1998年4月8日水曜日

Art Gurfunkul (大阪サンケイホール、98/4/1)

  • この季節は毎年必ず数回コンサートに出かけるのだが、今年は行きたいものがなかった。とは言え、好きなミュージシャンが来なかったわけではない。ただ、U2もローリング・ストーンズもビリー・ジョエルも大阪ドームだった。
  • ドームは決して音楽を聴く場ではない。少なくとも、1万円近いお金を払ってまで行く価値があるとは思えない。音は悪いし、ステージははるか彼方で、ミュージシャンは豆粒にしか見えない。大型スクリーンで確認するくらいなら、家でビデオでも見ている方がずっとましだろう。
  • なぜ、コンサートにドームが使われるかというと、それは、一回に稼げるお金が多いからだ。たぶんそれ以外に納得のできる理由は見つからない。確かにロック・コンサートにはウッドストック以来の伝統があるかもしれない。けれども、たくさん人が集まったからといって、観客たちの間に何か共有できる気持ちや思いが作り出されるわけではない。
  • 昔、スプリングスティーンが一人一人からそんなにお金を取らずにコンサートをやろうと思ったら、大きな会場にするしかないんだが、そうなると、観客との関係が密にならなくなってしまうといった話をしていた。同じようなジレンマはドアーズのジム・モリソンも言っていて、映画の『ドアーズ』ではそのことが一つのテーマになっていた。
  • しかし、最近の大きな会場でのコンサートは平気で1万円も要求するから、料金を安くするためのものだとは言えない。
  • で、サンケイ・ホールでやったアート・ガーファンクルのコンサートを聴きに行った。ここは一昨年ジェームズ・テイラーのコンサートを聴いたことがあって、座席は狭いけれどもステージが近く感じられて悪くはない。とは言え、アート・ガーファンクルはポール・サイモンとのデュオだったが今回はひとりだけ、しかも最近の活動はほとんど知らないから、対して期待はしなかった。
  • コンサートは1時間半ほどで、半分以上はナツメロだった。「サウンド・オブ・サイレンス」「ミセス・ロビンソン」「明日に架ける橋」「スカボロ・フェア」「コンドルは飛んでいく」。懐かしくて恥ずかしくなるくらいだった。それは決して嫌なことではないのだが、結局、それだけでしかなかった。アート・ガーファンクルは自分では歌は作らない。楽器も弾かない。ただ歌うだけである。オシャベリもうまいとは言えない。
  • ロックは確かに一大産業になって、売れっ子のミュージシャンは同時に成功した事業者だが、ぼくはやっぱり、ロックは一面ではアイデンティティの音楽だと思っている。だから、ぼくがコンサートに行くのは、今現在のミュージシャンの実像にちょっとでも触れたいと思うからだ。多少格好つけた言い方だが、CDよりも高いお金を払ってコンサートに出かける理由は、そのことをおいて他にはないような気がしている。
  • ドームではそんな実像は見ることができない。というよりは事業家という意味あいばかりが際立ってしまう。ところが、小さな会場でも、昔のスタイルの再現だけで、他に興味を引くようなものがなければ、そこにはやっぱり、ミュージシャンの現在のアイデンティティについての関心も起きようがない。
  • 映画の『卒業』を今見ると、その純真無垢さに恥ずかしくなる。ガーファンクルのステージを見ていて感じたのも同じものだった。彼の時間は、たぶん、その時から動いていないの
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    unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。