渡辺京二『逝きし世の面影』平凡社ライブラリー
・イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読んで、明治維新直後の日本人の暮らしに、今さらながらに驚かされた。衣食住の貧しさ、衛生状態の悪さ、プライバシーとは無縁な人間関係、あるいは追いはぎはもちろん、欺されることもなく旅ができたこと等々である。で、時代劇ではわからない明治以前の日本人の暮らしをもっと知りたいと思った。
・渡辺京二の『逝きし世の面影』は、江戸から明治にかけて来日した欧米人によって書かれた多くの書をもとにして、外国人に受け取られた当時の日本人の印象を分析したものである。600頁にもなる大著だが、おもしろくて一気に読んだ。
・東洋の果ての国に来た人々に日本人がどう映ったか。それは各章の題名を並べただけでもよくわかる。章題は1章の「ある文明の幻影」ではじまって、以降は次のように続いている。陽気な人々(2章)、簡素と豊かさ(3章)、親和と礼節(4章)、雑多と充溢(5章)、労働と身体(6章)、自由と身分(7章)、裸体と性(8章)、女の位相(9章)、子どもの楽園(10章)、風景とコスモス(11章)生類とコスモス(12章)、信仰と祭り(13章)、心の垣根(14章)。
・要するに、当時の日本人は貧しくても貧窮しているわけではなく、むしろ生活を楽しみ、人々の関係は和やかで、子どもをかわいがり、弱者に優しく、士農工商の封建社会ではあっても自由にできる領域は多く、体格が貧弱に見えても腕力や持久力があり、性にはおおらかで、建前の男尊女卑には実質的な女の力がともなうといった印象である。木でできた粗末な家に住んではいても、ゴミなどはなく季節の花で飾られているし、きれいに整地された田んぼは周辺の森や林と見事な景観を作り出している。それは地方に限ったことではなく、100万人都市の江戸ですら同様であった。
・もちろん、このような描写には、産業革命が進行した近代社会から来た人たちが見た中世の社会という意味合いがあって、近代化以前にはヨーロッパでも見られた特徴だったはずだったはずである。だからこそ、楽園のように感じた人たちはまた、明治時代の急速な近代化が、このような特徴を急速に喪失していくことにも触れている。本書の題名である「逝きし世の面影」はまさに、ここであげられている特徴が、今はとうに消え去ってしまったかつての日本の面影であることを指摘しているのである。
・あるいは著者は触れていないが、当時の日本に訪れた人びとが高い階級の人であり、自国では近寄らない低階層の人びとに、日本では否応なしに出会ったということもあるかもしれない。貧しい人間は品性も卑しく、怠惰で向上心がない。そのような認識が差別意識に基づく偏見であったことは、イギリスの労働者階級の文化や生活に注目したレイモンド・ウィリアムズやリチャード・ホガートの研究、そして、そこに端を発するカルチュラル・スタディーズによって、明らかにされていることでもある。
・もちろん、日本を訪れた人の多くは、その途中でインドや東南アジア、そして中国などに立ち寄っていて、そことの比較の上で、日本や日本人の特異性に驚き、感心もしている。その意味ではやはり、彼や彼女たちが感じた印象には、確かなものだったと言えるだろう。であればこそだが、近代化を急ぎ、欧米の列強に対抗して戦争に突入して負けた日本。そこから再起して経済大国になり、世界有数の豊かな国となった日本について、その現在までの歴史や現状を見た時に、日本人はこの1世紀半の間、江戸時代よりも幸せを強く感じたことがあったのだろうか、という疑問を持った。
0 件のコメント:
コメントを投稿
unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。