2021年9月27日月曜日

巣ごもりの秋

 

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家の修復工事が終わった。とは言え、母屋の屋根や壁はとっくに済んで、後は工房の入り口と玄関の腐ったログの補修だけだった。しばらくおいて9月に再開となったのだが、ログの補修には感心した。下左のように、雨に晒されて左半分が腐食をしていたのだが、それをきれいに削り取って、形に合わせて積み木のように木を重ねて紙を貼り、その上からモルタルを塗った。仕上げには木目なども入れて出来上がりで、後は僕が塗料を塗れば、ほぼ元通りになって、ちょっと見ではわからないほどになる。これはアートだなと、満足した。

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コロナ禍がまた下火になりはじめたが、ワクチンを打っていないから、ほとんどどこにも行かずに過ごしている。出かけるのは自転車で河口湖か西湖一周で、これは週に3~4回やってきた。家を出たら信号以外には止まらないし、誰かと話をすることもないから、マスクなどはしない。それでももちろん、人や車が増える週末は避けている。暑い日もあったし、雨が続いて走れない日も多かったが、晴れた日の早朝は気持ちが良かった。

forest178-4.jpg暑いので歩くのは気が進まなかったが9月になって歩きはじめるようになった。上の富士山と河口湖は母の白滝に行く途中から見える風景だが、2年ぶりに行くと、キャンプ場が出来ていて、なお造成中だった。キャンプブームにあやかったものだろうが、いつまで続くものかと疑問に思った。静かな所だったのに狭い山道をすれ違う車が多かった。母の白滝は三ツ峠ヘの登山口にあって上と下に二つの滝がある。冬に行くと流れが見えないほどに凍っている。今年は雨が多いから、水量も多かった。

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どこにも行かなくても、家の周囲で季節を感じることは出来る。今年初めてムクゲの花が咲いた。白とピンクの二色で、それぞれ別のまだまだ細い幹だ。花が咲くまでは、それがムクゲだとは知らなかった。そうしたら、パートナーがすぐ近くにもう一つ花を見つけた。コルチカム(花サフラン)という名のようで、球根らしい。種なら鳥が運んだと思えるが、球根は誰が持ってきたのだろうか。葉はなくて、土から茎が伸びて花がついている。毒があるようだが、痛風の薬になるという。こんなふうに新しく咲くものもあれば、いつの間にかなくなってしまうものもある。花畑を作らなくても、結構楽しめるものだと思った。

2021年9月20日月曜日

使える翻訳ソフト

 インターネットが始まった時に、欲しいと思ったのが翻訳ソフトだった。海外のサイトにアクセスして、面白そうな記事に接する楽しさを味わうのに、辞書片手に訳したのではまだるっこしいと感じたからだった。そこで、学科の予算で高額の翻訳ソフトを購入したのだが、ほとんど使い物にならずにがっかりした記憶がある。それに懲りて、以後ソフトを購入することはなかったが、新しいフリーのソフトが出るたびに試してみて、まだまだダメだなと感じ続けてきた。

最近、使える翻訳ソフトがあるという記事に触れて、実際に試してみた。そして、その実力にびっくりした。"Deepl"はドイツのケルンにある"Deepl GmbH"が開発したソフトである。ウィキペディアには「Google翻訳より精度が高く、微妙なニュアンスのある翻訳ができると肯定的な報道を受けている。」とあった。

"Deepl"は英語だけでなく24の言語を552の言語ペアで翻訳することができるようだ。何より、5000文字以内であれば、無償で利用できるのがありがたい。もちろん長文でも、5000文字ずつに分けて翻訳すれば、どれほどの量でも訳すことができる。日常的によく利用しているが、英語から日本語だけでなく、自分の書いたものを英語にすることも試していて、ちょっとした修正だけで、十分使えることも確認した。

たとえば、最近では大谷選手の活躍を伝えるMLBのニュースをコピペして、日本語にすることをよくやっている。たとえば、次のような文章だ。

Angels manager Joe Maddon indicated on Thursday that Ohtani could be shut down for the season with soreness in his pitching arm, but Ohtani threw a 32-pitch bullpen session without any issues on Friday. Ohtani was originally scheduled to start Friday's series opener against Oakland, but will now take the hill in Sunday's finale. Right-hander Jaime Barria is expected to be pushed back to start against the Astros on Monday..

 エンゼルスのジョー・マドン監督は、木曜日に大谷選手が投球腕の痛みで今シーズンを棒に振る可能性があると指摘しましたが、大谷選手は金曜日に32球のブルペンセッションを行い、問題なく投球しました。当初、大谷は金曜日のオークランドとのシリーズ開幕戦に先発する予定でしたが、日曜日のフィナーレで登板することになりました。また、右腕のハイメ・バリアは、月曜日のアストロズ戦での先発に延期される見込みです。
ほぼ修正のいらない翻訳だが、それでは和文英訳はどうか。自分の書いた文章で試してみた。前回載せた「オリパラの後は自民総裁選ばかり」の冒頭の部分だ。
 オリンピックが始まると、NHKはもちろん、民放までが中継一色になった。そうなったらもう見るものがまるでない。当然、パソコンでネットを見る時間が多くなった。Amazonで映画を見ることが増えたし、大谷の出る試合もAbemaで楽しむようになった。どちらもスマホとテレビをつなげて大画面で見ることができたから、放送局の提供する番組など、ほとんど見る必要もなかった。

When the Olympics started, NHK and even the commercial broadcasters went all in on the coverage. Then there was nothing left to watch. Naturally, I spent a lot of time on the Internet on my computer, watching more and more movies on Amazon and enjoying Otani's games on Abema. In both cases, I was able to connect my phone to the TV and watch on the big screen, so I hardly needed to watch the programs offered by the broadcasters.

自分で訳すよりずっとましな気がする。これだけできれば、英文のサイトを作ろうかといった誘惑にかられてくる。とはいえ、数ヶ月をかけてホームページを丸ごとBloggerに転載したばかりだし、英文でのコメントがたくさん来たら、その返答に忙殺されるかもしれないからと、二の足を踏んでいる。 

2021年9月13日月曜日

オリパラの後は自民総裁選ばかり

・オリンピックが始まると、NHKはもちろん、民放までが中継一色になった。そうなったらもう見るものがまるでない。当然、パソコンでネットを見る時間が多くなった。Amazonで映画を見ることが増えたし、大谷の出る試合もAbemaで楽しむようになった。どちらもスマホとテレビをつなげて大画面で見ることができたから、放送局の提供する番組など、ほとんど見る必要もなかった。ついでに言えば、この間の新聞もまるでスポーツ新聞のようで、ほとんど読むものがない日が続いた。

 ・ところが、やっとパラリンピックが終わると思ったら、菅首相が突然、総裁選に出ないと発言して、テレビは自民党の総裁選一辺倒になった。これは政権をとった民主党が次の衆議院選挙で負けた時の再現で、不人気の菅に代わる総裁を選ぶことで、自民党の支持率を大きく挽回させるだろうと思った。これが政権に対するテレビメディアの忖度だということはできるだろう。けれども、誰が総裁になり、選挙で勝って首相になるのかは、視聴率のとれる話題であることも間違いないのである。 

・僕はもちろん、そんなテレビ番組は見ていない。しかし、政治問題に特化したYouTubeのサイトでも、批判的とは言え、やはり総裁選で盛り上がっている。そして以前にも増して、視聴者数が増えている。いち早く立候補して、幹事長の任期を限定して注目された岸田。世論調査では一番支持されている河野、二番目の石破。そしてウルトラ右翼の高市等々、候補者の顔ぶれにはバラエティがあるし、裏で安倍や麻生が暗躍しているようだから、政策などそっちのけで、まるで競馬の予想をするようににぎわっている。 

・それに比べて、野党はほとんど無視されたままだ。菅再選が順当とされていた時には、衆議院選挙で与党が大敗し、政権交代もありうるのではと言われていたのに、あっという間の政局の反転である。とは言え、野党も選挙に向けて体制を整えてきたようだ。立憲、共産、社民、そしてれいわが共闘して、政策協定も結んだ。コロナ対策、消費税、原発など、自公政権とは違う施策を盛り込んで、対決姿勢を鮮明にしたと言えるだろう。ただしメディアの扱いを見ていると、政策の違いを検討して投票に行くという人がどれだけいるのか、といった疑問は残る。

 ・自民党総裁選挙は変人の河野とウルトラ右翼の高市が注目されて、テレビはもちろん、週刊誌やネットで盛り上がっている。不人気の高市のイメージ作りをして、人気のある河野にスキャンダル攻勢をかけているのは電通だと言われている。仕掛けの張本人は河野を総裁にしたくない安倍のようだ。権力闘争をむき出しにした醜悪なドラマだが、物語として興味をそそられるのは間違いないだろう。コロナそっちのけでこんなことをやっていることに、テレビはほとんど批判の目を向けない。 

・衆議院選挙が行われるのは11月になるようだ。コロナの感染者が減少傾向にあるが、冬には第六波がやって来ると警告されている。おそらく、それに備えて対処しようとする動きを政府はほとんどやらないだろう。それどころか、また「Go to」や「ワクチンパスポート」をなどと言い始めている。だから第五波以上のひどい状況になるのは容易に推測できるが、その時にはまた、何とか選挙で過半数をとった自公政権に任せるほかはないのかもしれない。オリパラ、総裁選、そして衆議院選挙と、ただ囃し立てるだけのテレビの責任は重いのである。

2021年9月6日月曜日

拝啓菅総理大臣様

 

・首相宛にこのコラムを書くのは7年ぶりです。前回は安倍前総理で、首相の座について2年ほどで、「集団的自衛権」「秘密保護法」「TPP」「消費税増税」「年金の減額」「介護保険制度の改悪」「残業手当の廃止」、そして「憲法の軽視」と続いた暴挙に危機感を持って書いたのですが、安倍政権はその後6年も続きました。その間に、日本はずいぶんひどい国になってしまいました。後を継いだ菅政権が’、いっそうひどい状況をもたらしましたのは言うまでもありませんが、とうとう、辞任を表明しました。

・コロナ禍はオリンピック直前から第5波に入り、最大では全国で一日に25000人以上の人が感染しました。これまでで一番大きなもので、軽症者だけでなく中等症者も入院しにくい状況に陥っています。政府はそれを「自宅療養」といったことばで誤魔化していますが、それは「自宅放置」以外の何ものでもありません。ほとんど治療を受けず、ただ家で寝ているだけの人が全国で12万人を超えました。急に重症化する人、亡くなってしまう人がたくさんいるのは明らかですが、厚労省はその実態を把握できていないようです。

・今流行している「デルタ株」は飛沫ではなくエアロゾル(大気浮遊粒子状物質)で感染すると言われています。互いに飛沫が届かない距離をとりあっても、同じ部屋にいるだけでうつってしまう危険があるのです。感染例の一番は家庭内だと言われていますから、感染して自宅に放置された人が、他の家族にうつしてしまうことは避けられないでしょう。ところが政府は、このエアロゾルを公言せずに、相変わらず、人流や飲食を共にすることによる濃厚接触の危険ばかりを訴えています。しかし、外食はするな、人の集まる所へは行くな、県をまたいだ移動はするなと言っておきながら、オリンピックもパラリンピックも強行したのですから、国民が言うことを聞くはずはないのです。

・今がこれほどひどい状況なのに、菅首相は自らの政権の維持に懸命なようでした。コロナ対策のための臨時国会を拒否しながら、衆議院解散のためだけに国会を開こうとしているなどと聞くと、自分のことしか考えていないことがよくわかりました。どんなにあがいても、菅は既に国民の信頼を失い、早くやめて欲しいと思われていたのですが、そんなことはお構いなしに、権力の座にしがみつこうとしていたのです。その最後の悪あがきは、みっともないことこの上ないものでした。

・安倍前総理について、このコラムで戦後最悪で最低の政権だと書きました。しかし菅政権は、最悪・最低をさらに更新し続けたと言えます。安倍は嘘つきで、戦前回帰のアナクロニズム(時代錯誤)の持ち主でしたが、菅は権力の座につくことだけしか能のない人で、頭は空っぽの頑固者です。そもそも自分のことばで人を説得させる能力に欠けた人間がなぜ、首相にまで昇りつめることができたのか。日本の政治がなぜダメなのかを、これほど体言した政治家は、他にはいないでしょう。

・政治家とは、自分の考える理想や哲学を演説によって人びとに訴えかけて、その支持を力に政策を実現させる人のことです。残念ながら日本には、それを得意とした政治家はごく少数でした。安倍は嘘で誤魔化すことに長けた政治家ですが、菅は演説はもちろん、嘘さえうまくつけない話し下手で、官僚の書いた原稿すら読みまちがえるお粗末な人間です。

・この後誰が首相になるのか分かりませんが、安倍がキングメーカーだなどと聞くとうんざりします。オリパラで騒いだメディアが、次は自民党の総裁選びを煽って、野党の存在感がますます薄くなっています。衆議院選挙が終わった頃には、さらにひどい第6派が始まっているかもしれません。オリパラ後の不況も深刻化するでしょう。政治の無能さばかりが目立つ中で、日本は一体どうなってしまうのか。古今未曾有の厳冬の到来にならないことを願うばかりです。

2021年8月30日月曜日

二つの映画主題歌

・テレビがオリンピックやパラリンピックばかりやっているから、Abemaで大谷の試合を見たり、Amazonで映画を観ることが多くなった。何本も見た映画の中で主題歌が二つ気になった。映画のエンディングはほとんど見ずにやめてしまうのだが、「いい歌だな!」と思って二つとも最後まで聴き、誰の何という歌なのかをネットで確認した。

themule.jpg・一つ目はクリント・イーストウッドが監督主演する『運び屋』で、2019年に公開された彼の最新作だった。クリント・イーストウッドは91歳でなお現役の監督兼役者だが、この映画の主人公も90歳を過ぎたコカインの運び屋だった。園芸家としての仕事がうまくいかず、家族とも不仲になった老人が、それとは知らずにコカインの運び屋になって、何度も成功させる。老人が運び屋とは思わない警察のまごつきや、疎遠になった妻の最後につきあう様子などがあって、いい映画だと思った。

・その最後に流れたのはトビー・キースの「Don't let the Old Man in」で、切々と歌う低音の歌声に聴き入った。ベテランのカントリー・ミュージシャンのようだが、僕は知らなかった。ウィキペディアで調べると、愛国的な内容の歌もいくつか作っていて、トランプの大統領就任式にも招かれて歌ったようだった。YouTubeで他の歌も聴いてみたが、確かにそんな感じの歌が多かった。だからCDを買う気にはならなかったが、「Don't let the Old Man in」は歌詞もなかなかいいと思って、YouTubeでくり返し聴いている。

もう少し生きたいから この年寄りを呼びに来ないでくれ
ドアをノックしたって 呼ばれるままにはならない
自分の人生にいつかは終わりが来ることはわかっているんだから

rbg.jpg・もう一つはアメリカ初の女性連邦最高裁判事だったルース・ベイダー・ギンズバーグを主人公にした『ビリーブ 未来への大逆転』で、主題歌はケシャが歌う「Here Comes the Change」だった。ぼくはケシャについても何も知らなかったが、奇抜なメイクなどで、日本でも人気があるようだ。

・この歌は映画のために作られたもので、彼女はオファーをもらった時の気持ちを「自分はふさわしくないと思った。作曲はとても個人的なプロセスで、大体は自分自身が体験したことからインスピレーションが来る。だから、誰か他の人の人生についての曲で、それもルース・ベイダー・ギンズバーグ判事っていうことで、ちょっとおじけづいてしまった」が、「生涯をかけてたゆむことなく、また速度を緩めることもなく平等のために闘ってきたギンズバーグ判事に敬意を表するために私ができることをやりたいと思ったし、私も声を上げたいと思った」と語っている。

・ギンズバーグ判事は昨年87歳で亡くなって、トランプ大統領は選挙間近にもかかわらず、その後任に保守派の女性を任命した。ギンズバーグの人生がアメリカの法律にある性差別を指摘し、改善するために戦ってきたものであることは、映画でもよくわかった。大学に女性用トイレがなかったこと、弁護士として女性を雇う法律事務所がなかったことなど、この映画は「性別」を当たり前とする社会ヘの挑戦がテーマで、題名も「On the Basis of Sex」だが、邦題には、そんな意味が考慮されていなかった。『ビリーブ 未来への大逆転』では、何のことかわからないが、日本人にはこの方が訴求力があるのだろうか。

2021年8月23日月曜日

伊藤守編著『ポストメディア・セオリーズ』(ミネルヴァ書房)

 

postmediatheories.jpg オーソドックスなメディア論はメディアの種類や特性ごとに分類して行われてきた。新聞や雑誌といった印刷物、ラジオや電話といった音によるもの、そしてテレビや映画などの映像によるものである。もちろん現在でも、それぞれのメディアは別々に存在していて、独自なものとして扱われている。けれどもまた、それらのメディアから発信される情報や作品は、パソコンやスマホで見たり聞いたり読んだりすることがあたりまえになった。たとえば電車の中でよく見られる光景は、新聞や雑誌、あるいは本を読むのではなく、スマホを見つめる乗客たちである。この変化をメディア論はどう扱うのだろうか。この本が狙うのは、そんな変化の理論的な考察である。

メディアにおける大きな変化の根幹にあるのは、アナログからデジタルヘの移行である。それは個々のメディアにあった紙や音や映像といった特性や垣根を超えて一つにしてしまった。そして、この新しいメディアはマスメディアが特権的に所有していた一方向性という特徴を崩して、誰もが送り手になりうるという双方向性を可能にした。しかし、アナログ・メディアがそれぞれに持っていた固有な特徴が消えてしまったわけではないし、双方向性の実現がメディアの民主化をもたらしたというわけでもない。そんなポストメディア的な状況は、極めて複雑で渾沌としていて、また絶え間ない変化を伴っている。

このような難しい課題について、この本は「マシーン(機械)」「フォルム(形式)」「デザイアー(欲望)」「アルケオロジー(考古学)」の四部構成で展開している。そのすべてを紹介することはできないので、興味深かった発想や視点をいくつか取り上げることにしよう。

ひとつは映画やテレビ、パソコンやスマホなどを「スクリーン」として一括して捉えるという視点である。とりわけパソコンとスマホは、映画作品もテレビ番組もネットを介してみることができる。それは場所も時間も規制されないし、もちろん、その持ち主や仕事や遊びといった使用目的にも限定されない。公共の場にたまたま集う人たちは、それぞれが「スクリーン」を手にしていても、その使い方はさまざまである。このような現状をどう理論化していくか。それは「部分部分の描出の積み上げ自体が全体の認知を導くような枠組みとしての理論を複数実装」する必要性だという。

デジタル・メディアが提供するコンテンツには必ず、特定のフォルムがある。文字にはUnicodeなどの符号化形式があるし、音や映像にはmpgやmovといたファイル形式がある。アナログのデータはこのようなフォルムに変換して初めて、文字や音や映像として、スクリーンに再現させることができる。ただし、再現されたものの本質は、何にしても、0と1の数字の並びに過ぎない。アナログ(オリジナル)とデジタル(コピー)は同じものだと言えるのかどうか、といった疑問があるし、デジタル化されたものには加工が容易だといった特徴も生じた。

この本では大きく取り上げていないが、検索サイトから出発した「Google」や、「Twitter」、「Facebook」,そして「LINE」といったSNSの場や多種多様なゲームの世界が、それぞれ独自のフォーマット(プラットフォーム)によってできていることは言うまでもない。この「プラットフォーム」には技術的な問題だけでなく、当然、政治的、経済的、そして社会的問題がつきまとう。「GAFA」はそれぞれ巨大な「プラットフォーム」として世界の政治や経済、そして社会を動かす存在になっているが、また、その場は、影響力の強い政治的発言の場となり、有名人を生み出し、巨額な収入を得る場ともなっている。買い物の仕方を変え、音楽や映画、そしてスポーツの享受の仕方も変えたことは言うまでもない。

このような変容をどう捉えたらたらいいのか。この本の最後で語られているのはメディアのアルケオロジーである。もう一度古いメディアに立ち返って、そこから現在の状況を問い直してみる。それをメディアに関する技術と理論、そしてメディアがもたらした社会、さらには人間の意識下の動きから考えるというのは、極めてまっとうな方法だと思う。しかも重要なのは、既存の主流のメディア論ではなく、「傍流のメディア思想」だと言う。もちろん、この本はその出発点に立っている。


2021年8月16日月曜日

どこにも行かない夏


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・先月榛名湖と軽井沢に一泊旅行をしただけで、この夏はどこにも行っていないし、行く予定もない。大きな理由はもちろん、コロナの感染爆発だ。去年は北海道に十日間ほど出かけたが、この夏の感染状況を考えたら、とても無理だと判断した。もちろん東京にも、今年は一度も行っていない。母とも孫とも会えない日が、一体いつまで続くのか。いい加減うんざりするが、当分は無理だと諦めている。

forest177-2.jpg・山梨県もこのところ感染者が増えていて、つい最近、車にドライビング・レコーダーをつけようと予約したら、スバルの営業所から感染者が出ましたという連絡があった。店には入らず車を置いて帰ったが、身近で聞く初めてのニュースだった。いよいよ迫ってきたかと思ったが、だからといって、ワクチンをとは思わなかった。家にいればほぼ無菌状態だし、出かけるのは週一回のスーパーへの買い物だけで、後は自転車と山歩きだけで、訪問者もいないからだ。もっとも、絶対拒否というわけではない。必要だと思ったらやろうと考えている。

forest177-3.jpg・もちろん、どこかへ出かけたいし、誰かとも会いたい気持ちはやまやまだ。しかし、コロナ以外にも、ここ数年の夏は、どこに行っても猛烈な暑さだから、家にいるのが一番!といった気持ちにもなっている。先日は八王子で39度といったニュースを見た。その時わが家は27度だったから、「ここは天国だね」とパートナーとうなずきあった。湖畔は30度を超えていたようだが、森の中は数度低いし、屋根の葺き替えをしたおかげで照り返しがなくなって、家の中はさらに涼しくなった。だから去年買った扇風機も、今年はあまり使う必要がなくなった。

forest177-4.jpg・それでも自転車は朝の涼しい時にと決めている。家に帰れば汗びっしょりになるし、熱中症にもなりかねないからだ。オリンピックのロードレースを観てから、心なしか気張って漕ぐようになった。先日西湖に出かけて急坂を登りはじめると、ちょっと前に先行者がいて、思わず力が入って抜き去ってしまった。後で記録を見ると、いつもより1分以上も早く駆け上がっていて、競う相手がいるとこんなに違うものかと驚いた。コロナでカヤックもご無沙汰だったが、久しぶりに西湖に浮かべた。組み立て方を迷うほどしばらくぶりだったが、快晴の中、富士山を見ながら湖に浮かんで心地よかった。

・お盆になって、湖畔にも車の列や人混みができはじめた。ちょうど天気も悪くて雨ばかりだったから、本当にどこにも行かずに家の中で過ごした。一日の中心は大谷君の出る試合だった。オリンピックが始まって、NHKが中継をしなくなったが、スマホをテレビにつなげてAbemaTVで見ることができた。ここのところホームランが出なくて心配だが、投手としては、力任せではなく頭脳的なピッチングで安定している。若いのにこんな面でも感心してしまう。

creampuff.jpg・ここのところ、菓子作りにも励んでいて、カボチャやサツマイモのプディング、それにシュークリームを作ったりしている。プディングはクリーム状にならずに、どうしてもざらつきが残ってしまう。卵を少なくしているせいか、生クリームを入れないためか、これからもあれこれ考えて作ろうと思っている。外食しないから、食事もデザートも時間をかけてじっくり、ゆっくり作る。生きるをおいしく味わうために、お金を払って人にやってもらうのではなく、自分でやる。コロナ禍もあって、こんなモットーが、ますます生活にしみ込んできた。