかかる人が多いようで、狙われているのは大半が老人です。しかし、テレビのCMや新聞雑誌の広告、それにネットのバナーなど、世の中にはそんなものが満ちあふれていますから、ついつい手を出してしまう人も多いのだろうと思います。欺されるはずがないではなく、気をつけようと考えるようになりました。

・つい半世紀前までは、人生50年と言われていましたが、今では平均寿命が80を超えました。最後まで五体満足というわけにはいきませんから、医者や薬に頼るということは避けられないでしょう。そこのところをどうやってうまくやりくりするか。そんなことを自分の身近な問題として考えざるを得ない時期になったことを自覚する、今日この頃です。

2014年10月27日月曜日

二人の信頼できる外国人

ピーター・バラカン『ラジオのこちら側で』岩波新書、他
アーサー・ビナード『亜米利加にも負ケズ』新潮文庫、他

・日本に住む外国人で、公に活動している人はたくさんいる。けれども、僕が信頼しているのはそれほど多くない。
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・ピーター・バラカンはロックやブルース、それにワールド・ミュージックをラジオなどで紹介し続けてきた人だ。実際僕も、彼の勧めるミュージシャンのアルバムを買ったことが何度もある。『ラジオのこちら側で』は、イギリス人の彼が日本に来たいきさつから始まって、日本でこれまでどんな仕事をしてきたのかを綴った内容になっている。

・大学を出た後しばらくぶらぶらしていた彼が日本に来るきっかけになったのは、音楽業界紙に載った東京の音楽出版社の人材募集の記事だった。大学で日本語を専攻していたこともあって、応募したことが、その後40年間、日本に住んで音楽を中心に仕事をする方向を決めた。

・そんな彼が日本でしてきたことは、一言でいえば、質のいい洋楽の紹介である。『ロックの英詞を読む』(集英社インターナショナル)といった著書があるように、歌が伝えるメッセージを紹介することにも熱心だった。日本人は音楽の歌詞にはあまり興味を持たないし、とりわけ洋楽については顕著だが、彼には、そんな傾向を改めてやろうという野心があったのかもしれない。

・僕はそんな彼の姿勢にずいぶん前から共感して、彼のラジオ番組や書いたものに注目してきたが、残念ながら、日本人の歌のメッセージを軽視する傾向は、改まるどころか、ますますひどくなっている。というよりは、若い人たちが洋楽そのものを聴かないことが当たり前になった感さえある。その意味では、彼がラジオで訴えようとしてるメッセージは、彼と同世代の洋楽好きの日本人にしか伝わっていないのかもしれない。

binard1.jpg・アーサー・ビナードはアメリカ人で、大学では英米文学を専攻していたのに、卒論を書くためにたまたま出会った漢字や日本語に興味を持って来日した。そのまま日本に居続けて、詩などの文学を通して日本語に興味を持ち、自ら日本語で詩やエッセイを書いたり、日本人の詩や童話を英訳、あるいは英語の本の日本語訳などをしたりしている。

・『亜米利加ニモ負ケズ』を読むと、彼の言語に対する感覚の鋭さや日本の歴史や文学の知識の多さや深さに驚かされる。たとえば飲み物の「ラムネ」は「レモネード」から転じた和製英語だが、炭酸のあるなしで味はまるで違う。しかし、彼は、だから「ラムネ」は偽物だとは言わない。それどころか「ラムネ」は仮名垣魯文の『西洋道中膝栗毛』に登場し、鴎外の小説や虚子の俳句にも詠れている。日本人にとっては夏の風物詩や季語として扱われていることに敬意を表することを忘れない。

・彼は毎日の食事に、豆腐や梅干しや納豆が欠かせないと言う。あるいは、日本の自然や文化に対する愛着の程度もかなりのものである。そんな彼は、ビキニ諸島でアメリカがした核実験で被爆した「第五福竜丸」を題材にした『ここが家だ』(集英社)という絵本を作り、福島の詩人の若松丈太郎と『ひとのあかし』を翻訳している。また、原発再稼働を阻止する運動に出かけ、沖縄の辺野古にも行って基地建設に反対する集会に参加している。

・彼は自らを愛国主義者だと言う。ただしそれは盲目的な愛国ではなく、母国の短所を見抜き、指摘して改善を促すという意味での愛国である。盲目的な愛はエゴイスティックで、そのことに無自覚だから、時にストーカーにもなりかねない。そんな「盲愛国主義者」は美化したものを本物として見なして国の批判を許さない。今の日本がこんな状況になりつつあるなかでは、彼のようなスタンスこそが大事だろう。

・彼の愛国主義はアメリカだけでなく、日本にも向けられている。そしてその姿勢を、多くの日本人は忘れてしまっている。と言うよりは、自覚したことがないのかもしれない。

2014年10月20日月曜日

 

去年は上原、今年は青木

・メジャーリーグのプレイオフが始まってから、野球に釘付けになっている。見ているのは青木宣親選手が所属するカンザスシティ・ロイヤルズだ。地区優勝を逃してワイルドカード争いから始まって、ついにアメリカンリーグのチャンピオンまで勝ち続けてきた。青木選手は2番バッターとして、右翼手として、打って守って走っての活躍である。去年の上原や田沢選手が活躍してチャンピオンになったのに続いて、今年は青木がワールドシリーズにやってきた。

・メジャーリーグの中継はNHKがやっている。で、通常の放送はダルビッシュや黒田といった投手が先発した試合か、イチロー優先だから、去年もレッドソックスの中継は、優勝がかかった試合あたりからだった。今年は田中がヤンキースに入って活躍したから、中継はヤンキースばかりだったように思う。ぼくは、あまり熱心に見る気にはなれなかった。

・今年のレッドソックスは去年とは違って負けてばかりのチームになって、後半になると上原自身も不調になった。田中もダルビッシュも故障を理由に投げなくなったから、今シーズンはもう終わりと思っていたのだが、8月の末ぐらいからカンザスシティの青木が気になりはじめた。彼も前半は本調子ではなく、故障もしたのだが、熾烈な優勝争いをした9月には、4割近い打率を残してチームを牽引した。とは言え、もちろん、生中継を見たわけではない。NHKが優勝争いとは関係なしに、ヤンキースの試合を中心に中継し続けたからだ。

・カンザスシティは大事なところで勝てなくて地区優勝を逃したが、青木はシカゴ戦で13打数で11安打と固め打ちして打率を2分もあげて、最終的には0.285の成績を残した。ヤクルトからミルウォーキーに移って3年目で、毎年同様の成績を残してきたのだが、日本ではほとんど話題にならなかったように思う。それがプレイオフが始まってから、急に注目されはじめた。

・カンザスシティは29年も優勝から見放されたチームで、街自体も田舎の小都市だから、お荷物球団だと言われてきた。しかし、メジャーリーグは弱いチームから新人を採ることができるシステムが徹底しているから、しっかり育てれば強いチームに変身することは可能だ。力をつけた有望選手を強豪チームに売って収入を稼ぐということをしなければ、数年でチームを立て直すことはできるのだが、カンザスシティが本気になってチーム強化に努めたのはここ10年ほどのことのようだ。

・だから、チームの主力はほとんどが20代で、今年は優勝の可能性があるというので青木選手をミルウォーキーからトレードで獲得した。1番バッターを務めてきたが、それだけではなく、若い選手を引っ張るリーダー的な役割も担わされてきた。そのチームが、プレイオフでオークランドに逆転勝利してから、ロサンジェルスとボルチモアをスイープして、8連勝と神がかり的な強さを見せている。

・足の速い選手を揃えて盗塁で相手を攪乱し、鉄壁の守備と強力な抑え投手で、逃げ切ってしまう。そんな試合ぶりにプラスして、レギュラー・シーズンにはなかったホームランで勝つ試合もいくつかあった。今週からはいよいよワールドシリーズがはじまる。相手はサンフランシスコで、このチームもワイルドカードから勝ち上がって、勢いに乗っている。

・僕はサンフランシスコが一番好きなチームだが、今年はカンザスシティを応援することにしている。去年の上原選手のように、青木選手の活躍を楽しみに、今週は朝からテレビ観戦を決めこんでいる。

2014年10月13日月曜日

東京オリンピックと新幹線

・東京オリンピックと新幹線開通から50年でテレビも新聞もその特集を組んでいる。すべてを見たり読んだりしているわけではないが、その中身は、懐かしさばかりのようだ。当然、イベントも行われていて、次の20年のオリンピックを盛り上げる機会にしようという狙いもある。決まったことだから、それはそれでいいことだ、なんてとても思えない。オリンピックなんてやってる場合じゃないだろうと今でも考えているからだ。

・オリンピックのおかげで公共工事が増え、ゼネコンは大喜びだろうと思う。人手が足りなくて困っているという話もよく耳にする。そうすると当然、3.11の被災地の復興工事が滞るわけで、予算を使い切れていないというニュースも見かけた。地方再生が聞いて呆れる状況なのである。

・いったい、64年の主会場になった国立競技場はどうなるのだろうか。ばかでかい新国立競技場は神宮外苑を一変させてしまうほどの大工事である。反対の声が大きいのに、それにまともに応えずに解体工事を始めようとした。ところが、談合疑惑が起こり、業者に告発されたりしている。東京オリンピック50周年をふり返り、20年のオリンピックに向けて特集を組むというのなら、なぜ、メディアは、新国立競技場の問題や「日本スポーツ振興センター(JSC)」のうさんくささを問題にしないのだろうか。

・同様のことは新幹線の50周年にも言える。日本が豊かな社会になることを実感できる機会だったという話を取り上げて、次はリニアモーターカーでもう一度、豊かさを目指そうと言わんばかりの論調だ。それが全くの幻想でしかないことは、50年前と今の日本の状況を考えたらわかるはずで、人口の急激な増加と急激な減少を見たってありえないことなのである。

・リニアモーターカーは500kmの速度を出して東京名古屋間を40分で結ぶのだという。そんな必要がいったいどこにあるのかという話は、以前に書いたことがある。南アルプスをぶち抜いてトンネルを作ること、7割以上がトンネルになること、原発数基分の電力が必要になること、地方再生どころか、ますます東京一極集中を加速させるだけだということ、新幹線が赤字路線に転化してしまうこと、乗客や沿線住民への電磁波被害が置き去りにされていること等々、上げたら切りがないほどである。ところが、そんなことを大きく取り上げるメディアはまた、ほとんどない。

・御嶽山が突然噴火して大勢の登山者が犠牲になった。富士山周辺の自治体も、慌てて対応策を考える会を発足させたりしている。泥縄も最たるものだが、ほとぼりが冷めれば自然休会してしまうのだろうと思う。そんな場当たり的な発想をくり返しても何の役にも立たないのに、である。川内原発再稼働について、原子力規制委員会の委員長や官房長官が、マグマではなく水蒸気だから、川内原発には直接関係しないと言った。火山学の専門家でもないのになぜ、即座に、こんな意見を言えるのだろうか。

・それにしても、テレビも新聞も、御嶽山で犠牲になった人たちのプライベートな話を良くもまあ、次から次へと取り上げて、お涙ちょうだいの物語をつくるものだとあきれてしまった。そんなものは読みたくもないし見たくもない、と思うのは僕だけなのだろうか。亡くなった人がどういう人かではなく、なぜ死んでしまったのか、なぜ防げなかったのかということについて、本気になって取り組む必要性を強調しないと、悲劇の消費に終わって、しばらくたてばまた、忘れてしまうだけなのだろうと思う。

・オリンピックと中央新幹線でさらなる豊かな社会を実現しようというのは、けっして夢ではなく、悪夢そのものだと思う。日本はこれから間違いなく、人口が減り続け、経済もしぼみ続けるだろう。アベノミクスはそれに逆らって、経済成長や人口の増加、そのための女性の活用(躍)、地方再生などをスローガンに上げている。これらがどれほどインチキなものか。もちろん、この点を正面から批判するメディアはほとんどない。

2014年10月6日月曜日

山登りの怖さ

・御嶽山が水蒸気爆発をして、大勢の登山者が亡くなった。2年前の10月に登っていたから、ニュースをネットで読んですぐに、山の様子が思い浮かんで、どこからどんなふうに噴火したのか気になった。YouTubeで検索すると、突然の噴煙に逃げる人が撮ったビデオがアップされていた。山登りをする人たちの多くは、頂上で昼の食事をする。快晴の土曜日の昼前だと、おそらく頂上にはたくさんの人がいたに違いない。これは大変なことになると思うと、血の気が引くような恐怖感に襲われた。

forest103-7.jpg・御嶽山は3000mを越える山だがクルマで2000mを越えるところまで行くことができるから、比較的楽に登れる山だと思われている。僕もそんな気持ちで出かけたのだが、風が強く、がれきが多くて登りにくかったし、山頂近くになると高山病の症状が出て頭が痛くなった。それでも、南アルプスの山脈の向こうに富士山が見えたし、紅葉で赤く染まった斜面の美しさに見とれて、何とか頂上にたどり着くことができた。

・下山ももちろん、足場が悪くて苦労をしたし、寒くて手もかじかんだ。そんな記憶を思い起こしながら、噴石や火山灰に追われ、取りまかれた人たちがどんなふうに逃げたのか、と考えると、大勢の犠牲者が出ただろうことは容易に想像ができた。噴火から1週間が過ぎて、死者は50人を越え、不明者がまだたくさんいると言われている。雲仙普賢岳の噴火による死者数を越えた戦後最悪の火山災害だとも言われている。しかし、犠牲者は登山者だけだから、やはり、特異と言わざるを得ない。

・山登りは今、ブームだと言っていい。中高年から始まって、ちょっと前から「山ガール」といったことばがよく使われるようになった。確かに、お決まりのファッションで登り、頂上に着くと珈琲をたてたり、料理をしたりする若い女性をよく見かけるようになったし、小さな子どもを連れた親子も増えたようだ。僕を含めて、山をよく知らない人たちが、気軽に登るようになったことは間違いない。御嶽山の噴火は、そんな風潮に警鐘を鳴らす出来事だったと言われても仕方がないことかもしれない。

・今回の惨事をきっかけに、日本の火山はすべて登山禁止にすべきだといった発言も出ている。確かに、いつ噴火するかわからないのだから、危険性はいつでもあることは間違いない。ただし、御嶽山でも9月に入って火山性微動が記録されたり、硫黄(硫化水素)の臭いがしたといった報告もあった。あるいは頂上の地震計が壊れて作動していなかったとも言われている。注意を促して登山を控えるようにすることはできたはずで、そうすれば登山者の数はずっと少なかったのではないかと思う。

・それをしなかった理由としては、紅葉の観光シーズンなのに客足が鈍っては困るという経済的な理由があったのかもしれない。近くの開田高原では名物のそば祭りが予定されてもいたのである。同様の理由は、夏の富士登山などにはもっと強く影響するはずで、命よりお金といった発想が、この惨事の一番の原因などではないかと疑いたくなってしまう。川内原発再稼働を進める人たちは、御岳の噴火が再稼働に影響しないよう、無関係を装うことに懸命だった。

・火山には登るなという考えは、当然、火山の多い日本には原発は危険だというところに繋がるはずだし、そもそも火山の近くに住むことだって危ないということになるだろう。富士山の麓に住んでいる者としては、山に登らなくたって、こんなところで生活していること自体が無謀だということになるのかもしれない。実際、噴火したらどう対応するのか、自治体からの具体的な方策や指示は何もないのが現状だから、ドカンときたら、勝手に逃げろというのは、登山者だけに限らないことなのである。

・P.S.大型の台風18号が東海から関東地方を襲って、あちこちの自治体が緊急避難勧告を出した。この大雨や強風の中をどうやって避難しろというのだろうか。しかも、特定の危険な地域というのではなくて、市内全域だったりもした。広島市の災害での批判から、今度は横並びで一斉にといった態度がありありで、出せばいいというのではないだろうと、余計に不信感を感じてしまった。