2000年8月14日月曜日

オリンピックのテレビはどうしようかな?

 

  • 千葉すず選手は結局オリンピック代表になれなかった。スポーツ仲裁裁判所(CAS)の裁定は、選考過程は公正だが基準が不明確というもので、いかにも「仲裁」と名のついた機関の決定内容だと思った。オリンピックで彼女の笑顔や突っ張ったときの口をとがらした顔が見られないのは残念で、ぼくは水泳を見る気がしなくなった。フジヤマのトビウオも権力者として居座る姿は醜い。選手は黙って従えばいい。そんな古い考えが通用しないことを肝に銘じるべきである。
  • どうもここ数年、スポーツ界を中心に同じパターンがくりかえされている。サッカーの釜本とトルシエ、あるいはプロ選手のオリンピック派遣を巡る巨人オーナーの発言と古田選手の不出場。スポーツがどんどん国際的になって、選手が視野を世界に広げれば、当然、意識や考え方も変わってくる。それを自覚せずに日本式の古い慣習や考え方を当たり前のことと続けている。組織のトップにいる人たちは、もう全然世の流れについていけてないのに、そのことに気づいてすらいない。情けない状況だが、若い人たちが次々と反旗を翻して自覚させる他はない。千葉すずの行動はそんな意味ではきわめて重要なものだと思った。
  • マスコミはおしなべて千葉選手に好意的である。そこから、スポーツ組織の体質の古さを批判する。オリンピックの選考基準が曖昧であることは陸上の女子マラソンでも話題になったが、それをアメリカのたった一回の予選会と比較して対照させる。しかし、体質的にはマスコミも同じであることを自己反省することなどはしない。野茂や中田や伊良部がマスコミとどれほどのけんかをして、今どんな認識を持っているかということに、自覚的なジャーナリストなどほとんどいないのが現状なのだ。
  • ぼくは野茂や伊良部のメジャー・リーグ進出以来、日本のプロ野球には関心がなくなって、今ではほとんどテレビ観戦もしないし、新聞の記事も読まなくなったが、トルシエ騒ぎでJリーグに対する興味もかなり薄れてしまった。こういう話をすると「だけど選手には罪はないし、がんばっているから見てやらなきゃ」といった応えが返ってくる。どうもそれもまた、きわめて日本人的な発想のように思えて、説得力を感じない。何より、こういった発想がマスコミ、とりわけテレビのスポーツ・ニュースのコメントには溢れていて、それにもまたうんざりしてしまうのだ。
  • 巨人が独走をはじめて、ペナントの興味は薄れかけている。あれだけの補強をすればそうなるのは当たり前で、今年はおもしろくならないことは最初からわかりきっていたはずだが、ニュースは巨人の話題探しに終始してきた。それはこれまでの視聴率に依存する保守的な体質以外の何ものでもない。
  • ぼくは今年もメジャー・リーグを追いかけているが、残念ながら佐々木をのぞいてはいいニュースを聞かないし、中継を見ていても悔しい気分になることが多い。野茂や吉井も調子は悪くなかったのに見方の援護が少なくて勝てないでいる。鈴木がずいぶん成長したが、彼も同様に勝ち星に恵まれない。伊良部は早々故障してしまった。おまけに、あの頑丈な野茂まで故障者リスト入りである。だから、新聞もテレビもメジャー・リーグのことをあまり話題にしない。
  • 野茂と言えば、今年はずいぶん苦労している。先日見た試合ではフォームが変わっているのにびっくりした。球種も増やそうとしているようだ。手を痛めたのは、そんなことが原因かもしれない。彼はいまだにインタビューを通訳を介してやっている。アメリカになじめていないようにも思えるが、メジャーで生き抜くために孤軍奮闘していることはひしひしと伝わってくる。中田だってローマに移籍したあとは思うように試合にでられない。しかし、どっちにしたって、頼りになるのは自分一人で、評価されるのは今現在の実力でしかない。
  • というわけで、何人かのスポーツ選手の動向は気になって、インターネットで追いかけているが、テレビでのスポーツ観戦はまったく楽しくない。甲子園はもう何年も前から嘘っぱちの青春物語にうんざりしている。オリンピックも陸上、サッカー、水泳、野球と興味を半減させるニュースばかり続いていて、開始が待ちどうしいなどということは全くない。せめて、野茂の故障が治って、またマウンドでの雄志を見ることができたらいいのだが………。
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    unknownさんではなく、何か名前があるとうれしいです。