2016年7月18日月曜日

「イクメン」を当たり前に

 

工藤保則/西川知享/山田容編著

『<オトコの育児>の社会学』ミネルヴァ書房

・「イクメン」ということばが流行語になって、確かに小さな子どもを連れた男たちを見かけるようにもなった。しかしまだまだ珍しい。実際、男が「育休」を取る割合は,現在でも2%程度で、「イクメン」にはほど遠いのが実態のようだ。だから「イクメン」には、もの珍しさというニュアンスが強いのかもしれない。何とも保守的な日本の男たちだが、共働きが当たり前になった現在では、「育児は女に」などと考える男は結婚の資格なしと駆逐されるべきだし、「育休」を渋る企業は名指しで批判してやるべきだとも思う。

・ こんなふうに思うのは、僕自身こそが「イクメン」の第一世代だったと自負する気持ちがあり、そんな風潮が生まれかけたにもかかわらず,同世代の男たちにはほとんど無視されたという経験があるからだ。団塊世代の僕は70年代の後半に結婚して二人の子どもを育てた。ちょうど「ニューファミリー」ということばが流行し、その本来の意味に共感して実践を試みたのだが、日本では、新しい消費スタイルを宣伝するマーケティング用語に変質してしまったのだった。その同世代は今、退職して新しい生活の仕方に戸惑いを見せているという。食事も洗濯も掃除もできずに,家でごろごろしている男は「企業廃棄物」として女たちからは嫌われる存在でしかないようだ。

・ もちろん僕は、家事のすべてを分担し,その他に冬の暖房用の薪割りや家のメインテナンスに欠かせない大工仕事を引き受けている。けっして自慢ではなく,それこそが生活の楽しさを実感する基本になることを、子育てからずっと確信し続けてきたからだ。

ikuji.jpg ・ 『<オトコの育児>の社会学』の執筆者は全員男である。年齢は違うが誰もが、育児をした自分の経験から書き始めていて、章構成が「けいけんする」「ひろげる」「かんがえる」「ふりかえる」で統一されている。そして多くの書き手が,初めて経験する育児に対する戸惑いや失敗を語り、そこから個別に与えられたテーマに広げて考えている。I部では「近代家族」「しつけ」「性別役割分業」「夫婦関係」を問い、II部ではオトコの育児について,「遊び」「文化資本」「人生儀礼」「レジャー」を考察した上で、III部では「待機児童」「育児不安」「医療」「子育て支援」「育休」といった問題を男の側から論じている。

・ 僕はこの本を大学生に読んで欲しいと思う。もちろん男だけにというのではない。家族といった狭い領域ではなく、社会学でもなく,もっと広い範囲で、大学生が自ら考えるテーマにすべきだろう。今の学生は就職のことで頭がいっぱいで、採用してもらえるならと、企業に迎合的な姿勢を取りがちだ。そんな彼や彼女たちに、これからの人生を考える上で、結婚や家事、育児について、その現実的な問題に無関心なままで社会に出て行って欲しくないと思う。

・ 大学の教員は企業に勤める人に比べて,自由に使える時間に恵まれている。また、どんな生活の仕方をしたって、とやかく言われることが少ない恵まれた境遇にある。だから社会学者に限らず、家事や育児を共有する男たちも少なくないはずである(と思いたい)。今大学は就職に役立つカリキュラムの実践に力を入れている。それはもちろん、そのようなニーズに応えての対応だが、若い人たちにとって本当に必要なのは、結婚や家族の作り方、家事や育児の共有の仕方と、そこから仕事や地域といった社会へ、あるいは経済や政治へと考えを広げていくための知識の獲得と,あらたな認識なのだと思う。

2016年7月11日月曜日

アイルランドの若い歌手たち

 

Damien Rice"O" "9" "My Favourite Faded Fantasy"

Lisa Hannigan" Sea Saw" "Passenger"
Wallis Bird "Architect" 'Bird Song"'

rice1.jpg・アイルランド出身のミュージシャンにはずっと聴き続けている人がたくさんいる。ヴァン・モリソン、U2、シニード・オコーナーなどで、その他にもケルト音楽としてチーフタンズ、アニューナ、エンヤ、ジム・マッカン、アルタン、そしてカルロス・ニュネスなどがいる。音楽ジャンルとしてはそれぞれ違っているが,誰にも共通した雰囲気や主張があるなと思って聴いてきた。行ってみたい国だったから、紛争が落ち着いた2005年に出かけ、パブでギネスを飲みながら音楽を聴いた。

rice2.jpg・アイルランドはケルトというヨーロッパに古くからいた民族を基本にした国だ。スコットランドやウェールズも同様だが、アイルランドだけがイギリスから独立している。しかし、隣の強国に押さえつけられて苦難の歴史を辿らされてきた。そのことを強くメッセージしてきたU2のボノやシニード・オコナーなどもいるし、古くから歌われている歌に思いを込める人もいる。僕が一番好きなのはヴァン・モリソンとチーフタンズの『アイリッシュ・ハート・ビート』と言うアルバムだ。

rice3.jpg・最近続けてアイルランドの新しいミュージシャンを知った。その一人、ダミアン・ライスは6月に日本に来たようだ。デビューは2002年だから、僕のアンテナも頼りない限りだと思った。最初が"O"で2枚目が"9"という何とも意味不明なアルバムタイトルだが、歌そのものはメロディアスでオーソドクスなものが多い。ただし言われなければアイルランド出身だとは思えない。アルバムではバックもつけ,ストリングスなども入れているが、ステージではギター一本で歌うことが多いようだ。それで何千人もの聴衆を釘付けにするほどの訴求力を持っていて、それが何よりの魅力のようだ。

lisa1.jpg ・リサ・ハニガンはダミアン・ライスのバック・コーラス、と言うよりはデュエットのように歌うメンバーだったが、独立して2枚のアルバムを出している。で、彼女のオリジナルで構成されたアルバムは、ダミアンのとはまるで違う感じに仕上がっている。ジャケットにさいころのパッチワークが使われているが,これは彼女の自作のようだ。経歴にはダブリンのトリニティ・カレッジで美術史を専攻したとある。ハスキーで静かに歌う様子は,ケルト色を薄めたエンヤのようでもあるし、棘のないシニードのようでもある。

lisa2.jpg ・ダミアン・ライスにしてもリサ・ハニガンにしても、すでにヨーロッパでは有名なミュージシャンで,コンサートをやれば大きな会場のチケットがすぐに完売するほどのようだ。ケルトの臭いがないのは僕にとっては期待外れだったが、EU以後に登場して人気者になったミュージシャンであれば,それも当然だろうな、とも思った。たぶん彼や彼女にとってEU圏内は国内と一緒だという感覚なのかもしれない。ライスはデビュー前に一年間、EUをストリート・ミュージシャンとして放浪したようだ。イギリスの離脱がいかに時代に逆行したものかがわかる話だと思った。

bird1.jpg ・リサはその清楚さと知的な容姿が魅力になっている。しかし、もう一人ウォリス・バードはエキサイティングなロック・ミュージシャンだ。ネットには、ロンドンでデビューしたがポップな歌を強要され、ドイツに移って自由に音楽作りができる環境を見つけたといったコメントがあった。その圧巻のパフォーマンスが日本公演でも一部で話題になったようだ。その場所が吉祥寺のスター・パインズ・カフェだったと聞いて、日本での知名度の低さに驚いた。オールスタンディングでも300人ほどしか入らない小さなところだったからだ。もっともライスのライブもけっして大きくはないEX シアター六本木だった。

bird2.jpg ・音楽的には三者三様でアイリッシュであることやケルト音楽を意識させない。しかしコマーシャリズムや流行に迎合しないでやりたいことを自由にやるという姿勢は共通している。YouTubeでライブを見ると、アルバムよりはずっといいパフォーマンスをする実力派のようだ。こんな魅力的なミュージシャンが続出するのは羨ましい限りだが、日本ではきわめて限られたファンしかいないのは残念というほかはない。その日本に来ての熱演は僕も是非聴きたいと思うのだが,オールスタンディングの狭い会場では,とてもついて行けない。

2016年7月4日月曜日

休日の散歩と自転車

 

forest134-1.jpg

forest134-2.jpg
・今年の梅雨は雨の日と晴れの日がはっきりしている。しかも仕事に行く日に雨が多く,休日に晴れが多い。だから毎週2〜3日は自転車に乗り、もう一日はパートナーの散歩につき合っている。2kmで高低差は200mほどを目途に5月の甘利山、帯那山、6月の富士山馬返しから一合五勺、御坂山塊の新道峠周辺、河口湖天上山、そして富士山の麓の大室山と歩いてきた。上の新道峠からの富士山は、雄大な独立峰であることが一望できる一番の眺めだと思う。特に登った日は雨上がりで、てっぺんに笠雲がかかった富士は息を飲むほどの美しさだった。

・パートナーの左足は腿があげにくくて,足首やつま先が思い通りにならない。だから歩く時には右足を軸に左足を回すようにして前に出すし,足首が内側に折れがちになる。それを意識するために,散歩の時にはいつも,僕がビデオカメラを回している。なかなか良くならないが,歩く距離が伸び、上り下りができるようになった。僕が自転車に乗る時には,家で、MacBookを前にYoutubeで世界中の道を眺めながら、エアロバイクを漕いでいる。もう2ヶ月も続けているから,かなり筋肉がついてきたようだ。

forest134-3.png・僕の自転車も4月の中旬から雨でなければ土日月と続けている。コースは河口湖(20km)、西湖(24km)、あるいは両方(33km)などで、最近平地では平均30kmの速度で走れるようになった。続ければこそで、休めばすぐに足も弱くなるし息も上がる。だからしんどくても出かけるし,走り出せばついついがんばってしまう。土日には走る人も多いし早い人もいるから、競争心も涌いてきてしまうのだ。言われるまでもなく年寄りの冷や水を自覚しているが、この歳になっても記録が伸びればやる気が増すというものだ。

forest134-4.jpg・富士山の5合目まで自転車で走るヒルクライムが今年も開かれた。僕は出るつもりはないが,一度は5合目までスバルラインを走ってみようと思っている。Youtubeで見ると料金所から五合目までは25kmで標高差は1270m、平均勾配は5%程度のようだ。ヒルクライムの制限時間は3時間15分だからそれが目標になる。疲れたら休んで登っても,たぶんいけるのではないかと思う。マイカー規制のある8月か、涼しくなった9月を目標に、走り込むことにしよう。

・それにしてもここ数日は暑い。河口湖でも30度を超えたから,もう梅雨が明けて真夏という感じだ。今年の夏は猛暑だという予測もある。ところが大学はまだ7月末にならないと休みにならない。最後の1年だからと思って,もうひとがんばり。

2016年6月27日月曜日

EUを壊してはいけない

・英国が国民投票でEUからの離脱を選択しました。世界中の株価が暴落し,円が急騰して、もっぱら経済的な大事件として扱われています。リーマンショック級の出来事だとも言われますが、僕はそれ以上に大変なことではないかと思いました。EU(欧州連合)は2度の世界大戦で疲弊したヨーロッパ諸国の人びとが、もう戦争はごめんという反省のもとに作られた制度だからです。アンソニー・ギデンズの『揺れる大欧州』(岩波書店、2015)は1946年9月にチューリッヒ大学で行ったウィンストン・チャーチル英国首相の次のような演説からはじめています。


・奇跡によってすべての光景が変わるような救済、ヨーロッパ全土で大多数の人々がみんなで選び取れば、常に救済はある。……この至上の救済とは何だろうか。それは、できる限り、ヨーロッパの家族を再び創造し,平和や安全、自由の下で暮らせる仕組みをつくることである。われわれはヨーロッパ合衆国のようなものをつくらなければならない。

・EUは強い反省のゆえに奇跡的にできた、国家を統合する組織です。既存の国家はそのままに国境を緩やかにして行き来を自由にし,ユーロという新しい貨幣を造りました。国家間には経済格差がありましたから、インフレに苦しむこともありましたが、経済成長を促すための資金援助をして、平和で安全で自由な豊かな大欧州を目指したのでした。

・英国の離脱の理由は、シリアなどからの移民の流入やドイツ中心で官僚的な体制に対する批判、あるいはかつての大英帝国復活を願うナショナリズムにあるようです。残留を支持したのは都市に住む高学歴で国際的な経験があり,比較的高収入の人と若者層で、離脱支持者には地方の労働者階級でEUの恩恵を感じられない人や高齢者たちだと言われています。

・イギリスの離脱によってスコットランドが独立の国民投票をもう一度やろうと言いはじめてますし、北アイルランドでもアイルランドとの統一の気運が高まりそうだと言われています。他にも離脱する国が追随すると、たとえば、スペインにおけるカタルーニヤやスペインとフランスにまたがるバスクのように、国を分裂させて独立する動きが起こるかもしれません。EUの崩壊は同時に、既存の国の分裂を起こしかねないのです。

・EUにはすでに財政の破綻したギリシャだけでなく、不況の続くスペインやポルトガル、そしてイタリアをどう建て直すかといった難問を抱えています。新しく加入した東欧諸国との経済格差の解消も解決しにくいテーマでしょう。これほど経済力の違う国々を単一の通貨、ユーロで統一させていくのが無理なことなのかもしれません。

・今回の国民投票で唯一明るい光のように見えたのは,若い世代の多くが残留に投票したことでした。ウルリッヒ・ベックはそのことを『ユーロ消滅?』(岩波書店、2013年)の中で次のように指摘しています。


・若いヨーロッパ人はまず自らの国籍を通じて,それからヨーロッパ人として自己規定するのである。国境がなく共通の通貨をもつ欧州は,かつてなかったような移動のチャンスを彼らに提供している。そしてこの移動は、きわだつ文化的な豊かさ、言語、歴史、美術館、博物館、食文化等の多様性をもった社会空間において行われるのである。(86p.)

・EUは発足してすでに20年になる。若い世代の人たちにとってEUは、自らの国と同様にアイデンティティの拠り所になっているのです。この「コスモポリタン的自由」(ベック)を国民国家主義者の不法な介入から守るにはどうしたらいいのか。ヨーロッパ人であることを血肉化した若い世代の動きに期待したいものです。

2016年6月20日月曜日

桝添イジメで隠されたもの

・桝添東京都知事が辞任をした。外遊の多さや公費を使った贅沢三昧の話題が出た時から、奴ならやりそうなことという感じで、聞きたくもない話だと思っていたが、テレビもラジオも新聞も連日、桝添一色になった。ことの重要性よりは桝添のせこさと言い訳の面白さが過熱の原因だったようだ。視聴率が上がったのだからやらないわけにはいかないといった弁明も聞こえてきた。

・お陰で隠れてしまった問題は数知れない。国会が閉幕した途端に甘利が退院をした。検察も不起訴という結論を出した。甘利も検察も、アマリに見え透いた態度だが、テレビはもちろん,新聞も話題にしない。桝添に隠れたというよりは、メディアが政権に遠慮しているというほかはないだろう。その証拠に,桝添が辞任しても,次は甘利だという声はほとんど聞こえてこない。

・安倍首相の消費税増額の延期の弁明もひどいものだった。アベノミクスは順調だが世界がリーマン・ショック前夜にある。サミットでは反論されて引っ込めたのに、「危機(クライシス)」を「危険(リスク)」と言いかえて、「新しい判断」として延期を決めたと発言した。前回延期をした時には,経済状況にかかわらず実行すると大見得を切ったのにである。

・消費税再延期の理由が日本の経済状況の悪さにあるのは明白である。安倍首相は中国や新興国の経済状態の悪さを理由の一つに挙げたが、中国やその他の新興国の経済成長は鈍化したとは言え続いている。サミット諸国の経済の現状や予測もわずかではあるがプラスである。ただ日本だけがマイナスになっているのだから、理由はアベノミクスの失敗にあることははっきりしているのだが,そのことを正面から批判するメディアは皆無だ。

・だから安倍内閣の支持率は相変わらず下がらないままである。立法府の長だという信じられない失言をしても、誰も騒がない。内閣総辞職に値する失言や失政を何度やればいいのだろうか。おそらく、このまま参議院選挙になれば、自公は大勝ちしないまでも負けるということはないだろう。と言うよりは大勝ちされたら大変なことになる。何しろ安倍にとっては憲法を代えることが最大の目的で、参議院で3分の2を取れば,すぐにでもそれに取り組むつもりなのだから。しかし、今度の参議院の争点として,そのことはほとんど触れられていない。

・この手法は前回の参議院選挙や衆議院選挙と同じ戦術である。争点を隠して「秘密保護法」や「安保法制(戦争法案)を成立させてきたのだから、今回もその魂胆は明白だが、それもまた、大きな話題になって争点化することはないだろう。メディアへの圧力とそれを利用した露骨な大衆操作がこれほどうまくいっていることに僕は呆れるが、この先の日本の状況を考えると絶望的にもなってしまう。

・「パナマ文書」はどうなっているのか。五輪誘致のための裏金問題はどうなるのか。保育所の問題はと、消えてしまった話題はまだまだたくさんある。

2016年6月13日月曜日

Appleのバッテリー

・Appleの製品は、どんなものでもバッテリ交換が簡単にできない構造になっている。だから交換はAppleストアに持ち込むか,送るかしてやってもらわなければならない。ぼくはiPodを二つの他にiPhoneとiPadを持っているが、そのすべての電池がダメになってしまった

ipod1.jpg・最初に買ったiPodは2004年のもので、二つ目は2008年である。どちらも電池がダメになった時には交換もできないことになってしまっていた。とはいえ、家や車で電源に繋いでおけば聴けるから,両方とも今でも使っている。不便だけど使えるからいいかと思っていたが、買って2年弱のiPhoneのバッテリーがダメになった。

・Appleストアに持っていくのは遠くて面倒だし、送って交換してもらうと何日もスマホなしになってしまう。そこでネットで調べて、Amazonで工具つきの電池を買うことにした。交換してもらうと一万円ほどかかるが,電池は工具つきでも1600円ほどで、YouTubeでみると,やさしくはないができないこともないと思った。

ipod.jpg・交換作業は難しかった。しかも、蓋をしてスイッチをオンにすると画面に縦縞が出てタッチ操作がまったくできない。そこでまた開け直してやり直した。何とか元に戻ったので、ついでにIPod(Classic)も交換することにした。しかし,こちらは,専用工具を使ってもまったく蓋が開かず、無理にやったから傷だらけになってしまった。とにかく聴けるようにはなったが、無残な姿である。もう持ち運びはできない。

・電池は数年で使えなくなるのにAppleはなぜ、簡単に交換できるよう作らないのだろうか。最近Appleから所有するiPhoneを下取りに出して最新の機種を割引で売るというメールが来て、要するにそういうことかと納得した。新しいモデルが出るたびに買い換えさせるための商法だということだろう。

・僕のパソコン歴はもう25年になるが、買ったのはほとんどマッキントッシュである。その使いやすさやデザインの良さ、そして何よりカウンター・カルチャー的な成り立ちが気に入ったからだった。そのマックもすでに10数台も買い換えている。進化のスピードに追いつくためには仕方がなかったのだが、iPodは電池さえ交換できれば、買い換える必要はなかったはずである。しかも今はiPhoneとそっくりで容量の少ないiPhone touchしか売っていない。Appleはすでに創業時の精神を忘れて,その対極にある。しかしやめるわけにいかないのが何とも癪にさわる。

・iPhoneは欲しくて買ったわけではなかった。キイボードの着いたBlackberryを気に入って使っていたのだが、Docomoが扱わなくなって、故障した時に仕方なくiPhoneに買い換えたのだった。そのblackberryは電池交換が簡単にできたから,いつも予備の電池も持ち歩いていた。月々の料金もそれほどでもなかったが、iPhoneにしてから毎月の使用料金がずいぶん高額になった。電話は滅多にかけないし,ネットはパソコンでやるから、ずいぶんばからしいと思ってきた。

・というわけで、2年縛りが終わる数ヶ月先に電話はガラケーに代えて、iPhoneは音楽専用機として使おうかと思い始めている。さてiPadはどうしようか。 Nexus7もバッテリーがへたり気味だ。、必要以上に道具ばかりが多いから、もうそのままにしておこうかと思うが、引き出しを見れば,もう使わなくなった機器がごろごろしている。

2016年6月6日月曜日

逢坂巌『日本政治とメディア』中公新書

 

ohsaka.jpg・安倍首相がサミットで今の世界状況をリーマンショック前夜と似ていると発言して、海外から批判を浴びている。消費税率を10%にあげるのを再延期する口実に利用したからだ。その再延期の会見は夕方のテレビで長々と中継された。もちろん本人の口からアベノミクス失敗によりという説明はなかった。理由はあくまで外因によるというものだった。

・そのサミットやオバマ大統領の広島訪問もまた、テレビでは大きく報じられた。いったいサミットで何が決まったのかよくわからないし、広島での演説はオバマの格調の高さに比べて安倍のお粗末さが目立つばかりだったが、政権の支持率は急上昇した。消費税率引き上げ再延期の発表にはもっともいい機会で、最初からこの機会を狙っていたのは明らかだろう。で、いつものように、メディアから強い批判の声が起こることもなかった。このまま参議院選挙運動に突入して、与党の勝利という筋書き通りに進むよう、メディアは協力を惜しまないのかもしれない。

・逢坂巌の『日本政治とメディア』は第二次大戦後の日本の政治とメディアの関係を,詳細に追った好著である。この本を読むと、日本のメディアと政治の関係がなぜ,現在のような形になったのかがよくわかる。とりわけ重要なのは,戦後に始まったテレビを政治がどう扱い、利用してきたかという点だろう。

・日本のテレビは1953年から始まった。そのテレビと同時期に開局した民放ラジオに注目して積極的に利用したのは、吉田茂に変わって政権の座に着いた鳩山一郎からである。ただし、彼が重視したのは普及率の低いテレビよりはラジオだった。電波メディアが政治にとって重要であることは、アメリカにおけるメディアの役割から学んだものだった。その利用はテレビの普及と共に、その後に首相になった石橋湛山、岸信介によって強化されていった。

・自らの言動が記者によって記事になる新聞よりは、直接画像と音声で伝えることができるテレビの方が、自分の意図を国民に理解してもらえる。もっと言えば、思うとおりに世論を誘導することができる。記者を排除してテレビの前で退陣会見をした佐藤栄作はその好例だが、今太閤と言われて人気者になった田中角栄は,その気取らない言動が,きわめてテレビ受けする初めての政治家でもあった。また、その時期にはテレビタレントが多く議員に転出した。政治家として適任かどうかではなく、有名性や人気が投票行動を左右するようになったのである。

・テレビやラジオは国の認可によって放送が認められている。最初はGHQの指導によって、内閣から独立した電波管理委員会によって設置が検討されたが、GHQから独立するとすぐに、吉田政権下で郵政省の管轄下に置かれた。新聞社とテレビ・ラジオの経営体が同じだという「クロス・オーナーシップ」は既得権になって、UHF局開設時にも,地方新聞が経営体になることで拡大され、BS放送にも援用された。テレビやラジオはもちろん,新聞社と政権の間には、このような根本的な癒着関係があるのである。

・テレビは報道よりは娯楽に適したメディアである。と言うよりはすべてを娯楽化するメディアだと言った方がいい。報道を娯楽化した番組、娯楽番組に政治家を登場させる番組。そんな傾向が政治家によりイメージ管理の重要性を認識させ、イメージのいい政治家を出現させることになる。もちろん、ここにはテレビが何よりCMのメディアだという特徴も付け加えておかなければならない。だから、イメージを損なうような報道には,免許権の剥奪を脅し文句に使ったりもするようになった。本書を読むと、最近に至るメディア統制の道筋が,改めてよく見えてくる。

・安倍政治はすでに破綻している。アベノミクスの失敗はもちろん、それを誤魔化す嘘や失言も日常化している。しかしそのことを正面から批判する声はマスメディアからは,まだ聞こえてこない。それは現政権のメディア統制の結果だが、それ以上に、現状をあまり変えたくないというメディア自体の保守性にある。本書を読んで思うのは政権によるメディアの抑圧よりは、メディア自体の露骨な保身術の方である。