2020年5月18日月曜日

ポール・オースターを読んでる

 『サンセット・パーク』新潮社
『インヴィジブル』新潮社
『ミスター・ヴァーティゴ』新潮社
『ティンブクトゥ』新潮


ポール・オースターの新作が翻訳されたのをアマゾンで見つけた。そうすると買わなかった作品がもう一冊あった。『サンセット・パーク』は2010年に出ているから、翻訳はだいぶ遅れている。もう一冊の『インヴィジブル』も2009年に出版されて、翻訳は2018年だ。その間に『冬の日誌』(2012)や『内面からの報告書』(2013)が先に翻訳されて、後回しになったようだ。翻訳者は柴田元幸で、彼はほかにも翻訳しているから、出たらすぐに訳すわけにはいかないのだろうと思った。

auster4.jpg 『サンセット・パーク』は大学を中退した若者が主人公で、オースターが初期の頃にテーマにした、喪失と再生をめぐるストーリーになっている。2005年に書かれた『ブルックリン・フォーリーズ』のように、中年から老年にさしかかる男を主人公にしたものや、自分のこれまでの生き様を振り返って赤裸々に表現した『冬の日誌』や『内面からの報告』と違って、また初期の作品に戻った印象を持った。大学をやめ、ニューヨークでホームレスの生活をしたり、各地を放浪して、恋愛関係に陥ったりと青春小説のような趣がある。
ただし、その流れとは別に、父親や義母、そして実母が登場して、それぞれ、第一人称で自らの現状や、息子への思いを語っている。いわば、若者を軸にした相互の関係がテーマになっていて、僕は父親の立場で読んでいることに気づかされたりもした。時代設定も書かれた時とほぼ同じで、リーマンショック後のアメリカが映し出されている。

auster5.jpg 『インヴィジブル』も主人公は若者だが、こちらは時代設定が1960年代から70年代になっていて、オースター自身であるかのようにして読むことができる。その意味では、初期の作品に戻ったという感じもした。大学生の頃に知りあったフランス人の哲学者とその恋人との関係が軸になり、舞台はニューヨークからパリに移って話が進む。しかしそれは。すでに老いて病と闘う主人公が書いた自伝小説で、大学時代の友人に中途のままで送り、次にそのもとになるノートやメモを送り、死んだ後に友人が見つけたものも含めて、小説ににまとめたものだったのである。しかも友人はでき上がった作品を持って登場人物を訪ねてもいる。小説であり、ドキュメントでもある。そんな工夫が面白かった
訳者の後書きに、この小説が『ムーン・パレス』に共通していると書かれていた。もう内容を忘れてしまったので読み直すと、驚いたことに、僕はほとんど思い出すこともなく、初めてのような感じで読んだ。で、オースターを読み直そうと思って、次に『偶然の音楽』を読んだが、やっぱり、思い出すことはほとんどなかった。このコラムでも書評しているのに、よくもまあ、すっかり忘れてしまったもんだと、我ながら呆れてしまった。

auster7.jpg そこで書棚を見回して、内容を思い出さないものをと『ミスター・ヴァーティゴ』を手に取った。読み始めて、これは買ったけれども読まずに積んどいたものかもしれないと思った。主人公は孤児で、拾われた男に、空中を浮遊する能力が見込まれて、その修業に明け暮れるところから始まる。時代設定は1920年代から30年代で、大恐慌が始まる直前の好景気から、一転して暗い社会になる世相が背景になっている。空中に浮いて歩くことをマスターすると、二人は興業に出かける。それは人びとを驚かせ、国中の話題になり、大金を手にするようになるが、少年の悪伯父に誘拐され、山奥に幽閉されたりもする。うまく逃れて興業を再開するが、今度は浮き上がるたびに強烈な頭痛に襲われるようになって、結局、浮遊はやめることにする。
オースターには珍しいおとぎ話で、悪ガキから全うな大人に成長する物語という意味で「ピノキオ」にも似た趣があって、そのことは彼自身も自覚しているようだ。ただし、子どもにはちょっと難しいかもしれない。

auster8.jpg 彼の作ったおとぎ話と言えばもう一冊、『ティンブクトゥ』がある。犬が主人公の物語だが、僕は途中で読むことをやめてしまっていたから、これも初めてというように読んだ。犬の主人は若い放浪者で、病を患っていながらニューヨークからボルチモアまで歩いて、旅をしている。しかしボルチモアに着き、エドガー・アラン・ポーの記念館にたどり着いたところで生き別れてしまう。主人が倒れて病院に運ばれ、犬は捕まることを恐れて逃げたのである。物語はそこから一匹だけの放浪生活になり、何度か拾われて、楽しいことも、つらいことも経験する。こちらは『吾輩は猫である』の犬版にも思えるが、ポーの生き様を念頭において書かれたもののようでもある。
そんなわけで、もうしばらくオースターの作品を読み続けようと思っている。もっとも読むのはいつも、寝る前のベッドの中で、気がついたら2時間も経っていた、なんてことも度々だ。だから早めにベッドに入るようになった。

2020年5月11日月曜日

再放送ばかりになったテレビ

 

・今までよく見ていたテレビ番組のほとんどが再放送になった。たとえば火野正平の「心旅」は、この春も三重県からスタートして愛知、静岡と来たところで、中断が決定された。その後は2014年の旅が再放送されている。見ていたのにほとんど覚えていないが、やっぱり6年前だから若いなと思った。最近の旅では、一日に走る距離は10km前後だが、6年前は20kmはざらで、40kmなんて日もあってびっくりした。やっぱり70歳を超えたらしんどくて、スタッフも気にしているんだろうな、と思った。もちろん、同年代である自分に照らし合わせての感想だ。

・もう一つ、田中陽希の「グレート・トラバース」は日本百名山ひと筆書きに続いて、2百名山をやり、現在は3百名山の途中にある。最初は2014年で208日、次は2015年で221日だったが、今回の3百名山は、まとめて全部に登るから、2018年から初めて2年を予定している。屋久島から出発して現在は宮城県まで来ていて、既に250座を越えているが、やはり緊急事態宣言が出て中断を余儀なくされた。東北地方は感染者も少ないから、中断しなくてもいいのではと思う。しかし、全国的に登山やトレッキングを自粛するよう求めているし、山小屋も閉じているから、そんな時には続けられないと判断したのだろう。

・僕は家周辺で自転車に乗り、近くの山を歩いている。例年の連休なら河口湖の湖畔も近隣の山もにぎわうのだが、今年は閑散としていたし、登山口は閉鎖され、駐車場も入り口が閉じられていた。だから自転車には乗ったが、山歩きは4月の中旬以降やめている。確かに、首都圏から大勢来られたのでは、感染者が出てしまうという不安はあるだろう。しかし、不安感にどれほどの客観性があるのかとも思う。休みには渋滞するほどの人気の山ならともかく、そうでなければ、互いに接触や接近をしなければ、それで充分なのではと思う。

・普段あまり見ていないが、バラエティなどでも距離をとったり、家などからオンラインで出演といった形が増えてきた。しかし、スタジオやロケで収録するドラマや、ロケ中心の旅番組は、撮ったところまでで中断ということになるようだ。テレワークが出来るものと出来ないものの違いが、こんなところにも出ているのである。いずれにしても、テレビが主な仕事場であるタレントは仕事が減って困っているようだ。こんな様子もやっぱり、危険というよりは、不安感を与えないための配慮のように思う。

・スポーツは現状では、競馬以外は開催の見通しが立たないようだ。ほぼ終息した台湾や韓国の野球は、無観客ながら開催し始めている。近いうちに観客も入れるようだ。日本よリも感染者数も死者数も多いアメリカも、MLBを何とか開催しようと、いろいろな案を出して探っている。ところが日本では、野球もサッカーも、開催が出来るような対策があまり見えてこない。やっぱり、不安を煽るようなことはしてはいけないと自粛しているように見える。

・今日本中に蔓延しているのは、コロナウィルス以上に「不安」という空気なのだと思う。しかし「不安」を解消させるのは「安心感」ではなく「安全」で、必要なのは、それをどうしたら可能にできるかという模索なのだと思う。政府が中途半端な対応をしているのに、どこも批判ではなく忖度して、出る杭になってはいけないと躊躇しているのだろうか。

・テレビのニュースは、自宅待機せずに出かけている人を探し回る監視塔になったかのようだ。サーフィンをしたって、釣りをしたって、接触を避けるよう気をつければいいじゃないか。そんなことを発言する人は、テレビではほとんど見かけない。オーウェルの『1984年』に出てくるテレスクリーンそのものである。

2020年5月4日月曜日

コロナ後のライフスタイル

 

・コロナ汚染を鎮静化するためには、人びとの濃厚接触を避けなければならない。だから家から出ないようにというのが、緊急事態宣言の趣旨である。控えるように要請されたのは、満員電車に乗って仕事に行くこと、繁華街に出かけること、密閉空間でのイベントを中止すること、観光地に旅行などしないこと等々である。要するに、どうしても避けられない場合を除いて、家に留まるようにという要請である。仕事もできない、学校にも行けない、外食やレジャーを楽しむこともできない。ないない尽くしで既に数週間、そしてこれからも長期間、過ごさなければならないのである。

・要請には補償が伴う。当たり前の話だが、日本の政府は明確にしていない。不良品で調達先も怪しいアベノマスクや、PCR検査の異常なほどの少なさに見られるように、政府の対策はめちゃくちゃで、この先どうなるのか、不安というよりは恐怖感さえ持ってしまう。しかしそんな状況でも、考えてしまうのは、今回の騒動が一時的なもので、終息すれば以前と同じように復活して再開されるというのではないだろうということだ。

・パソコンとインターネットをつかえば、ある程度の仕事や勉強はできる。だから、毎日通勤通学しなくても、週に何日かは在宅で仕事や勉強をすればよい。そうすれば、移動の時間は減るから、交通機関や繁華街の人ごみは緩和される。週末や祝日に高速道路や観光地や娯楽の場が混雑することもない。自由に使える時間が増えることになるから、忙しさを理由に便利なものばかり求めていた発想が変わるようになる。外食や出来あいのものを買うのではなく、家で自分で作る。もちろんこれは衣食住のすべてに渡るようになる。要するに、ライフスタイルの大きな変化がもたらされるはずなのである。

・僕は自分の研究テーマとしてずっと「ライフスタイル」を掲げてきた。僕が最初に出した本は『ライフスタイルの社会学』(世界思想社、1982年)だったし、その後も『シンプルライフ』(筑摩書房、1988年)、そして『ライフスタイルとアイデンティティ』(世界思想社、2007年)と続けてきた。これらの中で一貫して主張してきたのは、仕事ではなく生活を中心に据えること、便利さを求めてお金で消費するのではなく、出来ることは自分でやってみること、性別に伴う既存の役割に疑いを持って変えていくことなどだった。残念ながら世の流れは、仕事や便利さを求める方向を加速させたし、男女の役割にも大きな変化は見られなかった。

・それでも、僕はマイノリティでもかまわないと思ってきたが、コロナ騒動は、僕が言ってきた「ライフスタイル」の変革を実現させるのではないかという可能性を感じさせる。もちろん、主に都会で成立していた多くの仕事は失われるだろう。しかしそれは、地方へのUターンを加速させて、農業や漁業、あるいは林業を活性化させる可能性に繋がる。何しろ日本の食料自給率は減少する一方で、従事者の多くは高齢者なのである。

・世界中でロックダウンが行われて、空気や水の汚染が著しく改善されたようだ。これを機会に、地球の温暖化を阻止することについて、もっと本格的に取り組む機運が強まることも期待したい。そもそもウィルス騒ぎの原因は、森林を伐採して道路をつくり、農場や工場を造ったことにある。動物の世界を狭めて、人間との接触が起きれば、動物の世界で留まっていたウィルスが人に感染することは避けられない。環境破壊や汚染と、ウィルスの流行は強く繋がっているのである。現実には、もう手遅れかもしれないといった危機感を持って、見直す時に来ているとしたら、ウィルスは強烈な警鐘だと言えるかもしれない。


2020年4月27日月曜日

いつもながらの生活ですが

 

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 ・暖冬だったから、カタクリの発芽も早かった。ところが、3月末から4月にかけて3度も雪が降った。これではせっかく咲いた花が萎れてしまう。そんな心配をしたが、カタクリの花は強くて、しっかり実をつけるまでになった。しかも今年は花が100を超えた。毎年わずかだが増え続けている。庭一面のカタクリになるのはまだまだ先で、生きているうちには見ることができないだろうと思う。しかし、春を感じる何よりの喜びであることは間違いない。カタクリの花が枯れた後は、二輪草やイカリ草やスミレが咲き始めている。不順な天候だが、植物は確実に春を告げている。

forest166-3.jpg・松の木にいくつも穴が開いているのを見つけた。時々キツツキが来て、こつこつとつつく音を聞くことがあったが、10個以上もの穴を開けているのに全く気がつかなかった。虫を見つけるためなら、これほど深く開ける必要はないだろうし、巣にするのなら、こんなにいくつも作ることはないだろうと思う。なんとも不思議な穴だが、これが原因で松が枯れることはないのだろうか。あるいはほかの鳥が、ちゃっかり巣にするのではないか。そんな心配や期待を感じる穴である。

forest166-4.jpg・ところで、コロナ禍での生活だが、普段とほとんど変わっていない。3月はほぼ毎週、周辺の山歩きをしたし、4月に入ってからも。本栖湖から烏帽子岳、山の神社の千本桜、鹿留発電所と山王神社などに行った。どこに行っても出会う人はわずかで、桜を楽しむことができた。桜といえば河口湖畔も満開になったが、いつもと違って観光客はいないし、列をなして富士と桜を写すカメラマンもいなかった。自転車も3月から週に1、2度乗っているが、歩く人も、自転車に乗っている人もほとんどいない。もちろん、他府県ナンバーの車もわずかだ。

forest166-5.jpg・社会的接触を気にするような人ごみにはめったにでかけない。週一回のスーパーでの買い物ぐらいだが、欲しいものがあって出かけたホームセンターの人ごみにびっくりしてしまった。買いたいものをさっと済ませて退散したが、自宅待機で暇になった人が庭作りや日曜大工でも始めたのかもしれない。そう言えば、中年以上の男達が多かった。
・山梨県でも50人を超える感染者が出ているが、周辺ではまだ一人もいないようだ。検査数が少ないから怪しいが、地元の人たちの生活に、それほどの変化はない。湖畔のホテルや土産物屋、それにレストランなどをのぞけば、町の店の多くは開いているし、客もそれなりに入っている。僕はもともと、外食はあまりしないが、ここ最近は全くしていない。3食すべて自分たちで作り、デザートのシュークリームなども作っている。

・東京は大変なことになっているようで、母親がいる老人ホームにも2ヶ月以上訪ねていない。おそらく当分無理だろうと思う。認知症気味だから、忘れられてしまうかもしれない。ホームの近くの病院が多くの感染者を出したりして、心配だが仕方がない。それにしても、わずか100kmほどしか離れていないのに、こことは別世界になっている感がある。検査数があまりに少ないから、感染者は桁違いに多いのかもしれない。

・こんなふうに書いてきたら、連休中は山歩きもやめましょうといった声が聞こえてきた。人気の山は混雑するから、そうかもしれない。しかし、付近の山もにぎわうだろうから、連休中は家に閉じこもろうと思う。

2020年4月20日月曜日

コロナ禍に思うこと


・ここのところ毎週、コロナ禍について書いています。欧米では猛威を振るっていて、全世界で感染者数が200万人を超え、死者も10万人を超えました。他方で中国や台湾、そして韓国などの隣国は終息に向かっているようです。台湾では、無観客ながらプロ野球が開幕しましたし、韓国では、国会議員の選挙が行われました。ところが日本では、これから急増するのではと危惧されています。

・ 日本の感染者数と死者数の少なさには、ずっと違和感を持ってきました。理由はPCR検査自体の桁外れの少なさにありました。たとえば東京では3月末から感染者数が激増して200人近くになった日もありましたが、検査実施人数は多くても一日に500人といったところでした。つまり、極めて陽性の可能性が高い人にかぎって検査をしてきたのです。

・これでは、陽性だけど無症状という人の数はわかりませんし、熱や咳などの症状がある人のなかに、どれだけ感染した人がいるのかもわかりません。日本の感染者は1万人を超えたところですが、この数字はほとんど意味がありません。死者数についても、肺炎で亡くなった方の検査をしていれば、その数はずっと増えているはずです。何しろ日本では毎年、誤嚥性も含めて肺炎で亡くなっている人が13万人もいるのです。

・WHOが検査を勧めるよう警告を発し、世界中のほとんどの国が検査に力を入れているのに、なぜ日本だけが検査を抑えているのでしょうか。感染者が増えたら軽症の感染者の入院で病院がパンクしてしまうというのが、一番の理由のようです。しかし、中国は武漢に数千床の病院を数日で作りましたし、他の国でも、体育館やイベント会場、そしてホテルなどを軽症の患者用に用意するところが多くありました。

・クルーズ船での集団感染騒ぎから2ヶ月が過ぎているのに、政府は何をやってきたのでしょうか。感染者を入院させるベッドが不足しているとか、医師や看護師が装備するマスクや防護服が底をついたとか、今さら何を言っているのかと思います。感染拡大を予測して用意をしてこなかったのでしょうか。マスクは店頭でも相変わらず品薄です。だから首相の提案で一軒に2枚の布製マスクを配布というのですが、いったい何を考えているのかと呆れてしまいました。

・その首相は緊急時多宣言を4月6日に出しました。外出を極力控え、密な接触を避けるようにという要請で、仕事はテレワークを、食事の提供は持ち帰りやケータリングを、そして歓楽を目的とする営業は自粛をといったものでしたが、それに伴う、売り上げや収入減の補償については、ほとんどなしというものでした。欧米の国ではすでに補償の給付が始まっているところが増えていているのですが、多くの批判にもかかわらず、日本の政府は30万円だの10万円だのと、もたもたうろうろしています。

・世界一斉のコロナ禍で何よりはっきり見えたのは、各国のリーダーの姿や言動でした。芸術活動も含めて素早く補償などを宣言したドイツのメルケル首相。自ら感染して入院したことで、目が覚めたように真剣になったイギリスのジョンソン首相。台湾の蔡総統の対応は見事でしたし、韓国の文大統領の指揮は決然としていました。その他、ニュージーランド、アイスランド、ノルウェイなど、女性のリーダーが目立っています。それに比べて日本の安倍首相は、専門家会議から進言があったわけでもない小中高の一斉休校を突然出したり、効果の薄い布マスクを配ったりと、何をしているのかという感じです。

・ところがそんな政権でも、未だに4割前後が支持しているのですから、この国はどうなってしまったのかと唖然とするばかりです。一番の原因は、本気になって批判をしたり、実態を正確に報道する気のないメディアにあります。こんな様子を見ていると、なぜ日本が無茶な戦争を始めて、原爆を落とされるまでやめられなかったのか。3.11で原発をなぜ止められなかったのか。その理由がわかる気がしました。このままではアジアはもちろん、欧米が鎮静化してもなお、日本は深刻な状況のままだということになりかねない気がします。アベノリスク、アベノウィルス。このことに一刻も早く気づくべきです。

2020年4月13日月曜日

ジョン・プラインの死

 

prine5.jpg・ジョン・プラインがコロナ・ウィルスで死んだ。感染して症状が重いことは知っていたが、死の知らせはやっぱりショックだった。入院していることを知ってから、持っているCDやYouTubeで彼の歌を聴き、インタビューなども聞きながら、回復して欲しいと願っていたが、残念だった。73歳。僕より二つ上だった。

・ジョン・プラインは日本ではあまり知られていない。ウィキペディアも日本語版には載っていない。しかし彼は今年のグラミー賞で生涯功労賞を受けているし、1991年の"The Missing Years"と2005年の"Fair & Square"で、グラミーの"Best Contemporary Folk Album"を受賞している。18枚のアルバムを出して9枚が同賞などにノミネートされているから、その実力の程は飛び抜けていたと言っていい。

・とは言え、彼は地味なミュージシャンだった。格好もつけず、驕りもせず、隠し事もしない。「つねに自然体。一人の自由な姿勢をくずさない。そして、時代の気温を親しい旋律にとどめて、ひとの体温をもつ言葉をもった歌をつくる。ほんとうに大事なものは何でもないものだ。かざらない日常の言いまわしで、なかなか言葉にならないものを歌にする。」長田弘が『アメリカの心の歌』(岩波新書)で書いた評ほどプラインを言い当てたものはない。僕はこれを読んで、それまでは興味を持たなかった多くのミュージシャンを聴くようになったが、プラインもその一人だった。ちなみに、僕はこのホームページを1996年から続けているが、最初に書いたのは、この長田弘の『アメリカの歌』だった。

John Prine.png・プラインは1998年と2013年に二度の癌手術をしている。しかし少しの中断期間はあっても、コンスタントに音楽活動はしていて、2016年 "For Better, or Worse" 、2018年 "The Tree of Forgiveness"とアルバムを出して、健在ぶりを示していた。僕はこの2枚とも、このコラムで取り上げている。亡くなったと聞いてまず聴いたのは、遺作になったアルバムの最後に収められた「僕が天国に行く時」 という曲だった。神様と握手をして、ギターをもってロックンロールをやる。酒を飲み、かわいい娘とキスをし、ショウ・ビジネスを始める。そんな歌のように今ごろは天国に着いて、この歌を実現させているのかもしれない。

・このアルバムには、すでに死んでしまった音楽仲間を歌ったものもある。そう言えばウィリー・ネルソンの最新作の "Last Man Standing"(最後の生き残り) も、すでに死んだミュージシャンをあげて、次は誰かと歌っていた。そんな気持ちは僕も同じなのかもしれない。最近このコラムで取り上げた中にも、難病に苦しむジョニ・ミッチェルのことや、引退を宣言したジョーン・バエズなどがあった。そのバエズはプラインがコロナに感染したことを聞いて、彼を励ますためにYouTubeで"Hello in There"を歌っていた。4月に来て、ライブハウスで数多くのコンサートをこなす予定だったボブ・ディランの来日も中止になった。感染したと伝えられたジャクソン・ブラウンは軽症のようだが、どうしたのだろうか。なお、ジョン・プラインの死を追悼してブランディ・カーライルも"Hello in There"を歌っている。

・プラインが感染したのは、ひょっとしたら小さな会場でのライブだったのかもしれない。最近でもそんなところでライブをやっていたようだ。日本でもライブハウスが感染のクラスターになって、行ってはいけないところの代表に上げられている。確かに密閉された空間に大勢の人が集まって、一緒に歌ったり、掛け声をかけたりするから、感染しやすい場所であることは間違いない。二度も癌の手術をしたという自分の体調を考えれば、感染を恐れて自重したらよかったのにと言いたくなるが、彼はやっぱり歌いたかったのだろうと思う。何しろ、天国に行っても歌うぞと宣言していたのだから、本望だと納得するほかはないのかもしれない。

2020年4月6日月曜日

こんな時にこそ、読みたい本

 エドワード・T.ホール『かくれた次元』みすず書房
ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン上下』岩波書店
レベッカ・ソルニット『災害ユートピア』亜紀書房

新コロナウィルスによって、世界が大混乱に陥っている。感染者や死亡者の多いイタリアでは「濃厚接触」を避けて「社会距離」を取ることが法律で規制されるようになった。ハグやキスを挨拶としてすることが習慣化している人たちにとっては、簡単なことではないのかもしれないと思った。もっとも、「濃厚接触」ということばは2009年に新型インフルエンザが流行した時に使われ始めたもので、その時に「マスクと濃厚接触」という題で触れている。

hole1.jpg エドワード・T.ホールの『かくれた次元』は、人びとが取りあう距離が、その関係に応じて物理的に違っていることを説いたものである。つまり私たちが他人との間につくる距離は、その親密さの程度に応じて「密接距離」(極めて親しい)から「個体距離」「社会距離」「公衆距離」(見知らぬ他人)と分類できるというものだった。「濃厚接触」はこの分類では「密接距離」や「固体距離」にあたるが、今回の騒ぎでは「社会距離」を取れということがしきりに言われている。
ただしこれらの距離感には、人種や国民性による微妙な差異がある。この本には、パーティの場で近づきたがるイタリア人と、それに圧迫感を覚えて後ずさりするイギリス人の例を挙げ、それが外交官同士なら、国の関係にも影響してしまうといったことが冗談として語られている。
今は多くの国で、法律の規制として2m以内に近づくことが禁止されているのである。もちろん屋内の密閉された空間では、「社会距離」をとっても感染する危険性がある。だからこその「テレワーク」だが、コロナ禍をきっかけに人びとの持つ距離感が大きく変わるかもしれない。そんなことを思いながら、読み直してみた。

naomi1.jpg データの改ざんや書類の隠蔽が日常化している安倍政権下では、新コロナウィルスについての情報は全く信用できない。感染者数や死亡者の少なさには、海外からも、オリンピックのために情報操作をしているのではという疑問が上がっている。
ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』は、惨事に便乗して政治や資本が、自分に都合の良い政策や投資を行うことを、極めて多くの事例をもとに告発したものである。戦争や紛争やテロ、台風や地震などの自然災害がその好例だが、さて今回のコロナ禍はどうか。各国の政治リーダーは感染の拡大を抑えることに全力投球していると言うだろう。実際雑念があったのでは、うまくいくはずはないのである。しかし、現実には。これを利用してと考える力も少なくないはずである。
ショック・ドクトリンの信奉者たちは、社会が破壊されるほどの大惨事が発生した時にのみ、真っ白で巨大なキャンパスが手に入ると信じている。(上巻28頁)
solnit.jpg 大災害が起きた時には買い占めや暴動などが起きるが、逆に被害者を助け、支える人たちやグループが生まれ、そこに一種のユートピアが一時的に出現することがある。レベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』は東日本大震災直前の2010年末に出版されていて、この欄でも取り上げたことがある。詳細はそちらに譲るが、ここでは、国家の災害対策が情報の統制や過剰な取り締まりによって、人びとの不安や恐怖心を募らせ、暴動などを生じさせる危険があることだけをあげておこう。
読み返してみて思うのは、人が集まることが規制されるコロナ禍では、人びとの間に相互扶助の気持ちが生まれ、「自生の秩序」ができる機会が極めて難しいという点である。外出や営業の自粛を求めても、そのために生じる損失を保証するとは言わない日本の政府の対応では、倒産したり、生活が困窮したりする人が大量に出現するのは明らかである。それを批判するデモや集会もできないから、ネットでということになるが、果たしてどんな動きが出てくるのだろうか。

ほかにも思いついた本はいくつもあった。しかし、ぱらぱらとめくってみて気づいたのは、伝染病の世界的蔓延を危機として取り上げたものがほとんどなかったことだった。コレラやペストなど、すでに過去のもので、人類が克服したものとして語られることはあっても、現在、あるいは未来に起こるかもしれない危機として指摘したものは見つからなかった。それだけ先例のない、予測や対処方法の見つけにくいものであることを再認識した。もっとも、気候変動による自然災害が急増しているように、新たな病原菌が続出する危険性だってありうることかもしれない。