1999年11月24日水曜日

オフ・シーズンの野球とベースボール

  • メジャー・リーグもプロ野球も終わって、何となくつまらない時期。しかし、今年はオフの話題がなかなかおもしろい。とりわけ、フリーエージェントは興味津々である。野茂はどこへ行くか、佐々木はと思っていたら、工藤までがメジャーに接触した。イチローがもう一年と我慢したのは残念だが、日本のプレイヤーがメジャーを目標にし始めているのは間違いない。この傾向は、たぶんこれから加速度的に強くなると思う。
  • R.ホワイティングの「日出づる国の奴隷野球」が話題になっている。日本ではワルのイメージが強いダン野村と野茂の話が中心で、読んでいて痛快という気分を味わった。日本ではなぜ代理人交渉が認められないのか、フリーエージェントがなぜもっと短期間に設定されないのか。そう思う選手は少なくないだろう。しかし、各球団は話題にする気もないようだし、選手会の姿勢もいたって弱腰だ。なぜ、契約交渉という専門的な知識やテクニックが必要な行為を選手がやらなければならないのだろうか。その不当さはあらゆるスポーツで常識化しているのに、プロ野球だけが知らん顔をしている。監督と選手が直接会って、「真心」などという言葉が出てくるのは、僕には苦笑せずにいられない。野茂とダンは日本のプロ野球以外では当たり前の主張をしたにすぎないのである。
  • 野球は今、ベースボールとして世界的になりつつある。いつまでも鎖国状態でいられるわけはないのだが、各球団、とりわけ巨人とそのオーナーだけは、そのような認識が全く欠如しているようだ。オリンピックに対して消極的なのは、その好例だろう。しかし、さらに悪いのは日本のスポーツ・ジャーナリズム。球団べったりで、極めて保守的、批判精神とか将来へのビジョンなどはまるでない。ただただ、巨人と阪神、長島と野村で見出しが作れればそれで安心といった姿勢なのである。
  • BSで赤瀬川隼がメジャーの球団を訪れる番組を見た。目新しい視点はなかったが、基本的なところをおさえたおもしろい内容だった。野球はフィールド・スポーツ、つまり野原でやるものである。緑の芝生、これはアメリカではマイナーでも、リトル・リーグでも変わらない場面設定だ。けれども、日本の球場には、内野に芝生がない。外野も秋になれば枯れるところが多い。何より人工芝の球場ばかりになったのが気にいらない。サッカーの舞台がJリーグや国際試合のポピュラー化で様変わりしたのに、日本の球場は変わらない、というよりは悪くなっている。芝生は一つの文化だが、閉じた世界のままにしようとする発想をしている限りは、気づくことができないのかもしれない。
  • 赤瀬川は火の玉投手といわれたインディアンスのボブ・フェラーを訪ね、一緒にキャッチボールをした。もう 80歳を越えているが、彼の名前を知っている人は少なくない。歴史はオーナーではなく選手が作る。当たり前のことだが、日本ではやっぱり、ごく一部のスターを除けば、ほとんど忘れ去られている。報酬の高騰もあって、競争ばかりが目につくが、選手の相互の助け合いや後々のための改革の主張など、見習うべきは、野球そのもの以外にも少なくないのである。
  • BSでは、今年の野茂に焦点を当てた番組もあった。いつもながらの話しぶりだが、自信とプライド、と同時に自分の実力や体調を冷静に見る姿勢など、今さらながら感心してしまった。メッツの監督バレンタインが、野茂の肘が完全になおって、来年はもっとよくなると予言していた。
  • アメリカ人のファンはゲーム自体を楽しむことがうまいと言われている。集団の応援ばかりに熱中する日本人と対照されるところだ。それは選手にとってもうれしい態度だろう。しかし、メジャー・リーグのファンはまた、自分がGMであるかのように選手を評価しもする。ニューヨーク・タイムズのHPにはメッツとヤンキースのフォーラムがあって、そこでは年がら年中、こいつはいらないから、あいつとトレードをしてなどとやっている。もちろん去年は野茂に対する声は厳しくて、その気短さ、近視眼的な発想にうんざりした。バレンタインは今年も野茂がいたらもっと楽に勝っていたのにと思ったのかもしれない。野茂だって、ワールド・シリーズに出る可能性のあるチームから出されるのは、悔しかったようだ。
  • 最近のフォーラムでも、やっぱり、出したい選手、欲しい選手談義が花ざかりだ。しかし、野茂を戻せとは誰も言わない。たぶん、いらないと言った手前、欲しいと口には出せないのだろう。必ずしもいいとは思わないが、ファンとチームの距離の近さもまた、日本とはずいぶん違う特徴である。
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    unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。