2015年9月28日月曜日

終わりの始まり

・「戦争法案」が参議院で可決された。委員会での審議、公聴会、そして本会議をテレビやネットで視聴して、やりとりのおもしろさを楽しんだが、強行採決に及んだ議事進行には腹も立ち、また呆れもした。この法案がアメリカの要請によるものであること、それを言いなりで法律化したこと、その中味が矛盾だらけなのに、安倍も中谷も,批判をはぐらかすことしか考えなかったこと、そして国民の大多数が反対したという世論を無視したことなど、おかしな点がいくつも露呈された。

・こんな法案が可決されてしまったことはもちろんだが、通すために取った方策の汚さも前例がないものだった。安倍首相は、法案の合憲性を判断する内閣法制長官の首をすげ替え、NHKの会長に自分の息のかかった柄の悪い人間を送り込んだ。新聞社や放送局を脅し、私的な諮問の集まりをまるで公的な機関であるかのように扱った。国会で審議をする前に,アメリカで法律の成立を約束した。これだけ無茶なことをやれば、法案の賛否にかかわらず、そのやり方自体に対する批判がもっと強く起こるべきだと思った。

・可決された「戦争法案」は憲法違反である。そのことを衆議院の公聴会で憲法学者が発言したが、政府は聞く耳を持とうとしなかった。それどころか、憲法をないがしろにする発言も相次いだ。学者が何を言うかといった態度だったが、最高裁判事や長官を経験した人たちの多くもまた,違憲であることを明言した。参議院の公聴会でもそのことが明確に述べられたが、それらを委員会で審議することもなく,強行採決された。公聴会が形式だけの意味のないものになっていることも明らかになったのである。

・この国の政治とそれを行う政治家のお粗末さは目を覆うばかりだが、国会議事堂の外では連日数万人の人たちが,法案の撤回を求めてデモをした。その主体は大学生が作った「SEALDs」で5月に登場して以来、日を追って目立つようになった。政治に無関心でデモはもちろん、発言することもない。そんな学生達にあきらめさえ感じてきたのだが、その大学生が長い眠りから目覚めたかのように発言し,行動を始めたことに,驚きと共に大きな希望も感じるようになった。

・来年の参議院選挙から選挙権が18歳に引き下げられる。政治に無関心な若者は選挙権を与えても棄権をするだろう。この改正にはそんな思惑もあったのだが、大学生だけでなく、高校生までデモに参加するようになった現状を見ると、若者の投票率は確実に上がるはずである。しかも与党批判の票になるだろう。まさに藪蛇で、「SEALDs」は「戦争法案」に賛成票を投じた議員を落選させる運動を継続させようとしている。

・「戦争法案」を成立させた安倍首相は,目先を変えて「一億総活躍社会」などという気味悪い政策を掲げた。「一億総白痴化」「一億総懺悔」などを思い出す嫌なキャッチフレーズだし、「国民総動員」なども連想をする恐ろしい考えだと思う。息をするように平気で嘘をつく人間に、まさかまた欺されることはないと思うが、ひょっとすると支持率が上がったりするのかもしれない。それはもうほんとうに「終わりの始まり」だが,若者達の政治に対する目覚めが、こんな流れ自体を「終わりの始まり」にするかもしれない。

・国政選挙があると必ずすべての選挙区に候補者を立ててきた共産党が、「戦争法案」を廃棄するために野党が選挙協力することを提案している。民主も維新も烏合の衆の集まりだから、選挙協力を実現させるのは簡単ではないが、世論が後押しをすれば、協力する方向に流れるだろうと思う。その意味で,今は、まさにどっちの「終わりの始まり」になるかの分かれ目にある。

2015年9月21日月曜日

反モンサントのアルバム

 

Neil Young & Promise Of The Real "The Monsanto Years"

・モンサントは遺伝子組み換え作物のタネを開発し、生産するアメリカの会社で、そのタネの世界シェアは90%にもなる多国籍企業である。遺伝子組み換え植物は除草剤への耐性があり、害虫に強いといった特性もある。だから食料生産量が飛躍的に増え、農作業も軽減できると宣伝されている。ただし、その人体や環境への影響が強く危惧されているし、除草剤を含めたタネの世界的な独占という問題もある。しかもこのタネは再生産できないものだから、生産者は、毎年タネを買わねばならないのである。放っておけば、世界の農業を一社が独占的に支配してしまいかねないのである。

・このモンサント社とそのタネの恐ろしさについては、映画やドキュメントなどによる批判がたくさんある。たとえば『モンサントの不自然な食べもの』の公式サイトによれば、モンサント社は枯葉剤、農薬、PCB、牛成長ホルモンなどを生産してきた企業で、このドキュメントは「自然界の遺伝的多様性や食の安全、環境への影響、農業に携わる人々の暮らしを意に介さない」姿勢を糾弾する目的で作られている。

monsant.jpg・ニール・ヤングは以前から「ファーム・エイド」などでモンサントと遺伝子組み換え作物には異議を申し立ててきたが、このアルバムにはスターバックスを批判する歌が収められている。

コーヒーを一杯飲みたいけれど
GMO(遺伝子組み換え作物)はいらない
俺はモンサントの助けなんてなしで
一日を始めたい

モンサントとスターバックス
母親達は子どもたちに何を食べさせたらいいか
知りたがっている(A Rock Star Backs A Coffee Shop)

・ニール・ヤングがスターバックスを非難するのは、ヴァーモント州が条例化した遺伝子組み換え食材の使用を明記する制度に対してモンサント社が訴訟を起こし、スターバックスが支援をしたからだ。彼は毎日並んでラテを買うほどのスタバ好きだったから、怒りが余計に強くなったのだと言う。
・ちなみにネットで調べると、日本でも、スターバックスのコーヒーに入っているミルクは加工乳で,豆乳にも遺伝子組み換えかどうかは明記されていないようだ。もっとも、その材料がGMOなのかどうか明示されていない植物性の生クリームやマーガリンが、どこのカフェやレストランでも当たり前に使われていて、ほとんど問題にもされていない。

・モンサントを糾弾するアルバムとは言え,収められた歌には聴き応えのあるものが少なくない。歌が表現活動であるからには、メッセージを主にしたものでも、音楽のレベルは低くてもいいということはない。逆に言えば、それが表現活動であるからには,音楽には何らかのメッセージが不可欠だろう。日本以外で生まれるロック音楽には、それが当たり前だとする伝統が変わらずに息づいている。
・そんなもの必要でないというのは日本だけの考えで、戦争法案についても、ミュージシャンからの歌や音楽によるメッセージはほとんどない。あらゆる世代や立場の人たちが立ち上がって声をあげている状況で、ミュージシャン達は明らかに取り残されている。Sealdsに先行されて,今さらのこのこ出られなくなってしまったのかもしれない。

2015年9月14日月曜日

見たはずなのに、ほとんど忘れている

・BSや光テレビで時々映画を見る。初めて見るものもあるが、すでに見たものもある。特にもう一度見たいというわけでもなく、たまたま見はじめたから続けてという場合が多い。最近特に多いのだが、見たはずなのにほとんど忘れている。たとえば『フォレスト・ガンプ』、あるいは『戦場のピアニスト』や『ダイハード』のシリーズなど、見事に忘れていることに呆れてしまった。

・もちろん、歳のせいだと思う。しかし、一度見たからもういいと思ってきたが、果たしてどれだけ記憶に留めることができているのだろうかという疑問も感じた。そうすると、今まで見て、よかったと思う映画をもう一度見てみようかという気にもなった。僕の研究室には数百本のビデオカセットがある。ビデオのデッキが健在のうちに見直すことにしようか。

・映画やテレビ番組をビデオで保存したのは、講義の教材にするためだった。講義の内容に合わせて何本かのビデオを教室で見せてきたのだが、アップルの「キイノート」を使ってプレゼンテーションの講義を始めるようになってやめてしまった。それでビデオも用なしになって、廃棄してしまおうかと思うようになっていたのである。

・廃棄する前にDVDにコピーすれば、大学をやめて家に持ち帰ることもできるし、まだしばらくはパソコンはもちろん、テレビでも見ることができるだろう。しかしコピーをするには、相当の手間暇がかかる。CDで音楽を聴くように、くり返し見ることはないにしても、何度かは再生する。そんなことはないと思っていたが、ストーリーをほとんど忘れてしまっているなら、コピーしておく価値はあるのかもしれない。

・NHKが20年前に作った『映像の世紀』のシリーズは11本ある。講義ではずいぶん役に立ってきたドキュメントだが、これもBSで久しぶりに見かけて、その第1集を最後まで見た。見直すというより初めて見る感じがして、これはDVDにコピーしようかとも思った。しかし、たまたま放送されていたから見たのであって、わざわざ自分で見てみようと思うだろうかとも感じた。たぶんDVDにしてもほとんど見ないだろうとも思う。

・というわけで、見たはずなのに記憶が怪しいことを再認識したのだが、だからといって、プライベートに記録することもないかと思い始めている。youTubeを探せば見られるものもあるし、Amazonが動画の提供をするといったニュースもある。僕はプライム会員だから、追加料金なしで見ることができるようだ。どんな作品があるのかチェックしていないが、利用するのなら、テレビとパソコンをつなげるようにしなければならない。

2015年9月7日月曜日

再び、幸福について

 


渡辺京二『逝きし世の面影』平凡社ライブラリー

edo1.jpg・イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読んで、明治維新直後の日本人の暮らしに、今さらながらに驚かされた。衣食住の貧しさ、衛生状態の悪さ、プライバシーとは無縁な人間関係、あるいは追いはぎはもちろん、欺されることもなく旅ができたこと等々である。で、時代劇ではわからない明治以前の日本人の暮らしをもっと知りたいと思った。

・渡辺京二の『逝きし世の面影』は、江戸から明治にかけて来日した欧米人によって書かれた多くの書をもとにして、外国人に受け取られた当時の日本人の印象を分析したものである。600頁にもなる大著だが、おもしろくて一気に読んだ。

・東洋の果ての国に来た人々に日本人がどう映ったか。それは各章の題名を並べただけでもよくわかる。章題は1章の「ある文明の幻影」ではじまって、以降は次のように続いている。陽気な人々(2章)、簡素と豊かさ(3章)、親和と礼節(4章)、雑多と充溢(5章)、労働と身体(6章)、自由と身分(7章)、裸体と性(8章)、女の位相(9章)、子どもの楽園(10章)、風景とコスモス(11章)生類とコスモス(12章)、信仰と祭り(13章)、心の垣根(14章)。

・要するに、当時の日本人は貧しくても貧窮しているわけではなく、むしろ生活を楽しみ、人々の関係は和やかで、子どもをかわいがり、弱者に優しく、士農工商の封建社会ではあっても自由にできる領域は多く、体格が貧弱に見えても腕力や持久力があり、性にはおおらかで、建前の男尊女卑には実質的な女の力がともなうといった印象である。木でできた粗末な家に住んではいても、ゴミなどはなく季節の花で飾られているし、きれいに整地された田んぼは周辺の森や林と見事な景観を作り出している。それは地方に限ったことではなく、100万人都市の江戸ですら同様であった。

・もちろん、このような描写には、産業革命が進行した近代社会から来た人たちが見た中世の社会という意味合いがあって、近代化以前にはヨーロッパでも見られた特徴だったはずだったはずである。だからこそ、楽園のように感じた人たちはまた、明治時代の急速な近代化が、このような特徴を急速に喪失していくことにも触れている。本書の題名である「逝きし世の面影」はまさに、ここであげられている特徴が、今はとうに消え去ってしまったかつての日本の面影であることを指摘しているのである。

・あるいは著者は触れていないが、当時の日本に訪れた人びとが高い階級の人であり、自国では近寄らない低階層の人びとに、日本では否応なしに出会ったということもあるかもしれない。貧しい人間は品性も卑しく、怠惰で向上心がない。そのような認識が差別意識に基づく偏見であったことは、イギリスの労働者階級の文化や生活に注目したレイモンド・ウィリアムズやリチャード・ホガートの研究、そして、そこに端を発するカルチュラル・スタディーズによって、明らかにされていることでもある。

・もちろん、日本を訪れた人の多くは、その途中でインドや東南アジア、そして中国などに立ち寄っていて、そことの比較の上で、日本や日本人の特異性に驚き、感心もしている。その意味ではやはり、彼や彼女たちが感じた印象には、確かなものだったと言えるだろう。であればこそだが、近代化を急ぎ、欧米の列強に対抗して戦争に突入して負けた日本。そこから再起して経済大国になり、世界有数の豊かな国となった日本について、その現在までの歴史や現状を見た時に、日本人はこの1世紀半の間、江戸時代よりも幸せを強く感じたことがあったのだろうか、という疑問を持った。

2015年8月24日月曜日

どこにも行かない夏

 

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・ここ数年、夏休みには長期の旅行と決まっていた。昨年はイギリス・フランス・スペイン・ポルトガルに3週間行ったし、一昨年は北海道の礼文島と利尻島を中心に10日間の旅行をした。その前はスイスのアルプスに10日間、その前は韓国に11日間、そしてその前はアメリカとカナダに3週間の長期旅行だった。

・今年の夏にどこにも行かなかったのはパートナーの病気のためである。正月に脳梗塞になったために3週間のイタリア旅行を中止した、彼女は治療とリハビリで70日ほど入院し、その後もずっとリハビリを続けてきた。日常生活に支障がないほどに回復をしたが、長期の旅行、特に長時間の飛行機はリスクが高いし、トレッキングはもちろん街歩きも難しい。だからしばらくはどこにも行かずに、機能回復に努めることにしたのである。

forest127-2.jpg・今年の夏は河口湖も暑かった。ただし午前中ならまだ涼しい。そこで精出したのが自転車とカヤックだった。カヤックは特にパートナーにはいい運動になる。オールを漕ぐのは腕だけではなく、腹筋や背筋、そして足の筋肉も使うからだ。アルミのパイプをつなぐゴムも修理をして、組み立てやすくなった。 漕ぎ出すのはいつも西湖なのだが、どうせならと僕は自転車で出かけた。汗びっしょりになった後、湖に漕ぎ出して感じる風は何とも心地いい。


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・自転車には、用事のない日はほぼ毎日乗った。河口湖を一周すると20km、西湖まで行くと23km、両方を回ると33km、精進湖まで出かけると39kmになる。いろいろ道を変えて、あちこち走って来た。たとえば上図のルートだと32kmになって、時間は1時間20分ほどになる。250mほど登るからかなりきついが、足の筋肉も心肺機能も強くなって、走りながら回復するようにもなった。ただし、お腹の贅肉はなかなか落ちてくれない。もう少し涼しくなって、観光客も減ったら富士山一周をやってみたいと考えている。

forest127-4.jpg・長期間は無理でも一泊ぐらいはと木曽駒ヶ岳に出かけた。あいにくの雨で千畳敷カールは霧に包まれていたから、宝剣岳まで登るのはやめにした。残念だったが、行きに寄り道をした秋葉街道は面白かった。中央構造線に沿った道路で、ゼロ磁場で有名な分杭峠があり、色の違いがはっきりわかる断層もあった。中央構造線は天竜川から西に紀伊半島、四国山地、そして九州の阿蘇へと続いている。フォッサマグナと相まって日本アルプスを生んだ大きな地殻変動の痕跡だ。フィリピン海プレート上の伊豆半島がぶつかって富士山や箱根、そして丹沢山地ができたことなどとあわせて、本州の地質学的な歴史の凄まじさの一端を見た気がした。

2015年8月17日月曜日

無責任体制の極み

・猛暑の中、今年も8月15日が来た。戦後70年、この国はずっと敗戦ではなく終戦と言い続けてきた。負けたのなら誰かがその責任を取らなければならないが、終わったのなら、それは誰の責任でもない。そして今年の夏は、この無責任体制が戦後70年で一番突出したと言える。安倍政権は世論の大反対にもかかわらず、暴走、迷走を続けているが、その姿勢自体もまた無責任そのままである。何を言うのかずっと話題になってきた「談話」にも、主語のない、曖昧な表現ばかりが目立った。

・11日に川内原発が再稼働された。反対の世論が多数を占める中での強行である。6日の広島、8日の長崎の式典の直後であり、11日は福島の月命日だった。無責任の上に無神経な行為と言わざるを得ない。福島の状況は未だにアンダーコントロールどころではないし、避難した人たちの多くの生活も、もと通りになることはない。そもそも地震や火山の噴火がこれほどに多い国に、原発など作ってはいけなかったのに、政権や電力会社にはそんな反省は微塵もない。桜島が噴火しそうなのが、自然が下す鉄槌のように思われてしまう。

・検察審査会が勝俣元会長ほかをやっと強制起訴した。事故責任をはっきりさせるような裁判がおこなわれることを願うばかりである。裁判では福井地裁で高浜原発再稼働の差し止め命令も出た。再稼働の可否を判断する新しい規制基準自体が「緩やかすぎて合理性を欠く」ものだとして原発政策を根本から見直すよう求めた内容だった。安倍首相はその判決など無視して、川内原発について、世界で最も厳しい新規制基準をクリアしたなどとうそぶいている。

・安保法制の衆議院における強行採決もまた、世論の大反対、政権支持率の急降下、そして大学生や高校生などが自発的に始めたデモを無視してのものである。さらに理解してもらうよう努力すると言っているが、理解したからこそ反対の声が強くなってきているのである。この戦争法案は、一説では安倍が祖父岸信介の意志を継いで実現しようとするものだと言われている。しかしまた、2012年にアメリカの「安全保障研究グループ」が公表した「第三次アーミテージ・ナイ・レポート」の内容そのものだと指摘する人もいる。

・アメリカに言われるままだからこそ、国会での論議と承認前にアメリカに行って、法案を約束したのだろうか。その安倍は、「ウィキリークス」が公表した「米国安全保障局」(NSA)が日本の内閣、日銀ほか大企業の電話を盗聴していた事実について、真意を尋ねることをしただけで抗議をまったくしなかった。そんなアメポチの隷属姿勢を、中国や韓国、そして北朝鮮に対する喧嘩腰と対照させると、日本や国民を守るためなどという説明が嘘っぱちであることがよくわかるだろう。

・無責任な言動はほかにもたくさんある。新国立競技場を巡る顛末はうんざりするほどだが、ここでも責任の所在がはっきりしない。オリンピックのエンブレムの盗作騒ぎも相まって、「もうやめたら」と言いたくなってしまうが、実際、オリンピックの後に大不況に陥って、そのまま日本没落なんてことを言う人もいる。実態のないアベノミクスと、それを支えるために年金を株価の操作に注入している日銀の行動は不安感を募らせるだけだし、ソニー、パナソニック、そして東芝といった日本を代表する企業の不振や不祥事なども続いている。で、そこでも、責任の所在はうやむやだ。

・戦争法案は参議院で論戦が続いている。武器は運べないが弾薬は運べる。だから核兵器や劣化ウラン弾なども運ぶことができる。こんなとんでもない議論があり、また法案の成立前なのに、防衛省では法律を前提にした計画を作成しているといった資料が暴露されている。もうめちゃくちゃだが、それでもこの法案を成立させるつもりなのだろうか。成立を阻止して安倍政権を倒す。無責任体制には一人一人の責任ある批判の声が力を持つ。「私」という一人称で、はっきり発言をすることが大事だ。

2015年8月10日月曜日

ベテラン健在!

  • Mark Knopfler "Tracker"
  • James Taylor "Before This World"
  • J.D.Souther "Tenderness"
  • Blur "The Magic Whip" 

knopfler.jpg・マーク・ノップラーの"Tracker"は3年ぶりで、彼は数年おきに着実に新譜を出している。評判が良くてUKはじめ、世界中で売れているようだ。trackerは追跡者や狩猟者の意味だが、同名の曲はない。アルバム制作者の意味だろうか。前作の"Privateering"同様、ケルト音楽が心地いい。その頭の曲は「笑う、からかう、飲む、そして吸う」というタイトルで、若い頃にロンドンで暮らしていた様子を思い返している。2曲目の「バジル」も新聞社で使い走りの仕事をする少年の話だ。これも、自分のことなのだろうか。彼の作るアルバムには今回に限らず、いくつもの物語がある。8曲目の"Light of Taormina"の歌詞にはディランと一緒に歌っている写真がある。数年前に一緒にツアーをしたようだから、その時に作った曲なのかもしれない。

jt1.jpg・ジェームス・テイラーの"Before This World"はスタジオ録音としては13年ぶりのようだ。ずいぶん久しぶりだが、その間、ライブ盤やカバーを出している。このアルバムも評判が良くてビルボードでNo.1になったようだ。3曲目の"Angels of Fenway"は、ボストン・レッドソックスが2004年に86年ぶりにワールド・チャンピオンになった時の歌だ。おじいちゃんもおばあちゃんもファンで、子どもの時に一緒にフェーンウェイ・パークに応援に行った。おじいちゃんは死んだが、おばあちゃんは病院のベッドで応援した。
・他方で9.11やアフガニスタンを歌った歌もある。自分のこと、身近なこと、そして世界のことを無理なく、穏やかに物語にする。ノップラー同様に、ストーリー・テラーとしての才能は健在だ。

souther.jpg・J.D.サウザーの"Tenderness"は4年ぶりのアルバムだ。前作の"Natural History"は彼のヒット曲を歌い直したもので、その多くは彼自身ではなくイーグルスやリンダ・ロンシュタット、そしてジャクソン・ブラウンなどに提供した歌だった。ノップラーやテイラーもそうだが、サウザーも外見は正真正銘老人だ。しかし、歌う声にはそれほどの違いはない。もちろん歌作りのエネルギーや力も衰えていない。
・アルバムの最後の曲"Down Town"には「戦争の前」という副題がついている。いつの戦争なのかどこの町なのかわからないが、ダウンタウンの良さと、今は失われてしまっている様子を歌っている。過去を思い返すというのも、3人に共通したテーマのようだ。

blur1.jpg ・最後はブラーの"The Magic Whip"。"Think Tank"を出したのが2003年だから、12年ぶりということになる。メンバーの脱退騒動で活動自体も休止していたが、2009年から再開している。香港で録音したから、ジャケットには模糊魔鞭という漢字が書いてある。イギリスのチャートで1位になったようで、なかなかいい。
・ブラーを知ったのは映画の『トレイン・スポッティング』だった。その後に出た"13"も"Think Tank"もよかったから、"The Magic Whip"も期待して買った。アジアを意識してということだが、聴いている限りはあまり感じない。